パンクフロイドのブログ

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ゴジラ - 0.0 公式サイト

 

映画.comより

戦争によって「無(ゼロ)」となった日本を、ゴジラが「負(マイナス)」に叩き落としてから2年。もがき苦しみながらも復興を遂げ、ようやく取り戻したはずの日常に、再びゴジラが襲いかかる。人々はこの戦いを終わらせるべく、総力を結集して新たな作戦に乗り出す。

 

監督・脚本:山崎貴

撮影:柴崎幸三

美術:上條安里 平井亘

音楽:佐藤直紀

出演:神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴 佐々木蔵之介 國村準 田中美央 安藤サクラ

             長澤まさみ 田中泯 吉岡秀隆 前原滉 奥野瑛太 井之脇海

2026年11月3日公開

 

前作の「ゴジラ ―1.0」は特撮に関して申し分ないほど堪能した一方、ドラマを始めとする他の部分で若干不満が残りました。尤も昭和の『ゴジラ』1作目も、被爆国ならではのメッセージは良いとして、ドラマに関しては然程秀でている内容ではありませんでした。双葉十三郎氏も「日本映画批評 1932-1956」で、特撮は大いに認めていても、その他の部分では厳しい評価を下していたので、本多猪四郎監督の『ゴジラ』の1作目をあまり神格化するのは如何なものかと思います。

 

それはさておき、山崎貴監督による『ゴジラ』の2作目は、戦争の傷跡が物語の中に巧く溶け込んでいます。戦災孤児の悲哀、日本人を捨て石にしていいとこ取りをしようとするGHQの腹黒さなど、敗戦当時の日本人の心情がドラマに反映されています。中にはゴジラを利用して米国に復讐を試みようとする生物学者もいて、それでも最後には人間の理性が復讐を阻むと言った具合に、今回は人間ドラマの部分でも健闘の跡が見られました。

 

また、前作において典子の身体の異変が布石となって、本作で回収されたのも腑に落ちましたし、何より戦いにはそれ相応の代償が伴うことがきっちり刻み付けられている点に、この映画の存在意義があるように思えました。勿論、冗長に感じる部分はありますし、天候に左右される作戦は無謀に思えますし、ご都合主義な点もチラホラ見えます。それを差し引いても、ダイナミックな怪獣との戦いはスクリーンならではの迫力があり、怪獣と人間との距離の近さからくる圧迫感や恐怖が、米国産の「GODZILLA」との違いを生んでいました。

 

予告編やチラシには“アイツ”の存在に一切触れていませんでしたが、“アイツ”の情報は漏れ聞こえていたため、さして驚きはしませんでした。でも、本音を言えば白紙の状態で観たかったですね。

 

 

こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

公式サイトより

クリスマスが近づく冬のロンドン。人々は幸せなクリスマスを迎えるために淡い期待を抱いている。秘書ナタリーに恋をした英国首相デヴィッド(ヒュー・グラント)、義理の息子サムとの関係に悩む父親ダニエル(リーアム・ニーソン)、新進画家のマーク(アンドリュー・リンカーン)は親友(キウェテル・イジョホー)と結婚したジュリエット(キーラ・ナイトレイ)に密かな恋心を抱き、傷心の作家ジェイミー(コリン・ファース)は言葉が通じないポルトガル人のメイドに惹かれていく。夫ハリー(アラン・リックマン)の浮気に気付きながらも何事もないかのように振る舞う妻カレン(エマ・トンプソン)、新曲のクリスマスソングに起死回生を賭ける元ロックスタービリー(ビル・ナイ)     。聖なる夜に起きる様々な人々の奇跡のような”愛”についての物語。

 

製作:アメリカ

監督・脚本:リチャード・カーティス

撮影:マイケル・コールター

音楽:クレイグ・アームストロング

出演:ヒュー・グラント リーアム・ニーソン コリン・ファース アラン・リックマン

2004年2月7日公開

 

本作はクリスマスを迎えるまでに、9組に起きる恋愛模様を描いた群像劇です。予備知識のないまま観たせいか、最初のうちは人間関係を把握するだけで結構骨が折れましたが、ひとたび話の流れを掴んでしまえば、監督の演出の手際の良さと編集の妙もあって、一気に物語に入り込めました。

 

9組の中では親友の新婦に惹かれてしまった男のエピソードが一番好き。新進画家のマークは親友との友情を壊したくないあまりに新妻のジュリエットと距離を置こうとしているのに、彼女は自分を避けているように見えるマークを気にして、結婚式に録画したビデオテープを借りる口実に彼を訪ね、そのビデオの映像を見ているうちに・・・という胸がキュンとくる話になっています。

