パキスタン人旦那と共に歩む人生

パキスタン人旦那と共に歩む人生

主に在日パキスタン人を観察しています。

「不良外国人の永住許可を剥奪できるようにしましょう!」署名活動は、2013年4月30日まで。


署名活動は、終了しました。ご協力どうも有難うございました。





ストップ!不良外国人による被害の会 facebookは、こちら



法務省入国管理局 情報受付
http://www.immi-moj.go.jp/zyouhou/index.html

<以下、引用>
情報提供先
電子メール又は,最寄りの地方入国管理官署に直接御連絡下さい。
http://www.immi-moj.go.jp/soshiki/index.html

※土曜日,日曜日及び祝日には来庁による情報提供は受け付けておりません。あらかじめ御了承ください。なお,東京入国管理局では,土曜日,日曜日,祝日(12月29日~1月3日の年末年始休暇期間を除く。)も午前9時から午後5時まで,電話での情報提供をお受けします。電話番号03-5796-7256にお電話ください。

※受け付けるのは,不法滞在・偽装滞在外国人に関する情報提供に限ります。その他の御用件の方は開庁日に改めてお電話ください。



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月刊WiLL1月号 在日イスラム教徒17万人 お隣さんがイスラム教徒だったら①からの続き。

 

イスラム教徒と結婚したら

 

 しかし結婚が絡むと、恋愛の自由を貫徹するのは極めて困難です。ないがしろにされていたはずの神の規範が急に頭をもたげます。

 

 たとえばイスラム教徒の男性の場合、自由な恋愛を楽しむような「ふしだら」な女性は結婚相手としてふさわしくないと考える人が多数派です。

 

 既述のようにイスラム教では未婚の男女同士の性行為も「姦通」として禁じられていますが、独身男性が散々姦通行為を働いた後に親の決めた女性とイスラム的に正しいやり方で結婚する、というのはよくあるパターンです。

 

 ではもし、日本人女性がイスラム教徒男性と結婚するとどうなるのか。まず女性は十中八九、イスラム教に改宗する必要があります。イスラム教の教義上、イスラム教徒男性が結婚を許されているのはイスラム教徒か啓典の民(キリスト教徒やユダヤ教徒など)の女性のみ。啓典の民と結婚することも禁じられてはいないものの望ましくないとされているため、女性は改宗を要請されることが一般的です。

 

 イスラム教に改宗するのは極めて簡単。二人以上の成人男性イスラム教徒の前で、「私はアッラーの他に神はなく、ムハンマドは神の使徒だと誓います」という意味のアラビア語のフレーズを唱えれば、それでOK。アラビア語を知らない場合も、イスラム教徒が言うフレーズを復唱すればいいので、何も難しいことはありません。

 

 しかし、一度イスラム教に入信したら二度とイスラム教信仰から抜け出すことはできません。イスラム教における信教の自由とは、イスラム教に「入信する自由」だけであり、イスラム教から「離脱する自由」は人間には認められていないのです。

 

 もちろん、「心の中」で棄教するのは自由です。しかし、それを表明することは、背教罪に該当します。入信の契機となった結婚相手と離婚する場合でも、棄教は認められません。

 

 イスラム教に入信し準備万端整ったとしても、ロマンチックなプロポーズを期待するのはNGです。イスラム法においては、結婚は男性が女性の身分後見人(一般的には父親)に対して申し込むものと規定され、婚姻契約を締結するのも男性と女性本人ではなく、女性の身分後見人とされます。

 

 

ロマンのかけらもない

 

 また婚姻契約の際には、男性が女性の身分後見人に対して相当額の婚費を支払います。この婚費は現金の場合もあればゴールドのジュエリーや家や車、はたまた牛や羊だったりする場合もあるのですが、これは婚姻によって男性が女性から得る性的快楽の対価であるとイスラム法では規定されています。

 

 多くの日本人女性からすれば、「ロマンのかけらもない!」ということになるでしょう。

 

 女子会でお酒を飲むこともできなくなります。神は豚、死肉、酒、血を食べてはならないと命じていますから、それに倣うのが当然。

 

 性交渉も気分次第とはいきません。イスラム法では生理中や出産後など特定の時期を除き、夫は妻に性交渉を要求する権利があり、妻が応じない場合には離婚事由を構成するとされています。

 

 また預言者ムハンマドが「陰部の毛を剃るのはいいことだ」と言ったと伝えられているため、七日ごとの陰部の剃毛も推奨されています。一方、ムハンマドは「口髭を刈り、顎髭を伸ばすこと」も推奨しています。イスラム教徒の男性が顎髭を伸ばしていることが多いのは、預言者ムハンマドの伝承に由来しているのです。

 

 生まれた子どもはもちろんイスラム教徒。そもそもイスラム教においては、全人類がイスラム教徒として生まれると考えられています。異教徒というのは、生後に異教の「誤った」教えに導かれることで道をそれた残念な存在という理解です。子どもが正しい道からそれることのないよう、イスラム教徒として育てるのは親の務めです。

 

 自由に自分らしく素敵な結婚式を挙げたい!なんて思ってもダメ。イスラム教徒になった以上、女性は神の規範に従い「慎ましい服装」をすることが義務づけられます。ゆえにグッと胸元があいていたり、袖がなかったりするウェディングドレスの着用は厳禁なのです。

 

 結婚後に夫が第二夫人、第三夫人を娶りたいと要請する場合があることも頭に入れてください。イスラム法は男性に四人まで妻を娶ることを認めているからです。日本のように法律で重婚が禁じられている場合も、「内縁」形式で複婚を営んだり、祖国に別の妻がいたりするイスラム教徒男性は少なくありません。

 

③に続く。


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昨年末に発売された月刊WilLL1月特大号の記事で、在日イスラム教徒17万人という数字に驚いた。

元夫と知り合った頃は、これほどイスラム教徒が日本に増えると思っていなかった。

今は、日本人妻やハーフの数に比べたら、ヒジャーブを被った外国人女性やその子供の方が多くなっているんじゃないか?

