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パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

久しぶりに海外ミステリーを取り上げてみました。

 

ハウスメイド フリーダ・マクファデン

 

裏表紙あらすじより

前科持ちのミリーが手にいれた、裕福な家庭でのハウスメイドの仕事。だが、この家は何かがおかしい。不可解な言動を繰り返す妻ニーナと、生意気な娘セシリア。夫のアンドリューはなぜ結婚生活を続けていられるのだろうか?ミリーは屋根裏部屋を与えられ、生活を始める。しかし、この部屋には・・・。そして、家族にまつわる真相が明かされるや、それまでに目にしたものすべてがひっくり返る。恐怖と衝撃のエンタメ小説。

 

本書は三部構成になっており、第一部では仮釈放中のミリーの視点から、ニーナ・ウィンチェスターの理不尽な仕打ち、彼女の娘セシリアの我儘、ウィンチェスター家に潜む闇の部分が語られて行きます。第二部になるとニーナの視点に移り変わり、今まで謎とされていた部分が明らかになり、彼女の異様な振る舞いも腑に落ちてきます。人物の視点を切り換えることによって得られる効果が素晴らしく、第一部でミリーによって語られた光景が第二部のニーナの視点によって一変し、登場人物の印象も劇的に書き換えられます。そして、第三部ではミリーとニーナがそれぞれ抱えている問題を如何に処理するかが焦点になってきます。騙される快感を得たいミステリー好きには堪らない逸品です。尚、「ハウスメイド」はポール・フェイグ監督、シドニー・スウィーニー主演で映画化されており、昨年の12月にアメリカで既に公開されています。

 

終止符には早すぎる ジャドスン・フィリップス

 

裏表紙あらすじより

大都会ニューヨークの夜。いままさにアパートメントビルのテラスから飛び降りようとしている若い娘が一人。警官や近親者の説得にもかかわらず、彼女の決意は固かった。誰もが固唾をのみ見守るなか、殺人事件の容疑をかけられ姿を消していた富豪投資家が現れ、彼女に近づいていく……。“知の巨人”植草甚一が『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』で絶賛。NYミステリーの隠れた名作。

 

最近は海外の埋もれたミステリーを発掘する作業が盛んで、昨年ミステリーランキングを席捲したリチャード・デシングの「私立探偵 マニー・ムーン」もその一例。本書も1962年にアメリカで刊行され、植草甚一が自身のコラム本「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」で絶賛していました。裏表紙のあらすじは、クライマックスの一場面を描写しただけで、そこに到るまでには紆余曲折のドラマがあります。発端は弁護士のコーネリアス・ライアンが依頼人の富豪投資家のマシュー・ヒグビーから会わせたい女性が居るからと、意中の女性フランシス・テリルのアパートメントに連れて行かれたところ、部屋が荒らされ、フランシスは顔に傷を負わされ、彼女の娘のドーンは異様に怯えるという事態に遭遇することから始まります。やがて、二人組の犯人の片割れが、ヒグビーが名誉棄損で告訴しようとするリー・フーパー将軍の甥のデニスであることが判明し、彼が殺害されたことにより、ヒグビーは容疑者に疑われ逃亡する羽目に陥ります。この経緯から如何にドーンの自殺騒動まで発展するになるのかは読んでみてのお楽しみですが、テンポ良くメリハリの利いた物語が展開するため、最後まで息つかせず一気に読めました。

 

夜明けまでに誰かが ホリー・ジャクソン

 

裏表紙あらすじより

高校生のレッドは友人3人と、お目付け役の大学生2人とキャンピングカーで旅行に出かけていた。だが人里離れた場所で何者かに狙撃され、車に閉じ込まれてしまう。午前零時、狙撃者から連絡が。その人物は6人のうちの誰かが秘密を抱えている、命が惜しければそれを明かせと要求してきた。制限時間は---夜明けまで。

 

電波の届かぬ場所でキャンピングカーのタイヤと燃料タンクを破壊され、おまけに外からは狙撃者の銃が狙っている状況から、孤立した状況で犯罪が起きるクローズドサークルミステリーの様相を呈しています。ただし、犯人がキャンピングカーの中にいる6人でないことは自明の理ながらも、協力者は居るかもしれないと疑心暗鬼に駆られます。しかも、狙撃者の狙いは6人の中にいるうちの一人の秘密を、夜明けまでに探り出せという特殊なもの。この極限状況から次第に6人の秘密と本性が炙り出されていくのが、本書の読みどころのひとつになっています。特にお目付け役の大学生のオリヴァーのクズっぷりが最低で、この人物が物語を面白くしています。彼の立てた脱出方法が悉く失敗したにも関わらず、自分の非を認めず、自分以外の者に責任転嫁する独善ぶりに、読んでいる最中でもこいつをボコボコにしたくなります(笑)。ホラー映画ならば、真っ先に死亡フラグが立つキャラクターですが、ここでは終盤まで6人の中では犠牲者が出ず、重傷者が出ても結果的に殺害されるのは最小限に留まっています。この物語では語り手のレッドだけでなく、他の5人も秘密や罪悪感を抱えていて、良心と保身のせめぎ合いをしながら、緊急事態に対処しようとします。そこかしこに伏線が巧妙に張られていて、レッドの母親の殺害の真相も、今回の事件を通して白日の下に曝されます。残酷な物語である反面、一筋の光明も窺える終わり方でした。