 

また、音楽ネタが所々散りばめられているのも特徴的。結婚式の二次会でベイ・シティ・ローラーズの「Bye Bye Baby」を流すのは微妙と感じる一方、ここぞと言う場面ではマライア・キャリーの定番クルスマスソングを使って話を盛り上げていきます。

 

ビリーの新曲のプロモーションビデオは,明らかにロバート・パーマーの「恋におぼれて Addicted to Love」の引用ですし、マークがジュリエットに想いを伝える場面では、ボブ・ディランのドキュメンタリー「ドント・ルック・バック」における「Subterranean Homesick Blues」を意識してかな?と思われる演出もありました。

 

ロバート・パーマー 恋におぼれて Addicted to Love

 

ボブ・ディラン Subterranean Homesick Blues

 

ある意味、オールスター映画の趣きがあるので、俳優たちの演技を見ているだけでも退屈はしません。ボンクラ好きとしては、ビル・ナイ演じる不良ロックンローラーの破天荒な言動と、クリス・マーシャル演じるパーティスタッフが女性を引っ掛けにアメリカまで行ってしまう勘違いぶりがツボでした。ローワン・アトキンスがアラン・リックマンをイラつかせる店員も笑えました。

 

他にもこの手の恋愛劇にR指定?と思っていたら・・・えらく納得してしまいました(笑)。本来こうした何組にも亘る恋愛ドラマは苦手な部類なのですが、甘々な物語の中にも適度なユーモアとほろ苦さが入り交じり、意外とノリノリで楽しめました。やはり、食わず嫌いはいけませんね。

この映画は12年前の公開時に観ましたが、記事にする機会を逸し、そのままお蔵になっていました。当時つけていた日記を元に記事にしてみました。

 

 

製作:アメリカ

監督・脚本:ウディ・アレン

撮影:ハヴィエル・アギレサロベ

美術:サント・ロカスト

出演:ケイト・ブランシェット サリー・ホーキンス

             アレック・ボールドウィン ピーター・サースガード

2014年5月10日公開

 

実業家の夫ハル(アレック・ボールドウィン)が不正を行なったため、セレブリティのジャスミンの生活は一変します。結婚生活は破綻し資産も失い、失意のままサンフランシスコに住む妹のジンジャー(サリー・ホーキンス)のアパートに転がり込んできます。破産して借金があるにも関わらず、ファーストクラスに乗ってくるあたりに、ジャスミンの金銭感覚の欠如と虚栄心の高さが表れています。

 

ジンジャーには男運がなく、二人の子供を抱えたままスーパーマーケットで働いており、現在も懲りずにロクでもない男と付き合っています。ジャスミンとジンジャーの間に血の繋がりはなく、同じ里親の下で育てられた経緯があります。そのため実の姉妹以上に固い絆を持つ場面も見られます。

 

物語は現在と過去を同時並行に描きながら、ジャスミンの光と影を映し出すと共に、彼女が精神安定剤とアルコールに依存しなければならない元凶までも露わにしていきます。

 

ジンジャーの家に落ち着いたものの、妹の恋人とは折り合いが悪く、たちまち険悪な雰囲気になります。ジンジャーの男の趣味はあまり良いとは言えず、ジンジャー自身もパーティーで知り合ったばかりの男と、その日のうちに寝てしまう尻軽なところがあります。ジャスミンはジンジャーの前夫とも仲が悪く、単に人柄やセレブと庶民の違いだけではなく、何やら訳ありの様子なのが、物語が進むにつれて判明してきます。

 

ジャスミンには差しあたって、今後の生活の具体的な計画はなく、生活費を稼ぐ術もありません。ジャンジャーの発案でインテリアコーディネーターの資格を取ろうとするものの、安上がりで済ませようとネットでの講座を受けようとします。ところがジャスミンはパソコンの知識があまりなく、講座で資格を取る前にパソコン教室に通うというチグハグさ。本人は真剣なのに傍から見ると笑えるセレブの転落ぶりが、容赦なく描かれています。

 

ジャスミンはジンジャーの恋人の友人の伝手で、歯科医院の受付の仕事にありつくものの、満足な仕事ができているとは思えません。休日にパソコンの勉強をしようにも、ジンジャーのアパートに恋人とその友人たちがやって来て騒ぐため、そこでもひと悶着が起きます。ジャスミンは不慣れな仕事と思うようにはかどらない勉強のストレスから、神経をすり減らし、徐々に精神のバランスを崩していきます。おまけに彼女に好意を持った歯科医から言い寄られ、彼をフッてしまったために職までも失います。