ただただ、あの頃は、甘かったのだ。

甘過ぎたのだ。

 

イスラム教徒の夫と結婚して、煮え湯を飲まされたという日本人妻は、多いと思う。

筆者の飯山陽(あかり)氏のことは、この記事で初めて知ったが、イスラム教徒をよく知らないという人向けにも、理解しやすく書かれていると思ったし、ボーンムスリムの元夫やモスク関係者含むその悪友らから聞かされていたイスラム教の有難い話(?)に比べたら、こちらの記事の方が断然に納得し、頷ける内容になっている。

以下を引用させていただくことにする。

 

在日イスラム教徒17万人 お隣さんがイスラム教徒だったら

イスラム思想研究者 飯山陽(あかり)

 

共生・歩み寄りなどという甘い言葉の前に決して譲れない部分、守るべき価値について考える時代に・・・

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イスラム教徒の恋愛事情

 

 サウジアラビアのジャーナリストがイスタンブールのサウジ領事館内で殺害されるという衝撃的な事件に続き、シリアで武装組織に拘束されていた日本人ジャーナリスト、安田順平(やすだじゅんぺい)氏が三年ぶりに釈放されました。このところ日本でも中東関連の事件が多く報じられています。

 

 しかし、これらの事件の背景は複雑であり、明らかにされていない事情も多く、包括的に理解するのは困難です。その理由の一つとして、これらの事件に関わる人々の多くがイスラム教徒であり、イスラム教徒を理解するのが困難である点が挙げられます。多くの日本人にとって、イスラム教徒は異教徒、信奉する宗教が違うということは単に宗教「だけ」ではなく、世界観や死生観が違うことを意味し、その違いは日常的な考え方や行動に直接反映されます。こうした傾向はイスラム教の場合、特に顕著にみられます。

 

 たとえば、男女関係について考えてみるとしましょう。私たちの住む世界では、恋愛は自由の範疇に含まれます。誰かを好きになるのも自由ですし、互いの気持ちを確かめ合って恋人関係になるのも、恋人同士でデートをしたり、はたまた肉体関係を持つことも基本的に自由です。

 

 しかし、イスラム教徒の場合、誰かを好きになるところまでは自由ですが、その先に自由はありません。なぜならば、互いに結婚することのできる関係性にある男女が閉じられた空間で二人きりになることは神によって禁じられていて、また互いに婚姻関係にある男女以外の営む性行為も全て神によって禁じられているからです。

 

 よって未婚の男女間の性行為も、両者の合意があろうがなかろうが全て禁じられ、それはイスラム法上「鞭打ち刑」に相当する違法行為とみなされるのです。

 

 

イスラム=絶対服従

 

 そんな「時代遅れ」な規範は廃止すればいい!そう思われる方もいるでしょう。しかし、イスラム教の規範は「人間が守らなければならないもの」として神から下されているので、それを人間が勝手に廃止したり変更したりすることはできません。神が下した規範を「時代遅れ」だと批判することはすなわち、神を批判することになってしまうのです。

 

 しかもイスラム教徒は、これをイスラム教の「負の側面」とは決して考えません。むしろ、人間ではなく神が決めた規範だからこそ、それに従う価値があると考えます。

 

 人間が自分の都合でコロコロ変えるような規範には従う価値など微塵もない-----これがイスラム教の論理です。時代や地域に応じて規範が変わるのは当然だ-----という私たちの考え方とは全く逆方向のベクトルを示します。

 

 「イスラム」とはそもそも、「絶対服従」を意味するアラビア語。イスラム教の聖典「コーラン」五十一章五十六節に明示されているように、イスラム教では「神が人間を創造したのは、神自身を崇拝させるため」だとされ、崇拝とは、すなわち「服従」を意味しています。

 

  そして、神の命令に従って現世を生きれば、現世が終末を迎えた後にやってくる来世で救済されて天国に行くことができ、逆に命令に逆らうと来世で地獄に落とされる-----。これがイスラム教の死生観の根幹です。

 

 

近づくだけで鞭打ち刑

 

 男女関係の話に戻ると、一度でも人を好きになったことのある人なら誰しも、好きな相手とは仲良くしたい、触れ合いたいという気持ちを自然と抱いたことがあるでしょう。

 

 しかし、イスラム教の場合、この自然な気持ちを行動に移すことは禁じられます。基本的には二人きりになった時点で何もしていなくても「アウト」。国や地域によってはそれだけで刑罰の対象とされます。性行為を行ったとなれば、死刑にすらなる場合もあります。

 

 では一体、どこまでが「セーフ」なのか。たとえば日本にほど近いインドネシアのアチェでは今年十月末(注:この記事が載っている、WiLL1月号発売は2018年12月)、二十一歳の未婚の男女が公の場で接近しすぎたという理由で鞭打ち刑に処され、その様子が一般公開されました。

 

 未婚の男女が公の場で接近することの何が悪いのか-----大方の皆さんはそう思われることでしょう。しかし、アチェでは鞭打ち刑に相当する違法な行為と規定されているのです(アチェはインドネシアで唯一イスラム法が施行されている地域であり、インドネシアの他の地域では事情が異なる)。

 

 また今年七月、バングラデシュで雨が降りしきる中、キスをする男女二人の写真をフェイスブックに掲載したカメラマンが会社をクビになり殴られるという事件がありました。公の場で男女がキスをすることは、バングラデシュでは「ふしだら」で許容されない行為。その場面をあたかも「微笑ましい」行為であるかのように写真に収めSNSにアップすることは、刑事罰の対象とはならないまでも一定の社会的制裁に値する行為なのです。

 

 他方、個々のイスラム教徒に関しては、神の規範や国の法、社会のモラルにかかわらず自由に恋愛をする人もいます。イスラム諸国に行って、ナンパされたことのない日本人女性は極めて少数でしょう。

 

 それは、神の規範よりも外国人女性をナンパして恋愛関係に至り、あわよくば外国に移住したいという世俗的な欲望を優先させるイスラム教徒男性が少なからず存在しているからです。

 

 また姦通は違法ですが、その行為の立証には四人の男性の目撃証言か自白が必要と規定されているため、実際に立件されるケースは極めて稀です。これもまた、イスラム教徒の独身男性が「隠れて」姦通行為をする一因となっています。

  

②に続く。


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小学館 SAPIO 2018年11,12月号より 外国人大流入で何が起きているか④よりの続き。

 

ロシア人と遭遇

 

 雨降って地固まる。富山県射水周辺のパキスタン人コミュニティと地域住民は、若干の摩擦を経て、互いの努力で良好な関係を築いた。長い時間をかけて、だ。

 

  射水を訪ねた日の夜遅く、高岡市内のバーで飲んでいると、重量級の足音とともに、大柄な白人三人と小柄な東洋人が一人入ってきた。

 

 大柄な男が片言の英語で「ロシアの音楽」を要求した。「うちにはロシアの音楽はない」と店長が答える。

 

 彼らはみなロシア人だった。なんなら僕がアカペラで「カチューシャ」か「アレクサンドラ」(ソ連映画『モスクワは涙を信じない』の主題歌)を歌ってやろうか、と思っていると隣に座った東洋系の男がたどたどしい日本語で話しかけてきた。この人はアルタイ系ロシア人とのことで、その出自に色んな意味で興味を持ったが、彼はどうやらグループの通訳的立場。すでにだいぶ酔っており、「バカな仲間たち」の世話を焼く苦労を語るばかり。

 