人はなぜラブレターを書くのか 公式サイト

 

チラシより

寺田ナズナ(綾瀬はるか)は、とある青年に手紙を書きはじめる。---24年前、17歳のナズナ(當真あみ)は、いつも同じ電車で見かける高校生・富久信介(細田佳央太)にひそかな想いを抱いていた。一方、信介は学校帰りにボクシングに夢中な生活を送り、プロボクサーを目指していた。そんな彼らに、運命の日、2000年3月8日が訪れる。---2024年、ナズナからの手紙を受け取った信介の父・隆治(佐藤浩市)。その手紙の中に亡くなった息子の生きた証を確かに感じ、知りえなかった信介の在りし日が明らかになっていく。そして、隆治はナズナに宛てた手紙を綴りはじめる。愛する者を亡くして生き続けた隆治とナズナの邂逅により、24年前の真実とナズナが手紙を書いた理由が明らかになる。人はなぜラブレターを書くのか---その手紙が“奇跡”を起こす。

 

製作:『人はなぜラブレターを書くのか』製作委員会

監督・脚本:石井裕也

撮影:鎌苅洋一

美術:渡辺大智

音楽:岩代太郎

出演:綾瀬はるか 當真あみ 細田佳央太 妻夫木聡 音尾琢真 富田望生

             西川愛莉 菅田将暉 笠原秀幸 津田寛治 原日出子 佐藤浩市

2026年4月17日公開

 

この手の映画には正直あまり食指が伸びないのですが、

 

1.石井裕也が監督を手掛けていること

2.綾瀬はるかを始め俳優陣が揃っていること

3.地元のシネコンで上映していること

 

以上の3点のみの理由で鑑賞しました。本作は四半世紀前の地下鉄脱線事故によって亡くなった高校生の遺族に、密かに彼に想いを寄せていた女性から手紙が送られてきた実話を元に映画化されています。

 

既に予告編やチラシ等である程度情報を得た上での鑑賞となりましたが、作中人物と同じように大切な人が突然居なくなる喪失感を味わう点では、何の予備知識もないまま観たほうが良かったかもしれません。

 

また、ヒロインの想い人だった高校生が、現在どうなっているのか知らないままのほうが、ナズナの行動に関しても少しばかり謎めいたように映り、より興味を引いたように思います。更に、娘の麻衣への隠し事の理由と彼女への配慮も、後になって腑に落ちる感じで伝わったでしょう。先に信介の運命を知ってしまうと、どうしても驚きの部分が半減されるばかりか、現在進行形のドラマ部分も後の展開を予測出来てしまうのはやむを得ません。

 

個人的には登場人物がメソメソする場面が多いと興醒めするので(「ほどなく、お別れです」も予告編で観るのを断念したほど)、この映画でもその点がやや気になりました。ただし、ナズナは自身が重大な問題を抱えているにも関わらず常に前向きの姿勢でいて、綾瀬はるかがサバザバしたキャラクターを演じていたおかげで、陰鬱な感じはだいぶ和らいでいます。一方、信介も女子高生のナズナへの恋愛感情以外はクールな佇まいをして、演じる細田佳央太も好感の持てる芝居をしていたため、時空を超えた二人の繋がりも実感を伴っていました。

 

細かい点を言えば、信介の大橋ボクシングジムの先輩にあたる川嶋(菅田将暉)の世界タイトル戦の試合が、呆気ないほどの決着で・・・。ボクシングがメインの映画ではないからそこは黙認してもいいのですが・・・。その試合をTV観戦する信介の両親役の佐藤浩市と原日出子のベタなリアクションもどうかと思うぞ。

 

それはさておき、泣ける映画を好む層にはウケる映画と思います。映画自体は悪い出来ではありませんが、前述したように登場人物がやたらメソメソするのは好みでなく、苦手な映画を敢えて選んだこちらに問題があるのでしょう。私が石井裕也監督にはこの手の映画を求めていないことが、改めて分かった次第です。

 

製作:日活

監督:白鳥信一

脚本:吉原幸夫

原作:泉大八

撮影:畠中照夫

美術:土屋伊豆夫

音楽:蓼科二郎

出演:泉じゅん 水城ゆう 岡本麗 絵沢萠子 坂本長利 信太且久

1976年8月11日公開

 