 

ある日、ジャスミンはパシコン教室の仲間の女性から、上流階級の集まりそうなパーティーを教えられ、ジンジャーと共に参加します。そのパーティーで彼女は妻を亡くしたエリート外交官のドワイト(ピーター・サースガード)と知り合います。政界進出を狙う金持ちの玉の輿に乗ろうと、ジャスミンは職業や過去を偽り、ドワイトにアプローチするのですが・・・。

 

ウディ・アレンの作品は、ここ最近ヨーロッパを舞台にしたロマンティックコメディの路線が続きましたが、本作では久しぶりにシニカルな視点に添った苦味のある映画になっています。贅沢な生活が身についたセレブが転落したことによって、周囲との軋轢を生むおかしさもさることながら、虚栄心とプライドの高さから現実と向き合おうとしない女の愚かしさが、かなり意地悪い形で描かれています。

 

ジャスミンも一度は、無一文から地に足の着いた生活を始めようとします。その表れが歯科医院の受付であり、パソコン教室に通うことであったのですが、パーティーで知り合った男の玉の輿を狙おうとしたことから、せっかく身の丈にあった暮らしをする機会を失ってしまいます。

 

9分9厘ドワイトを手中に収めたと思いきや、思わぬところから綻びが生じます。そのきっかけとなるのが、彼女が目を瞑ろうとした過去にあり、その精算が行なわれていなかったために、痛烈なしっぺ返しを食らいます。ジンジャーは恋人と縁りを戻し、二人は彼女の子供たちと暮らすことになり、ジャスミンの居場所はなくなります。虚栄心を打ち砕かれながらも、ジンジャーのアパートを飛び出したジャスミンに、一縷の希望を見出すのは私の思い過ごしでしょうか?

この2本は9月にCSで放映された際に観た映画です。「陪審員2番」はクリント・イーストウッドが監督し、「誘う女」はニコール・キッドマンが主演。二人とも先日亡くなった小林信彦氏のお気に入りでしたから、記事にするのもいいかと。「陪審員2番」は劇場公開が見送られ配信のみでしたから、テレビで放映されたのはありがたかったです。でも、小林氏は「イーストウッド作品が劇場公開されないなんて」と嘆きそうですね。

 

陪審員2番

 

映画.comより

ジャスティン・ケンプは雨の夜に車を運転中、何かをひいてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。その後、ジャスティンは、恋人を殺害した容疑で殺人罪に問われた男の裁判で陪審員を務めることになる。しかし、やがて思いがけないかたちで彼自身が事件の当事者となり、被告を有罪にするか釈放するか、深刻なジレンマに陥ることになる。

 

製作年:2024年

製作:アメリカ

監督:クリント・イーストウッド

脚本:ジョナサン・エイブラムズ

撮影:イブ・ベランジェ

美術:ロン・リース

音楽:マーク・マンシーナ

出演:ニコラス・ホルト トニ・コレット J・K・シモンズ キーファー・サザーランド

 

陪審員選出の場面は、映画ではなかなかお目にかかれないので、その意味では貴重な映画と言えます。ジョン・グリシャムの「評決のとき」は陪審員を誰にするか、検察側と弁護側の駆け引きに読み応えがあったにも関わらず、映画では完全にすっ飛ばしていて不満が残っただけに、主人公が陪審員に選ばれる過程を重要視したのは、監督の英断と言えます。

 

この裁判劇はシドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」をかなり参考にしています。有罪が大勢を占める中、主人公一人が疑義を唱える点、先入観を持った者がいる点、時間を気にしてさっさと終わらせたい者が居る点、徐々に疑問が出始め五分五分になっていく点など多くの共通項が見られます。

 

しかも、陪審員の中で疑義を唱える主人公が事件の鍵を握っていて、その点が本作をスリリングな展開にしています。ジャスティン(ニコラス・ホルト)は裁判中に、恋人のラリー(キーファー・サザーランド)に殺害されたと思われた女性が、実は自分が知らずに轢き殺してしまったのではないかという疑念に囚われます。

 

ジャスティンは断酒会に入っていて、過去に大きなやらかしをして立ち直ろうとしていることを匂わせます。被告も裁判では恋人に酷い態度を取った過ちを認めた上で、遣り直そうとしたことを証言したため、ジャスティンは自分と重ね合わせ他人事とは思えなくなります。

 

こうしたことを踏まえた上で、彼は被告が有罪になることには良心の呵責を覚え、彼を無罪に導こうとします。ただし、被告の無実を証明すれば、自分が容疑者になる可能性も出てくるため、ジャスティンは双方の板挟みになって葛藤します。

