パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ

監督:フランシス・フォード・コッポラ

脚本:ジェームズ・V・ハート

撮影:ミハエル・バルハウス

美術:トム・サンダース

音楽:ヴォイチェフ・キラール

出演:ゲイリー・オールドマン ウィノナ・ライダー

             アンソニー・ホプキンス キアヌ・リーヴス

1992年12月19日公開

 

15世紀、ワラキアの王ヴラド・ドラキュラ(ゲイリー・オールドマン)は、トルコ軍との死闘で勝利をおさめますが、最愛の王妃エリザベータ(ウィノナ・ライダー)は、王が戦死したとの誤報を受け投身自殺をしてしまいます。ヴラドは怒り狂い、神への復讐を誓いました。

 

1897年、英国人の青年弁護士ジョナサン・ハーカー(キアヌ・リーヴス)が、トランシルヴァニア地方にある城へやって来ます。彼は城主のドラキュラ伯爵に迎え入れられますが、伯爵を不審に思った時には手遅れで、3人のドラキュラの花嫁たちに囚われの身となります。

 

一方、ロンドンでは、ハーカーの婚約者ミナ(ウィノナ・ライダー:二役)が、夢遊病を患う親友のルーシー(サディ・フロスト)の看護をしながら、ハーカーの帰りを待っていました。彼女は街中でドラキュラ伯爵と出会い、伯爵はエリザベータと生き写しのミナを我がものにしようとするのですが・・・。

 

この映画は封切り時に見逃していて、今回の午前十時の映画祭が初見でした。影の使い方などを見ると、コッポラはドイツ表現主義を意識して、古典的なホラー映画を撮る意図があったことを窺わせますが、神秘的なムードが醸成されておらず、恐怖映画としての魅力に欠けていました。

 

また、女性の承諾なしに部屋に侵入し、処女でない女性の生き血を吸うなど、吸血鬼映画の定石を外している点も、古典ホラーを目指すには中途半端な印象を与えていました。更に、終盤の吸血鬼退治の場面は、「エクソシスト」の悪魔祓いの雰囲気もあってちょっと笑ってしまいました。ただ、石岡瑛子の衣装デザイン、メイクアップ、音響効果編集がアカデミー賞を受賞するなど、技術系の面に関しては作品に貢献していたと言えます。

 

ドラマ部分の弱さは当時勢いのあった俳優たちにだいぶ助けられた感があります。また、コッポラも直近の作品から俳優に見合った役を当てがった節が見受けられました。

 

ゲイリー・オールドマンは「JFK」でケネディ暗殺のオズワルドに扮していて、後に「レオン」の悪徳刑事に代表される残忍さの一端を醸し出していました。

 

ウィノナ・ライダーは当時売れっ子の女優の一人であり、主人公の相手役として申し分がない一方、序盤のカマトトぶりはいただけませんでした(笑)。

 

アンソニー・ホプキンスは「羊たちの沈黙」のレクター博士ほど強烈なキャラクターではないにせよ、エキセントリックな面ではかなり寄せてきたように思います。

 

キアヌ・リーヴスは「スピード」でブレイクする前ということもあって、まだ「プライベート・アイダホ」の若造感が抜けていなく、前半はややゲイリー・オールドマンの引き立て役になっていた気がしないでもありませんでした。

 

製作:日活

監督:田中登

脚本:中島丈博

原作:清水一行

撮影:前田米造

美術:徳田博

音楽:中村栄

出演:永島瑛子 宮井えりな 砂塚英夫(砂塚秀夫) 樹木希林

             蟹江敬三 絵沢萠子 古尾谷康雄(古尾谷雅人)

1977年10月29日公開

 

東京近郊のある中学校。放課後の音楽教室で、教師の田路節子(永島瑛子)は、3年生の江川秀雄(古尾谷康雄)らのグループに、頭に黒いビニール袋を被せられて暴行されました。同僚教師の瀬戸山(砂塚英夫)はドアの隙間から一部始終を見ながら、助けには入りませんでした。

 

その後、節子は校長(久米明)に中学生たちに暴行されたことを訴えるものの、学校側は警察には届けようとせずに、事態の収拾を図ろうとします。節子は同僚で恋人でもある浅井(鶴岡修)に事実を告げますが、浅井は事件が明るみになるのを恐れ、彼女を冷たく突き放します。

 

その頃、瀬戸山は節子の暮らすアパートを訪れ、彼女の弟の恵介(福田勝洋)を言いくるめて、証拠となる黒いビニール袋から秀雄の指紋を消します。節子は事件のショックで暫く学校を休んでいましたが、生徒指導係の景山(山田吾一)の励ましもあり、久々に出勤します。ところが、事件のことが学校中に広まっているばかりか、節子が生徒を誘惑したという噂があることを知り愕然とします・・・。

 

この映画は学生の頃に日活の専門館で三本立ての一本として鑑賞しました。それから40年以上月日が経ち、久しぶりにDVDで再見しました。かなり時間が経っていたこともあって、思い違いや記憶が欠落している箇所が散見されました。