洋裁学院へ通っている泉じゅんはSEX未経験の女の子。でも、友人の水城ゆうは拳銃マニアの影山英俊と遣りまくりなのを羨ましく思っています。そんなある日、泉じゅんは弟の神坂ゆずるが姉の裸を見て自慰行為をしているのが心配になり、水城ゆうに筆下ろしをくれるように頼みます。

 

その代わりに泉じゅんも水城の兄の小見山玉樹の相手をしなければならなくなります。その結果、泉じゅんは水城ゆうの彼氏を含めた四人でハイキングに行った際に、小見山玉樹に彼女のスカートの中に頭ごと潜り込ませるのを許す羽目になる。

 

そんな折、泉じゅんの高校時代の友人で医大三浪の信太且久が、以前から彼女を好きなことを知り、体を許そうとしますが、彼が腹を下したため不調に終わります。それでも二人は、信太且久の母親の絵沢萠子の目を掻い潜り逢引きを続けます。ところが、待ち合わせ場所に向おうとした泉じゅんが偶然恩師と再会し親しくしていたところを、信太且久が目撃して誤解してしまいます。

 

更に母親の絵沢萠子が息子に泉じゅんが男遊びをしていると吹き込んだせいで、信太且久は自棄になり元看護師の岡本麗に筆下ろしをしてもらう羽目になります。追い打ちをかけるように、泉じゅんは絵沢萠子から手切れ金となる小切手を渡され、望みの金額を言うよう促されるのですが・・・。

 

この映画は学生の時に「白い指の戯れ」「女教師」との三本立てで観ました。ロマンポルノ女優陣の中でアイドル系だった泉じゅん目当てで観たのですが、40年以上の月日が経っているため、内容をほとんど忘れていました。

 

映画の冒頭に泉じゅんが友人の水城ゆうと彼氏の影山英俊との交尾を眺める場面と、その恋人二人がおしっこの飛ばし合いをすることくらいしか思い出せません。泉じゅんと信太且久がボートを漕いでいる際に、井上陽水の「愛は君」がバックに流れていたことすらも忘却の彼方でした。

 

泉じゅんが処女という設定のため、裸は見せても、濡れ場は最後まで取っておくような話の流れになっていて、濡れ場における彼女の反応が大人しいのも仕方ありません。そこに繋ぐまで、友人役の水城ゆうがエロティックな場面を一手に引き受けています。口も軽けりゃ尻も軽いキャラクターが巧く嵌っていて、おおらかな彼女ならば是非とも筆下ろしのお相手をお願いしたくなります(笑)。

 

また、この映画では岡本麗の裸や濡れ場も見られるのがちょっと嬉しい。その一方、絵沢萠子は母親役のため、裸や濡れ場の出番はありませんでした。最終的に泉じゅんが意中の信太且久によって処女から卒業できたものの、信太且久が先に岡本麗に食われたことと、泉じゅんが絵沢萠子から手切れ金代わりの小切手を受け取ったことで、ややほろ苦さの残る終わり方をしています。

 

本作は題名から宇能鴻一郎が原作と勘違いしやすいですが、泉大八の「ジュンちゃん」を映画化した作品です。泉じゅんをもっと天然ボケのキャラクターにして、艶笑ポルノの面をもっと強調して欲しかったものの、終盤の展開を見る限り、それは叶わないことだったでしょう。最後に泉じゅんが300万円の小切手の使い道をどうするか興味を持って観ていたら、成程と膝を打ちたくなるオチで締めていました。

ハムネット 公式サイト

 

チラシより

1580年イギリスの小さな村。貧しいラテン語教師ウィリアム・シェイクスピアは、森を愛する自由奔放なアグネスと出会う。2人は互いに惹かれ合い、情熱的な恋愛の末に結婚して3人の子供を授かるが、ウィリアムが遠く離れたロンドンで演劇のキャリアを模索する一方、アグネスは独りで子どもたちを守り家庭を支えていた。そんななか一家に大きな不幸が訪れ、かつて揺るぎなかった夫婦の絆が試されることになる---。

 

製作:イギリス

監督:クロエ・ジャオ

脚本:マギー・オファーレル クロエ・ジャオ

原作:マギー・オファーレル

撮影:ウカシュ・ジャル

美術:フィオナ・クロンビー

音楽:マックス・リヒター

出演:ジェシー・バックリー ポール・メスカル エミリー・ワトソン ジョー・アルウィン

2026年4月10日公開

 

※かなりネタバレをしていますのでご注意ください

 

色々な意味でキツい映画でしたわ。幼い子供の死も然ることながら、アグネスからまるで「肝心な時にあなたは居ない」と責められているようなウィリアム・シェイクスピアの姿を見ると、子供と親の違いはあれども、両親の死に目に会えなかった身としては身につまされました。

