こんにちは、児島です。


実は、

6月の初旬から約2週間、猛烈な下痢が続いていた。

そして、その初めと終わりのそれぞれ2,3日は、きっちりと発熱と頭痛に襲われた。

何かのウイルス性の下痢かとも思われるが、

よくわからず、

只管、水を飲んで脱水症状にならぬようにして、過ごしていた。

発熱がひどかったときは、申し訳ないが、業務を断続的に休んだ。


ここで、私のこの度の下痢の一部始終を、

あまり精緻に描写すると尾籠になるので書かないが、

まるで爆発するような勢いであった。

現地スタッフは、

「コジマの身体の中には、IED(Improvised Explosive Device)が仕掛けられているんじゃないスか」

「DIED(Diarrhetic Improvised Explosive Device)スね」

と言って、頻繁にトイレに駆け込む私を笑っていた。


治安の悪化しているアフガニスタンでは、

反政府活動に使われる各種爆弾を


・IED(Improvised Explosive Device)

・BBIED(Body Borne Improvised Explosive Device)

・RCIED(Radio Controled Improvised Explosive Device)

・VBIED(Vehicle Borne Improvised Explosive Device)

(※Explosive を Exploding とする場合もある。また、これらの略記の頭に”S”をつければ、"Suicide"という意味も付帯される)