 

一方、検察側の女性検事は野心に満ちていて、注目を集める裁判で勝訴し、検事長選挙を有利に持っていきたい思惑があります。相手の公選弁護人は彼女とも友人同士の間柄で、真実よりも政治的に裁判を利用しようとする彼女に懸念を抱きます。このように良心と正義のせめぎ合いを感じさせるサイドストーリーもドラマに厚みを与えていて、本作を見応えのある作品にしています。

 

ただし、遺体の状態から恋人の暴力と事故の見分けがつかない警察の杜撰な捜査や、裁判が始まってから初めて自分が関わっているのではないかと疑念を抱く主人公のマヌケっぷりには、色々と引っ掛かりを覚えました。最後は検事長になったフェイス・キルブルー(トニ・コレット)がジャスティンの自宅を訪れるところで幕となり、様々な事を想像させる意味深な終わり方でした。

 

誘う女

 

ウィキペディアより

天気番組のキャスターであるスーザンは、「テレビに出て有名になる」ことが人生で最も大切であると信じている。もっと有名になるためにニュース・キャスターを目指していたが、スーザンの夫はそれに理解を示さない。そんな夫が邪魔になってきたスーザンは、ある高校生を色仕掛けで唆して夫を殺害させる。そのことを知った夫の両親は、殺し屋にスーザンの殺害を依頼する。

 

製作:アメリカ

監督:ガス・ヴァン・サント

脚本:バック・ヘンリー

原作:ジョイス・メナード

撮影:エリック・アラン・エドワーズ

美術:ミッシー・スチュワート

音楽:ダニー・エルフマン

出演:ニコール・キッドマン マット・ディロン ホアキン・フェニックス

1996年6月22日公開

 

本作は本人及び近親者や関係者の証言をもとに、ニコール・キッドマン演じるスーザンの人と成りを描いていく構成になっています。野心を剝き出しにした上昇志向の強い女の嫌らしさがある反面、零細の放送局で企画書を次々に出してくる、やる気とガッツは見上げたものがあります。

 

ただし、仕事に集中するあまり、家庭や夫を蔑ろにしがち。スーザン本人はラリーをいい夫と認めながらも、仕事に理解がないことを不満に思っています。有名になることに取り憑かれた彼女は、次第に夫が邪魔な存在になり、セックスをエサにジミー(ホアキン・フェニックス)を誑し込んで、自ら手を下さずに夫を亡き者にしようとします。

 

それにしても、殺人の計画が笑ってしまうほど杜撰過ぎ。しかも、この映画は実際の事件を題材にしているため、更に驚いてしまいます。映画ではラリーの父親がマフィアとの伝手があり、それが伏線となってスーザンの因果応報な末路に結びついていましたが、実際の事件では終身刑が宣告されています。因みに劇中ではレイナード・スキナードの「Sweet Home Alabama」が流れていました。

永遠の記憶 東野圭吾

 

文藝春秋BOOKSより

内海薫が刺された。犯人は70歳ほどの老人。飛び降り自殺を図るも失敗し、取り調べには黙秘を貫く。やがて内海に恨みを抱く若い娘が捜査線上に浮かぶが、老人との関係は不明。それどころか、内海への本当の復讐はこれからだった。彼女が迫った「究極の選択」とは一体――。一方、湯川と草薙は、老人の“ある持ち物”を手掛かりに、「忘れてはいけない謎」の扉を開く。

 

本書は二部構成になっています。第一部は警視庁捜査一課の内海薫警部補がスーパーマーケットでの買い物中に、見知らぬ男に刺された事件の解明が描かれ、第二部では犯人の所持していた飛ばし口座に使われていた銀行通帳の名義人が、かつて湯川学教授が関わった事件に繋がってきます。相変わらず手堅くまとめたミステリーではあるものの、『ガリレオ』シリーズの中でずば抜けた作品という訳ではありません。ただし、著者自身の死期を予感していたかのように、終活を感じさせる物語になっています。終盤には「容疑者Xの献身」では分からなかった謎も明かされていきます。『ガリレオ』シリーズを初期から読んでいた読者には時の流れが感じられ、感慨深い気持ちにさせられるでしょう。

 

王国 湊かなえ

 

マガジンハウスサイトより

白珠湾の海を守る⸺生まれ故郷の海を愛する母と、国際協力事業団で海を守る仕事に就く父を見て育った浜崎朔也は海洋学部で学び旅行代理店を経て、満を持してウェルネス・ツーリズムの会社「海の王国」を興した。幼い頃からの夢がようやく形になりかけた矢先、悲劇が起きる。

