パンクフロイドのブログ -3ページ目

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

 

映画.comより

平凡な主婦リビーは、ハンサムな夫ニックと幼い息子マティと幸せな生活を送っていた。しかし、ある日突然夫殺しの容疑で逮捕されてしまう。マティを親友アンジーに預け刑務所暮らしを送ることに。が、その間にマティとアンジーが行方不明となる。刑務所仲間と協力して調査すると、実は存命する夫と一緒に暮している衝撃の事実を知ってしまう。怒りに震えたリビーは、仲間が仄めかした”ダブル・ジョパディー=二重処罰の禁止”に望みをたくし、6年後、出所するや夫に復讐すべく立ち向かう。

 

製作:アメリカ

監督:ブルース・ペレスフォード

脚本:デヴィッド・ワイズバーグ ダグラス・S・クック

撮影:ピーター・ジェームズ

美術:アンドリュー・ネスコロムニー

音楽:ノーマンド・コーベイル

出演:アシュレイ・ジャッド トミー・リー・ジョーンズ ベンジャミン・ウェアー

             アナベス・ギッシュ ブルース・グリーンウッド

2000年3月4日公開

 

ニック・パーソンズは横領の罪で財産を差し押さえられ、破産の危機にあったことから、別人に成り済まして妻のリビーの友人のアンジーと息子のマティと共に第二の人生を送ろうと画策しました。そのためには、妻を受取人にして自分に多額の保険金をかけた上で、リビーに殺されたように見せかける必要がありました。

 

リビーにとっては迷惑なことで、状況証拠だけで殺害容疑がかけられ、起訴された上に有罪判決が下され監獄送りとなります。日本では死体が見つからない限り、起訴されることはないと思うのですが、あちらでは死体がなくても状況証拠だけで起訴に踏み切ってしまえるのでしょうね。ビル・S・バリンジャーの「歯と爪」も“罪体” のない殺人事件を扱っていましたし。

 

夫の陰謀を何も知らないリビーは、有罪判決を下された後にアンジーに息子のマティを託し、夫の保険金を息子名義で信託財産にして養育することを頼みます。アンジーは当初マティと一緒に面会に来たものの、暫くして面会に訪れなくなり、連絡も取れなくなります。不安になった彼女は知恵を絞り、漸くアンジーの連絡先を探り出し監獄から電話をかけます。その電話の最中に、リビーが夫と友人の罠に嵌められたと気づく演出がなかなか巧いです。

 

リビーは元弁護士の囚人女性から同一の犯罪では二度有罪にはならないことを教えられます。更に、仮釈放の審査では従順に振る舞うようアドバイスされたことで、刑期より早く釈放されます。仮釈放されたリビーは当分の間、保護観察官トラヴィスの監視下で更生施設に居住しながら生活を送ります。この保護観察官の役を演じるのがトミー・リー・ジョーンズ。役柄は違えども、ハリソン・フォード主演の「逃亡者」の厳格な刑事とほぼ同じキャラクターでリビーを追っていくと思ってよろしいです。

 

服役中のリビーの電話で危機を抱いたニックが既に住所を移していたため、彼女は仮釈放後に一から彼らを捜さなければならなくなります。その焦りからリビーはヘマを犯します。その結果、リビーは再び監獄へ戻されそうになったため、フェリーから脱走しようとします。ここでのリビーの行動があまりにも無茶なため、彼女の護送を務めるトラヴィスが気の毒になってきます(笑)。

 

ニックの居所を突き止めるため、彼女は様々な機転を利かせます。ワシリー・カンディンスキーの抽象画を購入すると称して美術商に出向き、出品者のニックの居所の手掛かりを探り、高価なドレスを調達する際も他人名義でツケにして、近くの夫婦に話しかけてパーティー会場に入るなど、リビーがあの手この手を駆使するのも見どころのひとつになっています。

 

題名の「ダブル・ジョパディー」は合衆国憲法修正5条に定められた二重罰の禁止を意味していて、当然結末も法律に則った終わり方をしています。ただし、目的が復讐と言うより子供と一緒に暮らす意味合いが強かったため、ヒロインのイメージはだいぶ良くなっています。とは言え、観る方としてはもうひとヒネリ欲しかったという思いもありましたね。

 

 

DVDあらすじより

水爆を搭載したアメリカの爆撃機が、司令部から暗号を受信。何と、それは“モスクワ爆撃命令”。しかし、それは機械の故障による間違った指令だったのだ。気づいた時には、すでに遅く爆撃機編隊を呼び戻す術は、失われていた。合衆国大統領は、核戦争回避のために、恐ろしい提案をするが・・・。

 