というように、形態別で表記し、日常の会話でも使っている。

だから、”DIED”とは、なかなか上手いと思ったが、時節柄、悪い冗談である。


7年以上のながきにわたりアフガニスタンの脂っこい飯を食い続けたせいで、

昨年くらいから、内臓系の調子が悪く、色々な数値も悪くなっている。

それも影響してか、最近はなにやら、病気になると長引くようになってきた。

今回の下痢も、こんなに長く続くとは思わなかった。

体重もかなり減ってしまった。


***


昨年からずっと全体的に体調不良であるから、

免疫系が参っているのかもしれない。


下痢と発熱で寝ていたとき、多少回復した時を見計らって、

4,5年前にアフガニスタンに持ってきていて読み終わっていなかった、

1993年、つまり17年以上も前に出版された、 

多田富雄著 「免疫の意味論」をやっと読了した。

今頃読んだのか、と笑われそうなくらいの名著である。

専門用語は難解で、どれだけ著者の言いたいことを理解できたかわからないが、

面白い本であった。

さらに言えば、

免疫が参ってるときに、免疫の本を読むのは、臨場感があってなかなかよかった。


アフガニスタン便り-免疫の意味論_2
                    写真:多田富雄著『免疫の意味論』 


私は免疫学の素人であるから、随分と前に書かれたこの本の内容が、

現在の免疫学によってどれほど確認されたり、或いは覆されたりているかどうか知らない。

しかし、この本は、

免疫という、人間個人個人を生存させている最も重要な仕組みから、

自己とは何なのかを考察したという点で

画期的な書物であることは今も変わらないであろう。


著者が唱えた「スーパーシステム」という考え方、

私なりに言えば、


「人間の身体は、

どこかの臓器が集中的に維持管理しているわけではなく、

そういう、現代人が想起しやすい”集中管理型システム”ではなく、

どこかで何かが統合をしているのではなく、

またそれぞれの要素に明確な目的があるわけでなく、

混沌とした構造の中で精妙かつ曖昧に維持されている」


という考え方は、

おそらく覆されていないのではないかと思う。


江戸時代、それまで”五臓六腑”と呼んでいた内臓諸器官を、

解剖によって実際の臓物に分類して見せたのがリアリストの古典的な一例であるとするなら、

免疫学という比較的新しい学問が、

目にはさやかに見えぬ「免疫」という仕組みを読み解いて

人間の生命維持にとって曖昧かつ重要な働きをしていることを示したこと、

臓腑論の持つ非還元的な理解への再認識に繋げたこと、など、

リアリズムの現代的好例と言えるだろう。


***


話は変わるが、

6月23日に

アフガニスタン駐留米軍のマクリスタル司令官が辞任した。

事実上の解任である。


マッカーサー以来の解任劇という。

マッカーサーは

北京やウラジオストックまど25都市に原爆を落として反共体制を強固にしようという計画を立てて首になったが、

今回の解任の原因は、

マクリスタル司令官が、アフガニスタンでの戦略に関連して、

オバマ政権内で要職にある人物について誹謗中傷した発言が雑誌に掲載され、

その記事がオバマ大統領の逆鱗に触れた、ということにある。

オバマ大統領はこの記事の中でのマクリスタルの発言が

「文民統制への脅威である」として、それを公式の解任理由とした。


このマクリスタル司令官の辞任について、

現地NGOの一職員としても、思い致すことは、少なからずある。


この事件の渦中の様々な人間に、

自分の視座を投じて想像してみれば、

様々なことが思われる。

以下、今日は、それらのことを書いてみたいと思う。


なお予め断っておくが

以下は、完全に私個人の意見であって、

私が現在所属しているNGOを代表するものでは勿論ないし、

支援業界を代表するものでは、全くない。


***


まず、
この解任劇のきっかけとなった記事 ”The Runaway General” を読んでみたが、

ここに書かれている、マクリスタルとその側近達による米政府首脳への雑言は、

確かに口汚いものであるが、

その言葉遣いの猥雑さによく現れているように

現場の軍人達がオフレコで不満を吐露している、という雰囲気である。

私の印象としては、

言わば、日本の”オトナ”の世界でいうなら、

”サラリーマンの居酒屋談義” が活字化したような、そんな印象である。


マクリスタルが辞任に追い込まれた原因とは、

言い方を換えると、

この本音談義を、インタビュー記事として載せられてしまったことにある。

深読みをすれば、

やすやすと雑誌に載せられること自体に、なにやらウラを感じるくらいである。

どこまでの深読みが妥当なのか、ただのNGO職員ではわからないが、

マクリスタル側、オバマ側どちらにも、

この記事を世に出さしめたことへの

思惑があったと言われてもおかしくないと思われる。


この記事を読んで、

マレン統合参謀本部議長は「読んでいて気分が悪くなった」と述べたが、

私は、このマレン氏の言葉を額面どおりに捉えた場合、

自らも武官であるマレン氏が、

”現在行っているアフガニスタンでの戦争について、

これくらいの鬱憤もなく、

現場の作戦が遂行しているとでも思ってるのか?”