 

世界最軽量のお披露目会の際に海中で亡くなった女性の死の真相や、名優のプライベート船で起きた火事の真相が描かれていますが、ミステリーと言うよりは、「海の王国」を作ろうとした男のもとに集まってきた人々の群像劇、もしくは青春小説の趣きがあります。しかも、登場人物に悪人は居なく(拗らせた人物は一人居ますが)、至極真っ当な若者ばかり。これだけ善人が集まると、話がつまらなくなりがちですが、そこは謎の解明を小出しにすることや、伏線と回収の妙で補っています。湊かなえはイヤミスの女王のイメージが強い一方、「山女日記」「ブロードキャスト」といった日常の延長線上にある物語も書いています。本書もその系譜に連なる小説であり、読者も読んでいるうちに登場人物と同じように“十人目の騎士”になりたくなる気持ちにさせられるかもしれません。

 

月下の盤 睦月準也

 

表紙あらすじより

ゴウダトオルを探して欲しい――探偵はウェブ会議画面に現れた正体不明の〈アリス〉からの依頼を引き受ける。だが、名前以外は何もわからないゴウダが滞在しているとされる「東亜ホテル」は4日後に百年の歴史に幕を閉じることが決まっていた。ホテルに部屋を取り、聞き込み調査を初めてまもなく、ゴウダを知るという男からの電話に導かれた探偵は死体を発見する。その背景に巨大企業グループ一族の存在が浮かぶ中、ゴウダトオル探しのタイムリミットは刻々と迫っていた――。地道に足を使った調査と大胆な推理の果てに、探偵はいくつもの人生が時を超えて絡み合った、予測不可能かつ壮大な真実と対峙することになる。

 

本書は基本、オーソドックスな人探しのハードボイルド小説なのですが、今時らしい描写も見られます。一人称探偵の“私”は事務所を構えず、自宅で依頼人とパソコンのオンラインで遣り取りをしています。依頼人は自分の姿や声も変換することができるため、性別や年齢も探偵からは確認できません。支払いは暗号通貨も可能なことから、怪しげな依頼が舞い込んで来ます。名前以外は正体不明の人物を探すこと、該当する人物は閉館間近の名門ホテルに宿泊していることが確実視されることなど、通常のハードボイルドの形式とは異なっています。更に、アリバイ崩しの本格ミステリーの謎解きも味わえます。尤も、探偵は大見得を切って推理を披露して、二度とも覆されて大恥を掻くのですが(笑)。事件の真相が解明してからも、二、三ヒネリが加えられていて、“秘密が継承される”ことの想いが伝わり、エピローグの部分も余韻が残りました。

BOSS ボス 公式サイト

 

チラシより

ギャングのカリスマボスを支え、組織のために抗争を生き抜いてきた3人の男たち。ボスが不慮の死を迎え、後継者候補となった3人だが、本命候補のスンテも、対抗馬のガンピョもやる気ゼロ。唯一、やる気満々のパノは人望ゼロだった!次期ボスの座を巡る混迷が極まる中、組織に潜入したものの身元バレバレのダメ警官も巻き込んで、いま、前代未聞の後継者譲り合い合戦が始まる!

 

製作:韓国

監督:ラ・ヒチャン

脚本:ラ・ヒチャン イ・キュボク ユン・ソヒョン

撮影:ヤン・ヒョンソク

美術:チョン・ウニョン

音楽:モグ

出演:チョ・ウジン チョン・ギョンホ パク・ジファン イ・ギュヒョン イ・ソンミン

2026年10月23日公開

 

子供の頃に散々テレビで外国映画の吹替版を観てきたせいか、映画館まで吹替版を観る気にはなれませんでした(外国アニメはまた別)。それでもたまに「ダーティハリー」のハリー・キャラハンを山田康夫の声で聴きたいと思うことはあります。

 

今回吹替版で観ようという気になったのは、地元のシネコンで吹替版しか上映していなかったのは勿論の事、埼玉の近くのシネコンも字幕版どころか、映画自体が公開していなかったから。それと、スクリーンで吹替版を観ると、どんな感じになるのか確かめてみたかった気持ちもありました。

 

そんな訳で本編を観ると・・・違和感アリアリ(笑)。同じ東洋人だからあまり問題ないかと思ったら、口の動きと台詞が全く嚙み合っていなく、慣れるまで正直映画に集中できませんでしたよ。

 

それでも、ギャングのボスにはなりたくないために、あの手この手で逃れようとするプロットはなかなか面白そうな予感をさせるので、徐々に楽しめるようになってきました。

 