製作年:1964年

製作:アメリカ

監督:シドニー・ルメット

脚本:ウォルター・バーンスタイン

原作:ユージン・バーディック ハーヴェイ・ホイラー

撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド

美術:アルバート・ブレナー

出演:ヘンリー・フォンダ ダン・オハーリヒー ウォルター・マッソー

            フランク・オバートン ラリー・ハグマン

1982年6月26日公開

 

そもそも本作を再見しようとする気になったのは、ヨルゴス・ランティモスの「ブゴニア」のラストを観たことがきっかけでした。露悪的な描写はヨルゴス・ランティモスらしい表現なのに対し、同じ人類の運命を描いているにも関わらず、シドニー・ルメットは“見せない”ことによって、悲惨さを伝えていました。

 

この映画は、核戦争の恐怖を扱っていることや、同じ年にアメリカで公開されたことから(「未知への飛行」の日本での公開は1982年)、スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」と比較されて語られていることが多いです。実際両者には似たような描写が見られ、キューブリックは盗作されたと訴訟まで起こしています。

 

ただし、「博士の異常な愛情」がブラックユーモアを含んだ風刺劇なのに対し、「未知への飛行」は誤操作や誤作動で核攻撃が起きる恐怖を正攻法で描いており、作品の趣きはだいぶ違います。人類滅亡の危機を切実に感じるのは後者でしょう。1962年にキューバ危機が起きたことによって米ソによる一触即発状態の緊張が高まり、こうした背景が映画製作の下地になったと思えます。

 

映画はほぼ米国の空軍指令室、国防総省、ソ連の首脳とホットラインで遣り取りする大統領室、米軍の戦闘機内だけで話が進んでいきます。室内のみでの描写にも関わらず、終始、緊迫感が持続するのは、シドニー・ルメットならではの演出と言えるでしょう。室内における演出に関しては「十二人の怒れる男」の監督で得た経験が大きかったように思います。

 

また、ブラック将軍(ダン・オハーリー)やボーガン将軍(フランク・オーヴァートン)のような理性的な軍人がいる反面、好戦的な政治学者のグロテシェル教授(ウォルター・マッソー)のような憎まれ役も存在して、人物による対比と意見の食い違いから生じる軋轢も見どころのひとつになっています。

 

合衆国大統領(ヘンリー・フォンダ)は、あらゆる手を尽くしても、爆撃機を呼び戻すことも撃墜することもできず、全面戦争を避けるためにある決断を下します。その決断は苦渋に満ち、同時に非情でもあります。ラストはニューヨークの何気ない日常の風景がスナップショット風に映し出されて終わりますが、そこには胸を締め付けられるほどの痛ましさが隠されています。

 

戦争を避けるためには、軍事による抑止力はある程度必要不可欠でしょう。特に軍事力が高く独裁体制の国家は、戦力差が著しいとその気を起こしやすく、戦争のリスクがより高まります。しかし、軍事バランスによる抑止力には大きな代償を伴うことも意味しており、本作はその代償の怖ろしさをまざまざと思い知らされる一作です。

 

DVDあらすじより

少年サム(浜上竜也)は重度の知的障碍を持ちながらも、人並外れた記憶力を持っている。しかし、その能力が災いして、偶然にも警察の汚職事件に巻き込まれる羽目に陥ってしまう。権力を盾に、サムを犯人に仕立てようと目論む人々から彼を救い出そうと、一緒に暮らすチチ(原田芳雄)、在日朝鮮人のハハ(倍賞美津子)、そして養護学校の教師・直子(肘井美佳)までが身体を張って事件の謎に挑んでいく!

 

製作:シマフィルム ビーワイルド 衛星劇場

監督:森崎東

脚本:近藤昭二 森崎東

撮影:浜田毅

美術:磯見俊裕

音楽:宇崎竜童 太田恵資 吉見征樹

出演:浜上竜也 肘井美佳 石橋蓮司 余喜美子 加瀬亮 守山玲愛 岸部一徳

             柄本明 笑福亭松之助 塩見三省 中川梨絵 李麗仙 倍賞美津子 原田芳雄

2004年11月13日公開

 

潜水夫であるチチは、知的障碍を持つ息子のサムを一人前の潜水夫にしようと思っており、彼の教育方針を巡って在日朝鮮人のハハと娘の千春(守山玲愛)とは別居状態にあります。

 

サムは人並外れた記憶力があり、その卓越した能力ゆえに刑事の丹波(塩見三省)と立花(加瀬亮)に捜査協力したにも関わらず、裏金作りをした次期検事総長(岸部一徳)、次期検事総長に賄賂としてベンツを贈ったやくざ(笑福亭松之助)、裏金作りの証拠となる裏帳簿に関連した汚職事件に巻き込まれてしまいます。