 

古尾谷の体格からてっきり高校生と思っていましたが、実際は中学校を舞台にした物語。また、ヒロインは複数の生徒たちから輪姦されたと思っていましたが、改めて観ると挿入は古尾谷だけで、他は手足を押さえていただけのようにも見えます。尤も、暴行に協力したという観点に立てば、輪姦と言えなくもありませんが・・・。

 

他にも永島が襲われる現場を目撃した教師は砂塚一人と思い込んでいましたが、宮井えりなも目撃していたことをすっかり忘れていました。後に彼女が永島の恋人だった鶴岡を寝取ったことはしっかり憶えているのに(笑)。

 

強姦は非常に悪質且つ卑劣な犯罪で、個人的には殺人と同じ刑罰か、もしくは加害者の局部をチョン切ってもいいと思っています。私の意見はともかく、強姦自体許しがたい行為に加え、事件が発覚した後に不祥事を隠蔽しようとする大人たちの対応にも怒りを覚えます。

 

労働組合(モデルは日教組かな?)に到っては、永島が組合に入っていないのを嫌ってなのか、彼女が生徒を誘惑したという言いがかりをつけて、更に永島を痛めつけてきます。そりゃ、樹木希林と蟹江敬三から責め立てられたら、絶望的な気持ちにもなりますわ。おまけに、箝口令が敷かれているにも関わらず、教師ばかりか生徒にまで噂が広がっており、永島は為す術がなくなります。

 

この映画に登場する教師たちは、ヒロインと山田吾一を除けばロクデナシの輩ばかり。校長の久米明は事なかれ主義で問題を先延ばしし、教頭の穂積隆信も校長に追従するだけの存在(何故か穂積は教頭役が似合いますね)。宮井えりなは永島に敵愾心を抱き、砂塚同様に暴行現場を目撃しながら口を噤み、噂を広げるのですから砂塚以上にタチが悪い。

 

そして、この映画で異彩を放つのが砂塚英夫。砂塚は脇役として数々の映画でいい仕事をしてきましたが、とりわけ本作での悪役ぶりは出色の出来で存在感が半端ありません。

 

この映画では教師の堕落ぶりが見もの。砂塚は生徒の不祥事を揉み消す代償に、古尾谷の母親の絵沢萠子と深い関係になり、砂塚と宮井は永島の暴行現場を目撃した者同士から、性交中にその興奮が甦り更に情欲が燃え、宮井は永島の恋人を寝取ることで優越感を味わうなど、ひとつの事件が大人のセックスにまで影響を及ぼしています。

 

基本、この映画は性被害を受けた女教師の受難劇を描いていますが、戦後の狂育界の荒廃をも示しており、なかなか意義深い映画でした。

 

製作:イギリス

監督:ジョセフ・ロージー

脚本:ハロルド・ピンター

原作:ニコラス・モスレー

撮影:ジェリー・フィッシャー

美術:カーメン・ディロン

音楽:ジョン・ダンクワース

出演:ダーク・ボガード スタンリー・ベイカー ジャクリーヌ・ササール

             デルフィーヌ・セイリグ マイケル・ヨーク

1969年8月2日公開

 

大学教授のスティーブン(ダーク・ボガード)は教え子のウィリアム(マイケル・ヨーク)から留学生のアンナ(ジャクリーヌ・ササール)が好きだと打ち明けられ、二人を日曜日に自宅に招待して、教え子の仲を取り持とうとしました。そこへスティーブンの同僚チャーリー(スタンリー・ベイカー)もやってきます。スティーブンはチャーリーを嫌っていましたが、表面上は愛想良く振る舞い、休日は穏やかに過ぎていきます。

 

やがて、妻のロザリンド(ヴィヴィアン・マーチャント)の三人目の出産予定日が近づき、彼女は二人の子供を連れて実家に帰りました。その間、スティーブンはテレビ局に自分を売り込みにロンドンに来ます。しかし、結果は芳しくなく、前妻を訪ねてベッドを共にします。深夜、スティーブンは帰宅し、そこにアンナとチャーリーが居ることに愕然とします。彼は初めて二人が以前から関係があったことに気づくのですが・・・。

 

私は割と映画を観ているほうですが、それでも出演作を一本も観ていない俳優が居ます。ジャクリーヌ・ササールもそのうちの一人。彼女の存在を初めて知ったのは高校生の時。「ロードショー」誌で紹介されたのを読んで以来、50年近く経っても忘れずにいました。

 

その時は彼女に清純派のイメージを抱いていたのですが、この映画ではいいとこの坊ちゃんのマイケル・ヨークと俗物教授のスタンリー・ドーネンに対して二股をかける女子大生(笑)。ここに妻子あるダーク・ボガードも参戦してくるという、結構ドロドロした恋愛劇です。

 

傍から見ると、三人の男が若い女に手玉を取られているようにしか見えませんが、ジャクリーヌ・ササールが男に対して免疫がなく、己の魅力に無自覚過ぎるので余計に始末が悪いです。

 