現在の黒社会は世間の目が厳しい上に、警察からの締め付けがあるため、シノギが遣りにくくなっています。カリスマボスは麻薬ビジネスを極度に嫌っているため、より難しい状況に置かれています。こんな状況下では後継者選びも前途多難。

 

組織の傘下に居るスンテは経営する飲食店の商売が好調でシェーン店化を目論んでおり、妻子のためにもそろそろやくざの世界から足を洗いたい気持ちがあります。スンテの代わりに服役していたカンピョも服役中にダンスに目覚め、こちらも娑婆に出た後は堅気になってダンスの道に進もうとしています。

 

パノだけはボスの座を虎視眈々と狙っているのに、幹部からのウケは芳しくなく部下からの信頼もイマイチ。スンテとカンピョはボスの座をパノに押しつけ、自分たちは自由の身になろうとしますが、幹部たちが許しません。そのうちにカリスマボスが亡くなり、中国マフィアが借金のカタにスンテたちの組織の資産を差し押さえ、追い込みをかけてきます。

 

この映画は面白くなりそうな要素が揃っているのに、それを活かし切れていないもどかしさがあります。スンテはチェーン店のための融資を受けるのに、銀行から厳しい審査を受けています。契約違反が発覚すれば莫大な違約金が発生するのは必至。ところがこの設定が全く活かされていないのが残念。こちらはギャングとの繋がりがいつバレるかというハラハラドキドキ感を期待していたのですが・・・。潜入した警察官もギャグのネタにされているだけで、物語における重要度は低下しています。

 

結局、跡目は〇〇〇が継いだものの、グダグダな感じで終わったため消化不良。韓国の警察がマヌケに描かれるのはいつものお約束ですが、警察の現場責任者への引継ぎは納得でした(笑)。

 

故人の追悼記事を書くのは二度目です。一度目は中村とうよう氏でした。どちらも私に影響を与えた人物の一人で、とうよう氏は音楽面で、小林氏は映画、小説、テレビ、ラジオなどエンタメ全般でした。

 

最初に彼の本を読んだのは集団学童疎開を描いた「冬の神話」でした。ただ、コラムばかりを読んで、小説のほうはあまり読まなかったので、良い読者とは言えなかったかもしれません。

 

主要な文学賞こそ受賞しませんでしたが、「怪物がめざめる夜」「侵入者」「ドリームハウス」は個人的には高く評価しています。また、今となっては手に入りにくい『オヨヨ』シリーズを読んでいなかったことが悔やまれます。

 

小林氏のコラムを読んで、興味を持った映画、本は数知れず。ラジオも伊集院光の「日曜日の秘密基地」や、小西克哉&松本ともこの「ストリーム」における名物コーナー「コラムの花道」での勝谷誠彦、町山智浩、吉田豪を知ったのも小林氏の紹介のおかげと言って良いでしょう。

 

ただし、「週刊文春」に連載していた『本音を申せば』は、読み過ごせない部分があり、政治的には中村とうよう氏同様に相容れないものもありました。でも、追悼記事ですから詳しく触れずにおきます。

 

小林氏は子どもの頃は虚弱児で、若いうちに死ぬのではないかと思っていたそうですから、94歳まで生きて天寿を全うしたのは本望だったでしょう。小林さん、さようなら、どうか安らかにお眠りください。

 

 

この映画はコロナ禍真っ只中の6年前、映画館が休館になっていた時期にDVDで観ました。その時に日記に書いた感想を元に記事にしました。因みに、大宅壮一は「男の顔は履歴書、女の顔は請求書(領収書だったかな?)」と書いたとか。

 

 

DVDあらすじより

高度経済成長のあおりを受けて立ち退き寸前の雨宮の病院に、車にひかれた朝鮮人の崔文喜がかつぎ込まれてきた。彼を見た瞬間、雨宮の脳裏に戦後まもない時期の忌まわしき日々が甦っていく。それは九天同盟と町の人々による血で血を洗う抗争であった・・・。

 

製作:松竹

監督:加藤泰

脚本:星川清司 加藤泰

撮影:高羽哲夫

美術:梅田千代夫

音楽:鏑木創

出演:安藤昇 中谷一郎 中原早苗 伊丹一三 真理明美

             藤岡弘 香山美子 内田良平 嵐寛寿郎

1966年7月15日公開

 

GHQ統治下の戦後間もない日本において、三国人の横暴をこれだけ生々しく描いた映画は、あまり見当たりません。私の記憶する限りでも、東映と日活に数作あるのみ。ただし、三国人の中にも中谷一郎や真理明美がいるように、加藤泰は公正な視線を貫いています。

