先に書いたように
私は、微力ながら東北支援に携わることが出来た。


そこで出会うことの出来た地元の皆様との毎日は、

私の宝物である。

それが、どれくらい有難いものであったかは、

まだ上手く言葉にならなくて もどかしいけれど、

思い出すのも、もったいないくらいである。

震災後半年たった今現在の暮らしの文脈で思い出したら

手垢がついてしまいそうで、

とにかく

肖え物の御守のようにして

大事にしている。



アフガニスタン便り-南三陸花火02
                  写真1:南三陸町の花火


●  ●  ●


震災後、

たくさんの人が大量の言葉を用いて、

新聞やテレビ、ラジオ、書籍、広告媒体や映像媒体を使って

震災を伝えた。

それらのなかには、並々ならぬ真剣さで伝えようとしたものがたくさんあった。

報道に関わる人々を始め、

あらゆるジャンルの著名人、有名人、有識者、芸術家、コピーライターなどが、

様々な手を尽くして言い表そうとした。


特に

被災地で読んだ、

三陸新報とか河北新報、岩手日日などからは

震災後かなり経ってからも迫ってくるものを感じた。


大量の言葉が生まれた。


平時、言葉を仕事の重要なツールとして用いている職業的表現者の皆さんが

”力を絞って言い表さなければ”と切実に感じている”何か”が、

如何に大きなものであるかを明示していたように思う。

それはもちろん、一般人である我々も同様に、全身で感じていた”何か”だと思う。


震災直後の報道、

被災者の皆様自らの言葉や自衛隊や消防隊の皆さんのコメントが含まれた報道、

被災地の媒体による報道、

これらからは、

媒体というクッションを通してさえ直に伝わってきたが、

それは、

現地で感じる、押しつぶされるような感覚を

正当に表現するものであったように思う。


● ● ●


ただ、震災後時間が経ち始めると、

全国新聞や大手民放などの媒体を通じて伝えられる言葉の一部は、

どういうわけか、私の感覚から少しずつずれ始めた。

そういう報道には、正直、

積極的に触れる気がなかなか涌かなかった。


私は、現地で緊急支援、漁業復興支援をしていたので

努めて新聞には目を通していたが、

現場で全国紙の朝刊を見る気分にはずっと違和感があった。

もちろん、仕事に関わる漁業関連の記事などは読めるのだが、

それ以外の記事では、読むのが苦痛である文章も多かった。


時間が経つほどに、

報道や表現の形式が、

強烈に何かに吸い寄せられて引き戻されるような感覚であり、

現場での感覚から少しづつずれていく感覚でもあった。


私の知り合いで東京で金融業界に勤める人も

普段は隈なく読める経済紙に対して、

全く読む気が起こらなくなった、と言っていた。


言わずもがなだが、

そういうメディアの報道でも、

被災された方々や救援作業をされている方々の言葉がそのまま載ったり映ったりする部分には

依然として、今も、釘付けとなり言葉を失う。

しかし、それ以外の、

何と言えばよいのだろう、

媒体側の人が、事象を整理するクダリには、

それが新聞であろうと、映像であろうと、芸術であろうと、アカデミックなものであろうと、

著名人であろうと、学識経験者であろうと、芸術家であろうと、

映画監督であろうと、音楽家であろうと、コピーライターであろうと、

そういった人々に誠意があろうとなかろうと、

意識的であろうと無意識的であろうと、

営利目的・自己顕示目的であろうとなかろうと

そういう人々に表現されたことが全体として、

震災直前までその表現者たちが使い慣れてきた、

『平時の表現形式』に強引に引き戻されている感じであった。

おそらく、当の本人も自覚しているのではないか、と思うくらい、

震災後から見れば古色蒼然としか言いようのない修辞とかまとめ方で

表現しようとしているようであり、

それは、

現地に満ちていた、胸がふさがれるような感覚からは非常に遠いものであった。