 せっかくのチャンスだ。射水のパキスタン・コミュニティを客として育てたロシア人の話も聞きたい。昔学んだロシア語を思い出してアピールすると、彼は大柄な白人に伝えた。大柄氏は立ち上がり、握手を求め「俺は最高の男だ!」というような宣言をかまし、飴玉をくれた。このインタビューはそれきり終わり、彼らは一杯目をいつの間に干したのか、二コラシカを人数分注文し、あおり、程なくして去っていった。

 

 「今日は静かでした。先週は五時までここで騒いでましたよ。ロシア人の客は、一人でも日本語ができるとだいぶ違います」と店長。「からまれたくない人たちだなあ」と、出張で大阪から来ていた男性が呟いた。僕はほどほどにからまれたかったのに相手にされなかった形で、彼らの通路たる日本海に思いをはせつつ、カイピリーニャをゆっくり味わって飲んだ。

 

記事おわり

 

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筆者の前川氏は、射水周辺のパキスタン・コミュニティと「若干の摩擦を経て」、長い時間をかけて、良好な関係を築いたと書いているが、地域住民は、外国人が築いたコミュニティにより、一言では言い尽くせない迷惑や恐怖感をあじわったと思う。

 

どんなに話を分かりやすく、理解しやすい日本語で、図解つきで説明しても、パキスタン人は必ずと言っていいほど、話がフリだしに戻ってしまうのだ。

この点を理解していないと面倒なことになる、日本の法律や仕組みはこうなので避けては通れない道だと説明しても、次にはもう忘れている。

どんなに話してもバカなのですぐに忘れる。

その後、必ず、また同じ問題にぶち当たるのだけれど、そんな話は聞いたことがない!となる。前にそう言ったよね?と言っても、絶対に聞いていない。自分は悪くない、あんたが日本人のくせに日本の法律を知っていないから悪いのだ。と人のせいにする。

こんなバカな話を延々と繰り返さなければならず、自分の非は絶対に認めないので、しまいには、大きなため息しか出なくなった。いつも心の中では「こいつ、バカなの・・・?」と考えた。

今でも、あの堂々巡りを思い出すと、ため息が出てしまう。

地域住民の方々の苦労を考えると、同情を禁じえない。

並大抵の努力ではなかったと思う。

 

また氏は、ロシア人と遭遇したことで、飲酒をしない「穏やかな」パキスタン人と、飲酒をして「騒ぐ」ロシア人を対比させたのだと思う。

確かに、パキスタン人はロシア人を客として、またバイヤーとしても育てた親的な存在だとは思う。

しかし、高級車盗難、盗難車を輸出、クレジットカード偽造など悪事もたくさん伝授した。

昼、モスクで祈りながら、夜、キャバクラで酒を飲み、キャバ嬢を口説くパキスタン人にも「ほどほどにからまれて」インタビューして欲しかった。

奴らの本性を知るのは、それからでも遅くはないと思う。


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小学館 SAPIO 2018年11,12月号より 外国人大流入で何が起きているか③からの続き。

 

お祭りにも参加

 

 その後余裕をもってモスクに戻ると、さっきもぬけのからだった駐車場は車で一杯になっていた。ウドゥー(水で身を清めること)を終え、礼拝所に入る。僕は一番後ろに座した。後から来る人たちは、再会の顔を認めると手をさしのべて挨拶をし、ついでに僕にも手をさしだしてくる。

 

 礼拝を終えて人がはけたところで、設立の頃からモスクの運営にたずさわっているカーン・ラディーン氏に話を聞いた。カーン氏も中古自動車店の経営者だ。

 

 日本人との共生について訊ねると、やはり今は問題なくやっているとのことで、なにしろ重要なのはコミュニケーションだと強調する。長く住み、子どもができると、大人同士のトラブルを避けるためだけではなく、教育のためのコミュニケーションも必要となるだろう。

 

 例えばイスラム教は食について独自の禁忌を持っている。子どもたちが日本の学校給食をそのまま食べると禁忌に触れかねない。

「学校に相談して、お弁当を持たせていいことになりました。うちにも給食の献立表が貼ってありましてね、毎日、その日のメニューに似たハラル料理をつくってもたせてます。そうすると子どもは恥ずかしくないから。フルーツや牛乳は学校でもらってます」

 

 子どもたち、つまり第二世代を架け橋として第一世代が日本によりなじんでゆく様子もうかがえる。

「地域のお祭りには参加していますか?」「子どもたちが遊びに行きますからね。私らも行きますよ」

 

 別のパキスタン人にも同じ質問をして、やはり同様の返事を得ていた。我が国の諸地域でありがたくも行われる祭りの数々は、イスラム教とも一神教とも全く異なる信仰に支えられている。そうした祭に、富山のムスリムは出かけてゆくのだ。これはお互いにとってよろこばしいことだ。

 

 終始なごやかな雰囲気で話していたカーン氏の表情が曇ったのは、僕があの事件に触れた時だった。

「あれは本当にかなしいことだから、もう思い出したくもありません」

 申し訳ないことをした。

 

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1990年代に来日したパキスタン人が第一世代としたら、ここに書かれている第一世代と第二世代(小中学生等の場合)との間が開きすぎる点に注目したい。

ビザや商売の足台となった日本人妻がいて、離婚し、パキスタン人がこれを機にパキスタン人妻子を招聘して日本に住まわせたり、或いは、新しく日本人なり、パキスタン人の妻を娶ったかして生まれた子供が現在は、小中学生くらいになっているということだろう。

 

高校生、或いはそれ以上の子供を持つ第一世代がいるとしたら、足台になった日本人妻と並行して、重婚がなされていた、つまりパキスタン人妻やその他、愛人がいて、子供を産ませていたのではないか?という仮説を立てることができはしないか?

ただし、高校生やそれ以上の子供がおらず、高齢の割に子供が幼い場合は、先に生まれた子供については、日本人妻側に親権が渡ったことも考えられそうだ。

 

妻仲間に高齢で出産したが、夫にもっと子供が欲しいと言われ、重婚を認めざるを得なくなった人がいる。この夫の方は、昔から私もよく知っているが、もともと女癖が悪い上に、バカなので、明らかに確信犯と言えるだろう。重婚した後も、愛人と温泉旅行に行ったりと大変けしからんバカ男である。

このバカ男から、一体、何人もの子供たちが生まれるのか(生まれているのか)?と考えるだけで、ゾッとする。

 

ところで、この文中の中で、

「あれは本当にかなしいことだから、もう思い出したくもありません」

とあるが、コーランを破った若い女性を槍玉にあげ、神を冒涜したと怒り狂い、まるで日本人全体にその非があるかのように、日本各地でデモを起こし、東京ジャーミィから気合入れたパフォーマンスをして、霞が関に集結したアンタたちが、それ言う?と思ったのは、私だけではないだろう。


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SAPIO2018年11,12月号の記事を引用投稿半ばに、衝撃的な動画を見てしまったので、先に書きたいと思う。
アップ主さんには、感謝する限りである。
 
