私は幼少時代から優等生で、幼稚園では「仲良し会長」、小・中・高校では「生徒会長」、大人になれば青年会議所の理事長に商工会では副会長、そして最年少(49)で県の教育委員長。
仕事では「地域密着経営」のモデルとなって、“中小企業診断士試験“の事例問題に採用されるまでになった。
私にしてみれば“ウケ狙い″のお調子者が、「わらしべ長者」の様にうまく転んだだけであり、周りからの“やっかみ″など、百も承知である。
性格的には『人間失格』の主人公“葉蔵“にシンパシーを感じる“嫌なタイプ“
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☝️大人になるまで、いろんなおじさん、おばさん達にこう言われた。
👤「お前は絶対成功すると思っていた。俺の目に狂いはない!」
👥「やっぱり成功する人は違うわよね〜。昔から目立ってたもの。私の言った通りでしょ!」
中には、
👤「あいつ(私)が成功したのは俺のおかげだ。前からいろいろ相談にも乗ってやったんだ」
会ったこともない人に「弟子」や「教え子」呼ばわりされるのも妙な気分である。
まあそれでも人生が順調に回っていれば“笑い話“で済むし、私も「いつもお世話になってま〜す」「皆さんのおかげで〜す」と“カラ返事“していれば済むことでもあった。
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☝️さてそんな「俺の目に狂いはない!」とお墨付きをいただいた私の会社が「倒産」してからというもの、状況は一変する(笑)
それまで「俺の目に狂いはない」と威張っていた人たちは、忍法『手のひら返し』を繰り出し始める。
👤「実は薄々、俺もヤバいと思ってたんだ」
👥「あいつ(私)も大したモンじゃない。あれだけ言ったのに、俺の言うこと聞かないんだから」
その目が“狂っていた“ことを確信した(元)応援団たちは、皆一気に私の前から消えていった。
まるで私と関わった過去さえ消したいみたいであり、数で言えば1,00人いた応援団が、2〜3人に減る感じ。
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👤私はこれからまた頑張って、応援してくれた人に復活した姿を見せて「恩返し」をしたいと思っている。
☝️人生最悪の時、一文無しの私に「カンパ」をして生活を支えてくれた人が県内外に300人いる。
今までは「地域貢献」だの「故郷に恩返し」などと偉そうなことを言っていたが、私の残りの人生のテーマは、この一番苦しい時に支えてくれた300人と、一文無しになってからも何も変わらず付き合ってくれた人たちに恩返しをすることである。
そしてその恩人たちに、
👥『私たちの目に狂いはなかった!』と、
“私を見捨てた人“に向かって、誇らしげに胸を張ってもらいたいのだ。
【小林久ホームページ】
https://www.kobayashihisashi.com