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パンクフロイドのブログ

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ともに苦難を乗り越えよう!

プレデター バッドランド 公式サイト

 

チラシより

誇り高き戦闘一族から追放され、宇宙一危険な「最悪の地」に辿り着いた若き戦士・デク。次々と敵に襲われる彼の前に現れたのは、上半身しかないアンドロイド・ティア。「狩り」に協力すると陽気に申し出る彼女にはある目的があって---。「究極の敵」を狩って真の「プレデター」になれるのか、それとも「獲物」になってしまうのか。規格外のコンビが挑む、究極のサバイバルSFアクションが今始まる!

 

製作:アメリカ

監督:ダン・トラクテンバーグ

脚本:パトリック・アイソン ダン・トラクテンバーグ

撮影:ジェフ・カッター

美術:ラ・ビンセント

音楽:セーラ・シャクナー ベンジャミン・ウォルフィッシュ

出演:ディミトリアス・シュスター=コロアマタンギ エル・ファニング

2025年11月7日公開

 

シリーズを重ねていくと、マンネリという問題は避けて通れなくなります。そこで作り手は様々な工夫を凝らしていく訳ですが、『プレデター』の最新作は、思い切ってプレデターを狩る側から狩られる側へと、発想の転換を図りました。果たしてこの判断が吉と出るか?凶と出るか?

 

ヤウージャ族の若きプレデターのデクは、身体が小さく戦闘力も弱いことから、一族の恥と見られていて、族長である父親にも見放され抹殺されようとしていました。兄のクウェイは父親の考えを見越し、弟を最も危険な惑星に送り、そこで最強の捕食者であるカリスクを捕獲させ、父親に戦士として認めさせようとします。

 

ところが、父親から弟を処刑するよう命じられたにも関わらず、クウェイはその命令に背いたため殺されてしまいます。デクは兄への罪の意識を持ちながら、父親に一人前の戦士として認めてもらおうと、最悪な地でカリスクの狩りを始めようとします。

 

しかし、標的がどこに居るかも分からない状況の上に、弱肉強食の地では獲物を狙うクリーチャーで溢れており、デクは次々と襲われる羽目になります。デクがあわや!となった時、下半身がちぎれた状態のアンドロイドのティアに救われます。彼女は獲物を狩る手伝いをする代わりに、下半身のある場所まで連れて行って欲しいとデクに頼みます。

 

デクは当初、一人で狩りをする一族の掟に従い、ティアからの申し出を拒否しますが、彼女が惑星の生態系に詳しく土地艦もあることから、“道具”と割り切って折り合いをつけます。一方、ティアの双子の姉・テッサは、ウェイランド・ユタニ社の意向に沿って、カリスクを捕獲しようとしていました。

 

以上がこの映画の大まかなあらすじ。話自体は良く練られていて、伏線の回収も丁寧で、こちらが思っていた以上に面白くできています。エル・ファニングが上半身だけという設定も、妙にエロティックに感じられます。

 

ただし、これを『プレデター』と言われると、疑問符がつくのも事実。プレデターはあくまで狩ることが魅力であり(終盤は狩る側に回っていますが・・・)、特に前半は襲われ続ける描写に違和感が否めませんでした。また、終り頃は完全にイイ奴に成り下がっていて(笑)、あの風貌でそんな振る舞いをされてもねぇ・・・。他にも『エイリアン』を想起させる描写が随所に見られ、そもそもこの話を『プレデター』にする必要があったのか?とも思えてきます。

 

それでも前述したように、物語としては良くできていて、『プレデター』シリーズを観て来た人より、全く触れてこなかった人のほうが楽しめるかもしれませんね。

いずれも初読みの作家の作品です。

 

羊殺しの巫女たち 杉井光

 

KADOKAWAサイトより

「十二年後、次の祭りの日に、ここでまた集まろうよ。みんなで」山に囲まれた早蕨部村で12歳を迎える6人の少女たちは、未年にのみ行われる祭りの巫女に任命される。それは繁栄と災厄をもたらす「おひつじ様」を迎えるため、村の有力者たちが代々守ってきた慣習だった。祭りの日、彼女たちは慣習に隠された本当の意味を知る――。そして12年後、24歳になった彼女たちは、村の習わしを壊すというかつての約束を果たすため、村に集う。脈々と受け継がれた村の恐るべき慣習と、少女たちの運命が交錯する中、山で異様な死体が発見される。

 