そうして、そういう違和感が襲ってくる度に、読む気が失せてしまうのであった。


そして今、
震災から半年経って

この違和感は、妙な感じで落ち着いてきてしまった。

それは、違和感が無くなった、というよりは、

違和感が全体を凌駕してしまった感覚、とでも言えるだろうか。


● ● ●


私は今、この違和感について以下のように考えている。


すなわち、

この違和感は、


『我々は、如何に、

普段育んできた平時の言葉を、

実存的な深みについての心象を交換しようとする意志の中で鍛えてこなかったか』


ということを示しているのではないだろうか。


私はただのチンピラNGO職員だから、

僭越とは自覚しつつ思うのだが、

現代は、余りにも、

実存的な事柄について

鷹揚な姿勢で臨むことでそれを過小評価し

そういう態度をとること自体に抵抗を感じなくなってしまったのではないか、

と思うのである。


実存、という、哲学用語しか思い浮かばないこと自体、

私自身が、

平時の表現体系に戻っていることの証左であり、

自分の抱いた違和感の中に徐々に取り込まれている証左でもあり、

実存的深淵を表現する為の鍛錬が足りないことの証左でもあるのだが、

それでもここで、敢えて、実存、と言う言葉を使いたいと思う。


上手く言えないけれど、

また、

上手くいうことは不可能だけど、

現場で被災された方から伺った様々なお話、それを伺った時の感覚、

私を含めて被災地で活動された皆さんが現地で感じられたであろうあの感覚、

あの、心がおしつぶされて言葉を失う感じを、

上手く言えないとは知りつつも敢えて便宜上言い表そうとすると、

私の知ってる単語の中では

実存、くらいしかなかったので、

ここでは、この単語を、非常にあやふやながら、

そういう気持ちの総称として使うことにした。


もっと言えば、私には、

こういう、出来れば触れないでそっとしておきたい気持ちを

あまりに明示的な記号で表すことは適当でないと思え、

”実存的”という、日常的には、意味があるような無いようなよくわからない単語を使って、

指示代名詞的に表現したかった。

だから、

実存という言葉の起こりであるキルケゴールに始まる実存主義哲学のように

分節的に解析して厳密性を担保しながら注意深く使われてきた単語としてではなく、

だから、実存”的”、という風に、曖昧に使っている。


● ● ●


通俗的な現代日本語では、

”宗教”という言葉を用いて、

”如何わしくて、禍々しくて、眉唾の神秘主義”を一纏めにして表象することで

可笑しな安心感を得ようとしているが、

それで、”宗教”が本来担ってきた重要な役目まで

一緒にどこか目に見えないところに片付けてしまったような気がする。

そこでは、

実存的なことについての先人たちの真摯な取り組みも

一緒にどこかに片付けられてしまったように思う。


人類は、

などと、私のようなただのチンピラNGO職員が言うと説得力のかけらもないが、

人類は多分、

おそらく有史以前から、つまり石器時代からこれまで、

宗教的なものを中心としながら、

実存的な事柄についての表現を少しずつ練ってきたのだと思う。

実存的なことに如何に向き合うか、ということを練り続けてきたのだと思う。

そういった人間活動の多くの部分が

実存的なこととの折り合いを探るように洗練されてきたのに違いない。


”宗教的なもの”だけが、実存的なものを担ってきたのでは勿論ないし、

”宗教的なもの”が、実存に向かい合う普遍的な作法を完璧に練り上げたわけでも勿論ないが、

だからといって、

無宗教を気取って

実存を蔑ろにする代償として、

無意識に向かって潜んでいってしまう不安までもなかったことにして毎日を過ごすことは、

結局は、不安を更に複雑にしているようにも思う。


近代以降、

メタフィジカルな事象を表現することについて、

おざなりに扱うような気分が徐々に広がっていると考える。