パキスタン人との結婚を考えていた28歳の女性によりコーランが破られてしまったわけだが、当時の新聞記事に基づき、彼女が自分の父親にパキスタン人との結婚を反対された、父親を困らせるためにやった、父親をパキスタン人から遠ざけたかったために、この事件を起こしてしまったとネット掲示板で様々な理由が書かれてる。
裁判では、裁判長に「自身が社会に及ぼした影響の大きさについて、反省するように」と促された場面もあったようだ。
 
掲示板では、「なぜ、父親をパキスタン人から遠ざけたいがために、モスクに侵入して、コーランを盗み、犯行に及んでしまったのか?」「娘と父親の確執が、なぜコーラン破棄につながったのか、理由がよくわからない」などと疑問を呈する声も書かれていた。
事実は、裁判で述べられたのだろう。
裁判というものは、事件の全てがあらわになるものと思っていたが、実は、そうでもないと知ったのは、何度か裁判傍聴を経験した後の感想である。
マスコミにも、「報道する自由」があれば、「報道しない自由」もあるのだと知ったのも同時期だ。
 
当時、パキスタン人が先頭に立ち、デモを起こしているニュースを元夫と一緒に見ていた。
「あなたも、デモに参加するの?」と聞いたら、「あんなこと、する気はない」と言っていた。
 
後日、女性が逮捕されたことを知り、私は元夫にこう言った。
「これって、痴話喧嘩が原因だったんじゃないの~?ヤードのパキスタン人男と付き合っていた女性が浮気されたとか、既婚者だったとか?」
いつもは、即座に「そんなことない!」と反論する元夫が、珍しく反応しなかったので、よく覚えている。
 
この事件を再び、思い出したのは、私のブログに転載したことのある新聞記事を読んだ時だった。
パキスタン人の第一夫人のいるパキスタン人に、第二夫人として嫁いだ日本人女性の話だ。
彼女の夫は、コーランが破り捨てられていたヤードの主さんじゃないの、と。
 
第一夫人は、パキスタン人女性。第二夫人は、日本人女性。その逆もある。
たまに、ただの愛人なのか、第三夫人なのか、それ以降の妻なのか、第一夫人、第二夫人以外の日本在住外国人女性や日本人女性が登場するというパキスタン人何人かの悪評も聞いていた。
日本で入籍できない事情がある女性が存在するのだということも。
 
動画の話に戻る。
「コーラン騒動の町はいま・・・」という話で、ニュース内の特番として放送されたものかも知れない。
 
犯人逮捕を叫ぶパキスタン人。
ここは、富山県小杉町(現・射水市)。
イスラム教徒にとって、命より大切な聖典コーランが何者かによって、破り捨てられたのです。
バラバラに切り捨てられたイスラム教の聖典コーラン。
一体、誰が、何のためにやったのか。
事件の真相は、今も明らかになっていません。
 
 
その波紋は、東京にも広がり、イスラム教徒が全国から集まりました。
「もう、これは、あの大罪でして、場合によっては、戦争が起こりますね」
 
神を冒涜された怒りは、おさまりません。
 
事件のあった小杉町。
人口およそ3万2千人。
のどかな農村地帯で、一体、何が起きているのでしょうか。
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残念ながら、動画はここでストップ。
アップ主さんには、この続きを検討して頂きたいです。
 
さて、今回のSAPIOの記事では、「あれは本当にかなしいことだから、もう思い出したくもありません」と、富山モスク設立当時から関わっているというカーン・ラディーン氏が述べている。
かなしいこと?
この動画を見る限り、かなしむどころか、さっさと犯人を挙げろ!と怒り狂っているとしか思えない。
目を爛々とさせ、今にでも噛みつきそうな勢いである。
しかも、コーランを破ることは、大罪で、場合によっては戦争が起こると述べているムスリムまで映っている。戦争って、どことどこの?日本国対イスラム諸国?それともパキスタン?
好戦的な目で、デモ行進をしたり、怒り狂う様を自ら楽しんでいるようにも見える。
怖いと感じる私の感覚がおかしいのだろうか。
 
中東断章というブログの主さまが、的確に指摘、解析され、文章化して下さっています。
 
ナンミンウオッチさまのブログも必見です。

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前回の記事の続きより

 

 高岡駅の観光案内所で自転車をレンタルし、射水に向かう。目指すは国道八号線バイパス沿いの中古自動車店集中地帯だ。高岡古城公園の横を通り、十分ほどで八号線に合流する。あとはひたすら富山市方面へ東進するだけ。すぐに市境をまたいで射水市に入り、豊かな水を日本海に注ぐ庄川を渡る。標高三千メートル級の峰を連ねる立山の姿に見惚れ、畏れ入り、興奮しているうちに、最初の中古自動車店にさしかかった。

 

 店の名は英語とロシア語(キリル文字)で書かれている。やがて道の反対側に、かつてはコンビニだったと一目で分かるつくりの「富山モスク」が現れる。駐車場は空だ。よし間に合った。

 

 金曜日の早い時間を狙って射水を訪れたのにはわけがある。週に一度、いちばん人が多く集まる「金曜礼拝」のタイミングで取材したかったのだ。しかし集団礼拝の開始時間はモスクによって若干異なる。だから早めに来て情報を探るつもりだった。

 

 バイパス沿いにハラルフード(ムスリムが食べてよいとされる食品)の店があり、ちょうど店主のパキスタン人男性が開店準備を始めるところだった。昼の礼拝の時間を訊くと、午後1時だそうだ。まだ十分時間がある。軽くフィールドワークをしておこう。

 

 中古自動車店の集中地帯はだいたい富山国際大学前の交差点を東の境界とするようだ。ざっと三キロ東西のひろがりに二十軒ほどの店が集まっている。中古自動車店は駐車場(商品置き場)にプレハブの営業所を設けただけのつくりが多い。少人数でまわしているのか、留守が目立ち、すでに廃業したらしき店もある。もしや「射水スタン」は衰亡の途にあるのか。

 

*** 摩擦のからくり ***

 大字白石に店を持つパキスタン人のサリーム氏に話を聞いた。95年頃から住んでいるというサリーム氏はコミュニティの第一世代。トム・クルーズ似の男前だ。

「ロシア人の客は減っていますよ。関税上げられちゃったし、彼らも商売覚えてきたし。昔は三日間のビザで船で来て買い物して帰るロシア人が多かったけどいまは難しくなってます。その代わり最近は国内向けにも売っていて、仕事はぼちぼちです」

「日本人とはうまくやっていますか?以前は運転や駐車マナーでもめたり、政治団体から嫌がらせを受けることもあったそうですが」

 

 僕が政治団体、と言うとサリーム氏は「ああ。暴力団でしょ」と言い換えた。

「もう済んだことですよ。あの頃は、私たちのほうにも慣れないこと、わからないことがいっぱいあった。それにむちゃくちゃ売れてた時だったから、あっちでもこっちでも車が停まってる、という状況でトラブルになったんです。だけど・・・・。問題はロシア人が起こしていたことが多い」