 

ウィリアムは戯曲の執筆活動に専念するため、単身赴任の形で家族とは離れ離れになります。ハムネットの双子の妹・ジュディスが病弱のため、家族帯同で都会のロンドンで暮らすことができず、アグネスも薬草師であることから森から離れることはできないからです。アグネスは自身と夫の事情を理解しているものの、妻の心は息子の死を契機に夫から離れていきます。

 

ウィリアムも言葉を尽くして自分の苦しい胸の裡を伝えようとするのですが、彼女の心には響きません。こうして離れた夫婦の溝を如何にして埋めていくかが、終盤の見どころとなってきます。

 

アグネスはハムネットが亡くなったにも関わらず、夫が息子の名前にちなんだ題名の芝居を打とうとしていることに憤り、兄を伴ってロンドンまで見に行きます。この芝居の場面が圧巻で、思わず魅入ってしまいます。

 

アグネスは芝居が始まってもあらゆることが癇に障り大声を出すものですから、周りの客にとっては迷惑な存在でしかありません。やがて、興奮のあまり前へ前へと進んでいき、最前列に陣取ってしまいます(笑)。ところが、彼女は芝居が進むにつれ、次第に話に引き込まれていきます。

 

子供を失ったことへの苦しみを分かち合えなかった夫婦が、芝居を介することによって、二人は互いに喪失感が一緒だったことに気づかされます。観客もこの点に心を揺さぶられます。

 

演劇に限らず、小説、映画等の創作では、頭で考えただけでは人の心を震わせることは難しく、作り手自らが苦しみを味わう実体験を経て、初めて良質の作品が生まれることが多いように思います。この映画における「ハムレット」の芝居でも、幼くして亡くなった息子の記憶の断片が、別の物語として昇華されています。だからこそ、アグネスを始めとする観衆が舞台と一体化し、我々観客もその美しい光景に、感動を呼び起こされると言えるでしょう。

 

序盤を観る限りでは、難儀な映画の予感がして、しんどい思いで観ていましたが、物語が進むにつれ心を奪われて行き、最後は目がウルウルしてしまいました。

 

DVDあらすじより

ある映画の主演女優ジュリーが失踪したために代役に選ばれたケイティは、雪の中を車で連れられある豪邸に着く。そこにはプロデューサーのDr.ルイスが1人で暮らしていた。髪型を変えジュリーそっくりになったケイティは、電話線が故意に切られていることに気づき、逃走する。しかし、すぐに捕らえられ、薬を飲まされ眠ってしまう・・・。

 

製作:アメリカ

監督:アーサー・ペン

脚本:マーク・マローン

撮影:ジャン・ウェインク

美術:ビル・ブロディ

音楽:リチャード・エインホーン

出演:メアリー・スティーンバージェン ロディ・マクドウォール

             ジャン・・ルーベス ウィリアム・ラス マーク・マローン

1987年10月31日公開

 

映画は、女性がコインロッカーから札束の入ったバッグを持ち出し、公衆電話で何者かに電話をかけてから車に戻ると、後部座席に忍び込んでいた人物に絞殺されるところから始まり、売れない女優のケイティが代役女優のオーディションを受けに行く場面へと繋がっていきます。

 

察しの良い方ならば話が進むにつれて、映画プロデューサーのDr.ルイスと彼の下僕のマレーが、ケイティを誰かの身代わりに利用して犯罪を実行しようとしていることは容易に予測できるでしょう。ケイティも二人の挙動不審な行動や自身の身分証明となる物が燃やされたことで、犯罪に巻き込まれていることを感じ、脱出を試みますが失敗します。

 

彼女は薬を飲まされて眠らされ、目覚めると身体の一部に異変が起きていることに気づきます。これがなかなかショッキングで、ケイティならずとも叫びたくなります。この“異変”が後半になるにつれ、なかなか巧い使われ方をしていて、映画を面白くしていました。

 

ケイティは屋根裏にある電話を見つけ、パートナー(夫それとも恋人?)や警察に助けを求めますが、全く役に立たないのが笑えます。特にパートナーのローランドは、ケイティが手掛かりとなるヒントを残していたにも関わらず、そのことに気づかない辺りがボンクラ好きには堪りませんでした。尤も、ヒロインが自力で解決するのがサスペンスの王道ではあるので、手掛かりをスルーするのは正統と思えます。

 

アーサー・ペンにしてはミステリーやサスペンスの分野を手掛けるのは珍しく、彼にとっては中級のレベルでも、ちゃんとした作りになっているため安心して観られましたよ。この映画を観終わった後は、悪党側の仕掛けた犯罪の意図との共通点から、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、アラン・ドロン主演の「悪魔のようなあなた」も観たくなってきました。

 