 

その結果、サムはベンツを盗難した事件の関係者に仕立てられ、検察や警察の不祥事が闇に葬られそうになります。冤罪にされそうになるサムを、チチ、ハハ、養護学校の若い女性教師が救おうとするのが、この映画の骨子です。

 

森崎東監督の映画では、権力側の不祥事の隠蔽に巻き込まされた人々を描く点において、「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」に連なる作品と言えます。原田芳雄と倍賞美津子の共演、警察とやくざが癒着する点も同様です。

 

映画の舞台は京都・舞鶴。戦前までは軍港として栄え、戦後は中国大陸、朝鮮半島、シベリアからの引き揚げ者の受け皿となった港であり、その名残が映画の中でも窺えました。

 

現代社会に潜む問題を取り上げる社会派の作品ながら、常にユーモアを忘れないのが森崎監督らしいですし、チチを潜水夫にして、サムに受け継がせるような設定にしたのも、検察や警察の不祥事を暴く伏線にしている点において話が良く練られていました。

 

娘と警察組織の狭間で苦渋する石橋蓮司、己の保身のために冷徹な命令を下す岸部一徳、パワハラ刑事の塩見三省などの脇役が、いつも通りの芝居を発揮する一方、温厚な印象のある笑福亭松之助をやくざの親分に仕立てて、やくざの怖さを演出するのも見ものでした。

 

 

 

私のブログではテレビドラマ、テレビアニメ、ヴァラエティ番組など、テレビに関する話題をあまり取り上げていませんでした。今回、テレビに纏わる想い出と言う形を取って、今まで見てきたテレビ番組とそれに纏わる事柄を徐々に書いていこうと思っています。

 

私が物心つく頃には、既に白黒のテレビが1台置かれていました。最初にテレビで見たのは記憶がなく、両親は大瀬康一主演の「隠密剣士」を見ていたと言っていましたが、全く思い出せません。ただ、霧の遁兵衛を演じていた牧冬吉は、その後「仮面の忍者 赤影」が放映された時に見覚えがあったので、ドラマを理解しないままぼーっと見ていたのでしょう。

 

幼稚園に上がる前はまだ東京に住んでいて、その頃見たテレビ番組で微かに憶えているのは「忍者部隊 月光」。特にオープニングと主題歌が印象的で、現代劇にも関わらず、この頃から忍者モノは好物でしたね(笑)。

 

 

埼玉に引っ越してからは「ウルトラQ」に夢中になりました。リアルタイムで見たのが、その後特撮に嵌るきっかけになったと思います。ガキにとってはガラモン、ペギラなどの怪獣に興味津々の一方、「1/8計画」「206便消滅す」「クモ男爵」「悪魔ッ子」のようなSF、ホラー系統の回も好んで見ました。「あけてくれ!」は再放送の時に見たのかな?回によっては怖い思いをしながら見ていたのですが、毎回終わりに出てくる“終”という文字が怖く、何故この文字に恐怖を抱いたのか、今でも謎です。

 

「ウルトラQ」の後番組に放映されたのが「ウルトラマン」。本放送前に「ウルトラマン前夜祭」を見た時には、ヒーローショーのような作りだったため、まさか本番でこれを流すつもりはないよねと一抹の不安を覚えつつ、1回目の放映を見てちゃんと特撮していたことに安堵しました。ただ、バルタン星人、ダダ、メフィラス星人、レッドキング、シーボーズ、ギャンゴなど、ユニークな宇宙人や怪獣の造形に興味を覚えた反面、ドラマに関してはあまり記憶がなく、武田薬品提供、円谷プロ制作のテレビシリーズの中では、大人になってからもう一度見たいという気にはなりませんでした(子供の頃は再放送をよく見ていましたが)。

 

寧ろ、この後の「ウルトラセブン」のほうがドラマとして遥かに優れていました。最終回も然ることながら、「ノンマルトの使者」も味わい深かったですね。この当時のテレビドラマは例え子供向けに作られていたとしても、子供に媚びず、大人の鑑賞に耐え得る物語を作ろうとした気概が見えました。それが子供心にも伝わっていたように思います。

 

「ウルトラセブン」の後に放映された「怪奇大作戦」は、怪獣が一切登場しない特撮ミステリーで、これを語り出すと話が長くなりそう(笑)。今回はこの辺で終わりにしておきます。

ウロボロスの環 小池真理子

 

集英社サイトより

1989年5月、彩和と俊輔の結婚を祝う会が開かれた。前の夫を若くして亡くし、必死で幼い娘を育ててきた彩和にとって、それは人生の安泰が約束された幸福な瞬間だった。後に、俊輔の思わぬ一面を知ることになろうとは夢にも思わず――。