「そうなんですか?」

「そうですよ。ケンカもするし。私たちはここで、車を売るでしょう?買って、集めて、港に持ってくのはロシア人たち。そこで問題が起きるんです。

 だから警察のほうで協力してくれて、港に置く場所を設けて直接そこに持っていくようになりました。

 この辺りは他にも外国人はいるけど、いちばん多いのはパキスタン人。だからなにかあるとパキスタン人のせいにされたわけです」

 

 摩擦のからくりをサリーム氏はそう説明した。

「いまは日本人ともコミュニケーションとれてるし大丈夫です。子どもも育ってるし、いまさらパキスタンに帰ろうとは思いません」

 

 コミュニケーションがとれるようになるまでには日本人とパキスタン人双方の努力があった。北日本新聞(ウェブ)の特集記事「地域再び」によると、2003年12月、地域住民とパキスタン人業者との間で初めての意見交換会が持たれた。「みなさんに迷惑をかけたくない」といった訴えを受け、住民が行っていた巡回活動にパキスタン人も参加するようになる。

 

 この活動がやがて役所、警察も関わり現在も続く「セーフティゾーンパトロール隊」につながった。発足当初は路上マナーやゴミ捨てについてウルドゥー語(パキスタンの公用語)で説明したチラシを配るなどしていたが、「いまはもう分かってるから、うちの方にはまわってこないよ」(サリーム氏)とのことだ。

 

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サリーム氏の話には、かなり違和感がある。

「嫌がらせをした政治団体は、暴力団である」「問題を起こしていたのはロシア人が多い」「在日パキスタン人が一番多いので、悪いことはパキスタン人のせいにされる」「子どもも育っているので、日本で暮らし、パキスタンに帰ろうとは思わない」などなど。

 

嫌がらせをしたのは暴力団と言っているが、むしろ、在日パキスタン人の方が暴力団とのつながりが深いのでは?当時は、いかにも見た目がヤクザ的な人々が両替商をやっていたが、パキスタン人が一番のお客さんだったようで、彼らもパキスタン人にペコペコしていた。

パキスタン人同士のトラブルは日常茶飯事、妬みもしょっちゅう、加えて、日本人はバカ、日本政府はバカ、日本の警察、入管はバカと暇さえあれば言っていた。

嘘つき、盗み、偽造偽装平気、日本の法律無視軽視、妬み嫉み、疑心暗鬼、すぐに仲間割れ、その上、居酒屋キャバクラ通い、女性をナンパ(特に金髪碧眼のロシア人女性には目がない)、性犯罪まで起こすような人たちがイスラムを信じているなんて・・・それこそ、イスラム教に対する冒涜じゃないの?と何度、思ったことか。

 

子供も日本に馴染み、育っているって・・・日本人女性と結婚し、永住許可取得、離婚、パキスタンの妻子呼び寄せコースなのだろう。

モスクも今では、ハーフの子供よりも純パキスタン人の子供が多いのだそう。

在日パキスタン人の第一世代の子供達で、高校生~成人した純パキスタン人が来日しているという驚愕。

この日本でも、ヨーロッパなど先進諸国で起きている移民、難民による侵略が始まっているということだろう。

 

前川氏だが、日本人と、主にパキスタン人中古車業者とのトラブルについて、北日本新聞社ウェブ版「地域再び」についても記事を書いている。

これらの問題を取材するにあたり、コーラン冒涜事件についての当時の新聞記事を載せたサイトやパキスタン人側からの言い分、そして、日本人側からの言い分をそれぞれに載せたサイトを閲覧していると思うのだが、記事の流れを見ると、どうしてもパキスタン人は悪くないと結論づけたいように思える。

「摩擦のからくり」を明かすどころか、読んで記事半ば、更に私は脱力してしまった。


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私が一番、注目した記事を残しておきたいと思う。

以下、SAPIOより転載。

 

ムスリムが暮らす街

コーラン冒とく事件から17年----日本人、そしてロシア人との不思議な共生

在日パキスタン人が暮らす街 射水スタンを訪ねて  ノンフィクションライター 前川仁之

 

 世界で約16億人。日本に約11万人。イスラム教徒(ムスリム)の数である。折からの訪日観光局の増加もあり、ヒジャブをまとう女性を目にする機会も多いが、彼らへの理解は広がっているとは言いがたい。

 しかし、北陸地方のある地方都市ではムスリムと日本人、そしてロシア人も加わり、不思議な調和が保たれているのだった。

***

 富山県射水市。国や民衆を越えて愛される『ドラえもん』の作者、藤子・F・不二雄を生んだ高岡市の東隣に位置するここは、俗に射水スタンなどと呼ばれ、多くのパキスタン人が暮らしている。彼らは日本海航路で訪れるロシア人相手の中古車販売業に生活の基盤を見出し、90年代から集住するようになったのだ。大多数はムスリムで人が増えると礼拝の場が必要になる。1999年には、北陸初のモスクが建てられた。

 しかし、地域住民の中には車両運搬者の路上駐車や運転マナーをめぐって、パキスタン人に不信感をつのらせる者も少なくなかった。2000年の夏には右翼団体とトラブルになり、街宣車による嫌がらせをたびたび受けるようになる。

 そして2001年5月、射水(当時は合併前で別の町名だが本稿では統一する)のパキスタン人のみならず全国のムスリム・コミュニティを揺るがす大事件が起きる。イスラム教の聖典『コーラン』がなにものかに持ち出され、ずたずたに引き裂かれたのだ。

 これにはパキスタン人も怒り、悲しみ、大挙して警察署へ押しかけた。騒ぎは都内にも波及した。結局この犯行は組織的なものではなく、犯人は単なるうさばらしにやったことがわかり、やがて騒ぎはおさまったが、それから17年。射水はどうなっているのだろう。

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地域住民とのトラブルについて、2013年にテレビ局が射水スタンのパキスタン人をインタビューした記事があるので、参考にしていただきたい。

2013.7.29 ニュースJAPAN特集 日本の中のガイコク① 富山県射水市パキスタン人その1

2013.7.29 ニュースJAPAN特集 日本の中のガイコク① 富山県射水市パキスタン人その2

2013.7.29 ニュースJAPAN特集 日本の中のガイコク① 富山県射水市パキスタン人その3

 

以下、2014年6月号のSAPIOより引用で、記事が途中までになっている。

出来れば、近いうちにこの続きを転載したいと思う。

SAPIO 2014年6月号 移民と在日外国人①

 