冒頭はダーク・ボガードが暮らす屋敷をカメラを引いて延々と映し出します。ラース・フォン・トリアーが後に「隠された記憶」でこの演出を引用したのではないかと思わせました。ただし、ジョセフ・ロージーは屋敷を映すだけでなく、ブレーキと衝突の音を被せて不穏な空気を醸し出します。

 

車両事故の音を耳にして屋敷から飛び出したダーク・ボガードは、運転席で既に息絶えたマイケル・ヨークをそのまま残し、事故を起こした車からジャクリーヌ・ササールだけを助け出し、自宅まで連れて行きます。警察に通報した後、彼は刑事たちから事情聴取を受けますが、ジャクリーヌ・ササールが同乗していたことは告げず、彼らが帰ってから過去を回想していく話の流れになります。

 

世間知らずのボンボン学生が中年教授に恋人を寝取られるのは、些か気の毒な気がしないでもありませんが、結構なご身分で学生生活を謳歌しているので、あまり同情する気も起きません。

 

妻帯者のダーク・ボガードはまともかと思いきや、前妻が学長の娘だったことから野心が見え隠れし、有名教授のスタンリー・ベイカーに対抗してテレビ局に自分を売り込むなど、俗物根性が見え隠れします。また、現在の妻が出産で実家に帰っている隙に前妻とよろしくヤリ、ジャクリーヌ・ササールがマイケル・ヨークを失って弱っているのにつけこんで、彼女の体を奪うなど最低の男ぶりを発揮します。

 

更に、留学生のジャクリーヌが失意のうちに帰国する一方、ダーク・ボガードは何事もなかったかのように穏やかな家庭生活を送ると言った具合に、ジョセフ・ロージーは少しばかりの皮肉を込めて、イギリス人の底意地の悪さを余すところなく描いていました。

県警の番人 天祢涼

 

河出書房新社サイトより

Q県警内の不祥事を容赦なく暴き出し、市民からの信頼を劇的に回復させた異能の監察官・鏡真人。 〈県警の番人〉の異名を持つ彼に狙われた者は、絶対に逃れられない……。定年前のハコ番巡査部長、所轄の生活安全課捜査員、刑事課の女性警部補、県警本部監察官警視、鏡の直属部下──五人の警察官視点で浮上する、〈県警の番人〉の正体とは。

 

警察小説にまた一人特異なキャラクターを持つ警察官が現れました。その人物がQ県警本部警務部の監察官・鏡真人。監察官は捜査が適切に行われたか審査をし、不正に手を染めていないか調査をする役割を与えられていて、現場の警察官にとってなかなか怖い存在。したがって、“番人”と呼ばれるのもあながち大げさではありません。それに加えて、案件によっては権謀術策を弄し隠蔽も厭わない非情さがあります。こう書くと警察の面子を保つことに腐心する嫌な野郎のイメージを抱くかもしれません。今野敏の『隠蔽捜査』シリーズにおける竜崎伸也は、融通の利かぬ原理原則の哲学が笑いに転じ、愛着が湧くのに対し、本書の鏡は計算され尽くした言動が冷たい印象を与えます。その意味では、長岡弘樹の『教場』シリーズにおける風間公親に近いでしょう。この作品は五話で構成され、それぞれ独立した話として語られます。ただし、最終話に到ってそれまでの四話が伏線に過ぎなかったと思い知らされます。各話で鏡と対峙してきた相手は、いくばくかの敗北感を味わわされ、読者にはほろ苦さとなって残ります。それでも、最終話で意外な真相が語られ、全てが浄化されてしまうのが凄いです。負と見られた隠蔽も、鏡の中では明確な一定基準があり、悪質な不正には厳罰をもって対処する姿勢を示すなど、鏡の印象も当初とはだいぶ印象が異なってきます。是非ともシリーズ化して欲しいですね。

 

ネタバレあり 双紋島の殺人 下村敦史

 

光文社サイトより

冒頭で開示された7つの真実。それでも、あなたは騙される。ミステリーの常識が崩壊する、前代未聞の“読者への挑戦状”。 「島での最初の犠牲者は名探偵」「登場人物の一人は偽名」「島では四人が殺される」「共犯者がいる」など、巻頭に書かれた7つのネタバレ。嵐に閉ざされた孤島で起こる連続殺人を描いた作中作「双紋島の殺人」は、現実に起きた事件をもとにしたノンフィクションノベルだった。事件に巻き込まれたミステリー作家は、真相解明を読者に求めるため小説として刊行するが……。

 

本書は316頁あるうち、246頁までは覆面作家が自身の体験した連続殺人事件を単行本にした体で描かれ、残りの頁で事件関係者が謎解きをする構成になっています。大嵐の孤島の中で連続殺人が起きることから、典型的なクローズドサークルミステリーになっていますが、かなりトリッキーな仕掛けが施されています。著者は本格ミステリーの公正を期すため、あらかじめ7つのネタバレを読者に示しています。ただし、ネタバレは嘘をついてはいないものの、読者を誤った方向に導く罠が仕込まれていて、一筋縄では行きません。“入れ替わり”がミエミエなことから、犯人がある程度特定できるため、犯人当てを期待すると肩透かしを食うかもしれません。その代わり、他の部分が巧妙に仕組まれていて、適度にヒネリも加えられているため、結構面白く読めました。