 

大雑把に言うと、子連れで再婚した女性が夫から雇い人との仲を疑われ、精神的に追いつめられていく話です。主人公の彩和は前夫の急死に伴い、働きながら子育てもしなければならず、困窮した生活を送ってきました。そんな彼女が古美術店を経営する高階俊輔に見初められたことで、裕福な暮らしができるようになります。彩和は夫への愛情はあるものの、娘のためにこの暮しを手放したくない打算もあります。夫への遠慮が強いあまり、そのことが俊輔を苛立たせてもいます。俊輔は恵まれた環境からいい年してお坊ちゃま気質があり、相手の忠告にも耳を貸さない傾向があります。更に妻への猜疑心からストレスも溜まり、不摂生な生活を続けています。一方、彩和と野々宮との間には一切不逞な関係はありません。ただし、彩和は再婚するまで女手ひとつで娘を育て、野々宮も母子家庭だったこともあって、ちょっとした仲間意識を抱いています。野々宮は彩和に密かな恋心を持っているものの、あくまで分別のある振る舞いを崩しません。それでも、彩和には時折迂闊な行動を取ってしまうことがあり、それが巡り巡って俊輔に疑惑を抱かせる原因にもなっています。そして、あるアクシデントが起き、彩和と野々宮は“未必の故意”によって、互いに罪の意識に苛まれます。更に、俊輔の隠していた秘密が明かされると、物語により悲劇性が帯びてきます。小池真理子らしい真綿で首を絞めるような心理的サスペンスを味わえる一作でした。

 

 京極夏彦

 

KADOKAWAサイトより

「猿がいる」と言い出した同居人。かすかに感じる、妙な気配。曾祖母の遺産相続。胸に湧き上がる不安。岡山県山中の限界集落。よく判らない違和感――。ただの錯覚だ。そんなことは起こるはずがない。だが――。怖さ、恐ろしさの本質を抉りだす、瞠目の長編小説。 

 

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺があるように、本書も幽霊が怖いのではなく、怖いから幽霊(のようなもの)を見るのだという論理で進んでいきます。主人公の女性にはいくつも怪異な現象が続いており、異形の物の気配はするものの、恐怖の根源となる実態が見えてこない展開になっています。その間にも彼女が再従姉と共に受け継ぐ権利を持つ村が、因習に縛られた村ではないことが分かり、先入観に囚われた見方が危険なことを示してきます。こうした過程を経て、彼女は最後に自分自身に纏わりつく死の影と対峙します。私はてっきり著者が「恐怖とは何ぞや?」と壮大なテーマを深掘りする意図があったと思っていただけに、残り3ページの流れとオチの付け方に、額面通りに受け取って良いのか、それとも別の解釈があるのか、判断がつかなく途方に暮れました。

 

白雪姫と五枚の絵 ぎんなみ商店街の事件簿2 井上真偽

 

小学館サイトより

かつて「ぎんなみ商店街の白雪姫」と呼ばれた八百谷雪子は、現在認知症を患い入院中。商店街の人気焼き鳥店「串真佐」三姉妹の次女・都久音は宝石店店主の神山と見舞いに行くことに。すると病室で魔女が白雪姫に毒林檎を渡そうとしている絵を見つける。旧知の神山も認識できない様子の雪子だが、絵の魔女を指さし「こいつね、わるいやつなの。私から一億円を盗んだの」と言いだした。一方その頃、木暮四兄弟の次男・福太と三男・学太は早朝ジョギング中の河原で、スポーツ店店主の遺体を発見。彼の手元には走る子豚たちが描かれた絵が落ちていた。一目見て、学太はそれが亡き母の手によるものだと気づく。「白雪姫」「三匹の子豚」「赤い靴」「ヘンゼルとグレーテル」「雪女」。相次いで見つかった五枚の絵は「見立て絵」で、何らかのメッセージが隠されているらしい。三姉妹と四兄弟は、それぞれの絵に仕組まれた謎に挑むことに!時に協力しながら、時に推理合戦を繰り広げながら。七人の探偵たちが解き明かす五つの謎が描き出す真実とは。巧妙すぎる伏線と、鮮やかな結末に驚嘆すること間違いなし。 

 

