こんばんは、児島です。


今日は、サリプルの生活のなかでの、電気の話と食生活について、少し書いてみる。


今は、冬であると同時に雨季のアフガニスタンである。

しかしここ数日は比較的暖かく、夕方になると雲が去り、夜間は満点の星空である。
カシャカシャと音がしそうな調子で輝いている。


仕事の合間に、用をたしに度々外に出ると、
(便所は、事務所の外にあるので、いちいち出て用をたす)
すこしずつ星座が動いているのがわかる。


サリプルの市街地は電化されているのだが、

夜間の電気は非常に弱く外灯も薄暗いので、星がくっきりと見える。


サリプルは非常に貧しい北辺の州であるが、
州都の市街地はすでに2005年から完全に電化されている。
辺境州であるにも関わらず電化が早かった理由ははっきりはわからないが、

以下の2つが考えられる。


ひとつには、ドスタム将軍のお膝元であったという理由である。

サリプル州は、ジャウジャン州の南隣にあり

(ジャウジャン州の北はトルクメニスタンである)、

そのジャウジャン州は、ドスタム将軍の本拠地であった。

群雄割拠の内戦時代は

サリプルは、ドスタム将軍率いるジュンベシという軍閥の支配下にあり、

カマル・ハンとかアージ・パインダーという

数人の大物コマンダー(武装集団の頭目)がいた。

彼らは時に傘下に入り、ときに袂をわかち、という離散集合を繰り返してたようで、

日本の戦国時代もさもありなんという、武将と家臣のような、権力構造であったらしい。

(なお、彼らの中の数人は、現中央政権体制の中でも幅を利かせている。)


彼らは当時、サリプル、ジャウジャンに300近くあると言われる、

埋蔵量がそれほど多くない油田の権益を押さえていた。

その上がりは、埋蔵量が少ないとは言え、地方コマンダーが私服を肥やすには十分以上のものであった。

(一説には一日50、000ドル稼いでいた、という噂もある)

そのあぶく銭を電化のために使ったという説がある。

なお、それらの油田は今、中央政府により差し押さえられている。


もうひとつの理由は

当時の水・エネルギー省の副大臣であったモハマド・ユヌス・ナワンディッシュという人が、

サリプル出身者であった、というものである。

彼の圧力が功を奏したのか、真偽は調べようがないが、

ほんとうだとすれば、典型的な利益誘導型の政治家である。

そういえば、彼がいまどういうポストにあるのか余り聞かない。

今度調べてみよう。


ともあれ、タリバン政権以前は、

サイダバード域という

サリプル州とジャウジャン州の境の一帯までしか到達していなかった電線が

サリプルまで伸ばされたわけである。

サイダバード域まで来ていた電気というのは、

ジャウジャン州の電気と同様、トルクメニスタンから国境を越えて引かれている。

つまり、サリプル、ジャウジャンの電気はトルクメニスタンから買っているわけだ。


ちなみに、マザルシャリフはウズベキスタンから電気を買っている。

マザルシャリフは非常に停電が多い。

アフガニスタン第二の都市のくせに、サリプルより停電が多いのだ。

以前はウズベキスタンへの電気料金の未納で停められたりしていた。

国家レベルの電気代の滞納というのは、多少可笑しさも感じさせるが、

エネルギー事情の脆弱さも示してる。

カブールは、現状をよく知らないのだが、

タジキスタンからの送電線がそろそろ完成するのではないか、と思う。

カブールには2003年に駐在したことがあるが、カブールの停電も頻繁であった。

昨年も出張でカブールにでたことが何回かあったが、相変わらず停電は多かったように思う。


サリプルが電化された当初は、

大多数のサリプル市街域に住む人々の生活形態が、

電灯ではなく石油ランプで明かりをとっていたり、

電気を必要としていなかったので、
需要は低く、従って、電圧は安定していた

(しかし停電は非常に多かった。いまも多いが、マザルシャリフほどではない)。


ところが、ここ最近は、

サリプル市街地の人々の生活に電化が浸透し、

特に私が住む事務所周辺の電気需要が高く、
夕方になると周辺の住宅での使用量が増えるために、

電圧がどんどん落ちていく。

昨年の冬もひどかったが、今年はさらにひどい。

すでに16時頃には、デスクトップ式のPCのモニターがつかなくなる時もある。


そんなわけで、

アフガニスタンの交流電圧の規格は240Vだが、それが夜になると130V以下になる。
夕方から、気温が低下すると同時に明かりも暗くなってくると、
気持ちも陰々滅々としてしまう。