本書は未年に生まれた少女たちが、巫女として参加した儀式で災厄を振り払い、12年後に惨事が繰り返されるのを阻止すべく、成人した女性となって再び集結する物語です。本の扉に「我が王スティーヴンに」と記されているように(裏の頁にはニール・ヤングの「Hey Hey,My My」の歌詞の一節を引用)、スティーヴン・キングの「IT」を意識しています。24歳の女性たちの2003年の現在進行形の物語と並行して、かつて少女だった彼女たちに起きた1991年の事件の顛末も描かれています。12年前に彼女たちに何が起きたのかは終盤になるまで明かされず、情報を小出しにすることで怖さが増す効果が表れています。また、本書の語り手の祥子が生まれてすぐに本家の養女になったのに、中学に入る頃に分家に戻されることがあらかじめ決まられていたこと、小学校に未年生まれの男の子がいないこと、災厄の象徴である“ひつじ”と対峙したのに記憶がないこと、6人の他にもう一人の巫女がいた記憶を共有していることなど、数々の魅力的な謎が提示されるため、最後まで飽きさせません。また、閉鎖的な村で繰り広げられる大人たちのおぞましい行為によって、ホラーでありながらイヤミスの要素も結構濃いです。12年前に少女たちに何が起き、12年後にどのようにけじめを取ったのかは読んでみてのお楽しみ。無慈悲な世界で無力な少女たちが精一杯抵抗し、子供なりのアプローチで対処しようとする姿に涙し、最後は意外なオチに驚かされました。

 

乱歩と千畝 青柳碧人

 

新潮社サイトより

大学の先輩後輩、江戸川乱歩と杉原千畝。まだ何者でもない青年だったが、夢だけはあった。希望と不安を抱え、浅草の猥雑な路地を歩き語り合い、それぞれの道へ別れていく……。若き横溝正史や巨頭松岡洋右と出会い、新しい歴史を作り、互いの人生が交差しつつ感動の最終章へ。「真の友人はあなただけでしたよ」──泣ける傑作。

 

初めにお断りしておくと、本書はミステリーではありません。江戸川乱歩と杉原千畝が邂逅したらという仮定の話を前提にして、大正から昭和にかけての激動の時代が描かれています。勿論二人の経歴と業績は事実に基づいて描かれているのですが、共通点は母校が愛知五中と早稲田大学であることくらい。ただ、杉原千畝夫人の幸子が「あなた方には才能がある。そして才能を生かせるステージに立っている。それなのにちょっと自分の納得いかない仕事だからって、いじけてみせたりして、贅沢なのよ。江戸川乱歩も杉原千畝も」と言うように、両者の本質を言い当てています。この僅かな接点を基にして、如何に話を膨らませていくかが、この小説の読みどころのひとつになっています。本書での乱歩のキャラクターはボンクラと言うよりポンコツに近いです。でも、ダメンズ好きからすると、ポンコツキャラが愛おしくなってきます。対照的に杉原千畝は到って真面目でミステリー小説とは無縁。それでも二人は海外のミステリー雑誌が縁で、互いの知らないうちに出逢っていて、後年にその雑誌を通して繋がりがあったことを、二人が理解する趣向も洒落ています。また、本書には実在した著名人もたくさん登場させて、話に彩を添えていました。

 

嘘つきたちへ 小倉千明

 

東京創元社サイトより

過疎化が進んだ町で小学校時代を過ごした大地は、二十年以上前の卒業以来、初めて東京で同級生二人と再会する。虫取りやスイカ割りなどのノスタルジックな思い出話は、自然と五年生の時に起こった事故の話に移っていく。リーダー格の少年・翔貴が沼に落ちて昏睡状態となり、目覚めぬまま最近亡くなった水難事故の真相とは? 第一回創元ミステリ短編賞受賞作「嘘つきたちへ」など、全五編の“嘘つきたちの競演”。注目新人のデビュー短編集。

 