それにしても、主演女優のメアリー・スティーンバージェンが次第にケイト・ブッシュに見えてきて、映画の後半は中年期のケイトに脳内変換をしながら観ていました。

 

山田洋次オフィシャルサイトより

ハナ肇と倍賞千恵子を再び主演で迎えて贈る人情喜劇。管理体制の中で無気力な生活を送る中年役人と、自由気ままに生きている男との奇妙な友情を監督独特のユーモアとドラマ性で描く。

 

製作:松竹

監督:山田洋次

脚本:森崎東 山田洋次

撮影:高羽哲夫

美術:重田重盛

音楽:木下忠司

出演:ハナ肇 倍賞千恵子 山口崇 中北千枝子 真山知子 松村達雄 有島一郎

1966年11月12日公開

 

山田洋次監督の作品は、「馬鹿が戦車でやって来る」「運が良けりゃ」など、『男はつらいよ』シリーズ以前の60年代のハナ肇主演の喜劇を特に好んで観ました。今時、風来坊という言葉は死語と思いますが、がさつな男が非常に似合うハナ肇には、本作も格好のキャラクターでした。

 

冒頭の小田急線内で有島一郎が、初めてハナ肇と出会う場面からして、この男とは関わり合いたくないと思わせます。山田監督自身、この冒頭の場面は実際に体験したことがあるらしく、妙にリアリティがあると腑に落ちました。

 

数日経ってから、二人はタクシー乗り場で再会し、酒場で意気投合した末に、有島が自宅までハナを連れ帰ってしまい、家人からあからさまに迷惑な顔をされます。それでも、ハナはちょくちょく有島の自宅にお邪魔するようになります。

 

シラフの状態の時のハナは、意外にもまともな振る舞いをし、有島とその家族に対しても分を弁えています。また、訪問のたびに土産を持ってきて、家の修理を行なったおかげで、ハナは彼らにとって重宝な存在となり、次第に家族にも受け入れられるようになります。

 

そんな折、ハナは自殺しようとした倍賞千恵子を助け、有島一家も彼女をお手伝いさんに雇って面倒を見ます。やがて、ハナが倍賞に気があると察した有島は、二人を結びつけようと、ハナに倍賞を映画に誘うよう提案します。ところが、映画鑑賞を終えた帰り道、二人は思わぬ事態に見舞われ、有島とその家族もその騒動に巻き込まれます。

 

以上がこの映画の大まかな筋で、喜劇でありながら、誤解の積み重ねによってハナと倍賞が引き裂かれ、有島も左遷に近い形で単身赴任するなど、ホロ苦い要素も含んでいます。また、ハナ肇主演の映画でありながら、語り手である有島一郎の存在が大きく、ハナとは対照的な小市民なのに、物語が進むにつれ主役にすら思えてきました。

 

脇役陣では有島の女房を演じる中北千枝子が主婦の生活感を巧みに引き出していて、隣家の噂好きの久里千春も中流家庭における俗物感を十分漂わせていました。

 

結末は後味の良い終わり方である一方、やや甘い感じが無きにしも非ず。尤も、有島が赴任先に向かう途中の邂逅なので、ホロ苦さも半分混じっていると思えば、甘さを受け入れることにはやぶさかではありません。

 

 

 

製作:イギリス

監督:リチャード・アッテンボロー

脚本:アン・スキナー

撮影:ゲリー・ターピン

美術:ハリー・ホワイト

出演:ローレンス・オリヴィエ ジョン・ギールグッド ラルフ・リチャードソン

             ジョン・ミルズ ケネス・モア ヴァネッサ・レッドグレイヴ

             ダーク・ボガード スザンナ・ヨーク マギー・スミス

1970年10月24日公開

 

1914年初頭、一触即発の状態にある欧州において、セルビアの青年がサラエボ訪問中のオーストリア皇太子を暗殺したことにより、中立を守っていた英国も連合国側として参戦を余儀なくされました。英国はヘイグ将軍(ジョン・ミルズ)の指揮のもとで志願兵を募り、国民も熱狂の渦に巻かれ、スミス家からも兄弟たちが次々と戦線に出兵して行きました。

 

しかし、戦況は芳しくなく、次第に厭戦ムードが漂い出し、司令官のフレンチ元帥(ローレンス・オリヴィエ)も、軍部の勢力争いの影響で積極的な態勢をとろうとしませんでした。やがて、国内では反戦の機運が芽生え始め、バンクハースト夫人(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)らが街頭演説で支持を得ようとするものの、演説を聞いた人々の反応は冷ややかでした。そんな中、兵士たちに大量の犠牲者が出ても、ヘイグ将軍は戦争に前のめりになっていくのですが・・・。

 