話が大分とそれてしまったが、

私は、

私たちがこれまで、

実存的な事柄を表現することに余り一生懸命でなかったために

非常に足腰が弱くなった表現形態しか持たず、

そのせいで、

折角、震災時には図らずも多くの人の間で共有された実存的深みが、

震災からしばらくたった頃から散逸してしまったように思う。

そして、半年経った今は、

平時に溢れていた表現形式の網にかかってしまい、

再び引き戻されて、覆われてしまった、

という風に思うのである。


● ● ●


では、私がここで言う

”平時に溢れていた表現形式”、というのは何であろう。

僭越乍ら述べると、

『平時の表現形式』とは

お手軽に記号化された表象で構成された、論理学を基盤とした表現形式のことである。


もう少し詳しく言うならば、

以前このブログで書いた私見だが


『表象性がきわめて怪しい記号群を真として、或いはいつか真となることを盲信して、

そういう記号を大量に供給しながら、

それを、

論理的に自明であるという旗頭の下で流通させて構成していくという、

朽ちない情報価値という危いものを前提として成り立った、

擬似的な信仰体系』


と言えるのではないかと思うのである。


そしてこの平時の言葉では、

震災であふれたリアルをとらえられなかったのではないだろうか。


震災直後のあの時、

平時の言葉は機能を停止した。

そのかわり、無言の祈りのようなもので、空間が満たされた。


あの時の節度ある言葉、

つまり、

尊いものへの祈りを前提とした上で、

安否や現状やとるべき対策を出来るだけ正確に迅速に共有しようとした、

ある種の沈黙に担保された表現形式が現れた。

あれは、私たちが有史以前から育んできた

魂の言語、実存の言葉だったのではないだろうか。


平時に流通していた夥しい記号群は

実質的には既に震災前からインフレ状態であったが、

震災後には、その本来の市場価値を露わにして価値が低下し、

平時の言葉というシステムは停止したのだ。

実存からは離れた空疎な単語は虚しく感じられた一方、

魂の言語は圧倒的な共有感覚を伴って、しばらく流通した。


しかし、その後、

時間の経過とともに

実物経済の復旧に連動してか、

平時の記号群も再び流通し始めた。

大量の記号を流通させて成立しているのが現代社会のシステムとすれば、

その積み重ねの上に成り立つ経済に連動することは、

経済に引っ張られる形で

精神生活も震災前の平時の言葉で動き始めることにつながる。


震災前のシステムを動かすために

実存の言葉、魂の言語は、再び潜在化して見えにくくなろうとしている。


● ● ●


実存、とか、実存の言葉、と言うことで言えば、

支援の現場は、真に赤裸々な実存的事象の集合体である。

それはアフガニスタンだけでなく、

シェラレオネもそうだったし、

インド西部地震もそうだったし、

神戸大震災も当然そうだった。



アフガニスタン便り-絨毯と少年
                    写真2:山岳地域の村の少年。


もっと敷衍して述べるならば、

実存的事象の横溢こそが、

国際緊急支援という業界の現場の大きな特徴の一つである。

私を最も惹きつけて来た属性は、

国際緊急支援が、隠しようもなく大きな実存的課題に常に接近している、

というところである。


● ● ● 


ここまで書いてきて気が付いたが、

私は、実存実存などと言い募って抽象的な文章を書いているが

実存的なこと自体を具体的には述べたくない気持ちが強い。

それを誠実に述べれるような能力が私にないと自覚されるからだ。


実存的なことは言葉にするのが難しく、

本心を言えば、出来れば言葉にしないで済ませたいものである。


しかしその一方で

支援の世界で私が経験した実存的な事象を示すような、

具体的な例を述べなければ、

私がアフガニスタンや東北から受けた薫陶を、このブログで伝えることが出来ないとも思う。


