こんばんは、児島です。
今週の初めは、春のような暖かさだったが、昨日からまた寒が戻った。
最近、非常にネットが不調である。
夕方から夜に間だけ調子が戻る。
だから、治安関連のニュースも入手しにくくなってくる。
昨日は、カブールで17人ものテロリストがNDSによって逮捕された。
捕まったのは、ハラカトゥル・ムジャヒディンというグループで、
昨年のドイツ大使館を狙ったテロなどの実行グループらしい。
捕まったリーダーというのは、
元ヒズビイスラミのメンバーのジャラルディン・アルカニの息子だという話があり、
アカニと呼ばれている男だという説もあるが、
情報源によっては名前などまちまちである。
パキスタンでのUNHCRのクエッタ所長の誘拐、スワートの現状など
政府側、反政府側、どちらのサイドも本腰を入れてきているようで、
本格的な闘争がエスカレートしている印象を受ける。
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おととい、
数日休暇をとってカブールの実家に戻っていたスタッフが戻ってきた。
彼の義母が亡くなられて、その葬儀に出席するための帰省であった。
サリプル-シビルガン-マザールを結ぶ道路が完全に舗装されて約3年になるので、
カブールまでは、上手く移動手段を見つければ、10時間もあれば行くことが出来る。
タクシー(というよりも、乗り合い自動車、というべきだろう)で行くことも出来るし、
マザールまで出ればカブール行きの長距離バスが何本もある。
しかし、とにかく、カブールへの上京は一仕事だ。
葬儀には続きがあって、彼は明日からまたカブールに戻る。
さて
その彼が
我々の事務所に帰ってきてから、数十分経ったころ、
「お祈りをするから来てくれ」と
別のスタッフが私を呼びに来た。
スタッフが詰めている部屋に行くと、わが団体の全てのスタッフが集まってきた。
私は、小さい事務所ながらも代表なので上座に座らされ
(アフガニスタンには上座と下座がちゃんとある)
それを合図にみんなも正座する。
そして、一番年配のスタッフがお祈りの言葉を唱え始め、
全員が両手を軽く広げて銘々が祈りをささげる。
亡くなった、おそらくスタッフの誰もが会ったことのない人に対してみんなで祈るのだ。
祈りの言葉がしばらく、1、2分続いてから、
締めくくりの言葉とともに祈りが終わる。
両手を顔の前まで持ってきて顔を一度なでるようにして降ろす。
その後、すこしだけ、身罷られた方について静かに語ってから、
おもむろに祈りの時間は終わる。
これが、
スタッフの親類縁者が亡くなった時にいつも行われるお祈りである。
こちらのスタッフは家族が多いということと、
やはり平均寿命の短い国であるということで、
スタッフの縁者のご不幸の知らせをきくことは多い。
スタッフの小さな子供が亡くなった時も祈ったし、
前回書いた、スタッフの父君が亡くなった時も祈った。
誰か知り合いが亡くなるたびに、
こうして、
会ったこともない場合も多い、同僚の縁者に対して、
スタッフが集まってお祈りをする。
そのたびに私も呼ばれ、お祈りに参加する。
今回でもう何回目であろうか。
なんと、淡々とした、それでいて誠意に満ちた習慣だろう。
***
昨年、私がアフガニスタンで仕事をしてるときに祖母が亡くなった。
もちろん、葬儀に参加することは出来ず、
亡くなったことも、滞りなく葬儀が終わった旨の知らせも、日本からの電話で知った。
私はそのとき、そのことを何気なく自分の直属の部下に話した。
そして
数十分後、そのスタッフが私を呼びに来た。
「お祈りをするから来てくれ」というのだ。
異教徒である私の、同じく異教徒の祖母のために
ムスリムのスタッフが全員集まって、彼らの形式に従って祈ってくれたのだ。
私は、ありがたい、と思った。
人の気持ちはありがたい、と改めて思える瞬間であった。
祈りの最中もその後の語らいの中でも
黙っていても何かを共有できているような気がしたし、
矛盾するようだが、
祈ってくれているスタッフの顔をみていると、
彼らとの共有しているその空間では、
亡くなった祖母についてたくさん語ることも許されるようにも思った。
(私だけかもしれないが、日本にいると、亡くなった縁者について語ることがためらわれるのはなぜだろう)
スタッフの中には、
まだ若いくせに、
乾燥した気候のせいか皺だらけの男もいて、
妙に分別くさい横顔をしているが、
それが頼もしく思える瞬間だった。
仕事中は衝突することも多いけれど。
この、”同僚へお悔やみを表現する儀式”、この儀式のもつ神聖さはなんなのだろう。
それは確かにひとつの形式であるが
それが形式であるにしても、
何百年という長い時間の間に、こなれ尽くした簡素さと、
必要な心の姿勢がそのまま残された高貴さを保った形式であり、
表現すべき哀惜の感情を表現してもよいだろうし
不必要な饒舌をもまた避けることができる形式だ。
いつも、この祈りに参加するとき、
私は自分が異教徒であることを忘れ、
彼らが私にとっての異教徒であることも忘れる。
***
去った人を悼む心を、人間の集団が作法で支えている。
それは日本にも、葬儀やお墓参りなどがあって、同じである。
悼む気持ちを形に表さないと、
なんというか、心が所在を無くすように思う。
そうした形式がそれを防いでいる。
そして、
アフガニスタンではその形式が、擦り切れないで、良い形で残ってる。
写真:外で仕事をしていたら、双子を連れたお父さんがやってきた。
あまりにかわいいので、お父さんに「写真を撮ってもいいですか」とお願いした。
どうぞどうぞ、と言われたが、二人ともソワソワしていて、
なぜか、いつもどっちかの子だけがこっちを向き、一方は向うを向いてしまい、
なかなか同時にこっちを向いてくれない。
この寒い日に、素足にプラスチックの靴を履いている。
写真:しばらくして、双子とお父さんは去っていった。