と思うと、

むしろマレン氏の発言をいぶかしく思う。


しかし、そういうウラ、陰謀説のような類推をするのはここではやめて、

一般的なメディアで顕在化している事件の記述だけを見ながら、

現在のアフガニスタンについて、

色々考えをめぐらしてみたい。


***


まず断っておくが、

私はアメリカ政府の始めたアフガニスタンでの戦争に賛成する者ではない。


文脈に配慮しない”ソモソモ論”は不毛であるが、

しかし、

これだけの犠牲を払ってしまう戦争をなぜ始めたのか、

やはり疑問に思う。

9・11、天然資源、米軍需産業といった色々な要素が語られているが、

それらによっても、これだけ多大な犠牲と釣りあうものとも思えない。


さらに時間を遡上してソモソモ論をするのなら、

”冷戦時代にアメリカがテロリストを養成してしまった”ことにまでも言及したくなる。

その場その場でプラグマティックに政略を展開していった結果が今の混迷である、と思う。


しかし乍ら、

今この時点のアフガニスタンでは、

実際にタリバンとアルカイダがいて反政府活動を行い、

それを抑えるためにNATO軍とアメリカ軍がアフガニスタン国軍とともに活動している、

というのが現状であるから、

これらのソモソモ論は虚しい。


例えば、

サッカー日本代表とカメルーンの試合のあった14日は、

ここサリプルでは、夜20時から21時の間に

ジェット戦闘機が20回以上、低空飛行で通過し、爆音が鳴り響いていた。

これは、おそらくドイツ軍所有の戦闘機トルネードを用いた、反政府勢力への空爆作戦のためである。

サリプル西部にある反政府勢力行動に対抗するための軍事オペレーションの一環であったわけだ。

つまり、サリプルで反政府勢力と交戦状態に入った政府側の地上部隊が、

ISAFに援軍を要請した結果、マザリシャリフのドイツ軍がスクランブルを行ったということである。

このように、

サリプルのような田舎の州でも、

すでにISAFの軍事的プレゼンスが、

反政府勢力とのパワーバランスのためには

不可欠なものとなっているのである。

現場でソモソモ論をすることには虚しさが伴う。

現に、アフガニスタンの現地住民の意見で多く聞かれるのは

(私が話す機会のある人々に限られるから、大半とは言えないかもしれないが)、

「現在のアフガニスタンに、

外国軍がいて空爆などで今でも民間人が犠牲になっていることには反感を持つが、

しかし、もし今突然にNATOとアメリカ軍がいなくなれば、

その軍事的真空状態に乗じて、

反政府軍や武装勢力がつけこんでくるであろうし、

そうなれば、再び内戦状態に逆戻りするかもしれない。

そう考えれば、

警察や国軍が十分に機能するまでは、

NATOやアメリカ軍にはいてもらわなくてはならない」

という意見だ。
当事者としての諦観が含まれた、リアリティのある意見である。


***


私はまた、当然ながら、

マクリスタル司令官個人についても、彼を擁護する立場にはない。


当然、マクリスタルその人の、人柄などは知る由もないが、

その経歴を見れば一目瞭然、

完全な職業軍人であることは明白である。

今回の記事によれば、

イラク戦争時代、彼が Head of Joint Special Operations Command だった頃は、

このJSOCは”殺人機械”と呼ばれたそうであるから、

極めて忠実に、敵の殲滅という任務を遂行する人間であるにちがいない。

軍司令官とは、

課せられた”軍事的命題”の遂行のみを、武力をツールにして考える人間のことである。

いわゆるCOIN(Counterinsurgency)の任務についても、

昨日今日任務に就いた人間ではなく、

おそらく、民間人の犠牲者も出しつつ成果をあげて来た、血みどろの経歴を持つ人間である。


多分に野心的で、

自分と側近達を”チーム・アメリカ”と呼ぶほどに愛国的で、

自分達の戦術選択の合目的性にはかなり自信があったに違いない。

アメリカ政府から与えられる任務について、

その遂行・完遂をもって、自らの存在理由とする人間なのだろう。

昨年オバマ大統領に”あと、4万人増派すれば勝てる”と進言したときには、

マクリスタル氏自身、もしかしたら、本当に勝てると思って発言してるのかもしれない、と思えるほど、

自分が戦闘する意味について懐疑なく自信に満ち溢れている人間に見える。


(なお、私は、アフガニスタンでのアメリカ軍の完全な勝利はありえない、と思っている。

つまり、マクリスタル司令官の示した、

”増派による勝利”という戦略には、その合目的性については疑念がある。

アメリカ軍・NATO軍による攻勢は、

タリバンとの和解に持ち込むための好材料を得るためのツールと考えるのが真っ当であると思っている。

ただ、アフガニスタン戦争で勝つ、という目的自体を疑い始めると、

陰謀説的な思考に傾斜するので、ここでは避ける。)


マクリスタルが昨年、司令官就任後に打ち出した戦略では、

それまで余りに酷かったアフガニスタンの民間人被害を

最小限に食い止めるという方針が含まれていた。

これは一見すると、人道的な見地に立ったように見えるが、

しかし、職業軍人としての彼にとっては、

民間人被害を低下させるという戦略は、

”民間人被害を少なくして民心を得る”という、

戦略そのものとしての意味しかないであろう。

だから現実的には、民間人被害者をゼロにすることを目的としてはいなかったであろうし、

例えば人道的な意味は、後付的なものでしかなかっただろう。

勝つことが、職業軍人の彼にとっての至上命題である。


アフガニスタン便り-おんぶやぎ


アフガニスタン便り-ロバと姉妹 アフガニスタン便り-大工さん

写真: 最近、現場で出会ったアフガニスタンの人々。長引く戦争状態と、国際政治のゲーム感覚のせいで、私の感覚も麻痺してしまいそうだが、”民間人が被害を受ける”というのは、こういう無辜の人々が、抗うことも出来ずに戦闘に巻き込まれて血まみれになる、ということである。私は闇雲に人道主義を振りかざすつもりはないが、個人のレベルの命についての重みと、国家レベルのそれとは、現代においてもなお開きが大きい。なぜか我々日本人はそれを意識しない習慣があるが、我々は確実に、前近代的なものと共に生きている。


だから、

アメリカによるアフガニスタンでの戦争自体に異議を感じる私としては、

辞任になった彼の身の上に同情するつもりは全くない。


***


だから、マクリスタル氏に肩入れするつもりは全くないが、
しかし、もし、

仮にもし彼の立場となって

現在のアフガニスタンについて考えてみれば、

或いは、彼の元で軍事活動を遂行する末端のアメリカ軍・NATO軍兵士の視座に立てば、

見えてくる景色が違ってくる。


それは極言すれば、

マクリスタルにとってのワシントンが、

或いはISAFのそれぞれの兵卒にとっての上官達が、

本気で、対テロ戦争、COINで勝てる、と思っているのか?という現場サイドからの疑念であり、

それに命をかけさせられることへの純粋な疑問だ。


”正規軍 対 宗教的・民族的基盤を持つテロ組織” 

