午前十時の映画祭 公式サイト

午前十時の映画祭 あらすじより
1880年、ワイオミング。各地で悪名を轟かせていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、今では銃を捨て2人の子供と静かに農場を営んでいた。妻にも先立たれ生活は苦しかったが、そんな時、スコフィールド・キッドという若いガンマンが訪ねてくる。町の娼婦に重傷を負わせた2人のカウボーイを殺せば賞金1000ドルが手に入るというのだ。マニーは、かつての相棒ネッド(モーガン・フリーマン)を誘い、3人で町へと向かう。
製作:アメリカ
監督:クリント・イーストウッド
脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープル
撮影:ジャック・N・グリーン
美術:ヘンリー・バムステッド
音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド ジーン・ハックマン
モーガン・フリーマン リチャード・ハリス
1993年4月13日公開
この映画は公開時に観たきりで、今回30年以上経っての鑑賞となりました。アカデミー賞の作品賞を受賞するほど、世間では名作とされているにも関わらず、私が思い出せるのは、ジーン・ハックマンがリチャード・ハリスを甚振る場面くらい。今回改めて鑑賞すると、ジーン・ハックマン演じる保安官がやはり強く印象に残りました。
彼の演じるリトル・ビル・タゲットは暴力的且つ残忍な性格を持つ敵役ながら、首尾一貫した哲学を備えるキャラクターであることが、記憶に残る一番の要因でした。例えば、娼婦の顔を切り刻んだ男への罰として、損害を被った売春宿の主人に馬を与えることでチャラにしようとする点。
娼婦を人間扱いしていない点は問題があるにせよ、店の売り物を壊したのだから、お前の持ち物で弁償しろという論理は、悪党なりに一応筋が通っています。また、銃を所持している者が保安官事務所に届けていない場合、ルールを破った者として容赦なく痛めつけるのも保安官の中では論理として成立しています。
それもこれも、リトル・ビル・タゲットが地域の秩序を保つのが全てと思うあまり、如何なる理由であれ、秩序を乱す者に対して制裁を加えるのが正当な行為と見做す考えから来ています。とにかく彼は自分の目の届く範囲に物事を掌握しておきたい傾向があり、建物の修理を本職に任せずに自分でしてしまうところにも表れています。
当然、余所者に対しては厳しく、賞金稼ぎも自分たちの縄張りを荒らす者として極端に嫌っています。こうした前提を踏まえた上で、主人公とその仲間が敵地でどのように復讐の依頼を果たしていくのかが見どころとなっていきます。
また、この映画では通信手段が発達していない時代ならではの伝聞による話のズレが特徴的。娼婦の顔の傷の具合にしても、イングリッシュ・ボブの武勇伝にしても、人から人に伝わっていくうちに大げさになっていき、見ると聞くとでは大違いというオチが用意されています。
特にリトル・ビルがイングリッシュ・ボブの実話を付き添いの作家に暴露した上で、ダメを押すようにボブに二つの選択を迫り、噂とはほど遠い人物であることを実証する場面は、ボブの心が折れるような残酷さがあります。
他にも、本来制裁を受けなくても良いのに、当の人物に関わったり、協力したりしただけで、とばっちりを受ける人物が出てくる点も象徴的。若い牧童は娼婦の顔を切り刻んだ男を止めようとしたにも関わらず復讐の標的になりましたし、マニーの相棒のネッドも最終的に射殺すべき相手を撃てなかったのにリンチに遭うなど、理不尽な結末が待っている点が物語を味わい深くしていました。
ただし、ジーン・ハックマンの存在感に比べると、主役のクリント・イーストウッドが薄く感じられます。キャラの弱い原因は、昔に非道な行為をしたことが登場人物との会話のみで語られ、殺し屋としての凄みが伝わりにくいことに由来しています。マニー自身の行為で昔ワルだったという片鱗が見られるのは終盤になってからで、前半のうちに抑えきれない暴力衝動を少しでも見せていれば、また違った印象を受けたかもしれません。
世間の高評価に比べると、復讐の標的を仕留める描写にキレがなく、リトル・ビルとの対決も陰気くさいため、個人的には若干不満の残るイーストウッド作品ではあります。それでも、アカデミー賞にはあまり縁のなかった西部劇が受賞した功績は素直に称えたいです。
日本でもリメイク作が製作されましたが、今観るとどうかなぁ?