本書は5つの短編が収録されており、いずれも意外な結末に驚かされます。中には背筋の凍るようなオチもあり、かなり私好みの作風の作家です。「このラジオは終わらせない」は、ラジオの生放送中にリスナーから不穏なメールが送られてきたことをきっかけに、ある女性の失踪が発覚し、DJの芸人、構成作家、芸人のマネージャーの状況が刻々と変化する点が読みどころになっています。「ミステリ好きな男」は、川の氾濫によって洋館に足止めされた男が、外部と連絡が取れない状況になり、孤立した場所で殺人が起きるクローズド・サークルを妄想し出すのが楽しいです。でも、彼が恐れているのは自分の身に降りかかる災難ではなく、実は・・・という意外性も意表を突かれます。「赤い糸を暴く」は、赤い糸が本当に示しているのは二人の愛の繋がりでなく、〇〇だったというオチだけでは身もふたもありませんが、女性に起きた被害と彼女の恋人の献身的なサポートを考えると、ゾッとさせられます。「保健室のホームズ」は、クラスから選ばれた児童が、給食の時間だけ保健室に引きこもり状態の転校生と接することで次第に親しくなっていく話。一見、イイ話と思わせながら、善良な少年の中にも八百屋お七と相通ずる狂気が秘められていることに戦慄します。表題作の「嘘つきたちへ」は、同級生二人と再会した大地の正体と目的も然ることながら、もう一人の人物の狡猾さと冷酷さに舌を巻きました。

視える 公式サイト

 

映画.comより

ある夜、郊外の屋敷で女性ダニーが惨殺される。容疑者は現場に現れた精神科病院の患者とされたが、事件は多くの謎を残したまま幕を閉じた。1年後、ダニーの双子の妹で盲目の霊能力者ダーシーは、不気味な木製マネキンを携えて、ダニーが殺された屋敷を訪れる。そこには、ダニーの元夫テッドと、その恋人ヤナが暮らしていた。ダーシーは姉の死の真相を探ろうとするが、そんな彼女を待ち受けていたのは、思いもよらぬ真実と恐怖だった。

 

製作:アイルランド

監督・脚本:ダミアン・マッカーシー

撮影:コルム・ホーガン

美術:ローレン・ケリー

音楽:リチャード・G・ミッチェル

出演:キャロリン・ブラッケン グウィリム・リー キャロライン・メントン

             タイグ・マーフィー スティーヴ・ウォール

2025年11月7日公開

 

ダニーは精神科医の夫・テッドと共に新居に移り住んだものの、人里離れた古めかしい屋敷の中で不可思議な現象が起き、不安のあまり留守中に手持ちのカメラを部屋にセットして監視を行ないます。そんな折、テッドが夜勤のため、ダニーは新居に一人の状態になります。

 

その夜、屋敷に見知らぬ男が訪れ、家の中に侵入者が居ると訴えてきます。女性一人の家に男を入れる訳に行かず、夜間に見知らぬ男が目の前に居て家の外に出るのも危険。警察に連絡をしたくても、携帯の電波が届くのは二階だけで、一階にテントで寝泊まりしているダニーは侵入者が居たらと思うと怖くて上に行けません。

 

結局、彼女は男に警察署に行って事情を話してもらうよう頼み、自分はテントの中に引きこもって様子を窺います。ダニーが手持ちのカメラで画像を確認すると、明らかに侵入者と見える人物が写っているのに愕然とします。彼女は外に居る男を呼び戻そうとしますが、時すでに遅し。何者かによってテントの中で惨殺されます。やがて、テッドの勤務する病院に入院していたオリンが犯人とされ、精神病患者として再び病院に監禁されます。

 

一方、双子の姉を殺された妹のダーシーは骨董品店を営んでおり、店を訪れたダニーに対し、骨董品に触れるとその持ち主の過去の状況を霊視できると話します。更に、彼の些細な言葉尻を捉えて、テッドが既に他の女性と一緒に暮らしていることを告げます。気まずくなった彼は社交辞令のつもりで一度屋敷を訪れることを勧め、パートナーのヤナの了解を得ずに安請け合いしてしまいます。その言葉を聞いたサイコメトラーのダーシーは、ある思惑を持って彼らの屋敷を訪れるのですが・・・。

 

ここから先は興を削ぐので書きませんが、ダニーの死の真相はこちらの読み通りで、特に意外性はありません。寧ろ、ゴシックホラーの雰囲気を味わう映画で、50年代、60年代に製作された正統派ホラーを好む層にはウケがいい作品かもしれません。映画自体は低予算のためか、超常現象と呪いを組み合わせたホラーながら、あっさりとした趣きで然程怖さは感じられません。

 

それでも、ダニーを殺した“黒幕”がほくそ笑んで終わるかと思いきや、ラストショットでそうでないことを瞬時に観客に分からせて、サッと切り上げて幕を閉じるのは鮮やかでした。アイルランド産のホラー映画は珍しいので、話の種に観ておくのも一興でしょう。

盤上の向日葵 公式サイト

 