豆電球が数個しか点いてないような、手元も見えない状態では、

書類も読めないし、仕事をやる気は落ちてしまう。

さてその対策なのだが、

なぜかバザールには、規格電圧外の110-130Vの裸電球も売っている。
そこで夜だけは、

オフィスの白熱球を、その110-130Vに交換して明るくする。
仕事が出来るだけの、

仕事をやる気になるだけの、
明かりを確保している。


白熱球を交換すると、打って変わって部屋が明るくなる。

「明るい電灯とは、こんなに心も前向きにするものなのか!」と

率直に感動する。

無性に仕事をやる気がでてくるのである。


ただし、

110-130Vの電球をそのままにしておくと、電圧が戻ってきたり、ちょっとしたサージで破裂するので、

事務所のすべてを110-130V用に代えることは出来ない。

オフィスだけである。

夜中11:00以降になると

付近の住民が就寝するからだろう、今度は電圧がどんどんあがってくる。

ころあいをみて、240V規格の電球に交換しなおす。


というわけで、非常に電圧の下がる冬の夜なのだが、
そのおかげで、

事務所の庭につけてある外灯も非常に暗くなるので、
夜空の星が非常にくっきりと見えるのだ。


事務所には

おそらく初期に赴任していたスタッフが持ち込んだと思われる「星座早見表」があるので、

(ピースウィンズ・ジャパンは、2001年から現地で活動していた、

星座表を持ち込んだのはその頃のスタッフだろうか、

彼らはいまなにをしているんだろう。

アフガニスタンのことも思ってくれているといいのだが。)
ときどき夜空と見比べている。


今は夜の10:30だが、この時間になると、
事務所の背後にある漆黒の北空に

北斗七星が
柄杓の柄の部分を下にして縦にドーンと聳えるようにかまえていて、
小さな事務所とのコントラストで、非常に雄大に見える。


サリプル中心部以外の電気事情は、というと、だいたいの村では未電化であろう。

比較的治安が比較的良かった2003~2006年までは

サリプルの山岳域に水資源調査に行き、よく村人の家に泊めてもらっていた。

そのときの星空は、いまのサリプルの比ではなかった。

完全に未電化だったから、もの凄い存在感のある星空だった。


なお、一部の山岳域や大きな村では、

ナショナル・ソリダリテ・プログラムという、

村落復興のためのプログラムで

(村落を代表する委員会を中心に、支援内容を選択できるプロジェクトで

村によっては、貯水槽の建設を選んだり、橋の修復をえらんだりなど、さまざまである)、

多くの村が、河川水を用いた小規模水力発電機を導入しているので、

夜間にも、村の一部ながら、電気がともっている。


以前は電気の明かりなかった山の一本道沿いに、

ところどころ家の光がもれているのは、

それはそれで、なにか安心感を感じさせるものがあった。

***


さて話は急に変わるが、今日の昼飯の話をする。


私が今月初めに日本を出るときに、
去年まで現地で一緒に活動してた山元さんが、
「現地スタッフとケバブ・パーティを開くときの足しにしてください」と

USドルをたくさん持たせてくれた。
現地を離れてもスタッフ思いの山元さんである。


ということで、

そのお金を使って今日の昼ごはんは
現地スタッフ全員参加のケバブ・パーティとなった。
町のケバブ屋さんに来てもらってオフィスの庭で焼いてもらい、
焼きたてを食べる。


日本の新年が1月だと知っている我が現地スタッフは、
1月になると「パーティはしないのか?」と聞いてくる。
これまでも毎年1月にはパーティをしていたので、

それなりに楽しみにしてくれているようだ。

日ごろの労をねぎらう意味もあり、期待されるのは私としてもうれしい。


さてそのパーティの様子だが、

申し訳ないが、私自身が食べるのに夢中になっていたので
ケバブの写真はない。

以前のブログで、山元さんや平井さんが載せた写真を見てください。


というわけで、
今日は沢山、羊肉を食べてしまった。


6年近い現地赴任で常に脂っこい食事ばかりを食べてきたので
職業病とでもいおうか、最近、中性脂肪や悪玉コレステロール値が異常に高くなっている。
郷に入れば郷に従え、と思い、現地食を食べて続けているが、
私もいいおっさんなので、そろそろ危ない気がしている。
だから今日も、食べてから後悔した。


JICA職員の方と話していると、
JICAは職員が現地赴任する場合の健康状態に関する規則が非常に厳しいらしい。
当然、そうあるべきだと思う。

私などはその基準にひっかかってしまうかもしれない。


しかし現地スタッフは、
バクバクと脂の滴るケバブを食べ、
それと一緒にコーラやペプシをグビグビ飲む。
彼らはいつも、そうなのである。
完全に成人病への道をひた走っているような食生活である。


しかし、
こういう食生活のなかでも100歳以上の人の話をよく聞くのである。

「**村の何々さんは、100歳を越しても、まだ夏に畑仕事をしてる」とかいう噂をよく聞く。


身近な話で言うと、私の部下の父君は最近105歳で亡くなられた。

一度お目にかかったことがあったが、非常に開明的なムッラーであり、
非常な人望を集めている人だったが、非常に気さくな方で
私は父君の楽しい冗談でからかわれた。


その父君は亡くなる直前まで、
自分の焼き飯(これ自体がすごく脂っこい)に入ってる肉の量が少ない、と
いつも私の部下に文句を言って、肉の量を増やさせていたそうだ。


調べたこともないし、多分詳しい統計もないだろうから、

以下は私の勝手な妄想だが、
もしかしたら、長い歴史の淘汰のせいで
遺伝子的に脂の摂取による成人病にかかりにくい人達なのかも知れない。
あるいは、常に飲んでいるチャイが効いているのかも知れない(ウーロン茶のような効能か?)。

あるいはまた、彼らがおつまみのように好んで食べる、生の玉ねぎがいいのかも知れない

(彼らにとっては普通の玉ねぎなのだろうが、私にはとてもピリピリと辛く、涙を流しながら食べている)。

あるいはまた、単に健康で長寿な人は一部だけで、

本当は、多くの人が成人病を患っているのかも知れない。


***


今日はなんだか、

電気の話から食事の話と、ちぐはぐな話になってしまったが、

言いたかったことは、

雄大な星空と、110-130V用電球と、美味しいケバブのおかげで、

寒くて、ドロだらけのアフガニスタンの暗い冬も、

結構、明るく過ごせている、という話でした。


とにかく、とても美味しい昼ごはんだった。

山元さん、どうも有難う御座いました!




アフガニスタン便り-仕事から戻ってきた車両
     

 写真:仕事から事務所に戻る車両。治安対策のひとつとして、常にコンボイで移動する決まりである。


        アフガニスタン便り-あぜ道でスタック

写真:畑のあぜ道でスタックした車両。雨季はよくスタックするのでシャベルとロープが欠かせない。