以下は、参考サイト。

北日本新聞社 地域再び <民力の鼓動 1 募る不安> 自宅裏に中古車店

***以下引用***

射水市では、約十五年前から中古車販売店の出店が相次いだ。中古車を積んだキャリアカーが、静かな田園地帯をスピードを上げて走る。狭い農道に止まると、車が続々と降ろされ、フェンスで囲まれた敷地に運び込まれる―。そんな光景をよく見掛けるようになった。販売店を営むのはパキスタン人が多く、買い付けに来るのはロシア人だ。

 

中古車販売店の増加に伴って、キャリアカーの違法駐車やごみの不法投棄などが目立つようになった。中古車販売は「現金取引」が原則とされ、多額の現金を所持する外国人を狙った強盗事件も起きた。


 「大きなキャリアカーが路上駐車し、ほかの車の通行の妨げになっている」「庭先の水道を外国人に勝手に使われた」。住民から次々と声が上がった。
 「キャリアカーから降ろされたナンバーのない車が通学路を走っている。子どもが事故に遭わないか心配でならない」。主婦の訴えは切実だった。

 

北日本新聞社 地域再び <民力の鼓動 2 住民の主張> 「コンテナ設置は違法」

***以下引用***

 

フェンスで囲まれた販売店の敷地には中古車がぎっしり並び、自宅近くをキャリアカーが頻繁に通るようになった。生活は一変した。敷地内は夜間でも防犯用のサーチライトが照らされ、カーテンを閉めてもまぶしかった。車を積み降ろしする音で、夜中に目が覚めることが何度もあった。
 「ここは住宅地だ。夜の作業はやめてくれ」。パキスタン人の業者に直接言ったこともある。だが、強い口調で言い返された。「ここは、おれが金を払って買った土地だ。文句を言われる筋合いはない」
 

北日本新聞社 地域再び <民力の鼓動 3 コンテナ規制> 署名の輪 行政動かす

***以下引用***

「ここにたどり着くまで本当に長かった」。大森は自宅で署名簿の写しを見返しながら振り返る。中古車販売店の問題に取り組み始めて4年近くが過ぎた。

 

北日本新聞社 地域再び <民力の鼓動 4 パトロール隊> 「共生へ努力続ける」

***以下引用***

*射水市で販売店を経営していたカーン・ラファクワット(48)もその一人で、通訳を買って出ている。「来日間もないパキスタン人は日本のルールが全然分からない。長く日本で暮らす自分たちが教えていきたい」。4月に富山市寺島に店を移したが、今後も住民と業者の橋渡しに協力していくという。*

 

 

上記のインタビュー等から、さらに4~5年近く経ったわけだが、今、地域住民とのトラブルが少なくなった、あるいはなくなったというのなら、それは単に、射水にパキスタン人中古車販売が少なくなったからではないだろうか。

北日本新聞社のコラムは、最終的に共生を望むということで締めくくられていた。

カーン氏は、来日間もないパキスタン人のマナーが悪いとでも言いたそうだが、日本人女性と結婚したパキスタン人や1990年代来日したパキスタン人も多くいたと思う。

本来は、日本に長く住む彼らがはじめから新参パキスタン人にマナーを教えておくべきだったと思うが、ここでも長い間、私たちが悪かった。ご迷惑をかけて、すいませんでした。と謝罪することなく、日本のマナーを知らなかった。教えてください。などと言い訳するのには、あきれてしまう。

 

国外輸出する車の関税がみるみる高くなり、以前は見向きもしなかった軽自動車やバイク、農機具、家電用品なども売り買いしても薄利、ロシア人や他国の中古車業者の参入など、他にも要因があると思う。

 

とある地域では、少なくとも10年前は輸出向けの車がひしめいていたヤードも、廃墟のようになり、放置された車や冷蔵庫、エアコンなどの大型家電やゴミが散らばっていた。

治安も悪いので、もともと日本人もほとんどいないが、外国人の姿もまばら、パキスタン人が大挙してやってきた頃の活気もなく、雑草が生い茂り、寒々としていた。

 

2001年に起きたコーラン冒涜事件については、次の記事で私なりの見解を書きたいと思う。

 

 

 

 


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※ 久しぶりに更新したら、使い勝手が変わっていて、慣れていないので段落、文章等、おかしい部分がありますが、ご容赦ください。 今月、発売された小学館サピオ11,12月号。 表紙に並べられている文字は、期待させるものだった。 しかし、その反面、奴らの悪事を改めて思い知らされるのではないかと思うと、恐ろしく感じた。

 

安倍「移民政策」は天下の愚策だ!
外国人労働者、留学生の闇事件ファイル

報道されない外国人の犯罪、性暴力、闇ネットワーク全部書く! 外国人大流入で何が起きているか? 「移民政策」の果ては荒廃への道ではないか このままでは排外主義の火が燃え上がってしまう!


編集部の気合いが伝わるようだ。 「このままでは排他主義の火が燃えあがってしまう!」・・・ん? 入管難民法改正案による外国人単純労働者の受け入れが、事実上の移民政策だと安倍政権に文句を言いたいのは理解できる。 それでも近い将来、受け入れることになるだろうから、日本人によるヘイトスピーチや外国人差別はいかんということだろうか。 目次を見てみる


警鐘 安倍政権「移民政策」は天下の愚策だ/本誌編集部
日本人には見えない世界 ニッポンの闇労働現場で働く中国人不法就労者「黒工(ヘイゴン)」たちの告白/安田峰俊
政府計画の罪 出稼ぎ目的の「偽装留学生」が急増し移民化している/出井康博
闇事件ファイル 警察がアピールする「外国人犯罪は横ばい」はまったく信用できない/清水真
夜遊びのマナー 中国人の“日本人女性爆買い”ご乱交現場「300万円払うから蒼井そらに会わせて」/西谷格
ムスリムが暮らす街 在日パキスタン人が暮らす街 射水スタンを訪ねて/前川仁之
事件真相 千葉女児殺害事件 リンちゃん一家はなぜ日本で暮らしていたのか?/水谷竹秀 日本に暮らす難民 クルド人2000人が暮らす「ワラビスタン」の亀裂/山川徹


「ムスリムが暮らす街 在日パキスタン人が暮らす街 射水スタンを訪ねて/前川仁之」 ・・・ん? 取材されるのが大好きなパキスタン人がまたインタビューに応じているようだった。 どの記事よりも先にこの記事を読んだ。 私のブログの傾向からすると、すでにネタばれものだが、ものすごく残念な内容だ。 他の記事も似たり寄ったりで、日本人は外国人と共生しています!記事かと思ったが、どうやらパキスタン人やクルド人などイスラム教徒関係の記事以外は、そうでもない。 イスラム教徒、とりわけパキスタン人あたりを批判するような記事だと、逃げ腰になってしまうのだろうか? やっていることは、リアルに報道されない外国人犯罪、性暴力、闇ネットワークそのものだと思うけど、以前に比べると、他の外国人犯罪が目立っている分、おとなしくなったかのように見えるだけなのだろうか。 以下は、編集部による特集記事の前文。