チラシより

山中で謎の白骨死体が発見される。事件解明の手掛かりは、遺体とともに発見されたこの世に7組しか現存しない希少な将棋駒。容疑をかけられたのは、突如将棋界に現れ、一躍時の人となっていた天才棋士<上条桂介>だった。さらに捜査の過程で、桂介の過去を知る重要人物として、賭け将棋で裏社会に生きた男<東明重慶>の存在が浮かび上がる。桂介と東明のあいだに何があったのか?謎に包まれた桂介の生い立ちが明らかになっていく。それは、想像を絶する過酷なものだった・・・。

 

製作:「盤上の向日葵」製作委員会

監督・脚本:熊澤尚人

原作:柚月裕子

撮影:江原祥二

美術:西村貴志

音楽:富貴晴美

出演:坂口健太郎 佐々木蔵之介 土屋太鳳 高杉真宙 音尾琢真

             柄本明 渡辺いっけい 尾上右近 木村多江 小日向文世 渡辺謙

2025年10月31日公開

 

※若干ネタバレしている箇所がありますのでご注意ください

 

7年前に原作小説を読んだ際、松本清張の「砂の器」を意識したのかと漠然と感じていました。勿論物語自体は別物なのですが、映画を観ると、犯人が出自に関して暗い過去を背負っている点、二人組の刑事が手掛かりを追って各地を回る点、犯人の晴れ舞台が急転直下、破滅を表す場になる点など、何となく「砂の器」を連想させる場面が多く感じられました。加えて刑事役の佐々木蔵之介が丹波哲郎以上に暑苦しい芝居を見せるので、ちょっと鬱陶しかったです。

 

小説を読んでいる際には気づかなかったのですが、主人公の上条桂介(坂口健太郎)は少年時代や大学生の時の年代を考えると、私と同じ世代なのよね。彼に比べたら、何と恵まれた環境で育ったのかと思わずにはいられませんでした。

 

ダメンズ好きとしては、真剣師の東明重慶(渡辺謙)の上条に対する仕打ちが見ものでした。上条が恩人の唐沢光一(小日向文世)から譲り受けた“宝物”を賭けの担保にするのはまだしも、担保にした物を角舘銀次郎(渡辺いっけい)から返してもらわないまま、小切手だけ持ってトンズラこく辺りはダメンズの本領発揮でした。

 

また、東明が酷い咳をする兼崎元治(柄本明)に対し、序盤は煙草を遠慮していたのに、勝負所と見るやスパスパ吸い出す辺りも、賭け勝負に容赦しないエゲつない性格が垣間見えました。尤も、序盤は相手を油断させる戦略を立てていたので、煙草も計算づくかもしれません。

 

東明以上に酷いのが上条の父親である庸一(音尾琢真)。こちらはダメンズと言うより人間のクズ。酒浸りでギャンブル好きな上に、上条が子供の頃には虐待、育児放棄を繰り返し、大人になってからも金をせびりに来る厄介者。私、可愛げのあるボンクラやダメンズは好きでも、クズは全く受け付けません。

 

終盤に、庸一が自堕落になり上条に辛くあたる理由が示され、上条が庸一との僅かな良い想い出に対し情にほだされる場面があっても、全く響かないのは、子供の上条に与えた贈り物が貰い物だったからでしょう。作り手はそこまで計算して、敵役に仕立てたのかは不明ですが、不快感をもよおす悪役としては申し分ありませんでした。

 

本作は同時期に公開された「爆弾」同様、ほぼ原作通りに描かれています。ただし、「爆弾」が見せ方の巧さで、最後まで観客を惹きつけたのに比べ、こちらは原作の分量を考えると尺が足りない感じがして、ダイジェストのような物足りなさも感じさせました。

 

 

爆弾 公式サイト

 

チラシより

街を切り裂く轟音と悲鳴、東京をまるごと恐怖に陥れる連続爆破事件。すべての始まりは、酔って逮捕されたごく平凡な中年男・スズキタゴサクの一言だった。「霊感で事件を予知できます。これから3回、次は1時間後に爆発します」爆弾はどこに仕掛けられているのか?目的は何なのか?スズキは一体、何者か?次第に牙をむき始める謎だらけの怪物に、警視庁捜査一課の類家は真正面から勝負を挑む。スズキの言葉を聞き洩らしてはいけない、スズキの仕草を見逃してはいけない。すべてがヒントで、すべてが挑発。密室の取調室で繰り広げられる謎解きゲームと、東京中を駆け巡る爆弾探し。「でも爆発したって別によくないですか?」---その告白に日本中が炎上する---。