という非対称な戦争では、武力の優位による一方的な勝利が可能だとは思えない。


COINの意味について、

当然ながら、アメリカ軍の中では、その位置づけや勝利の仕方について、

莫大な資力を投入して研究されているに違いないが、
そこで、明確な勝算をはじき出せているとは思えない。
イラクでの成功例がよく引き合いに出されるが、

あれはケーススタディでしかないのではないだろうか。

領土や支配域を面的に脅かす冷戦時代のような仮想敵に対しては

愛国心や戦略も立てやすかろうが、

COINはまったく異なる形態である。


早い話が、

アメリカにおける士官教育のカリキュラムの中で、

COINに対して勝負を仕掛ける意味とその勝算を、

深い納得をもって理解せしめる指導体系は

ないのではないだろうか。


兵士も士官も、

現在進行形のCOINに、

内心は、或いは無意識に、大いに疑念を持っているのではないだろうか。


マクリスタル司令官の解任の原因となった記事の中でも出ていたが、
マクリスタルの打ち出した、民間人の犠牲者を最小限にするための具体的な戦術を、

現場の兵士に対して、納得させることが非常に困難であったということである。

マクリスタルはアフガニスタンの最高司令官でありながら、

前線にまで赴き、一平卒を相手にCOINに関わる戦術の意味を説いたが、

兵士達は簡単には納得しなかった。

このことにも、COIN遂行への疑念は如実に現れている。


正規軍同士の戦いとは全く異なる現象が起きているCOINの戦場では

現場の当事者達は、COINについてそう簡単に納得できるものではない。


マクリスタル本人でさえも、アフガニスタンのCOINで本当に勝利できるとは思っていなかったのでは?