だから、以下では、一つだけ例を挙げてみたいと思う。

この例は、私がシェラレオネで働いていた10年前のものである。

以下を読んで頂ければ分かるように、

この話は、私自身や家族が死に直面するようなクリティカルな経験談ではない。

私自身についての実存的な話をここで上手く述べれるほど心の整理が出来ていない未熟な私としては、

私自身についての話ではなく、間接的な例を選ぶしかなかった。

しかし、以下のような間接的な例でさえ、

私にとっては、この話を消化・昇華するのに10年かかっている

(今も未だ、消化・昇華しきれていないと思う)わけだから

それくらい、支援の最中に体験する実存的体験は、

私にとっては容易に噛み砕けないものである。

真に実存的な経験とは、

直接的な経験談でなくても、

人に話せるようになるだけでもとても時間のかかることであり、

このことの意味が以下の例で伝わるならば、

私の言いたい実存について、

私ごときでも多少は語ることが出来たことになるだろう。


ともあれ

少し遠くて古い話からの例で申し訳ないが、

以下が私の、シェラレオネでの実存談である。


……


10年前、私がシェラレオネの難民キャンプで井戸掘削をするために

井戸掘りチームを編成したことがあった。

シェラレオネの基岩の地質は非常に古い花崗岩であるから

井戸掘削にはパーカッション方式のリグを使用する必要があり、

そのオペレーションのためには、専門的なスキルを習熟する必要があった。

そのため、現地の人々からスタッフを公募し、面接や試験をした。

定職に就く機会はわずかなので、多くの応募者が集まった。

その時、非常に真面目な印象のある30代くらいの男性がやって来た。

シェラレオネの男性には、明るく自己主張をする人が多いように思うが、

そしてその男性もそれなりの主張をする人であったが、

他の応募者と違って、ちょっと考えをまとめてから話すような慎重さがあり、好感を持った。

その男性との面接のとき、私は、

それまでかなり長い時間面接を続けて疲れていたので、ちょっと気が抜けていたのかもしれないが、

一通りのことを訊いて採用を決めた後、

何気なく、家族のことを訊いてしまった、訊いてすぐ後悔した。

今となっては、この面接については、タブーを破ったということを悔いるしかない。

内乱を経験したこの国では、人々は言語に絶する残酷なことに遭遇してきているので、

濫りに個人的な質問をするべきではなかったのである。

私の質問を受けると、彼の表情は一気にこわばって目の光が消えた。

そして一泊おいてから、無表情のまま、殆ど機械的に家族の物語を話し始めた。

妻がひどい方法で殺害されたこと、子供たちを襲った同様な悲劇、

残った家族を連れての逃避行…

私が止めても、男性は事情の詳細を無感情でしゃべり続けた。

話が一服するのを見計らって私のアシスタントが止めるまで、彼はしゃべり続け、

止められた後も、殆ど表情を崩さず、面接の部屋を退出していった。

今も、その面接の部屋の、蒸し暑い感じと逆光の感覚が忘れられない。


……


● ● ●


比較に出すのも烏滸がましいが、

消防士の皆さんや、自衛官の皆さん、

警官の皆さん、医療に携わる皆さんが

日々直面されている実存的深淵の何分の一かは、

我々、国際支援業界の人間も少なからず直面している実存に類すると思う。

そして、それらの現場にあふれている実存的事象は、

国際社会やグローバル経済の暗い部分に如実に直結したものである。

国際緊急支援業務の本質の一つは、

実存の深淵と

現代社会の払いきれない俗塵を

非常に生々しい形で橋渡しすることではないかと思う。


(当たり前のことだが、

どんな仕事でも、或いは仕事をしていなくても、

実存的深淵は常に我々の近くにある。

ただ、どうも日本に帰ると、

普段の生活をしている限りは、

記号と論理に彩られた高度な社会システムに隠されて、

リアルが見えにくくなっている気がする。)