 

製作:「爆弾」製作委員会

監督:永井聡

脚本:八津弘幸 山浦雅大

原作:呉勝浩

撮影:近藤哲也

美術:杉本亮 岡田拓也

音楽:Yaffle

出演:山田裕貴 伊藤沙莉 染谷将太 坂東龍汰 寛一郎 片岡千之助

             中田青渚 加藤雅也 正名僕蔵 夏川結衣 渡部篤郎 佐藤二朗

2025年10月31日公開

 

呉勝浩の原作小説自体が面白いのですが、それを差し引いても、緊迫感の持続するサスペンス映画に仕立てた手腕は評価に値します。まず、スズキタゴサクを佐藤二朗に振ったキャスティングが実にお見事。取り調べを行う刑事に対し、卑屈な態度を取りつつ、肝心な点は煙に巻く掴みどころのない犯罪者は、佐藤の風貌と相まって適役と言えます。

 

加えて、人間の奥底に眠る闇の部分を引き出し、刑事たちを翻弄する様は、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」におけるジョーカー、ジョナサン・デミの「羊たちの沈黙」におけるレクター博士と相通ずる邪悪さを感じさせます。このスズキタゴサクのキャラクターを最大限に活かしたことで、本作の面白さは担保されたと言って良いでしょう。

 

また、爆弾探しに駆り出される巡査長の坂東龍汰と巡査の伊藤沙莉コンビの遣り取りも、いい息抜きになって映画にメリハリを与えていました。特に先輩を先輩と思わない生意気な口の利き方は、伊藤沙莉のイメージとも合っています。

 

更に、スズキタゴサクが何者だったのか?その正体を最後まで明かさずに終わる点は、フレッド・ジンネマンの「ジャッカル」の殺し屋を連想させ、事件が一応決着しても尚、不穏な空気を残す辺りは、得体の知れぬ犯罪者らしい幕引きでした。

 

その一方で、事件の引き金となった刑事の不祥事は、映画しか観ていない方には、何故不祥事なのか理解できたでしょうか?不祥事を起こした“場所”が問題であり、原作を読んだ者にはその場所が不適切と分かりますが、映画では具体的に示されていなかったのでは?

 

それでも、爆弾の在処を意味深に匂わせる犯人と、その場所を特定しようとする攻防と駆け引きには見応えがあって目を離せません。そして、戯けたことを口にしつつも、その中には一編の真理が含まれているなど、悪役としてのスズキタゴサクには言い知れぬ魅力がありました。小説は既に続編が刊行されており、映画も続きを観てみたいですね。

 

 

 

チラシより

1975年、エベレスト山頂に向かう一人の女性の姿。一歩一歩着実に山頂(てっぺん)に向っていくその者の名前は多部純子。日本時間16時30分、純子は女性として初の世界最高峰制覇を果たした---しかしその世界中を驚かせた輝かしい偉業は純子に、その友人や家族たちに光を与えると共に深い影も落とした。晩年においては、余命宣告を受けながらも「苦しい時こそ笑う」と家族や友人、周囲をその朗らかな笑顔で巻き込みながら、人生をかけて山へ挑み続けた。登山家として、母として、妻として、一人の人間として・・・。純子が、最後に「てっぺん」の向こうに見たものとは---。

 

製作:「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会

監督:阪本順治

脚本:坂口理子

原案:田部井淳子

撮影:笠松則通

美術:杉本亮

音楽:安川午朗

出演:吉永小百合 のん 木村文乃 若葉竜也 工藤阿須加

             茅島みずき 和田光沙 天海祐希 佐藤浩市

2025年10月31日公開

 

吉永小百合主演の映画は、正直食指が延びません。それでも観る気になったのは、監督が阪本順治、若い頃の主人公をのんが演じていたから。ただし、阪本順治が吉永小百合と組んだ映画は、「北のカナリアたち」の前例もあって一抹の不安も覚えました。

 

1975年の女性によるエベレスト初登頂は私が中学3年生の時で、勿論この快挙は憶えています。女性解放運動の一環として活動していた中ピ連の解散した年ではありますが、ウーマン・リブという言葉が普通に使われていた時期でもありました。女性の地位向上を促す動きがある一方で、それを苦々しく思う一派も居て、劇中でもエベレスト登頂のための資金集めの際に、女性たちの登頂を否定する発言に主人公たちが傷つく場面も見られました。

 