 

交渉人 遠野麻衣子 ハイジャック 五十嵐貴久

 

河出書房新社サイトより

メキシコ行きの機内でハイジャックが発生。機体は北海道に緊急着陸する。400名を超える乗客、指示に従わない地元警察、ユーチューバーも群がる中、身代金受け渡しの時間が迫り……。

 

『交渉人・遠野麻衣子』シリーズの最新刊です。このシリーズは「籠城」以外既読済みで、いずれ「籠城」を読んだ上で4作を記事にしたいと思っています。今回も交渉人と犯人との駆け引きが読みどころとなっていますが、犯人は一切姿を現さず、機内のチーフパーサーを介して、シートtoシートの機能を使ってチャットで指示を送るのがハイジャックの交渉法としてユニーク。また、機内には迷惑系ユーチューバーが居る上に、空港周辺に居る他のユーチューバーも虎視眈々とハイジャックの模様を撮影しようとするため交渉に支障をきたします。更に、現場で指揮を執る北海道警の警視は、かつて強行突破で事件を解決に導いた成功体験があるだけに、事件を速やかに終わらせたい思惑があり、麻衣子の交渉はより困難な状況に置かれます。彼女は犯人と交渉を続けるうちに違和感を覚え、ハイジャック犯が金目当てだけでないことに気づき始めます。本書はある意味、アガサ・クリスティのある名作のトリックを巧みに応用していると言えます。その名作の結末は探偵が確信をもって犯人を見逃したのに対し、この小説では状況証拠しかないこともあって、麻衣子が犯人の良心に委ねるのが曖昧を良しとする日本らしいと思えました。

 

DVDあらすじより

阿波藩の窮地を救うため刺客として雇われた拝一刀。幕屋忠左衛門を追う一刀に、明石柳生の別式女が次々と襲いかかる。容赦なく仕掛けてくる烈堂の娘・鞘香と黒鍬衆。炎上する船から辛くも脱出した一刀には、公儀護送方・弁天来の三兄弟との対決が待っていた。手甲鉤・混飛・鉄拳を操る三兄弟と子連れ狼、その戦いの行方は?

 

 

 

製作:勝プロダクション

配給:東宝

監督:三隅研次

脚本:小池一夫

原作:小池一夫 小島剛夕

撮影:牧浦地志

美術:内藤昭

音楽:桜井英顕

出演:若山富三郎 富川晶宏 松尾嘉代 大木実 小林昭二 新田昌玄 岸田森

1972年4月22日公開

 

拝一刀(若山富三郎)は賞金稼ぎで生計を立てながら、一子・大五郎(富川晶宏)と共に旅を続けていました。一方、柳生烈堂の命を受けた黒鍬小角(小林昭二)は、烈堂の娘・鞘香(松尾嘉代)に一刀殺害を依頼。彼女は手下の女たちを使って一刀を襲うものの、次々と返り討ちに遭います。

 

まぁ、手下の女たちももう少し頭を使えよと思ってしまいます。一刀によって目の前で人が斬られているのに、その場から逃げ出さないどころか、平然と歩いて来るのは如何にも不自然。いくら村娘に化けていても、刺客であると名乗っているも同然。鞘香の手下が全滅したのを目にした黒鍬小角は、大五郎を人質に取って一刀の始末を図ろうとします。手段を択ばぬ黒鍬衆に対し、柳生家に誇りを持つ鞘香は卑怯な手段に納得が行きません。

 

その頃、一刀は体力を使い果たし、小屋の中で臥せっていました。大五郎は身体の弱った父親に、川の水を口に含んで小屋まで運び口移しで飲ませ、供えられていた餅を食べさせます。供え物の餅を無断で持っていくのではなく、自分の着ていた着物を地蔵に着せて、対価として支払う辺りが、子供ながら日本人らしいと言えます。

 

体力の回復した一刀は、大五郎が居なくなっていることに気づき、やがて井戸の上に吊り上げられた我が子を目にします。しかし、どんなに脅されても刀は捨てず、黒鍬衆を一刀両断の元に斬り捨て、大五郎の救出を果たします。

 

やがて、一刀は阿波藩から藩の財政の浮沈を握る幕屋忠左衛門の暗殺を請負い、公儀護送役の三兄弟、弁馬(大木実)、天馬(新田昌玄)、来馬(岸田森)の乗る渡海船に乗りこみます。三兄弟の中に大木実と岸田森が居るだけで、手強い相手だと感じさせますね。

 

その船には鞘香と、一刀とは別に阿波藩が送り込んだ刺客たちも乗っており、刺客たちは三兄弟を襲う機会を窺います。しかし、忽ちのうちに返り討ちに遭い、一人生き残った刺客は船に火をつけ、一般の乗船客もろとも三兄弟を殺そうとします。燃え盛る炎と若山富三郎の組合せは、後年の深作欣二の「魔界転生」をちょっぴり思い出させます。