だから、

私の思い込みかもしれないが、

国際緊急支援の現場業務に携わる人々の多くは、

実存の言葉を

それぞれのかたちで育んでいる、

と思う。


更に

私の思い込みかもしれないが、

そしてもし思い込みだったら非常に独り善がりなことだが
これまで現場を共にした同僚の中で

私にとってかけがえのない知己だと思う人々は皆、

”実存的な人”である。


私なりに表現すれば、

私を取り巻いてきた現場の魅力溢れる同僚たちは、

現場で直面する実存的事象を、

人知れず、心の中で沈降させて語らず、

それを無理に整理したりしないで抱え込んでいる人である。

そういう素敵な同僚たちが実際に私と交わしていた言葉は、

極めて実務的な支援業務の話か、

極めて下らないバカ話のどちらかである。


そしてその
現場での同僚たちの多くには

実存的な事柄を無理に整理したりしないだけでなく、

それを自己肥大したような自己実現話につなげたり、

万能感に満ち満ちて脂ぎった自己顕示に結び付けたりする者はいなかった。


たとえば、

シェラレオネの1年半の間に私の上司だった二人の女性は、

私よりも若くて、私より50倍くらい賢くて、しかも私は四六時中怒られていたので、怖い人達だったが、

実存的な人たちだった。

難民キャンプという、実存的主題の巣窟のような事象を前にして、

腹に力のこもったお二人であった。


また、

アフガニスタンでの8年間でも様々な同僚に恵まれたが、

このブログを始めた平井さん、K氏、山元さん、Yさんなどは

またしても実存的であった。

彼らは、私より若く、私の100倍業務を機能的に熟しながらハートが伴っていて、

しかも、無能なロートルである私を立ててくれたので、それだけでも私には有難かったが、

そんなことよりも、私には、

一寸した機会に目撃した彼らの感情の横溢(それは沈黙だったり涙だったりした)に

彼らが捉まえている実存の重さを実感した。


更に

私がアフガニスタンで武装強盗に遭ったときに一緒だった同僚に至っては、

実存というアンカーを深い海底に沈めているような、最高に素晴らしい男であった。

彼との会話は、

実存というアンカーに繋がれたブイのようであり、

実存に繋がっているからこそ安心して海面に揺れているようであり、

つまり現象としては、

暇さえあれば下らぬバカ話のオンパレードとなった。

とにかく何でもかんでも二人で笑いのめしていた。

しかし、そんな彼には、重たい実存を掴もうという意志を確かにいつも感じた。

骨休みでバカ話をする人はたくさんいるが、

彼と私は、実存のためにバカ話をした。


以上の例は、私の独断だから、

本人たちに訊けば、間違いだというかもしれないが、

これは私の中での真実であるから、仕方がない。

でも、彼らには

私が以前家族を亡くした時に感じたのと同じ匂いがあったから、

多分、そんなにずれた感慨ではあるまい。


思えば、私にとっても

言葉を失くす、ということは、そういうことであった。


つまり、

今の私にとっては、

ありきたりかもしれないが、

実存的事象に臨んで私たちが持ち得る誠意のある言葉のあり方の一つが

沈黙という表現形態であると思う。

自我の構造において言語による統制が強く出てくる西欧人は

もしかしたら全く違う作法を持っているかもしれないが、

日本人とかアジア人とかには(こういう主語が意味を持つのかよくわからないが)、