とさえ、思えてしまう。


現に、6月に実行計画されていたカンダハル州での大軍事オペレーションは延期されたままである。

マクリスタル解任事件直前のニュースでは、9月までは延期だろう、と言われていた。

ISAFは、軍事行動の前に、まず民意を得るために、

カンダハル周辺の住民を、雇用などによって取り込む戦術をとっているが、

住民は、タリバンからの報復を恐れてISAFや米軍への協力を渋っている。

例えば、ISAFは灌漑修復事業を計画し10,000人の労働者を募集したが、応じたのは1,200人だけだ。

また、タリバンからの報復では、ISAFへの協力者がすでに12人殺害されているらしい。
マクリスタルと緊密な関係を持っていたとされるカルザイ大統領でさえ、

6月10日カンダハルで約40人の犠牲者を出した反政府勢力による自爆テロが起こるまでは、

住民の承認と協力が得れていないという理由で、

マクリスタルのカンダハルでの軍事オペレーションの実行には賛成していなかった。

住民が協力したがらない理由の一つは、

いつ撤退するかわからないISAFが、住民の安全を保障できるわけがない、と思っていることである。


住民の協力が得られないために、

オペレーションの中核の軍事作戦にまで到達できないのである。


そもそも、このCOINに勝算はあるのか。

軍隊のリアリズムから見て、これは大きな疑問であろう。


今回のマクリスタル解任についてのメディアの論調では

”オバマ政権内のアフガニスタン戦略についての対立が露呈した”というくくり方が多いが、

それは不正確で、COINの遂行についての現場発の疑問が表面化したということではないか。


そういう疑問の方向は、彼ら軍人を統べるホワイトハウスに向けられて当然である。


***


翻って、アフガニスタン支援である。


先進国からの支援が本質的なものになるかどうか、

先進国とアフガニスタン政府が示す復興の方針についても、

私は、COINと同様、非常に懐疑的だ。
大量の資金が、今後もアフガニスタンに流れ込んでくることが決まっているが、

それが効果的に使われるのか、私は大いに不安である。


COINで勝てないのであれば、

早々にアフガニスタンから逃げ出したいと思っている国は多いと思われる。

しかし逆に、

パキスタンからイスラエルまでの一連の地続きの国々が

何かの火種になることも十分考えられ、

その中では、アフガニスタンが安定しておくことは重要であるから、

そう簡単にも逃げられない。


そういう国々が打ち出す支援策は、

どれも、政治的な配慮ばかりで、

大量に流れ込んでくる支援のための資金を

どういう計画のなかで使っていくのか、について、

思いつきのような大枠しか決まっていなくて、

支援として画餅が多いのではないか、と思う。

支援として画餅が多いということは、

結局はアフガニスタンの安定につながらないということである。

アメリカはアフガニスタン政府に腐敗体質を糾せ、と迫るが、

その体質が一朝一夕に変わるはずはなく、

であるならば、そこに大量の資金を無闇に放り込むことが、

果たして効果的な支援になるのか。


特に”タリバンの社会復帰”という思いつきは、

単純な記号化で政治家が浮き足立ち、

記号のパズルと文言ばかりが洗練されていって、

現場から見れば、リアリティがない。

極言すれば、玩世喪志と言わざるを得ない。

政府も機能していない、汚職もひどい、治安も悪い、

というなかで、どうやったら、

”短期的に社会復帰が実現できる”という発想になるのか、

全く理解できない。

あまりに飛躍しすぎていて、まるで漫画である。


しかも、

おそらく政治案件であるから、

将来、その成果が出ても出なくても、恰も成果があったようにレポートされる可能性は高い。

どうも、見てくればかりを繕うことが好きな人間の割合が多すぎる。


先進国の中で、

上に立つ偉い人々が描く”ビジョン”とは、

しばしば、いや、頻繁に、

リアリティの積み重ねから導き出された必然的な青写真ではなく、

単なる”ひらめき”であるという印象があるがどうであろう。


***


さらに言えば、日本の支援についても私は疑念が多い。


私は、個人的には、岡田克也外務大臣に非常に好感を持っている。

それは、

友人の一人に、

支援の現場に視察に来られた岡田氏と何日間か行動を共にした人がいて、

その友人から、

”本当に、いい意味で、真面目で堅い人物だった”という話を聞いたからだ。

党を問わず、浮薄な言葉を連発する政治家が多い中で、

あれだけ堅実な人が生き残れるのなら、日本の政治にも光があるかもしれない、と思うからだ。

政治的にきらびやかなレトリックよりも、精神的な真摯さの印象が強い人物であると思う。

それは大臣であるから、今後、

必ずしも国民の支持を得られない判断もしなくてはならないことも出てくるであろうが、

少なくとも、我々の正論に耳を傾けてくれそうな、そんな気がする。


日本政府は、5年で50億ドルの支援を決めているが

幾らこの決定が、対米関係の護持のためからだったとしても、

今後、必ず不穏化するであろう、中東から中央アジア、南アジアの安定に貢献するためには、

アフガニスタンへのこの投資は私は重要なことだと思う。

また、

支援の形に自衛隊派遣を含めていないことは、

この地域において歴史的に利害関係を持ってこなかったという

日本のカードを失わないためには必要条件であるから、重要な点である。


”戦争とは外交の失敗である”、と誰かが言ったが、

戦後これまで武力行使目的で自衛隊が活動することはなかったということは、

日本は外交的に成功してきたと言ってもいいのではないか、と思うし、

中央アジアに確たる争点のない日本にとっては、

今後も自衛隊ではなく、民生支援一本で行けばよいと思う。

言い方は極端だが、

日本政府が”国民を戦争で殺すくらいなら、支援で殺す”というスタンスを示すならそれもよい。

自衛隊は抑止力として持つにしても、

支援を含めた外交力と経済力を育みつつ駆使して戦争を回避するということが、

日本という国が決して大国ではありえないという冷徹な視点からの、

日本にとっての一つのリアリズムだと思う。


また、

中央アジアに歴史的に利害関係まみれの欧米諸国が今後、自衛隊派遣を要請したとしても、

それは彼らのどろどろの歴史と連続した戦略のなかでの要請であり、

本気で”日本人も血を流せ”と言って道義的責任を問うているとは思えないし、

例えそう発言していたとしても、

本心では”日本から兵力が引き出せれば、ラッキーだ”という戦略でしかない。

日本人が道義的な義務感・脅迫感を抱く必要はない。


欧米諸国が、古式ゆかしい”新植民地政策”を

中東から中央アジアで展開しようとしているための、方便としてのCOINなのであれば、

それに加担するという歴史は作らないほうが良い、

それが中程度の国である日本の弁えではないだろうか。

私が今、血みどろの国に住んでいて思うのは、

凡庸な言い方であるが、戦争をしないで済むことの有り難さである。

過去の哲学者が夢見た、世界共和国などというものはなかなか成立しそうもない現代、

厳然と存在する”国家”が持つ意味は益々重いと思う。

それぞれの国がまずは自国の安寧を目指さなくては、全体の安定はおぼつかない。

だから、それぞれの国家が、戦争を回避するために国策を練らねばならない。

それはアフガニスタンも、そして、日本も同じだ。

そして、

国家がまだまだ存在意義を持つ以上、

民間人に対して理不尽な死を敵国・自国が共に強要してくるのが戦争だが、

その戦争が起こる可能性は、

日本人のまわりでも、ぱっくりと口を開けて存在していることを想起しておくべきだ。

(これは必ずしも、地理的な近傍という意味で言ってるわけではない。)