 

一刀が炎に包まれた船から棒高跳びの要領で脱出する場面はちょっとした見もので、その後、一刀、大五郎、鞘香はボロ小屋に辿り着きます。一刀が小屋の中で命を狙う鞘香を犯すかと思いきや、実は・・・と言った演出は如何にも思わせぶりで、オチは読めてしまうのですが、二人の間に大五郎を挟むことで危機回避をしており、鞘香に暗殺をあきらめさせる効果も生じさせています。

 

一方、弁、天、来の三兄弟も船から逃れていて、幕屋忠左衛門を護送しながら、砂丘を通り江戸へ向かおうとしていました。見渡す限り砂一面でも、三兄弟の頭目である弁馬は油断を怠らず、案の定、砂の中に潜んでいた刺客たちが襲って来ます。でも、砂の中でどうやって息をしていたのでしょう(笑)。また、どうやって弁馬が察知できたのでしょう?

 

砂に潜む暗殺者が息をできる手段に弁馬が気づいたことで、次々と砂に自分の武器を突き刺す流れになっていれば、作品の精度が上がったのにと思うと、詰めの甘さが惜しまれました。最後は当然のように拝一刀と三兄弟の対決の構図になり、その結果は言うまでもないでしょう。

 

派手に血飛沫が飛び散るのが、70年代当時の時代劇の特徴とは言え、本作も黒澤明の「椿三十郎」の悪しき影響を感じざるを得ません。「椿三十郎」がラストの一発芸だからこそ観客を「あっ!」と驚かせたのに比べると、本作は何度も出てくるのでありがたみが薄れます。特に三隅研次は大映で市川雷蔵と組んで、数々の美意識の溢れる時代劇を撮ってきただけに、その点は残念としか言いようがありません。

 

その一方で、東映で一、二と呼ばれるほどの剣捌きを見せた若山富三郎が、東宝作品のこの映画でも豪快な殺陣を見せてくれます。また、冥府魔道に生きる非情な世界を描きながら、同時に親子の情愛を感じさせる一面もあり、細部を気にしなければダイナミックな時代劇を堪能できるでしょう。

 

私は一人っ子だったおかげなのか、子供の頃から割と自分の好きな番組を見ることができました。時間の棲み分けができていたことも大きく、午後8時を過ぎると否応なく両親や祖父母に譲っていました。

 

我が家にはしばらく白黒テレビ1台の状態が続いていましたが、小学三年生の時に初めてカラーテレビを購入しました。その結果、カラーテレビは祖父母用に、白黒テレビは私と両親が使用するようになりました。東映まんが祭りではアニメや特撮モノをカラー映像で見たことはあっても、家庭用サイズのテレビは初めてだっただけに新鮮でした。

 

カラーテレビは滅多に見ることはありませんでしたが、祖父母が見ていない時間帯を狙って、何とか見せてもらっていました。小学校六年生になった頃でしょうか、『ミュンヘンへの道』というスポコンアニメが放映されました。当時、男子バレーボールが大人気で、1972年のミュンヘンオリンピックに出場することもあって、選手ごとにそれぞれのエピソードを毎週アニメで紹介して、盛り上げていこうという意図もあったのかもしれあせん。

 

私もバレーボールには興味があり、この番組を見たいと思っていたにも関わらず、両親は歌番組(玉置宏司会の『象印スターものまね大合戦』だったかな?)を毎週視聴していて、チャンネル権はあちらにあったため、祖父母に頼み込んで見せてもらったと思います。放映時間帯の裏番組には『ルパン三世』が放映されていて、今となっては何度も再放送されている『ルパン三世』より、『ミュンヘンへの道』を見たことは貴重だったように思います。

 

やがて、中学一年生の時に二台目のカラーテレビが両親用に購入したおかげで、お下がりの白黒テレビを譲り受け、自分の部屋で独占できるようになりました。色気づく年頃に、自室でテレビを一人で見られる状況は嬉しかったですよ。特に70年代当時はゴールデンタイムでも、番組によっては裸を平気で映すユルさがあり、東京12チャンネル(現テレビ東京)の『プレイガール』は狙い目でした。

 

でも、母親はそんな中坊の思惑をお見通しなのか、時折放映中にドアをノックすることがあり、こちらはスィッチを切るか、チャンネルを回すか、一々気を揉まねばなりませんでした。おまけに、当時はリモコンという便利な道具もありませんでしたから面倒臭かったですね。それでも、土曜日の深夜に放映されていた『土曜イレブン』は逃しませんでした。両親もその時刻には眠っていましたから、安心して楽しめました(笑)。

 

ところが、その小さな幸福も中学二年生になった頃、あえなく終わりを迎えました。祖父母が見たい番組の選択を巡って喧嘩になったことから、私の白黒テレビは祖母の部屋に渡ってしました・・・。テレビ番組で喧嘩するなんて、子供かよ!

こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:アメリカ イギリス

監督・脚本:ピーター・ハイアムズ

撮影:ビル・バトラー

美術:アル・ブレナー

音楽:ジェリー・ゴールドスミス

出演:エリオット・グールド ジェームズ・ブローリン ブレンダ・ヴァッカロ

             サム・ウォーターストン O・J・シンプソン ハル・ホルブルック

             テリー・サヴァラス カレン・ブラック

1977年12月17日公開

 

人類初の有人火星探査を目的とした宇宙船「カプリコン・1」が打ち上げられようとしていました。ところが発射直前に、乗組員のブルーベイカー大佐(ジェームズ・ブローリン)、ウィリス中佐(サム・ウォーターストン)、ウォーカー中佐(O・J・シンプソン)の3人は、密かに船内から連れ出され、砂漠の真ん中にある無人の古い基地へと連れていかれます。

 

ロケットは無人のまま打ち上げられ、3人は計画の責任者であるケラウェイ博士(ハル・ホルブルック)から、「カプリコン・1」に不具合が発生し、計画を実行に移すことが不可能になったことが伝えられます。そのため、無人のままのカプリコン1号を火星に向かわせつつ、火星探査や地球との通信の様子を無人の基地に置かれたセットで収録し、世界に公表する賭けに打って出ます。

 

3人の宇宙飛行士たちは博士からの命令を拒否しますが、家族の安全を人質に取られたため、やむなく了承します。ところが地球への帰還の際に、熱遮蔽板に問題が発生しカプセルが破壊されたことで、ケラウェイは明白な事故を認めざるを得ず、公式に計画が失敗したことを発表します。

 

しかし、乗組員たちはその発表を知り、彼らは身の危険を感じ砂漠の基地から脱出を図ります。その一方、新聞記者のコールフィールド(エリオット・グールド)はNASAに勤める友人から、火星探査計画に妙な点があると告げられていました。コールフィールドは裏を取るため調査を開始しますが、調査を始めた途端、何者かに命を狙われます・・・。

 

何度目かの鑑賞になりますが、国家をあげてのプロジェクトが実はイカサマだったという、なかなかシャレのキツい映画だと改めて感じ入りました。これも自由に表現できる民主主義国だからこその産物であり、お隣のような独裁体制国家では無理な話。そのお隣の国も宇宙計画では成功例があるものの、表には決して表れない数々の失敗による犠牲があったのではないかと、ついつい勘繰りたくなります。

 

それはともかく、宇宙船に不具合が生じた時のために保険をかけておく辺りが、危機管理意識の高いアメリカらしいと言えます。尤も、その保険は完全に間違っているのですが(笑)。しかも、宇宙船が事故を起こしたため、乗組員が生きていては不都合と思い、彼らを始末しようとするばかりか、おかしな点に気づいたNASAの職員やその友人のジャーナリストまで始末しようとするに到っては、現在の目から見るとかなり荒唐無稽に思えてきます。

 

それでも、巨大な魔の手から逃れようとする宇宙飛行士と、不正を告発しようとするジャーナリストの話が徐々に繋がり出す過程はワクワクさせられ、終盤の農薬散布の複葉機とジェットヘリの追っかけっこなどは一番の見せ場となっています。操縦士役のテリー・サヴァラスがまたいい味を出していて、エリオット・グールドに相場以上の金を吹っ掛け、取り分を割り増しするなど、金にがめつい親爺ぶりが堂に入っていました。

 

そして、何度観てもラストの爽快感が堪りません。あの場に〇〇するだけで、一瞬のうちに全ての問題が解決してしまうのが最高で、こうした結末は珍しいかもしれませんね。欲を言えば2時間以内にまとめて、もっと引き締まった作りにすれば、更に評価が高まったと思います。

 

 

鬼門の村 櫛木理宇

 

東京創元社サイトより

大学生の友部は、社会民俗学の嘉形教授の依頼で、夏休みのあいだ山奥の村に滞在し、ラジオ番組に投稿された実話怪談の整理を行うことになった。注意点は二つ、昭和三十年代に一家惨殺事件が起きた家に滞在すること。その土地の水やそこでとれた食物を口にしないこと。何度返しても戻ってくる石、社(やしろ)を護る白い着物姿の子供、鳴り止まぬ羽音……整理を続けるうち、友部はこの村に隠されたおぞましい真実に迫っていく。

 

著者は第19回日本ホラー大賞読者賞を受賞していながら、本格ホラー長編としては本書が初めてというのは意外でした。ラジオ番組に投稿された怪談は、いずれもそそられる話ばかりで、それだけでも十分読ませます。ただし、物語の根底には昭和30年代に一家惨殺事件が起きた家で、大学生に実話怪談を整理させる教授の目的は何か?という謎が常に渦巻いています。物語の終盤、友部清玄の滞在する丑土村のおぞましい歴史が明らかになり、母方にイタコの曾祖母が居て、父親と確執のある彼が嘉形教授に選ばれた理由も腑に落ちて来ます。パンドラの匣を開けてしまう結末は忌むべき筈なのに、何故か解放感が伴います。恐らくそれは世間に疎んじられてきた者がテロを行なう際の解放感と似た感覚なのかもしれません(念のためテロを肯定している訳ではありませんし、共鳴している訳でもりません)。