偽善的な新聞が書かない「現実」をすべて書く
外国人大流入で何が起きているか?
●警察「外国人犯罪は横ばい」発表のまやかし
●外国人労働者、留学生の闇事件ファイル
●中国人不法就労者「黒工(ヘイゴン)」直撃インタビュー
 都心のコンビニでは、外国人店員らが流暢な日本語で接客されるのが日常の光景、工事現場でヘルメットをかぶった外国人労働者を見かけることも多い。
日本社会が変わりゆくなか、政府が示した入管難民法の改正案に野党が猛反発している。「事実上の移民政策」「2国会、3国会にまたがって議論すべき重要な問題」「稚拙だ」―。


 改正案では、これまで高度な専門人材に限られていたが外国人の就労目的の在留資格を大幅に緩和し、単純労働に従事する外国人にも門戸を開放する。熟練の外国人労働者には家族の帯同も認め、さらに在留期間の更新の上限を設けていないため、「永住」が可能になる。
 安倍政権はこれまで「移民政策を取ることは断じてない」と繰り返してきたが、事実上の方針の大転換である。背景には介護や農業、建設などの分野で人手不足が深刻になり、経済界から切実な要請があったことがある。 だが、早くから移民を受け入れてきた欧州では、移民の社会保障コストが大きな負担となり、彼らによって職を奪われた人々が反発して移民排斥運動が起き、ネオナチをはじめとする極右勢力が台頭している。彼ら差別主義者に与しない国民も、雇用の安定しょうがくや社会保険の問題の解決策を見いだせずにいる。
 このように「移民」は副作用が大きく、国のあり方を変えてしまうため、熟議を重ねなくてはならない問題のはずだ。しかし、日本では真実が知らされぬまま議論も尽くされず、なし崩し的に「移民国家」に変わろうとしている。
 まずは7本の現場ルポで、現在外国人が住み働いている場所で何が起こっているのかを知っていただきたい。様々な歪みから外国人による犯罪が起きている場所がある一方、過去の対立の反省から共生を実現している所もある。そうした現実を踏まえて、日本人皆で日本の行く末を考えるべきではないか。


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「ネパールの妻のことは誰にも言わないでください」

 ネパールから日本に戻ると、シュアムと面会するために、札幌の拘置所に足を運んだ。待合い室で30分程待たされると、私の番号が呼ばれた。パイプ椅子に座り、数十秒ほど待つと、刑務官と一緒に水色のパジャマを着たシュアムが現れた。ナマステと手を合わせると、彼も手を合わせた。
「あなたとは会ったことがないと思いますが、どなたでしょうか?」
シュアムは目をキョロキョロさせ、落ち着かない表情を浮かべながら聞いてきた。ネパールで聞いてきたさまざまな悪い噂とは結びつかない、どこか少年のような幼さが顔には残っていた。私がネパールの妻や子どもにも会ったことを告げると、シュアムは目にうっすらと涙を浮かべた。
「日本へは働きに来ただけだよ。だけどお金はもらえなかった。朝から晩まで働きづめで、ゆっくり話すこともできなかった。薪割り、雪かき、竹の子取り、一着のコートも買えなかった。お金を1回も送ることができなかったんだ。智江も日本の両親も僕に嫁さんや子どもがいることは知っていたよ」
シュアムはあくまでも、日本には働きに来たことを強調し続けた。彼の口からは事件を起こしたことを悔いる言葉は出てこない。自己弁護を弄し、智江さんも両親もネパールに妻子がいたことを知っていたと嘘をつく姿に、怒りが込み上げてきた。

 

 シュアムと面会する前日、私は私は智江さんの両親と会い、ネパールで結婚していた事実や犯罪歴などを余すことなく伝えていた。
「そうか。そんな人間だったんだなぁ」
 父親はそう言ったきり黙ってしまい、母親は手で顔を隠し声をあげて泣いてしまった。2人がシュアムが結婚していた事実を知るはずもない。
 私は智江さんの両親の無念さを胸に感じながらシュアムに尋ねた。
「それでは何で智江さんと一緒に生活をしていたんですか。智江さんと結婚して日本に来て、娘さんもできたでしょう」
すると、今まで饒舌に話していたシュアムは答えに窮した。苦しまぎれにシュアムが言った。
「頼むから、ネパールの妻のことは誰にも言わないでください」 
 その言葉でシュアムは智江さんの両親だけでなく、智江さんにもネパール人の妻のことを伝えていないことを確信した。

 最初は、あどけない少年のように見えたシュアムが、醜悪な獣にしか見えなかった。後味の悪さだけを感じながら、シュアムとの面会を終えた。

 

 殺害された智江さんは、結婚の意思を両親に伝えたとき、シュアムについてこう言っていた。
「純粋で仕事をまじめにする人なの。だから心配しないでほしい」
 智江さんはシュアムと暮らすことによって、幸せな生活を送ることを夢見た。しかし約1年の生活でその夢は破綻し、命すらも絶たれてしまった。
 日本とネパール、2人の女性と赤子の運命を弄び狂わせたシュアムは、懲役15年の実刑判決をを下され府中刑務所に服役している。事件から9年の歳月が過ぎ、あと5,6年もすれば、”人面獣心”のシュアムという男は故郷ネパールに帰り、何事もなく暮らすことになる。(本文中一部敬称略)
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以下、八木澤高明氏著書の「日本殺人巡礼」より、一部、抜粋します。

 

*     智江さんは、バックパッカー仲間の日本人女性から「すぐに結婚しちゃ駄目だよ」とアドバイスされていた。

**    シュアムは最下位のカースト「ダリッド」と呼ばれる不可触民。シュアムの姓「カミ」は鍛冶屋のカーストであり、死牛馬の処理をするサルキ、服の修理をするダマイなどとともにダリッドである。

***   智江さんから送ってもらった航空券で渡航、日本入国前に酒を飲んで前後不覚、暴れ出し、入管で拘束される。

****   ネパールでの逮捕歴に加え、ネパール人妻への暴力も酷かった。しかし、彼女は八木澤氏のインタビューに対し、暴力はなかったと否定。

シュアムが日本に行ってから、アパートに移り住み、娘も私立学校から公立へ。

シュアムはネパール人の妻に智江さんのことを「日本へ連れて行ってくれるスポンサー」と言っていた。

***** シェアム、ネパール人妻はともに日本でいう中学生ほどの年齢で、村で結婚した。

ネパールでは、農村部の一部などで事実婚のような形をとることがあり、結婚証明書などもなく、既婚者であっても外国人と結婚する場合に必要な独身証明書が容易に作れてしまう。

****** シュアムは、夫が中東に出稼ぎに行っており、村に帰ってきていた親戚の女性をレイプしたことがある。

******* 八木澤氏が拘置所でのシュアムにインタビューした際、「奴隷だったと思う」と答える。智江さんの両親からすれば、娘婿、娘の旦那として頼んだ家事が、シュアムにすれば、タダ働きの奴隷労働だという。己の保身に終始し、謝罪はなかった。

 