本編の最後にこの映画が事実を元にしたフィクションであると明示されたように、この映画は登山家の田部井淳子をモデルにしたドラマになっています。そのせいか、美談めいたものが無きにしもあらずで、ドラマとしての深みはあまり感じられません。エベレスト登頂後、純子一人に注目が集まったため、登頂に参加した他の女性たちに蟠りが生じ、彼女から離れていく様子をもっと深掘りしていけば、面白くなったと思うのですが・・・。

 

吉永小百合が主役の映画だけあって、さすがに2010年以降は、母親の名声に耐えられない息子との確執、癌を宣告されてからの闘病生活、闘病を押しての登山などの見せ場はあるものの、いずれも奇麗ごとに見えてしまい、ドラマとして弱い点は否めません。ただし、実際に山登りされている方には、軽登山や高校生を引率しての富士山の登頂場面は楽しめるかもしれません。サユリストには、劇中で吉永小百合の歌を聴けるのが一番嬉しいかもしれませんね。

 

 

シネマヴェーラ渋谷

帰ってきた!新東宝のディープな世界 より

 

製作:新東宝

監督:斎藤寅次郎

脚本:八住利雄

撮影:友成達雄

美術:加藤雅俊

音楽:鈴木静一

出演:柳家金語楼 花菱アチャコ 月丘千秋 関千惠子

   清川虹子 キドシン 渡辺篤 伴淳三郎 古川緑波

1952年2月29日公開

 

タクシー強盗が世を騒がせる中、子沢山のタクシー運転手の茶吉(花菱アチャコ)も、心中穏やかではありませんでした。そんなある日、赤ん坊連れの若い女性を乗せたところ、赤ちゃんを車内に置き去りにしたまま行方をくらます事件が起きます。

 

茶吉が仕方なく赤ん坊を自宅まで連れてくると、二階に部屋を貸している医師の今井(古川緑波)が身投げしようとした女性を助けたと話をし出します。話を聞いて行くうちに、その女性が赤ん坊をタクシーに置いてきた母親と気づき、更に近所に住む桶屋の金蔵(柳家金語楼)の娘房子であることが分かります。

 

房子は仙台の助産婦の学校へ行っている間に、駆け出しの医師の男と恋に落ち子供も生まれました。しかし、男の母親の反対に遭って添い遂げられず、東京へ戻っても親に合わせる顔がなく、思い余って死のうとしたのでした。茶吉夫婦は一計を案じ、房子と赤ん坊とを別々に金蔵の家へ送り込んで説得を試みます。

 

一方、おたか(清川虹子)は金持ちの高利貸しで、彼女の夫は金の力で人を動かそうとする妻に愛想を尽かし家出をしていました。腰巾着の竹村(伴淳三郎)は、おたかに巧く取り入りながら金を引き出そうとしますが、おたかは金にシビアで彼女の財布の紐が緩められることはありませんでした。そんな中、おたかの長男一郎(木戸新太郎)を通して、今井、房子、おたかの意外な繋がりが明らかになります・・・。

 

これほどタイトルと内容が全く合っていない映画も珍しいです。若い女性は出てきますが、花菱アチャコの娘・関千恵子は小学校の教師ですし、柳家金語楼の娘で未婚の母親になりそうな月丘千秋は助産婦で、いずれも18歳には見えません。更に“びっくり天国”に到っては何を指しているかも意味不明。アチャコの台詞で言うならば「ムチャクチャでござりまするがな」。

 

ただし、錚々たる喜劇役者たちが勢揃いしているので、彼らの芝居だけでも観る価値があります。その中でも、清川虹子が異彩を放ちます。金の亡者で且つ我儘。娘を有名小学校に入れるため賄賂を贈ろうとし、隣の洗濯屋の物干しにかけてある洗濯物が目障りと見るや、これみよがしに高い塀を建てるなど、金に物を言わせ力を誇示します。

 

その秘書役?が伴淳三郎で、オネエ言葉を使いつつ、隙を見ては清川の金をくすねようとします。一時期、この二人が実生活で一緒になって暮らしていたことを考えると余計に可笑しみが増します。

 

また、アチャコの家に居候する医師の古川緑波、子供を産んで実家に戻ってきた月丘千秋、金にガメつい清川虹子、この三者が全く関係ない間柄と思っていたら、次々と繋がり出す辺りは作劇としても面白いです。その一方で、あれほど金に汚かった清川が、全てを失ったことで改悛する話の流れは、短絡的で説教臭いつまらなさも感じさせました。

 