 

誓いの証言 柚月裕子

 

KADOKAWAサイトより

東京・中野に弁護士事務所を構える佐方貞人のもとに、警察から一本の電話が入った。さきほど逮捕した男が、佐方を弁護人に指名しているという。男は大学時代の同期・久保利典で、行きつけのクラブの女性から不同意性交等罪で訴えられたらしい。無実を主張する久保を信じ、事件の経緯を調べはじめた佐方だったが、女性が久保を嵌める動機が見当たらない。隠された接点があるはずだと二人の過去を探るうち、約20年前に香川で起きた、ある石職人の死亡事故が浮かび上がる。

 

本書はヤメ検弁護士の『佐方貞人』シリーズの最新刊です。佐方が不同意性交等罪で訴えられた友人の久保の弁護のために調査をしていく話と並行して、香川の蕃永石の老職人が組織から排除されていく際の人間模様が描かれています。勘の鋭い読者ならば、久保を訴えた女性の本名と彼女の出身地から、二つの話との繋がりと久保を嵌めた動機がある程度推察できるかもしれません。ただし、恨みを晴らすならば、もっと復讐を果たすのに相応しい人物がいるのにと思ってしまいます。その人物ですら、実はコレコレこういう事情で已む無くと後で説明されても、何だよとシラけます。これ以外にも後出しジャンケンが頻発するため、あまりの都合の良さに鼻白んできます。罠に嵌めた女性が別件では被害者の立場にいるため、佐方が裁判の場で不利な形勢を覆したとしても、あまり快感が得られないのも、裁判ものとしてはマイナスポイント。それにしても、佐方が信頼を置いていた久保が、いつの間にか女癖が悪いダメンズになったのか、その変わりようの原因が実は一番知りたかったのですが・・・。

 

白色光の影を浚う 遠坂八重

 

『白色光の影を浚う』特設サイトより

「引きこもりの友人が、別人に入れ替わっている」鎌倉の名門・冬汪高校に通う滝蓮司と卯月麗一は、学内便利屋「たこ糸研究会」の活動に勤しんでいる。ある日二人は、一年生の曽我朝美から奇妙な相談を受ける。朝美は長年、部屋に閉じこもる幼馴染・新藤文乃とドア越しに対話を試みてきたが、先月、部屋の中から聞こえた生活音や差し出されたメモの筆跡が、明らかに文乃のものではないというのだ。調査に乗り出す二人だが、文乃の引きこもりの原因を聞くなり、麗一の態度が一変する。文乃は、六年前の交通事故で妹を亡くしていた。そしてその事故には、麗一の父親が関わっていた――つらい記憶に向き合う痛みとその先にある光を描く物語。

 

この作家の作品は本書が初読みですが、どうやら二人の高校生探偵が難事件に挑む作品がシリーズ化されているようで、この小説はその最新刊です。最新刊では大学受験を控えている高校生二人が、後輩の女子高生から引きこもりの友人が入れ替わっている疑いがあると相談を持ちかけられたことから、小学生の頃に起きた事故の真相が炙り出されていく物語になっています。真相自体は割とシンプルなのにも関わらず、3人の高校生がそれぞれの視点によって語られる上に、時系列もバラバラにしたため、ある因縁を巧みに隠しおおせています。特に幼い頃にシングルマザーの母親から育児放棄と虐待を受けていた卯月麗一と、周囲の目を異常に気にする曽我朝美が、ある一点により二人の繋がりが明るみになる過程はなかなか読ませます。とは言え、ミステリーとしては話が進むにつれ、朝美が隠したがっていた真相は容易に想像がつくので、謎解きとしての面白さはあまりありません(ただし、引きこもりの真相に関しては意外性があり、ホラー的な面白みもあります)。寧ろ、多感な時期の若者による未熟さや弱さから生じる行動に感情移入が出来て、その意味ではミステリーと言うより、通過儀礼を経て成長していく青春小説の色合いが濃いかもしれません。

オブセッション 災愛 公式サイト

 

映画.comより

孤独で内向的な青年ベアは、恋心を寄せている女性ニッキーと距離を縮めたいとの思いから、願いをかなえてくれるという不気味なまじない「ワン・ウィッシュ・ウィロー」に手を出してしまう。しかし、純粋だったはずの恋愛感情は次第に執着(オブセッション)へと変貌し、ベアは想像を絶する惨劇にのみこまれていく。

 

製作:アメリカ

監督・脚本:カリー・バーカー

撮影:テイラー・クレモンズ

美術:ヴィヴィアン・グレイ

音楽:ロック・バーウェル

出演:マイケル・ジョンストン インディ・ナヴァレッテ

             クーパー・トムリンソン メーガン・ローレス アンディー・リクター

2026年7月17日公開

 