 

改めて、智江さんと娘さんのジュヌちゃんのご冥福をお祈りいたします。 

 


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ネパールではカーストの最下位だった

 シュアムと智江さんがネパールのカトマンズで出会ったきっかけは、彼女が銀細工を学ぶためにネパールの工房を訪れ、そのスタッフにシュアムがいたことだった。05年、06年と2度、智江さんはネパールを訪れているのだが、2度目にネパールを訪れたときからシュアムと付き合い始める。そして、07年4月にはシュアムを日本へと呼び寄せ、北海道で結婚生活をスタートさせた。07年10月には子供も生まれ、ネパールの洋服やアクセサリー、そしてシュアムが造った銀細工などを売る店と、カレーレストランをオープンさせた。

 

 だが、日本で生活を始めて約1年、2人の結婚生活は最悪の形で幕を閉じたのだ。
私はシュアムの生まれ故郷であるネパールを訪ね、1カ月半にわたって取材をした。
彼はネパールの首都カトマンズからバスで2時間、さらに山道を2時間ほど歩いたマットラという山村で生まれた。ネパールでは今もカースト制度が人々の生活を縛っている。シュアムはカースト制度のなかで最下位に位置する鍛冶屋のカーストに属し、村の一角に彼の一族が固まって生活していた。指輪などを作る銀細工の職人は、鍛冶屋のカーストが担っている。

 

 10歳の頃には彼は村から首都カトマンズへ出て、1人の銀細工職人のところで技術を学びながら働いた。彼の一家は”土地を持たない”ために生活が厳しく、シュアムがカトマンズで職人に弟子入りしたのは”口減らし”の意味もあった。私は、カトマンズで今も銀細工職人を続けている、シュアムの師匠を探し当てた。
「村から出て来た当初は真面目に働いていたけど、数年して仕事を覚えると、酒を飲んだりタバコを吸い始めて、どんどん生意気になっていったよ。結局私の家から30ルピー(当時のレートで60円)ほどのお金を盗んで出て行ったよ」
 さらに取材を進めていくと、驚くべき事実にぶつかった。シュアムは智江さんと出会ったときにはすでに妻子がいたというのだ。
「シュアムにネパール人の奥さんがいることは、みんな知っていたと思うよ。知らなかったのは、智江さんだけじゃないかな」
 工房の同僚によれば、シュアムの妻は毎日工房に来て働いているという。シュアムの逮捕により、自ら生活費を稼いでいるというのだ。
 工房を訪ねてみると、広さは畳二畳分、高さは160センチほど、工房というよりは物置き小屋と呼んだほうがしっくりくる。銀細工をするための工具が所狭しと置かれていた。

 

 シュアムの事件のことで日本から取材に来たと告げ、「ここにシュアムの奥さんはいますか」と尋ねた。すると、手前で作業をしていた男が、黒いサリーと呼ばれる民族衣装を着た女性を指差した。
「あなたはシュアムの奥さんですか」とあらためて直接その女性に聞いた。すると彼女はすぐに、「はい」と返事をした。事件を知っているかと尋ねると、「知っている」と頷いた。

 

 彼女は14歳のときにシュアムと結婚し、6歳になる娘もいると言った。工房では話しづらいこともあり、後日、彼女が暮らしているアパートを訪ねて話を聞くことにした。
 彼女は、木製のベッドと煮炊きをするコンロだけが置かれた、四畳ほどの部屋に娘と2人で暮らしていた。カーテンを買う金もないのだろう。強い日差しを避けるために、窓には新聞紙が貼ってある。生活ぶりからは貧しさが滲み出ていた。
 彼女の名前はビマラ、年齢は23歳。智江さんに会ったことがあるかと尋ねた。
「彼女については1回見かけたことがあったけど、話したこともありません。夫が工房に彼女を連れて来たとき、私も工房にいました。すると夫はすぐに彼女を連れて出て行ってしまったんです」
 その後、シュアムは智江さんとネパールで結婚の手続きをして日本に向かったのだが、その経緯を彼女は知っていたのだろうか。
「夫が、日本人の女と結婚して日本へ行くことは知っていました。夫はそのことを隠し続けていましたが、工房の人間が教えてくれたんです。すぐに私は反対しました。そんなことは許せなかったからです。カトマンズにあるNGOにも助けを求めに行きました。NGOは動いてくれませんでしたし、夫は3年か4年働いたら帰って来ると言ったので、最後は日本に行くことを認めたんです」
 シュアムは智江さんを騙し、出稼ぎ目的のため日本に行ったのは明白だった。智江さんを殺めただけでなく、カトマンズにいる妻子までも傷つけていた。

 

 さらにカトマンズで取材をしていくと、シュアムはたびたび暴行事件を起こしていると証言する人物にも出会った。実際に警察署に足を運んで、シュアムの名前と年齢で照会してみると、2回の逮捕歴があることがわかった。7年前と5年前に傷害事件を起こして逮捕され、7年前には1カ月刑務所に入っていた。

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以下、八木澤高明氏著書の「日本殺人巡礼」より、一部、抜粋します。

 

*     智江さんは、バックパッカー仲間の日本人女性から「すぐに結婚しちゃ駄目だよ」とアドバイスされていた。

**    シュアムは最下位のカースト「ダリッド」と呼ばれる不可触民。シュアムの姓「カミ」は鍛冶屋のカーストであり、死牛馬の処理をするサルキ、服の修理をするダマイなどとともにダリッドである。

***   智江さんから送ってもらった航空券で渡航、日本入国前に酒を飲んで前後不覚、暴れ出し、入管で拘束される。

****   ネパールでの逮捕歴に加え、ネパール人妻への暴力も酷かった。しかし、彼女は八木澤氏のインタビューに対し、暴力はなかったと否定。

シュアムが日本に行ってから、アパートに移り住み、娘も私立学校から公立へ。

シュアムはネパール人の妻に智江さんのことを「日本へ連れて行ってくれるスポンサー」と言っていた。

***** シェアム、ネパール人妻はともに日本でいう中学生ほどの年齢で、村で結婚した。

ネパールでは、農村部の一部などで事実婚のような形をとることがあり、結婚証明書などもなく、既婚者であっても外国人と結婚する場合に必要な独身証明書が容易に作れてしまう。

****** シュアムは、夫が中東に出稼ぎに行っており、村に帰ってきていた親戚の女性をレイプしたことがある。

******* 八木澤氏が拘置所でのシュアムにインタビューした際、「奴隷だったと思う」と答える。智江さんの両親からすれば、娘婿、娘の旦那として頼んだ家事が、シュアムにすれば、タダ働きの奴隷労働だという。己の保身に終始し、謝罪はなかった。

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