本書は内山三姉妹の「SISTER編」、木暮四兄弟の「BROTHER編」に続く、『ぎんなみ商店街』シリーズの3冊目の短編集です。「SISTER編」と「BROTHER編」は鏡の関係にあり、どちらも同じ事件を扱いながら、三姉妹と四兄弟の異なる視点によって、様相が変化する趣向が凝らされていました。この短編集でもひとつひとつの短編は独立した話になっている一方で、他の短編とも微妙に連動しています。例えば第三話の「赤い靴の誘拐犯」では三姉妹の長女・佐々美の視点によって木暮四兄弟の末っ子の良太の誘拐騒動が語られ、意表を突くオチで締められています。そして、第四話の「ヘンゼルとグレーテルの家出」で、今度は良太の視点から誘拐騒動の顚末が語られていきます。五編の短編はいずれも木暮四兄弟の亡き母親・怜の生前に描いた童話をモチーフにした絵も絡んでいて、その絵を手掛かりに謎を解く楽しみもあります。本書から読み始めても問題はありませんが、前の二冊をあらかじめ読んでおくと、ぎんなみ商店街の人間関係を把握できて読みやすくなると思います。

 

 

プロジェクト・ヘイル・メアリー 公式サイト

 

チラシより

未知の原因によって太陽エネルギーが奪われ、数十年後に地球は氷河期に突入する。原因解明に向けて宇宙に送り込まれたグレースは、科学の知識だけを武器に80億人の命をかけた人類最後の賭けに挑むが、この危機を救おうとする小さな相棒と出会い、共に愛する故郷を救うため宇宙の難題に挑む。手探りの共同作業は、やがて孤独を癒す友情となり、何よりも守りたい〈存在〉に変わる。そして2人が辿り着いた、1つの答えとは---。

 

製作:アメリカ

監督:フィル・ロード クリストファー・ミラー

脚本:ドリュー・ゴダード

原作:アンディ・ウィアー

撮影:グレイグ・フレイザー

音楽:ダニエル・ベンバートン

出演:ライアン・ゴズリング ザンドラ・ヒュラー ライオネル・ボイス ケン・レオン

2026年3月20日公開

 

さすがに宇宙飛行士としてズブの素人の中学教師が、訓練を受けないまま、いきなり宇宙に旅立つ設定は如何なものかと思います。それでも、その点に目を瞑れば、宇宙空間の描写や宇宙船内のデザインには目を瞠るものが多く、いくつかツッコミどころがあるにせよ、異星人との交流物語として面白く観られました。

 

※若干ネタバレに触れていますのでご注意ください

 

グレースは衰弱を免れた恒星タウ・セチから、太陽エネルギーを吸収している「アストロファージ」のサンプルを採取して地球にデータを送る任務が与えられます。ただし、データを送れても、宇宙船は地球に帰還する方法がないため、片道切符を渡されて死を待つことを意味しています。

 

映画はタウ・セチまでの道程と並行して、グレースが宇宙船に乗りこむまでの過程が描かれます。彼がコールドスリープから目覚めた時は、記憶の一部が欠けた状態になっており、観客もグレースの視点から徐々に恒星に向かうまでの経緯が分かる作りになっています。

 

グレースはタウ・セチが間近に見える地点まで到達した際に、地球外生命体と遭遇します。彼は異星人をロッキーと名づけ、あらゆる手段でコミュニケーションを図り、徐々に親近感を抱いて行きます。このグレースとロッキーの相棒感が実にいいのですよ。

 

ロッキーもグレース同様、ひとりぼっちでタウ・セチだけが衰弱を免れた原因の探索を続けています。特にロッキーの場合は、睡眠中に仲間たちが死んだことから罪悪感を抱いていて、グレースに仲間意識を抱いた事によって、彼を死なせないよう手を尽くすことに説得力を持たせていました。

 

グレースとロッキーは何度も危機を乗り越えながら、サンプルを入手することに成功します。また、地球に帰還する難題も、ロッキーの提案によってほぼ解決されます。ところが、思わぬ事態が発生し、グレースは究極の選択を迫られることになります。

 

私がこの映画でグッとくるのは、ロッキーの提案も然ることながら、グレースが下した判断にあります。彼は科学教師としては優秀でも、元々小心な性格であり、実は使命感があって危険な任務に志願した訳ではありません。そんな凡人の部類に入る人物が、精一杯の勇気を振り絞って、自らが犠牲になってでも、相手を救おうとする姿が尊く美しいからこそ観客も胸を打たれます。

 

尤も、その後の展開によって、やけに後味の良い終わり方をするので、その時の感動も半減されてしまいましたが(笑)。ただし、ロッキーが人類より遥かに高い文明を持つ生命体であることと、グレースが地球に帰還することにあまり未練がないことを鑑みると、寧ろこの結末に納得してしまうでしょうね。

 

 

 