因みにこの映画では伴淳がしわくちゃになったお札をアイロンにかけて伸ばす描写があり、ミュウ・ミュウとマリア・シュナイダーが共演した「夜よさようなら」のヒモ男を久々に思い出しました。

森栄莞爾と十二人の父を知らない子供たち  逸木裕

 

紀伊國屋書店サイトより 

カリスマ経営者として多くの人に愛されていた森栄莞爾。だが彼は、精子提供で105人もの子供を作っていた。そのリストが出回ったことで、自分が莞爾の子供だと知った健太は、他のきょうだいたちと出会い、ある提案を受ける。「莞爾を父だと認める声明を出してほしい。全会一致の場合、1000万円を支払う」育ててくれた人と、遺伝子が繋がっている人。あなたは、どちらを《父親》と呼びますか?

 

本書は105人もの精子提供を行なった森栄莞爾を父親として認めるか?という一種の裁判劇として進行します。森栄莞爾の精子提供によって生まれてきた子供たちは、それぞれ家族の悩みや問題を抱えており、判決の行方にも影響を及ぼします。また“裁判員”が12人であること、全会一致の条件でたった一人が反対票を投じて流れが変わる点などは、シドニー・ルメットの名作「十二人の怒れる男」をも連想させます。会の主催者が秘密にしている点(ノーベル賞作家の某作品に前例あり)、会合の本来の目的など、ミステリーの要素はあるものの、「父親とは何か?」を問いかける小説であり、遺伝子の継承だけで親子の関係が築けるかと様々なことを考えさせられます。参加者の一人、三ツ橋健太は育ての父親を人として尊敬しながらも、父親として認められない葛藤に苦しみます。おまけに彼自身も恋人の大学生に妊娠を告げられ、父親になることに戸惑っている状況。健太が最終的にどのような判断を下すのかは読んでみてのお楽しみですが、読後は温かい気持ちにさせられました。

 

熟柿  佐藤正

 

KADOKAWAサイトより 

激しい雨の降る夜、眠る夫を乗せた車で老婆を撥ねたかおりは轢き逃げの罪に問われ、服役中に息子・拓を出産する。出所後息子に会いたいがあまり園児連れ去り事件を起こした彼女は、息子との接見を禁じられ、追われるように西へ西へと各地を流れてゆく。自らの罪を隠して生きる彼女にやがて、過去にまつわるある秘密が明かされる。

 

妊娠中の主婦が轢き逃げを起こしたばかりに、獄中で産んだ子供に出所後も会わせてもらえず、そのことから数々のしくじりをして負の連鎖に陥っていきます。主人公のかおりのやらかしは冷静に見れば愚かしく映るのですが、一目でいいから目に焼き付けておきたい気持ちを想えば、我が子会いたさに無謀な行動を取るかおりをとても笑えません。また、服役中に離婚届を突きつけ、出所後にも息子を会わせない元夫の徹也は悪者に見られがちですが、息子の将来を思うと彼の言い分にも一理あります。徹也自身、警察官の職を失った上に、息子が前科持ちの母親より、母親が死んだものと思ってくれたほうがまだ救いがあると考えるのを咎め立てする気にはなれません。殊にSNSで暴露されやすいご時世とあっては、用心深くならざるを得ないでしょう。ただし、徹也にもかおりに言えない秘密を抱えており、それが明らかになった途端、彼女の怒りが頂点に達するのは無理もありません。かおりは前科がバレたり、コロナウィルスの蔓延のせいで職を失ったりして、日本中を転々とします。波乱万丈の上に映画で言えばロードムービーの様相を呈しています。これほどの逆境にもめげず、どんな土地に移っても順応していく女性の逞しさに感嘆させられました。

 

パズルと天気  伊坂幸太郎

 

PHP研究所サイトより 

伊坂幸太郎デビュー25周年に贈る、「幸せ」な短編集!【パズル】悩みを抱えた「僕」は、マッチングアプリでしか出会えない「名探偵」に依頼する。【竹やぶバーニング】出荷した竹にかぐや姫が混入!?  仙台七夕まつりで大捜索が始まった!【透明ポーラーベア】動物園で会ったのはシロクマ好きで行方不明になってしまった姉の、元恋人だった。【イヌゲンソーゴ】花咲か爺さん、ブレーメンの音楽隊……俺たちの記憶を刺激するあの男は誰だ?【Weather】友人・清水の結婚式に参加した大友は新婦からある相談を持ち掛けられていて――。

 