この映画は邦題とは裏腹に、戦争の恐怖、残酷さ、悲惨さ等を描いた反戦映画です。現実と架空の世界が交錯するファンタジックな作りをしており、しかも、ちょっとしたミュージカル仕立てになっています。本作は元々ジョーン・ウッドによる舞台劇でした。生真面目に反戦を訴えるのではなく、時に痛烈な風刺とユーモアを交えながら、戦争の愚かさを垣間見せている点に、リチャード・アッテンボローのセンスの良さが感じられます。

 

初めての監督作と思えぬほど洗練された演出をしていて、架空の世界から現実に引き戻される際にはしばしばジャンプカットが見られ、作り手の意図が十分感じられる秀逸な繋ぎ方をしています。また、赤いポピーに死の意味を与えた上で、作中ではその花を効果的に使っています。

 

他にも英国軍、独逸軍の兵士たちが塹壕から出てきて、中間地帯で交流を図る場面があり、戦争の苛烈な面ばかりではなく、ある程度、希望の持てる展開も見せます。因みにこの場面はクリスマスの時期の設定で、戦闘地帯一面には雪が積もっています。しかし、撮影されたのは暑い時期にあたり、人工的に雪を造らせたらしいです。1910年代を再現した美術も素晴らしく、建物、車、服装、髪型など、当時の雰囲気が我々の生きる現在にも伝わってきます。

 

出演する俳優陣も豪華で、名優だらけのオールスターキャストと言っても過言ではありません。あのダーク・ボガートですら、ここではほんの端役に過ぎないのですから。監督としては新人なのに、多くの名優たちを仕切れるリチャード・アッテンボローが凄過ぎます。最後は空撮を用いて無数の十字架を映すことによって、戦争が愚かな大量殺人であることを端的に示して終わります。掛け値なしの傑作です。

教場Ω 刑事・風間公親 長岡弘樹

 

小学館サイトより

T県警富葉署の刑事・石貫尊利は、若い女性が殺害された現場に臨場し、新人刑事の風間公親に再会する。風間は警察学校を首席で卒業、異例のスピードで県警捜査一課の刑事となっていた。T県ではさらにもう一件、若い女性が殺害される事件が発生。石貫と風間は、二つの事件の凶器に類似性があることに着眼し、容疑者・十崎波瑠を特定。十崎は一時行方をくらませたが、後日、万引きの罪で小規模署の五百川署に勾留されていることが判明する。風間公親ד千枚通し”の男、ファーストコンタクト!

 

本書は警察学校の教官になる前の刑事時代の風間公親が描かれています。ここでは風間の目を潰した因縁の十崎波留と初めて遭遇しています。ただ、“肝心の部分”はまだ語られていないため、おそらく続編まで取っておくと思われます。シリーズの断片的な情報から、十崎には無差別殺人を繰り返すサイコパスのイメージを抱いていました。ところが、この前日譚を読む限りでは、犯行動機には明確な理由があり、計算され尽くした行動からだいぶ印象が違ってきました。尤も、妹に対しては異様なほどの執着心があるため、頭おかしいと思わなくもありません。一方、風間は刑事の頃から観察力が鋭く、先を読む術に長けています。彼の相棒となる先輩刑事の石貫は、後輩の抜け目のなさが鼻につき、最初のうちは反感を覚えます。しかし、石貫は自分に欠けているものを風間が多く持っていることを認め、自分にも風間にはない経験値があることを自覚してから、徐々にコンビに一体感が出てくるのが心地良く感じられます。本書以降も、刑事時代の風間公親シリーズは続いていくように思われます。

 

ノーウェア・ボーイズ 井上先斗

 

KADOKAWAサイトより

憧れの女性と結婚した中学時代の友人が、人を殺したという。社会人二年目の僕のもとに舞い込んだ衝撃のニュースは、忘れたかった記憶を呼び起こす。町田生まれ町田育ち、中学二年生の僕が「この街で知らない場所はない」と思っていたあの頃、リス園での事件から僕を助けてくれた〈響さん〉。憧れの彼女と過ごした僕ら四人の輝かしい日々は、たった一つの暴力で終わりを告げた――。あれから十年。今度は響さんを助けるために、僕は過去に向き合わなくてはならない。ひとりよがりな思いが想像を超える瞬間へと繋がる、愚かでクールな青春ミステリ。

 

中学時代の旧友が大人になってから殺人を犯す話が出てくるものの、どちらかと言えば青春小説の趣きのあるミステリーです。中学生の根津光一、中村優、谷口幸宏、猪瀬和希による年上の桐原響を巡る話が実に瑞々しく、甘酸っぱい気持ちにさせられます。響は多感な少年たちの問題に関わったことから、精神的な支柱になっています。ところが、あることをきっかけに、4人のうち3人が彼女と縁が切れ、猪瀬だけが響との関係を続けていきます。その猪瀬もある事件を起こしたことで窮地に陥り、光一の帰省をきっかけに中村と谷口と共に、猪瀬と響のために一肌脱ごうとする話の流れになってきます。少年時代に救われた男たちが、大人になってから今度は彼女を救おうとする話自体が美しいですし、伊坂幸太郎ほどの饒舌さはないものの、独特の軽みとユーモアのある文体も心地良く感じられます。少年時代に問題解決の糸口になったバッティングセンターが大人になってから再び登場し、解決の一助になっている点も物語を綺麗に締めていました。