DVDあらすじより

ブルジョア令嬢の今日子(原英美)は、恋人で従兄の英之と湖畔のホテルを訪れていた。それは二人の愛の清算をするためだった。今日子は莫大な財産を持つ実業家との結婚を控えていた。だが、彼女の爛熟した体は、快楽を求めて疼いていた。母親にまつわる淫蕩な血の記憶が彼女をそうさせるのだろうか。今日子は、酒とドラックに浸り、美少年との情事に身を溺れさせた。ある日、湖畔の森で偶然会った大学生の和男を自宅に呼んだ。そして、彼に恋人・久子(田中真理)がいることを知っているにも関わらず、誘惑し交わった。今日子への興味を隠せないでいる和男。久子は嫉妬し、和男の気持ちを引き戻そうとするが・・・。

 

製作:日活

監督:山口清一郎

脚本:こうやまきよみ

撮影:安藤庄平(小柳深志)

出演:原英美 大泉隆二 三田村玄 南寿美子 田中真理

1972年1月19日公開

 

端的に言うと、結婚を控えたブルジョア令嬢が、従兄や若いカップルなどとの奔放な性生活を送りながら、母親から受け継いだ淫蕩な血によって破滅へと導かれる物語です。DVDのジャケットには田中真理が男に抱かれる写真が大きく映っていますが、本作の主役は原英美。田中真理はあくまで脇役で、彼女目当てに観ると、がっかりさせられるかもしれません。ただ、原英美の演じる今日子の言動にツッコミどころが多く、その意味では退屈することはありません。

 

まず、忘れ物を取りに来た和男を、裸でお出迎えするのに笑ってしまいます。二度目に和男が彼女の屋敷を訪れた際も、従兄の英之と電話で話しながら、自慰行為に耽っていましたよ(笑)。

 

また、今日子が久子のアルバイト先で彼女を挑発した際、久子が「自分は有閑マダムの気まぐれな遊びとは住む世界が違う」と正論を言い放ったのに対し、びんたを食らわした後、「小娘のくせして、自分だけが精一杯やっているような言い方はおよし」と反論します。全然説得力ないんですけど・・・。

 

更に、自宅での乱交場面では、敢えて嫌いな筈の久子を相手にします。久子は和男とはまだ体の関係までには到っていなく(どうやら処女のよう)、今日子は久子に対して、男の味を覚える前に女同士の快楽を味わわせて、意趣返しする意図があるのかと思ってしまいました。最初に貫通するのが道具なのは可哀想・・・。

 

今日子は英之を愛していながら、財界の大物との結婚の意思がありますが、必ずしも金目当てではありません。彼女は祖父と母親の禁断の関係の現場を目撃した過去があり、それがトラウマになっています。血の濃さの結びつきによる嫌悪感から、従兄の英之と添い遂げるのを避け、その反動として男漁りに繋がっているようにも映ります。

 

忌まわしい血の繋がりを断ち切るため、今日子、英之、母親の結末は、文脈からすれば自然な成り行きとも言えますが、唐突感は否めませんでした。

 

尚、この映画では近親相姦、少年売春、乱交パーティー、テレフォンセックス、薬物使用など、当時としては風紀上よろしくない描写が多く出てくるため、刑法第175条によって起訴され、表現の自由を争点にした「日活ロマンポルノ裁判」と呼ばれる裁判までに発展しました。結局、1980年に二審の東京高裁で無罪判決が下され、検察は上告を断念したようです。

 

また、ブログを始めた年にこの映画を記事で取り上げたところ、Amebaから記事を削除されたことがありました。15年前はAmebaがエロに関しては厳しく、ポルノ作品を記事にアップしても、すぐに削除されることが多かったです。その後、こちらもなるべく遠回しな言い方で表現に気をつけるようになったおかげなのか、はたまた管理者の審査基準が甘くなったのか、定かではありませんが、記事を丸ごと削除されることはなくなりました(画像はたまにあります)。15年後に記事にした今回は果たして?

マーティ・シュプリーム 世界をつかめ 公式サイト

 

チラシより

女たらしで嘘つきで自己中。だけど卓球の腕前だけはピカ一のマーティ。NYの靴屋で働きながら、世界チャンピオンになって人生一発逆転を目指す。そんな中、不倫相手のレイチェルが妊娠、卓球協会からは選手資格はく奪を言い渡される。万年金欠のマーティはありとあらゆる手を使って選手権への渡航費を稼ごうとするが----。

 

製作:アメリカ

監督:ジョシュ・サフデイ

脚本:ロナルド・ブロンスタイン ジョシュ・サフデイ

撮影:タリウス・コンジ

美術:ジャック・フィスク

音楽:ダニエル・ロパティン

出演:ティモシー・シャラメ グウィネス・パルトロウ オデッサ・アザイオン

             ケビン・オレアリー タイラー・オコンマ

2026年3月13日公開

 