幾らか、共感してもらえる表現形態だと思う。

少なくとも、今の私にとっては、

命とか心とか魂とかといったことを、心の中で大事に扱うということが、

結果として沈黙によって表されるような気がしている。


それは、喩えて言うなら、

NHKの定時の5分くらいのニュースの時間に

笑顔でも仏頂面でもないアナウンサーが語る短いニュースである。

或いは、

病床で沈黙する大好きな親族の顔であり、

或いは、

天皇皇后両陛下が、被災地で、無表情に限りなく近い仏顔で宣われる、削ぎ落とされた御言葉である。


実存的な言葉を

報道などメディアに伝える能力があるのか、と言えば、

それは非常に難しいと思うが、

私は沈黙という隙間に、その可能性があるのかも、と思う。


阪神大震災のときも、今回の震災でも

現場にいた私は言葉を失ったし、今も上手く話せる自信はない。

しかし、それをスタート地点として、

心の中で、少しずつ、

実存的な事柄が体の一部になっていくように思う。


誤解を恐れずに言えば、

支援業界の現場で働く人間は、言葉を失くし慣れている。

失くし慣れているから、

実存の言葉を常に育んでいる。


国際支援業界で働いていると、

偽善であるとか、

自己満足であるとか、

色々な批判に遭遇する。

そういう精神論的な批判は

業務の改善のために有効だから有難いことだと思っている。


ただ、敢えて精神論的に反駁するとするならば、

われわれ支援業界は、

リアルが溢れている現場で、

実存に対する経験値を蓄積していて、

それは、いつの日か、何百年後かわからないが、

実体として評価できないが大切な無形の何か、に繋がるのではないかと思う。

たとえば、

なんでもいいのだが、無形であって大切なもの、

日本で言えば、

無常観、禅文化や神仏習合、日本的に咀嚼された儒教、武家社会で培われた倫理観など、

イスラムで言えば、

喜捨やウンマやタクワー、聖と俗の関係や啓典の民についての考え方、

というようなものと同じ範疇にある、何か、である。

そういった無形の、これから何百年後かに結実するかもしれない精神文化の基礎の構築に

微力ながら貢献しているのだ、

と思う。


NGOは、

私のような平職員にとっては、

国際政治や経済問題・人権問題など、

極めて現実的な事象と

実存的世界に

同時に触れ続けることが出来る職業であり、

実存と俗世の橋渡しのような位置にある、

稀な業界であると考えている。


(ただ、これらは飽くまで

支援を行っている現場の職員の内面で発生する意義である。

翻って、組織としてのNGOを見れば、

その統括主体には

自滅的とさえ思える過度のプラグマティズムを感じることがとても多い。

それは、一部の民間企業における、現場のチンピラ社員と本社の経営者との関係と同様であろう。


社会の一つの装置としてのNGOが持つ

運営哲学や戦略選択が、

現場の職員の内面には殆ど連続していないことが余りにも頻繁で、

それは既に私の許容力を超えてるとさえ思う。


私はここで理想論をブチかましているつもりは毛頭ないし、

俗諦を介さないでは支援が不可能であることは、

現場での日常業務を通して既に痛いほど理解しているつもりだ。

しかし、

頻々として運営主体の真意は現場からは全く理解できず、

剰え、往々にして、現地が感じている意義とは真逆のベクトルを感じざるを得ず、

屡次、反感を禁じ得ない。)