 

スコッパーの女 山白朝子

 

KADOKAWAサイトより

◆文章を読むと、作家の内面を体感できる共感覚を持つ女はある時、吐くほどにおぞましい内面世界を持ったΩという作家を見つける。Ωの驚愕の正体とは。(スコッパ―の女) ◆著者が知り合った奇妙な作家L。彼は物事の終焉までの距離を【深さ】として観測できるらしい。ある日Lは鏡に映った自分に【深さ】が全くないことを知る……。(終焉を告げる小説家) ◆自分が生み出した天峰翔陽というキャラクター。同名の人物が現実にいることが分かり、やがて物語と現実がシンクロし始める。(シンクロニシティ) 他2編。小説家に纏わる身の毛もよだつ戦慄の短編集。

 

本書は五編から成る短編集で、前書きに「収録されている作品は、私が収集した出版関係者の奇妙なエピソードを小説の形式に書き直したものである」と記されていることから、著者の見聞きした実話が元ネタになっていると思われます。いずれの短編も小説家の“業”が窺え、登場人物の名付けのこだわり、スランプの対処法など、小説家に関して色々興味を引くものがありました。五編の中ではオチが意表を突かれる「小説家の憂鬱」がミステリーとして面白かったです。語り手の私を一瞬ゾクッとさせる「終焉を告げる小説家」は読者を誤った方向に向けさせる過程が巧く、「青軸卿」はあまりのホラ話に愉快になってきます。「シンクロニシティ」は大衆がフィクションと現実を一緒くたにする点において、30年以上前に放映された「ポケベルが鳴らなくて」の裕木奈江バッシングを思い出しました。表題作の「スコッパーの女」は、無名作家のネット小説に目を通し、宝石の原石を自分の手で発掘することを無上の喜びとする“スコッパー”という存在が興味深かったです。それも然ることながら、小説から書き手の内面世界を感じ取る能力が秀でたゆえに、悲劇的な結末を迎えるまでの過程も良かったです。

 

 

公式サイトより

偶然ラジオから流れたセックス・ピストルズに衝き動かされたカメラマンのユーイチは、ロックミニコミ雑誌「ロッキンドール」に出会い、とあるライブハウスへと足を運ぶ。そこで出会ったボーカルのモモ率いるバンド「TOKAGE」のライブに衝撃を受け、無我夢中でシャッターを押した。そこは音楽もバンドも観客たちも何にも縛られない生のエネルギーに溢れた異空間だった。カメラマンとしてライブの撮影を依頼されたユーイチはモモたちと交流を重ねる。やがて彼らの音楽は瞬く間に若者たちを熱狂させ、日本のロック史を塗り替えていくのだが。

 

製作:『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』製作委員会

監督:田口トモロヲ

脚本:宮藤官九郎

原作:地引雄一

撮影:鍋島淳裕

美術:丸尾知行

音楽:大友良英

出演:峯田和伸 若葉竜也 吉岡里帆 仲野太賀 間宮祥太郎 中島セナ 大森南朋 中村獅童

2026年3月27日公開

 

本作は写真家の地引雄一の自伝エッセイ「ストリート・キングダム」を映像化しており、当時カメラマン兼マネージャーだった地引の目から、パンクロックを通じて既存の音楽を変えようとした若者たちの姿を描いています。

 

1978年の頃は高校生で、専らストラングラーズやトム・ロビンソン・バンドなどイギリス勢のニューウェーヴバンドを聴いていたため、東京ロッカーズというムーヴメントは知っていても、その実態には疎かったので、この映画はだいぶ参考になりました。

 

紅蜥蜴やリザードに所属していたモモヨ(映画ではTOKAGEのモモ)の実家がレコード店、ZELDAの小嶋さちほ(映画ではロボトメイヤのサチ)の実家が実際に印刷所だったのかは定かではありませんが、映画はほぼ事実を基にして撮られていたように思います。

 

ミュージシャンはほぼ存命のせいか、登場人物の名を微妙に変えていて、バンド名も実際にはアルバムのタイトルだったり、アルバムジャケットもリザードのファーストアルバムやフリクションの「軋轢」に似せたり、随所に遊び心のある作りをしています。

 