その血みどろの悲劇は何によっても償いがたいことは過去の戦争で日本人は知っているはずだ。

流動的な現代、中程度の国である日本は、

戦争を避けるためにも外交と支援にもっと投資しなくてはならない。


だから、

岡田大臣の方針である、巨額の民生支援を投入するという総論は賛成である。


しかし、その民生支援の各論において、

今、日本政府が打ち出し始めている

アフガニスタン支援の方法については、

他の先進国と同様の、画餅が含まれていると思う。


警察や軍隊の支援は良いと思う。

目下のアフガニスタンの喫緊の問題、支援などを滞らせている問題は治安であり、

上で述べたように、ISAFと米軍というアクターは出口の見えない状態にある。

ここでの解決策の一つは、アフガニスタンが自前で治安を確保する体制を整えることである。


しかし、一方で

タリバンの社会復帰への助成を表明したり、

NGOを中心にした支援の方法を模索しているようであり、
これらに私は疑念を持つ。


タリバンの社会復帰、という手法への疑念は先に述べたとおりだ。


NGOを通した支援については、

この治安状況でNGOに何ができるのか、が、まず気にかかる。


治安の最も安定している州のひとつであるサリプルでさえ、

これだけの行動制限があるのだ。

私が慎重すぎるのかも知れないが、

他の州においても、本質的な活動は今可能だとは思えないのである。

ニーズに最も近いところにいる、ということがNGOの特長の一つだが、

この治安状況では、そのアドバンテージが徐々に失われている気がする。


また、

緊急性を重視した、

医療関連、旱魃対策関連、食糧配布関連、自然災害被災者への支援を除けば、

今アフガニスタンで必要とされている支援の多くは、

開発支援である気がする。

それには多くの専門知識が必要となるが、

NGOにそれはあるのか、非力ではないのか。

他のNGOは知らず、私としては、私の行っている事業をみると暗澹たる気持ちになる。

専門性は一朝一夕には身につくものではないから、

多くの邦人の専門スタッフを抱えていて実績の蓄積されたJICAなどの専門家集団こそ最適ではないのか。


もし開発支援の必要性が高いのなら、

日本のNGOだけでなく、

海外のNGO、大型の国際NGO、アフガニスタン地元のNGOでも、

この治安の混乱状態のなかで専門性を発揮できるNGOは僅少ではないだろうか。


さらにまた、

日本のNGOをこれからの国際支援の主役にしたいというのが国家としての目的なら、

余りにも物理的に危険で政治的に複雑なアフガニスタンを選ぶべきではないのではないか。

日本のNGOを、現場でのOJTでノウハウを蓄積して強化したいのなら、

もっと別の現場を選ぶべきではないのか。


勿論、上記のような基本的な議論は

私よりも現場をもっと良く知っている人々により、

とうの昔にし尽くされた上での方針策定だと思う。


しかし、なにか、アフガニスタンのリアリティとは関係のない、飛躍があるような気がしてならない。


***


先進国によるアフガニスタン支援の方針に、

なぜ、

このような、飛躍が生まれるのだろう。


政治的な判断には時として、

現場的なリアリティと矛盾する場合があるから、それが飛躍を生むことはあるだろう。
私は、外交的な問題から、政治臭をすべて無くせ、などと言う気はない。


ただ、せめて、

やると決まった支援を、

より本質的な支援にしよう、という本質的な努力はもっとされてもいいのではないか。


それなのに、なぜこんなに話が飛躍してしまうのか。


日本が決定した50億ドルというアフガニスタン支援を決めた背景は多分に政治的であり、

日米関係の保持のために必要だったから不問に付すとしても、

一度決めたその支援額を如何に本質的に使うか、という議論は、

思いつきやひらめきであってはならない。


いま必要なのは、新しい枠組みではなく、

リアリティを積み上げることである。

そのリアリティとは、何ができるのか、ということだ。


しかし、一介の無能なNGO現地職員である私からみれば、


”頭の切れる”、”仕事の出来る”アフガニスタンや先進国の偉い人々が、

政治的な思惑の中で、

パズルばっかりに夢中になって、

見テクレと体裁を整えることに没頭し、

記号論という人工的なプールのなかでのみ、

上手く泳ぐことを考えている、


そんな風に思えてならない。


基より私は燕雀であるけれども、

鴻鵠を気取っている偉い人々が

世を弄ぶ、虫魚以下に見えてならない。


政治主導を唱える日本政府が打ち出すアフガニスタン支援が、

もしも、こういう飛躍を含んでしまうなら、それは問題であろう。


日本の場合なら、

現場を良く知る、大使館やJICA職員などからもっともっとリアルを吸い上げるべきであろう。