 

それにしても、内田良平や菅原文太の憎々しいこと。松竹は東宝、日活同様、悪役の層が薄いのですが、この映画を観る限りでは、東映と遜色のない悪党ぶりが目立ちます。松竹時代に悪役として鳴らした菅原文太は不遇をかこつものの、本作では水を得た魚のように生き生きとしています。

 

日本人と三国人との対立(と言うよりは在日朝鮮人の一方的な恨み)は、それまでの経緯も然ることながら、その根っこには日本人の忘れっぽさと朝鮮人の相手を恨むことの執念深さから来ているように思われます。ついでに言うと、強い者にすり寄り、弱い者を叩く朝鮮人気質もね。

 

こうした価値観の違いが占領統治下に置かれた日本で、直接の戦いとして炙りだされたとも言えます。したがって、朝鮮人の側に属しながら、日本人にもシンパシーを抱く中谷や真理のような人物は、両者の板挟みになり苦しむのです。

 

一方、安藤昇は悲惨な戦地を経験しただけに、戦後医師になっても虚無的になっています。三国人の日本人に対する暴力にも、どこか他人事のように思っている節が見受けられます。ところが、弟の伊丹一三が三国人に反旗を翻したことによって、自身の事として向き合わざるを得なくなります。

 

映画は現在と闇市の時代を交互に見せながら、本来医師の仕事を全うするはずだった人間が、前科者にならざるを得なかった一部始終を描いています。安藤が三国人へ制裁した暴力によって、彼との仲を引き裂かれた中原早苗が、中谷と別の形で実を結んでいたことを知らされるラストに、暴力の連鎖を断ち切る未来を感じさせました。

 

 

mentor 公式サイト

 

チラシより

それは運命の再会だった。15年前に花火遊びでアパートの火事を起こした拓海(末澤誠也)の前に現れたのは、その火事で大火傷を負い、妻子を失った埜本(綾野剛)。恨んで当然の相手なのに、詫びる拓海を優しく包み込む埜本。その不思議な優しさに惹かれ、埜本を“メンター”として慕い急速に距離を縮めていく拓海。一方、拓海とともに火事を起こした龍之介(磯村勇斗)は、アーチェリー競技と出会い、オリンピック日本代表になるという夢を追いかけていた。今の龍之介にとって拓海や埜本との再会は、平穏を揺るがしかねない。埜本に触発されて被害者への謝罪にのめり込む拓海にも、不気味なほどに優しすぎる埜本の態度にも違和感を拭えない龍之介。やがて事態はまさかの方面に転がり、歪な三角関係は狂っていく。そして物語は、誰も想像しなかった結末へ。

 

製作:『mentor』製作委員会

監督・脚本:吉田恵輔

撮影:志田貴之

装飾:吉村昌悟

音楽:茂野雅道

出演:磯村勇斗 末澤誠也 木南晴夏 酒井若菜 川上麻衣子

             二村仁弥 黒沢あすか 田村泰二郎 綾野剛

2026年10月16日公開

 

※若干ネタバレをしていますのでご注意ください

 

罪を犯した拓海と龍之介に至極真っ当な対応をしているにも関わらず、彼らに赦しを与える埜本が怖くなってきます(笑)。過去に囚われず前向きに生きようとする姿は立派な一方で、聖人過ぎる振る舞いに違和感も覚えます。埜本以上に怖いのが彼を崇める拓海で、過剰な謝罪ぶりに埜本のみならず、火事の被害に遭った人々も困惑され、居心地の悪い思いをさせられます。

 

この二人に比べると、龍之介の罪に対する向き合い方は、比較的観客が感情移入しやすくなっています。彼も拓海同様に罪の意識と贖罪の気持ちを持ち合わせつつも、埜本に対してどのように接していいのか手探りの状態にあります。おまけに、彼はアーチェリーのオリンピック選考会の大事な大会を控えているだけに、昔の出来事を蒸し返され、心を乱されたくない気持ちも抱いています。

 

それでも、龍之介は面と向かって埜本に謝罪できたことで、一区切りできたと思っていました。ところが、拓海が埜本以外にも火事で被害に遭った人々にも謝罪しに回ろうと言い出したことから、龍之介は心が搔き乱されます。拓海が埜本の振る舞いに感嘆し、彼を信奉していく様は異常で、救いを求め宗教にのめり込む人々と重ね合わせたくなります。埜本は拓海と龍之介に「無理をしないで」と気遣いますが、彼でさえも拓海の“暴走”は手に余るものとなっていきます。

 