冒頭では仲野太賀演じる解剖室の未知ヲが大学祭で過激なパフォーマンスを行ない、警察に連行される描写があり、正にザ・スターリンの遠藤ミチロウを彷彿とさせました。正直、彼のステージ上のパフォーマンスは感心ないのですが、後の場面でステージが始まるまでの過程を見せられると、怒りの衝動に駆られる感情もある程度腑に落ちてきます。

 

映画の中ではミュージシャンの破天荒な言動がしばしば見られ、“ちゃんとした大人”の地引雄一(映画ではユーイチ)の視点を入れることによって、彼らがただ感情に任せて常識外れの振る舞いをしている訳ではないことも理解できてきます。監督を手掛けた田口トモロヲは俳優業の他にバンドでの活動をしているだけあって、ミュージシャンの内面を熟知しており、そのことが映画にも反映されていました。

 

それにしても仲野太賀の遠藤ミチロウ、若葉竜也のモモヨは勿論、フリクションのレックをクールに演じた間宮祥太郎、小嶋さちほをチャーミングに演じた吉岡里帆など、俳優による実在のミュージシャンの成りきりぶりには感嘆しました。その一方で、銀杏BOYZの峯田和伸は本職のミュージシャンにも関わらず、この映画ではカメラマン兼マネージャー役で、余興で少しだけ歌を披露するのに留めています。この辺りに、田口トモロヲの茶目っ気とこだわりも窺えました。

 

劇中では地引雄一の撮った(と思われる)白黒写真が時折挟まれることによって、コンプラに縛られていない昭和の時代も感じられ、50年近い昔の空気を知っている者にとっては、かなり楽しめる映画でした。

 

DVDあらすじより

昭和22年、瀬戸内海。復員兵・重佐(真田広之)は地獄のビルマ戦線から共に生還した鬼庄(佐藤浩市)と再会する。鬼庄は、小型漁船“梵天丸”を駆って瀬戸内一帯を荒らしまわる海賊になっていた。鬼庄とその仲間に加わった重佐は、ある夜、襲撃した船から大阪の嫁ぎ先へ向かう途中の娘・洋子(安田成美)を誘拐する。ところが嫁ぎ先が新興やくざ花万に洋子の捜索を依頼したことから、瀬戸内海を血で染める壮絶な戦いが繰り広げられることになる・・・。

 

製作:大映 ディレクターズ・カンパニー・インク

配給:松竹

監督:井筒和幸

脚本:西岡琢也 井筒和幸

原作:西村望

撮影:藤井秀男

美術:下石坂成典

音楽:武川雅寛

出演:真田広之 佐藤浩市 安田成美 平田満 堀弘一 今井美樹 蟹江敬三

1986年4月19日公開

 

井筒監督の作品は「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」「パッチギ!」「ヒーローショー」といった代表作すら観ていなく、「のど自慢」「黄金を抱いて飛べ」しか観ていません。こちらが勝手に井筒監督とは相性が悪いと思って敬遠したせいもありますが、それでも「のど自慢」は結構お気に入りの映画でした。本作は果たして?

 

当時若手だった真田広之、佐藤浩市、安田成美が新鮮なのに加え、女優時代の今井美樹が垢抜けていなく(笑)、脇役陣も西村晃、吉行和子、蟹江敬三、平田満と粒が揃っていて、中村玉緒も真田広之の母親役として一瞬顔を見せるなど、役者に関しては期待通りでした。殊に敵役となる蟹江敬三の憎々しさは格別でした。

 

その反面、ストーリーや演出に関しては物申したくなる点が多々ありました。そもそも娯楽作にも関わらず、話が分かりにくいのが致命的。テンポ良く進むのは歓迎ですが、かなり端折っている部分が見られ、結果的に登場人物の行動が意味不明になっているのは困りもの。西村望の原作は未読なのですが、脚本に相当問題があると思われます。

 

おまけに人間関係が巧く整理できていないため、ストレスのかかる鑑賞を強いられました。観る側に人間関係が把握できていれば、猪狩(木之元亮)にレコードを投げつけて顔に傷を負わせた人物が何者なのか、顔を映さなくても別にいいのですが(おそらく花万が洋子を見つけられない部下に対しての怒りの表明)、火つけ柴の仕業かと誤解を招きかねません。

 

また、火つけ柴と女郎屋の女将のたえ(吉行和子)が血の繋がった関係にあることは、逆にそれとなく仄めかす演出のほうが効果的だったように思います。他にも船に火をつけられ這う這うの体で逃げ出す重佐や鬼庄に対し、火つけ柴がそこで見逃すか?と思うような場面や、最後にその人物を死なせる?と言った疑問符がつく結末など、井筒監督作を無意識に敬遠してきた理由が分かったような気がしました。

 

かなりがっかりさせられた作品ではあるものの、エンドロールに流れた歌が桑名晴子と加川良のデュエットだったことと、今井美樹の裸が見られたことが嬉しい誤算と言ったら、作り手に怒られるかな?