● ● ●


今、世の中に必要なものは何かと問われた時、

人によっては、

世界を変える新しい枠組みだとかパラダイムだとか、

新しいビジネスモデルだとか、

エネルギーや生命科学や情報工学におけるイノベーションだとか、

色々なものを挙げるだろう。


一方、私としては、

『実存の言葉』、『魂の言語』

が必要であると思うわけである。


震災後、半年経って、

平時の言葉が再び活性化することを、いけないことだとは思わない。

このタイミングで、当面の経済までも回らなくなれば、

多くの二次災害を誘発することは必定である。

だから、平時の経済を回すことを間接的に支えている平時の言葉が回復することには

人々の生活を当面の間支えるという意義がある。


ただ、私としては、

震災の後、

多くの人が実存の言葉を共有したことは自覚的に記憶しておきたいと思う。

そして、できれば、実存の言葉を、いつでも取り出せるくらい、日常の近くにおいておきたい。


実存の言葉が大事なのは、

原理的には、我々が実存的なことから逃げられない・離れられない存在からである。

しかし、

この実存の言葉こそが、

驚くほど多くの人が東北支援に参加することとなった、その力の根源であるとすれば、

これほど重要な、無形文化財は他にないであろう。

だから、

実存的な言葉を私たちがしっかりとと持ち合わせていることを自認することには、

実社会にとっての意味があるように思う。


これから起こるであろう様々な危機、

自然災害を始め、原子力、エネルギー、食糧、水、環境、気候変動、

日本政府やアメリカ、ギリシアなどの財政、格差、テロ、紛争…といった、現実的な問題、

もっと大きなくくりで言えば、

局所最適のまま全球化した資本主義構造、

無極化しながら蓄積する暴力のポテンシャル、

爆発する人口、

こういった、

単体でも解決策など見い出し難い諸問題、

何百年もかかって対処していくしかない超形而下的な諸問題が、

日本国内でもやっと、

以前のような絵空事ではなく、

現実のすぐ横でぱっくりと口を開けているような距離感で認識され始め、

それは実存的な主題と直結していることが自覚され始めている。


国際支援の現場で溢れていたのと同様なリアルが

『平時の表現形式』を用いて実装されたシステムで支えられた日本でも

あふれ始めたわけである。


そこでは
平時の言葉で適当に見繕ってきた世界観などには何の遠慮もなく

これまで隠してきたリアルが溢れ続けるのだろう。


そこでは、

結論のない避けがたいものを見続ける実存の言葉を、

我々が確かに持っていることが一つの方途になると思う。

それは、先に述べた、

ある種の精神文化に属するものであると思う。


もちろん、この実存的言葉があったからといって

飯が食えたり、お金が儲かったりはしない。

だから、

実存的言葉を培っても

具体的な問題を解決する方法などは全く供給されない。


結論もない、避けることも出来ない実存的な事柄について

どんな風な姿勢で臨むかということについての含蓄を含むだけだ。


しかし、諸々の問題の根本的解決へのアプローチは、

そういうスタートラインの地固めをするところから始めることになるのではないか。

実存に根差した文化の中でこそ、

暴れ馬のように操作の難しい文明を 

持続的に飼いならす手法や合意形成が練られていくに違いない。

実存の言葉とは、そういう意味で、未来の為の、十分条件ではないが、必要条件である。


● ● ●


ここで注意をすべきことは、

実存に手を出す、というのが非常に危険なことでもある、という点である。


実存、という言葉を使ってしまった行掛り上、

ハイデガーを例として述べるならば、

ハイデガーがファシズムとの親和性を持ったことは

とても何か示唆的な出来事である。


ハイデガーとファシズムの関係については

それだけで沢山の言説があるから、

ここでてっとり早く問題の核心を導き出すのは難しい。

しかし、

すごく大雑把で陳腐な言い方をするならば、

下手に実存に手を出せば、

如何に誠意をもって実存的に思考していっても、

故意か無意識かに関わらず、

単純化の陥穽に落ちたドグマにからめ捕られる危険性は高くなる、ということである。


実存的な事柄を誰も本気で理解しようとしない状況では、 

実存的な言説が、

極めて単純な構造で人々を魅了する神秘主義的言説、

世の中を簡単に描写することで人々を安心させる麻薬のような言説、

に誤訳されてしまった場合に

非常におかしな力を持ってしまうと思う。


それは、例えば、

大学新入生が麻疹のように埋没してしまう

営利主義的な傾向の強い新興宗教を思い起こせばよい。


私はこのブログで以前、何度か、

”複雑なことは複雑なままに理解する”

と書いたと思うが、

それは、”実存の言葉”という話で文脈で言うなら、

単純な言説の陥穽に嵌ることとの対極に位置する姿勢である。


わからないままでいることは、不安で居続けることでもあるから

ドグマの陥穽を判別するのは難しいことであるが、

ことに臨んではその度に戒めにしなくてはいけないことだと思う。


つまり、

実存的なことを放置することには異議を唱えたいが、

簡単に実存に迫ることもまた危うい、ということである。


これは、見方を変えれば、

実存的なものを遠ざけてきた代償が、

安直な思想への耐性を下げてしまっている、

とも言える。


このあたり、私の持論では、

上で繰り返し述べた

平時の表現形式、

お手軽に記号化された表象で構成された、論理学を基盤とした表現形式と

密接して関わっている。


(つづく)


アフガニスタン便り-いいやつ
                    写真3:灌漑域の村の少年。