ボンクラ、懲りないバカ、ダメンズのキャラクターが大好物なので、当然、ティモシー・シャラメの演じるマーティが、どんな愚行を繰り返すのかに注目していました。ただ、序盤はあまり期待したほどの活躍は見られず、ダチのタクシー運転手ウォーリーと一芝居打ち、卓球の賭けゲームで金を巻き上げる辺りから徐々にエンジンがかかり出します。

 

本作のマーティは口八丁手八丁で金持ちから金を引き出させ、試合に出場するための渡航費や宿泊費を工面しようとしており、映画では主にその事が中心に描かれています。

 

ボンクラ、懲りないバカ、ダメンズは、どこかヌケていたり、愛嬌があったり、憎めない部分があったりするからこそ、感情移入しやすくなります。この部分がないと、ただのクズになりがちで、マーティは若干クズ寄りに振れています。その代わり、金持ち連中も下衆な輩ばかりのため、主人公のクズの部分が中和されてもいます。

 

卓球経験者からすると、当時の卓球に関する諸々が興味深かったです。私が中学、高校で部活をしていた頃は、ペンホルダーが主流で、シェイクハンドはどちらかと言えば少数派でした。ただし、現在は逆転していて、当時も世界ではシェイクハンドが主流だったのが確認できました。

 

また、マーティのライバルとなるエンドウのラケットには、ラバーが張られていないように見え、かなり珍しいタイプの選手だったように思います。板のままだとスピンかけられないのだけど、映画ではカットやドライブをかけていましたね(笑)。卓球のシーンはVFXの合成だったとしても、選手を演じる俳優のフォームがサマになっていたため、結構競技者としての説得力を持っていました。

 

また、エンドウが渡航制限を解かれて国際試合に出場できた件は、当時の日本の立場に気づかされます。戦争しないに越したことはないのですがが、戦争に負けて主権が失われるのはこういうことだよなと改めて痛感しました。その一方で、マーティとエンドウの日本でのエキシビジョンゲームの様子は、戦後のプロレスで力道山(在日朝鮮人だったけど)が白人レスラーを叩きのめして溜飲を下げる日本人の姿を思い起こさせもしました。

 

更に、米国企業のスポンサーを怒らせたマーティが、米軍の輸送機で帰国せざるを得ない経緯も、如何にも米国らしいと思わせ、主権が回復した当時の日本人の視点で見ると、色々と感慨深くなる映画でした。

 

ティアーズ・フォー・フィアーズに始まり

ティアーズ・フォー・フィアーズで終わりましたね。

 

 

 

 

DVDあらすじより

パリに住むアメリカ人の夫婦ジルとフィリップ。妻のジルはこのところ精神的に不安定な状態にあり、一方の夫フィリップは、もとは優秀な科学者であったが、いまは作家として細々と収入を得ていた。ある日、彼らの息子と娘が何者かによって誘拐されてしまう。これをきっかけに、やがて明らかになってゆくフィリップの秘密。ミステリアスに紡がれてゆく、誘拐劇の裏側にある真実。美しく切り取られたパリの街に、小さな幸福が揺らめく----。

 

製作:フランス イタリア

監督:ルネ・クレマン

脚色:ダニエル・ブーランジェ ルネ・クレマン

脚本:シドニー・バックマン エレノア・ペリー

原作:アーサー・カヴァノー

撮影:アンドレアス・ヴァインディング

美術:ジャン・アンドレ

音楽:ジルベール・ベコー

出演:フェイ・ダナウェイ フランク・ランジェラ バーバラ・パーキンス モーリス・ロネ

             カレン・ブランゲルノン レイモン・ジェローム ミシェル・ルーリー

             パトリック・ヴァンサン ジェラール・バール

1971年12月11日公開

 

一応、ルネ・クレマンの手掛けたミステリーですから、「太陽がいっぱい」とまでは行かなくても、「雨の訪問者」くらいの面白さがあることを期待しました。

 

映画の冒頭、ジルベール・ベコー作曲のテーマ曲が流れる中、白い霧靄に包まれたセーヌ河を一艘のハシケが滑るように河を行き、船着き場へ辿り着くまでの情景描写が素晴らしく、さすが巨匠の仕事は違うと唸らされました。また、子供二人が消えてしまう前後の描写が巧みで、ジルにあらぬ疑いがかけられるのも納得してしまいます。

 

アメリカ人のフィリップ(フランク・ランジェラ)とジル(フェイ・ダナウェイ)夫妻は2年前にパリに移住したものの、フィリップは仕事に没頭しているため、夫婦の間にすれ違いが起きています。フィリップには何やら秘密があるらしく、ジルも記憶障害を抱え精神科医に通っています。

 