監督のカリー・バーガーはYou Tubeで配信した動画で注目を集め、本作で長編映画のデビューを果たしました。更に低予算にも関わらず、アメリカでは大ヒットを記録しました。序盤におけるベアの童貞丸出しかと思うほどの挙動不審なおどおどした振る舞いを始め、そこかしこにユーモラスな場面を散りばめつつ、主人公が憧れの君に対して次第に恐怖を感じていくホラー演出は意外と達者でした。

 

ベアは彼に好意を抱くサラが居るにも関わらず、見目麗しいニッキーに魅かれてしまうのは仕方ないにせよ、願いが叶った直後、ニッキーに誘われながら優柔不断な態度を示します。行っちゃえよ!と心の中で叫んだのは私だけではない筈(笑)。序盤はこのようにヘタレな主人公にツッコミを入れながら観るのが実に楽しいです。

 

ところが、おまじないが効き過ぎたのか、ニッキーのベアへの異常な執着ぶりが露わになってくると、身の毛がよだつほど恐怖を味わう羽目になります。特にニッキーの怒ったかと思うと、すぐに許しを乞うなど、瞬時に態度が豹変するのが見もの。いくら容姿端麗な美女でも、精神を病んだ女とは金輪際関わりたくないと思うほど、変化が凄まじいです。

 

ニッキーに手を焼いたベアは“願いの柳”の箱に書かれた番号に電話をかけ、願掛けの取り消しを頼みます。ところが、一度叶った願いは取り消すことはできないと返答され、ベアは如何なる方法で問題を解決するかが終盤の焦点となってきます。

 

元々、ニッキーは自ら望んでベアを好きになったのでなく、魔法をかけられて恋に落ちたため、彼女を排除して終わりという訳には行きません。したがって、ベアも彼女を手にかける発想はなく、あの手この手を駆使して、ニッキーの暴走を止めようとします。

 

それでも、ベアの親しかった者に犠牲者が出てしまったことから、彼は追い詰められた末に、ある決断を下します。それは已むに已まれぬ手段であり、その選択は妥当だとしても、後味はよろしくありません。しかも、魔法が解けたニッキーはそれまでの経緯が全く分からないため、いきなりあの状況に置かれたらパニックになるのは必至。したがって、作り手がニッキーの後処理を観客が考え始める前に、さっさと切り上げて幕を下ろしたのは賢明な判断でした。

 

DVDあらすじより

遺伝子工学の研究に心血を注ぐペイトン(リーアム・ニーソン)は、希望の燃える若き科学者。ところが弁護士をしている恋人ジュリー(フランシス・マクドーマンド)が手にした収賄事件の証拠書類がもとで、殺し屋一味に襲われ、瀕死の大火傷を負ってしまう。辛くも一命を取り留めた彼は、全身を人工皮膚で覆い隠し、暗闇の超人ダークマンとして復活。絶望を復讐心に変えて、マスクを使った変装テクニックで犯罪組織の撲滅に立ち上がる。

 

製作:アメリカ

監督・原案:サム・ライミ

脚本:チャック・ファーラー サム・ライミ アイヴァン・ライミ

             ダニエル・ゴールディン ジョシュア・ゴールディン

撮影:ビル・ポープ

音楽:ダニー・エルフマン

出演:リーアム・ニーソン フランシス・マクドーマンド

              コリン・フライエルス ラリー・ドレイク

1991年3月21日公開

 

冒頭のギャング同士の取引場面はなかなかよろしいです。身体検査で武器を所持していないことを確かめさせた上で、取引が不成立と見るや、義足代わりのマシンガンを取り出し、それを合図に銃撃戦が始まるくだりは期待を抱かせました。ただし、話自体は「オペラ座の怪人」の焼き直しのような内容で新味はありませんし、然程面白くもないです。それでも、摩天楼の上空で主人公が宙吊りになったまま空中戦を繰り広げるなど、遣り過ぎ感があるのがサム・ライミらしいとも言えます。

 

DVDのあらすじでは、主人公が犯罪組織の撲滅云々と書いてありますが、実際は単に復讐がしたかっただけのように思えます。ただ、ペイトンの殺し方に工夫が足りていない上に、殺し方も雑魚とボスとの“格”の違いを見せていない点が物足りないです。特に現場を仕切るボスと黒幕があっさり殺されるのに対し、寧ろ雑魚のほうがペイトンの受けた制裁に呼応するような無慈悲な処刑のされ方をするのは解せません。また、復讐譚は主人公が殺しておいて捨て台詞が似合うのに、気の利いた台詞が全くなかったのも残念でした。変装テクニックを駆使して犯罪組織を翻弄する点はまぁまぁだったかな。

 

この映画で良かった点は、リーアム・ニーソンとフランシス・マクドーマンドの若い頃の姿を見られたことくらいでしょうか。今見ると、リーアム・ニーソンはなかなかの男前で、アクション時に焼けただれた顔を白いマスクで隠しているのが勿体ないくらい。フランシス・マクドーマンドは逆に若い頃でもいかつい顔つきをしており、主人公に守られる役より自分から局面を打開する女が似合いますね。