現地で知り合う日本の公務員の皆さんには、その力量も志もあると感じる。


一方、現地駐在を殆どしていない日本のNGOには、

今現在は、リアルを吸い上げる力は乏しいのではないだろうか。

他のNGOは分からないが、

少なくとも私自身が羞恥をもって自覚しているところだ。

私の所属するNGOでは、

私が現地駐在をしているが、

残念ながら、この治安の中、リアリティを拾い尽くせているとは思えない。

ガンバリが足らないと言われれば肯んずるしかないが、

非力は隠しようもない。


***


話がそれるが、

私はアフガニスタンから日本の国政を眺めていて、

どうしても心配なことがある。


私の印象では今の日本の政界では、

お話が上手で、頭の切れる人間がもて囃されている。

それ自体については、

頭の悪い私から見れば、頭のいい人に仕切ってもらうことは大いに頼もしいことである。

しかしこの、誰が国政の舵取りをしても難破しそうな大変な時代、

仮にもし、小党に分離してしまいそうな政界において、

与党・野党を問わず、

頭のいい人々が入れ替わり立ち代り政権を担当して、

そのたびに、彼らの理屈が現実に適合せず、

現実問題への対応能力がないことが示されてしまった場合、

そしてそのせいで経済環境が更に悪化していけばどうなるだろう。

カタルシスのやり場を無くした大衆の心情が、

複雑な現状を理解するというプロセスから離れていき、

単純なリーダーシップや、

物事を不要に単純化して語って行動する単細胞なキャラクターに集まるのではなかろうか、

そうすれば、最終的に、

日本国民は右傾化するのではないか、

ということが心配である。
いや、すでに今、

日本の政治の世界で、難しいはずのことを簡単なロジックで説明して悦に入っている者は、

どの党に属していても、
将来の右傾化を呼び込んでいるように思えてならない。


この点において、頭のいいことを武器にした政治家たちは、非常に重い責任を負っている。


しかし心配なことは、

頭の悪い私から見ていると、

どうも、

頭が切れる、といわれる人間は、

とくに”自称”頭のいい人間は、

どうも、若いのも年嵩も、

”けっこう、なんでもすぐ投げ出しがち”だと思われることである。

賢い頭を使ったパズルゲームで陶酔気味に楽しんでいるうちはいいが、

思いのほか、精神的ダメージが大きいと、

やめてしまう、そんな雰囲気をかもし出している気がする。


頭のよさを武器に、この先の見えない時代に政治家になったのなら、

ストレス性の疾病で満身創痍になりながらも

石にかじりついてでも政治家としての責任を負い続けるような

そんな意気込みで国政を担ってもらいたい。

将来の右傾化を呼び込まぬよう、是非懸命に、投げ出さずにやってもらいたい。

複雑な現象を

早々に易々と記号化して絵を描くことばかりに夢中にならずに、

複雑な現象は複雑なままに理解してから、

政治を執り行ってもらいたい。


***


ここで私は冒頭で示した「免疫の意味論」に戻ってみたい。

この私には、

この難解な本から、

アフガニスタンや支援の世界に対する

要諦をおさえたメタファーを導き出す力量はなかろうとは思うが、

敢えて試みるならば、以下のように読み解きたいと思う。


すなわち、

この本が言うには、
自己免疫は、実は常に体内で起こりかけており、

それが刺激となって、

サプレッサーT細胞が自己破壊を抑えるために活性化し、それが結局自己免疫を抑えている、と考えられる。

あるいは、

B細胞・T細胞が過剰に自己抗原と反応した場合はアネルギー(無能力)状態になる、とも言う。


そして

無菌状態で動物を飼育すると、抗原が入ってこないのに、T細胞・B細胞が分裂増殖しており、

その条件下では、T細胞、B細胞は

自己と反応し、自己によって増殖している、ということであるが、

私にとってはここが重要に思える。


このことが示すのは、

組織が持つ「自己」、それは国是であっても団体是であってもよいが、

それが、あまりに自己言及的であるとき、

つまり、なんの為のCOINか、なんの為のアフガニスタン支援か、なんのためのNGOかについて

アフガニスタンというその対象自体を殆ど見ることなく、

お手軽な政治的”ひらめき”のなかでの、閉じた、つまりは、お手軽な自己完結性しか持たない場合、

つまり、リアリティという外部からの抗原がない状態では、

その国、その組織の中では、

自己免疫的な行動が活性化するのではないか、ということである。

それはその組織の構成員による、組織を壊すほどのムーブメントであると同時に、長期的には組織を成長させるのに欠かせない反応でもある。

(もっとも、一方で、アネルギー化して、組織を自己批判することなく淡々と業務をこなす構成員が現れる、というのもありそうだ。)

