大島真寿美 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

近松半二は、幼少の頃から浄瑠璃狂いの父親・以貫に、道頓堀の竹本座に連れられたおかげで、人形浄瑠璃に嵌っていきます。母親の絹は、そんな息子を嘆き悲しみ、半二との折り合いが悪くなります。以貫は半二に近松門左衛門が愛用した硯を持たせ、京に行かせます。半二は以貫の知り合いの有隣軒の許に預けられますが、有隣軒が亡くなると、大坂の実家に戻されます。ところが、実家では兄の縁談が進み、半二の居場所はなくなります。彼は竹本座に出入りするうちに、いつの間にか居つくようになります。

 

廻り舞台

半二は、幼馴染の弟分の久太が正三と名乗り、大西の芝居で歌舞伎の狂言作者を務めたと知り、大いに驚きます。浄瑠璃と歌舞伎の違いはあれど、浄瑠璃の立作者を目指す半二は心穏やかでなくなります。その矢先、正三が竹本座のライバルである豊竹座のお抱え作者になったことが、半二の耳に入ってきます。

 

あをによし

幼馴染のお末が半二に会いに竹本座を訪ねてきます。お末は、半二の兄の許嫁でしたが、母親の絹が親戚の娘をゴリ押しして破談になった過去がありました。彼女はその後酒屋に嫁ぎ、子供も授かっていました。半二はお末を人形浄瑠璃に連れて行き、芝居に魅入る彼女を眺めるうちに、一度は兄と心中を試みようとまで思い詰めた女の情念の深さを思い知ります。

 

人形遣い

竹本座の人形遣いの吉田文三郎は、座本の竹田近江と折り合いが悪く、事あるごとに衝突していました。文三郎は職人気質で、己の思い通りの人形浄瑠璃をかけたいという強い思いがあり、そのため周囲との軋轢も大きくなっていました。そんな文三郎から、座本に隠居願いが出されます。文三郎の健康が心配される中、半二は文三郎の家に呼ばれ、彼から文三郎一座を旗揚げする話を持ち掛けられます。

 

雪月花

竹本座の座本である竹田近江が奢侈の科で牢に入れられ、竹本座は地元の道頓堀で興行ができなくなり、ほとぼりが冷めるまで京に場を移します。作者の一人である半二も、煮売り屋のまるのやの二階に仮住まいをします。そこでは、お佐久が半二の身の回りの世話を焼いてくれました。お佐久は、まるのやの主人の姪で、叔母の産後の肥立ちが悪くて寝込んだ際に手伝いに来て、重宝がられるうちに婚期を逸していました。しかし、本人はその事を気にも留めていませんでした。そんな折、半二の許に母危篤の文が届きます。

 

半二は京で興行した芝居が続けざまに当たり、念願の竹本座の立作者となります。大坂に戻ってお佐久と所帯を持ったものの、力を入れた新作が空前の不入りで、肩身の狭い思いをします。彼は歌舞伎の世界に戻っていた正三に、自分の書いた芝居を見てもらいます。正三は二つの演目を日替わりでやったことに不入りの原因があることを指摘した上で、半二の書いた芝居を絶賛するのです。半二は正三が昂奮し楽しんでくれたことだけで十分満足し、たとえ竹本座の立作者を馘にされても本望だと感じます。

 

妹背山

道頓堀の夜空が赤く染まり、人々は天変地異に怖れ慄きます。半二も終末感に触発され、お佐久に夜が明けたらしばらく京に行くと告げます。半二は京に着くと、憑かれたように筆を動かし、道頓堀から彼を連れ戻しに来た作者仲間の獏を相手に、新作のアイデアを次々に捻り出して行きます。

 

婦女庭訓

半二はしばらく一人になりたいため、適当な口実を設けて獏を吉野に旅立たせます。そのついでに、お末に宛てて書いた文を持たせ、彼女の近況を知ろうとします。ところが獏が戻ると、お末は既に5年前に亡くなっていたことを知らされます。お末のことを考えているうちに、半二の頭に新作に登場させたい女性のイメージが浮かんできます。お三輪と名づけた女性は、それまで書いてきた話と整合性が取れなくなる一方で、庶民の娘が共感できるキャラクターになっていました。やがて、助っ人に来た栄善平の叱咤激励も加わり、新作の「妹背山婦女庭訓」が完成します。

 

三千世界

半二の新作は評判が評判を呼び、連日大入り満員となります。歌舞伎に押されていた竹本座は一時的に勢いを取り戻し、長年不義理を重ねていた銀主らにも返済ができ、踏み倒し寸前にまで膨れ上がっていた各所へのつけ払いもすべて清算できました。正月に始まった「妹背山婦女庭訓」もようやく落ち着き、夏前に幕を閉じます。その熱も冷めやらぬうちに、「妹背山婦女庭訓」は浄瑠璃から歌舞伎へと移り、半二も少なからず関与します。しかし、浄瑠璃とは勝手が違い、半二は不満を抱き、座の空気も険悪になります。半二は不入りになると予想しましたが、客はぞくぞくと詰めかけ、評判もまずまずでした。歌舞伎は一旦幕が開けば、すべて役者のものであることを、半二は思い知らされます。その矢先、竹馬の友だった正三が死んでしまいます。

 

本書は実在した文楽の作者・近松半二を主人公にした連作短編になっています。人形浄瑠璃に魅入られ、浄瑠璃がなければ生きていけない半二の姿が瑞々しく描かれています。その半二に刺激を与える存在なのが天才肌の並木正三。正三は、一度は浄瑠璃の世界に足を踏み入れるものの、再び歌舞伎の世界に戻り頭角を現し、当代髄一の作者になっていきます。

 

しかし、半二には正三に対する妬みや嫉みは一切なく、弟分の才能を認めた上で、自分も一角の人物になろうとします。江戸時代も評判になる演目のアイデアを貪欲に取り入れようとする風潮があり、この二人も例外ではありません。ただし、単にパクると言うよりは、自分の中で一旦消化してから、より良いものを作り出す姿勢に溢れています。敬愛する作品を引用しながら、自分のスタイルにしている点においては、現代のタランティーノと相通ずるものがあります。

 

己の魂を削ってまで作り上げようとする創作者の業、虚と実の渦に巻き込まれないように葛藤する姿が読みどころの一つになっています。また、この時代に不当に扱われていた女性に対して、半二が彼女たちに寄り添う気持ちで、人形劇に魂を込める姿も胸をうちます。特に、兄の許嫁だったお末が家の都合で兄と添い遂げることができなかったのを不憫に思い、お三輪という人形に昇華させ、人形が一人歩きしていく様は、庶民の娘の想いが乗り移ったかのよう。

 

半二を始めとする関西人のはんなりとした言葉は、読んでいて心地良く、妙に親近感を抱かせます。私のように文楽に疎い者にも興味を持たせ、文楽に詳しい方ならばより深く楽しめるでしょう。尚、本書は第161回直木賞を受賞しています。