ルネ・クレマンは夫妻が問題を抱えていることを前提に話を進めながら、観る者には断片的な情報しか与えない事によってサスペンスを高めています。ただし、情報を小出しにすることが、観る者に余計な憶測を呼ぶ弊害も表れています。

 

例えば、長女のキャシーは父親に懐いてばかりいる一方、ジルは長男のパトリックだけに愛情を注いでいるように映ります。特に子供二人が居なくなった際、ジルがパトリックの名前だけ呼んで探すので、4歳のパトリックは夫婦間にできた子供で、8歳のキャシーはフィリップの連れ子かと想像してしまいます。これが誘拐と関連づければまだしも、本作に限って言えば全く関係ありませんでした。

 

また、誘拐された時点で、既に誘拐目的がほぼ予測できてしまうのも、イマイチ、サスペンスに欠ける原因になっています。せっかく、ジルに記憶障害というエサを撒いているのですから、それを利用して観る者が彼女に不審感を与えるような方向に持って行って欲しかったですね。「バニーレイクは行方不明」という格好の先例もあるのですから。

 

尤も、誘拐目的が少々荒唐無稽で、話の底の浅さがこの映画の最大の弱点とも言えます。脚本に携わる者が4人も居たことから、船頭多くして船山に上ると言いたいところですが、ルネ・クレマンも一翼を担っているので責任は逃れられません。また、誘拐した黒幕の結末を見せず、ジャンプカットして一家の様子を映して終わる点も感心しませんでした。

 

それでも、只でさえきつい顔立ちのフェイ・ダナウェイはあまりそそられる女優でないにも関わらず、この映画では儚げな印象の人妻役を演じたことによって、初めて彼女に色気を感じました。この点においては、一番の収穫だったかもしれません。

 

DVDあらすじより

通称一番星こと桃次郎、やもめのジョナサンこと金造の韋駄天トラックコンビが、ニッポン列島ところ狭しと突っ走る。ある日、ねぶた祭真っ最中の青森に向かった二人。ひょんな事情で、金造は自ら暴走して重傷を負い、桃次郎は惚れたマドンナの婚約者を追い、彼女を乗せて不可能に近い道程を3時間でぶっ飛ばすハメになる・・・。

 

製作:東映

監督:鈴木則文

脚本:鈴木則文 澤井信一郎

撮影:仲沢半次郎

美術:桑名忠之

音楽:木下忠司

出演:菅原文太 夏純子 中島ゆたか 湯原昌幸 夏夕介 春川ますみ 佐藤允 愛川欽也

1975年8月30日公開

 

『トラック野郎』の記念すべき1作目。元々このシリーズはフジテレビで放映されていたアメリカのテレビドラマ「ルート66」で吹替をしていた愛川欽也が、菅原文太と知り合った時に、二人で「ルート66」のようなロードムービーをやりたいと考えたのがきっかけになっています。その後、NHKのドキュメンタリー番組でデコレーショントラックが取り上げられたのを見た愛川が、菅原文太に相談を持ちかけ、企画を東映に持ち込んだ経緯がありました。

 

マドンナに対する桃次郎の猫かぶり、ウンコネタ、最後はトラックを爆走させてギリギリの時間内で物や人を運ぶなど、この1作目からほぼ映画のフォーマットは固まっています。本作では中島ゆたかと夏純子が出演していて、どちらもお気に入りの女優なので個人的には嬉しかったですね。また、桃次郎が意中の女性にハマナス(実はカーネーション)を贈ろうとして、湯原昌幸が勘違いをして渡す相手を間違えるのも、二人とも美形だからこそ成立します。

 

この1作目は“勘違い”が重要な鍵になっていて、花束を受け取った夏純子が桃次郎の求愛の印と誤解するのを始め、桃次郎がモーテルに入っていく中島ゆたかと佐藤允を目にして、二人がデキていると思い込んだ末に中島を娼婦呼ばわりなど、ボタンの掛け違いから起きる物語の面白さを見せています。特に湯原は誤解を生じさせる火種になっていて、疫病神のような存在が映画を活性化させていました。

 

また旬の人気者をいち早く起用するのも、東映ならではのお家芸で、ここではダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが白いツナギを着て、ガソリンスタンドの従業員役を演じていました。今や演技派のイメージのある宇崎竜童も、当時はサングラスをかけたトッポイあんちゃん役が初々しかったです。

 

このシリーズは笑いが絶えることなく進行する一方で、時折グッとくる描写が挟み込まれ、10作も続く原動力となっていました。鈴木則文の叙情演出は山下耕作ほどスマートではなく、どちらかと言うと野暮ったいのですが、このシリーズに限ってはその野暮ったさが合っていたように思います。