つまり、その自己免疫反応は、その組織を存続させるために必要な組織内の反応なのである。


国是・団体是・組織是において自家中毒的な、

つまりは自己満足的な要素が強い場合は、

その組織に本質的な生命力を再発させるために、

普段は抑えられている自己免疫反応が起こるのではないか。


この文脈において考えれば、

マクリスタルのワシントンへの罵詈雑言も、

アフガニスタン支援への疑念も、

極めて必然的な自己免疫反応的ではないだろうか、と思うのだ。

COINは、軍事的側面だけでは勝利を収めることはできない、

ということを半ば不問にしながら戦略として採用されているという点において、

軍隊としてのリアリティから乖離した、閉じた発想である。

これと同様に、

先進国のアフガニスタン支援のあり方は、

すべて理屈は出来上がっているが

それは政治的パズルと表象性のあやふやな記号論のなかで自己完結しているだけで、

本質的にアフガニスタンへの支援になるものではない、リアリティから乖離した方向性を持っている。


それを私は、今、非常に強く感じる。

私の中でも、アフガニスタン支援業界に対する自己免疫反応が、激しく発生しているのだ。

現地の支援団体において、

私に限らず、その職員達に疲労と怒りが甚だしいのは、

私は、ひとえに、それらの組織の”画餅度”、”リアリティからの乖離度”に原因があると思う。


私のこの”自己免疫的”な考え方は

だから、

NGOへの自己批判を誘発するわけで、

NGOを通した支援への懐疑は先に述べたとおりだ。


日本は、5ヵ年で50億ドルという大金を、この状態でどう使うのか。

相当に真面目に考えなければならない。


今、アフガニスタンに必要なのは、治安の安定と政権内の構造の正常化である。

それに取り組まなければ、支援の金はムダに流れていくだけだ。


私の所属するNGOでは、

邦人スタッフは私一人で、慌しく毎日を過ごしている。

現地駐在をしながら、ある程度リアルを拾っている自負はあるし、

これからも、可能な限り、ニーズを見極めて行きたいと思っている。

しかし、そこでは、限界も大きく感じている。

ここ数年悪化し続けている治安状況のもとでは、

現地のニーズに一番接近できているというアドバンテージも徐々に失われていく状態であり、

事業の規模と事業の質、そのどちらもが保てていない。

この無力感、

これが私の阨窮するところである。

この無力感のなかで、

私は個人的には今、

現場に邦人が大量に駐在しているJICAが打ち立てている方針が最もリアルだと思う。


私はこれまで、

開発支援に必要な専門性をNGOがもてれば

素晴らしい支援ができるのではないか、

という望みをもってアフガニスタンで働いてきたが、

現場で必要となる専門性は限りなく広く、

NGOである我々は余りに非力だ。

専門性を育成する余裕もない。


時代に逆行すると言われるかもしれないが、

アフガニスタンが必要としている開発支援のような専門的な支援は、

”官”がやるのが、

必要とされる事業の質から考えて

効果的に思えて仕方がない。


***


何度も繰り返すが、

「免疫の意味論」から敷衍した私の考え方に従えば、


NATOと米軍の軍事作戦と、

政治主導で思いつかれた支援の方針は、

どちらもが

余りにも画餅度が強く自己完結的過ぎるため、

実際に現地で働く兵隊や支援業界の人間の間で

所属する組織に対する免疫反応、つまりは、底知れぬ疑念と反感、疲労を生んでいる、と思う。


私としては、このままでは、アフガニスタン支援の本質に迫れる気がしないのだ。


マクリスタルの辞任で明らかになった内訌は、

アメリカという国家の中の軍隊と政府だけにあるのではなく、

援助業界の各組織にもあるのではないだろうか。


画餅遊びに夢中な人間達に決められた方針、

そんな膚浅な方針なかで、

命をさらす覚悟は定まるのか。


このままでは

アフガニスタンの民間人、反政府勢力の構成員、ISAFの兵卒、支援業界の現場職員、

すべての犠牲が浮かばれない、と私は思う。


アフガニスタンでの雲行きを観望するうちに、

私の心窩は、愈々 頽乎たるものとなり、

その心疾は、愈々 平癒の兆しがない。


私としては、この自己免疫反応が、

将来、支援業界がより本質的な実体を持つために、幾ばくかの貢献となれば、と願うばかりである。


アフガニスタン便り-MRAP Armoured Vehicle
写真:現場へ向かう途中、ISAFの装甲車両 MRAP(Mine Resistant Ambush Protected) Armored Vehicle の隊列に遭遇。5台以上のコンボイだった。このようなISAF所属の車両は、反政府勢力の攻撃対象になるため出来るだけ接近を避けるのだが、対向車線から来てしまえばどうしようもなく、兎に角やり過ごす。


アフガニスタン便り-泳いでさっぱり!          

写真:今は暑い乾季である。外業中に川のほとりで出会った女の子。頭から川の水をかぶって、すっきり。