やがて、拓海と龍之介の罪を根底から覆す事実が明かされ、三人三様の反応を見せます。龍之介が開放された気分を味わう一方で、拓海は“失われた15年”は何だったのか?と塞ぎ込みます。埜本に至っては、罪を赦し前向きに生きようとしたことが現実逃避に過ぎなかったと理解し、過去に一番囚われていたのが自分であったことを思い知らされます。

 

彼は“いい人”になることをやめ、慕ってくる拓海にも漸く本音をぶちまけます。更に最も憎むべき相手にも牙を剥こうとします。埜本の変化はなかなかスリリングで、憎もうとした人物に本当の意味で救われる展開は感動的ですらあります。殊に埜本が拓海と龍之介にハグしてきたショットと重ね合わせた演出が素晴らしい。それでいて、最後に不穏な空気を忍ばせて終わる辺りも、「ヒメアノ~ル」を撮ってきた吉田恵輔らしいとも思えます。

 

本作は深刻な題材を扱っている割には、笑うに笑えないユーモアを挟み込むなど毒っ気も十分あります。吉田恵輔作品の中でも一、二を争う秀作でした。

クジラに落ちた男 公式サイト

 

チラシより

青年ジェイは、亡き父の遺骨を探しに海へ潜るが、ダイオウイカの巻き添えとなり、巨大なマッコウクジラに丸呑みされてしまう――。タンクの酸素が尽きるまで、残り1時間。それまでに脱出できなければ、死が待つのみ・・・。クジラの体内に閉じ込められた極限状態のなか、ジェイはかつて父に厳しく叩き込まれた教えこそが生還への唯一の鍵であることに気づいていく。

 

製作:アメリカ

監督:ブライアン・ダッフィールド

脚本:ダニエル・クラウス ブライアン・ダッフィールド

原作:ダニエル・クラウス

撮影:アーロン・モートン

美術:ラムジー・アヴェリー

音楽:ジョセフ・トラパニーズ

出演:オースティン・エイブラムス ジョシュ・ブローリン エリザベス・シュー

2026年10月16日公開

 

ジェイを演じたオースティン・エイブラムスは、先頃公開された「バイオハザード」でも散々な目に遭わされていて、悪運を引き寄せるのでしょうか(笑)。「バイオハザード」では身から出た錆という気がしなくもなく、それに対してこの映画の予告編を観た限りでは災難に遭ってご愁傷様という感じを抱いていました。でも本編を観ると、素人目から見ても主人公は結構なやらかしをしています。

 

まず、単独で潜水しようとするのが言語道断。船から着水するのでなく、岸から海に入り行くのもどうかと思います。おまけに父親の友人から、シャチが泳いでいて沿岸警備隊が警戒中だからよした方がいいと忠告を受けたにも関わらず潜りに行きますし、父親の遺骨の場所を特定できていないのに出たとこ勝負で捜しにいくなど、ダメダメなチャラクター。でも、ボンクラ好きにとっては大好物(笑)。

 

ジェイは父親から海に関するあらゆるものを学んだ一方、スパルタ方針だったこともあって反発したくなる気持ちも持っています。一方、父親も不器用な性格から、息子との適切な距離が取れないでいます。更に身体に変調をきたし海に潜れなくなってからは気難しくなり、余計に親子の隔たりが鮮明になります。挙句の果てに父親が水死したことで、ジェイは罪の意識に駆られるようになります。

 

このような前提を踏まえると、彼が父親の遺骨を探しにたった一人で海に潜ろうとする気持ちも分からないではありません。しかし、無謀とも思える行動の結果、彼は命の危険に晒される羽目になります。

 

ジェイはクジラに直接呑み込まれたと言うより、クジラに呑み込まれそうなダイオウイカに引き摺り込まれる形で、クジラの体内に入ります。このイカが疫病神のような存在で、体内に入ってからも、ジェイはイカの足にまとわりつかれ脱出する機会が得られません。その気色の悪さと言ったら、並のホラーより遥かに怖い。おまけにタンクの中の酸素は1時間程度しかなく、ジッとしていても死は間もなく訪れる運命にあります。

 

この絶望的な状況から如何に脱出するかが、本作の見どころとなっています。その間にも時折父親との回想が挟み込まれ、生き残るための術や脱出へのヒントが示されます。ジェイは後悔の念を抱きながらも、父親からの教えを思い出しつつ、生き残るために全力を尽くしていきます。この話の流れから自ずと結末は容易に予測できます。ジェイに宛てた父親の遺書の内容は最後まで明かされませんでしたが、ジェイの笑みによって余韻のあるラストになりました。

 

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