本書は5つの短編が収録されており、20年以上前に書かれた作品もあれば、今年の書き下ろし作品もあります。5編中4編がアンソロジーに収めるために依頼された短編。軽妙で洒落た語り口の作風は相変わらずですが、著者が企画に合わせたこともあって、伏線の回収の妙味と言う点では、書き下ろしの「パズル」くらいしか持ち味は発揮されていません。寧ろ、著者による各短編の解説が興味深かったと言ったら、怒られるかな?「パズル」はマッチングアプリで出逢った女性と恋に落ちたものの、女性に男の影がちらつき、自分の周辺にも奇妙な出来事が起きたことから、二つの問題を解明しようとする話。探偵役の女性がもっともらしい推理を披露しながら、的外れな真相が判明するのが笑えます。「竹やぶバーニング」は森見登美彦にリクエストされた“竹林と美女”をテーマにした企画で、かぐや姫を登場させています。よく言えばファンタジー、悪く言うとおバカな短編。「透明ポーラーベア」は主人公の姉が、恋愛が破局するたびに旅に出て、次第に旅先が遠くなっていく辺りに伊坂幸太郎らしさが表れています。姉は7年間消息不明のまま終わり、不思議な余韻を残します。「イヌゲンソーゴ」は前世の記憶を取り戻した犬たちが悪党に仇討する話。犬たちの身の上話が、「花咲か爺さん」「ブレーメンの音楽隊」「フランダースの犬」「忠犬ハチ公」と言った昔話そっくりなのが笑え、最後は「桃太郎」の鬼退治で締めます。傑作なのは、この短編が犬をテーマにしたアンソロジーに収録された際に、依頼した作家たちに著者名の一文字を強引に「犬」に変えたこと。伊坂幸太郎⇒伊坂幸郎、大崎梢⇒崎梢、木下半太⇒大下半、横関大⇒横関、貫井徳郎⇒貫井ドック郎と言った具合。「Weather」は、隠し事があると天気の話にすり替える癖を持つ男が、友人の新郎の結婚式に出席した際、新郎の女性関係に疑いを持つ新婦から揺さぶりをかけられる話。著者にしては直球勝負でオチは容易に予想できます。ただ、女癖の悪い新郎のイメージがだいぶ変わり後味は良かったです。

 

DVDあらすじより

まばゆい陽光降り注ぐフロリダ州エバーグレーズのブルー・ベイ。美しく広がる海のある町でその夏起きた事件は、高級ヨット・クラブに集う名士たちの眉をひそめさせる、スキャンダラスなものだった。良家の子女が通うブルー・ベイ高校の女生徒ケリー・バン・ライアンが進路指導教諭サム・ロンバートからレイプされたと訴えたのだ。だがそれが単なる始まりに過ぎないことを知る者は、その時点で誰もいなかった。すべてを計画した者を除いては。

 

製作:アメリカ

監督:ジョン・マクノートン

脚本:スティーブン・ピーターズ

撮影:ジェフリー・L・キンボール

美術:エドワード・ディー・マカヴォイ

音楽:ジョージ・S・クリントン

出演:ケヴィン・ベーコン マット・ディロン ネーヴ・キャンベル テレサ・ラッセル

             デニース・リチャーズ ダフネ・ルービン=ベガ ロバート・ワグナー ビル・マーレー

1999年2月6日公開

 

本作は封切り時に観ていて、てっきりレイプの有無を争う裁判劇と思っていたら、裁判後に真相が次々と暴かれる波乱に満ちた物語だったのに唖然とさせられました。久しぶりに観た感想は、初見時と同じでした。

 

サム・ロンバート(マット・ディロン)は高校教師で、生徒から色目を使われるほどの色男。特に彼にお熱なのが、女子高生のケリー・ハン・ライアン(デニース・リチャーズ)。彼女は街を支配しているサンドラ・ハン・ライアン(テレサ・ラッセル)の娘で、彼女の父親は拳銃自殺をして亡くなっています。ケリーはその原因が母親と思っているため、母娘の関係は巧くいっていません。また、母親のサンドラは男出入りが激しく、過去にはサムと深い関係があったことも匂わせます。

 

一方、ケリーと反目し合っている同級生のスージー・トーラー(ネーヴ・キャンベル)は、刑事のレイ・デュケ(ケヴィン・ベーコン)に補導されたことがあり、彼に悪い感情を抱いています。他にも、サムは現在バーバラ・バクスターと付き合っていて、彼女の父親のトムはハン・ライアン一族の顧問弁護士を担っています。

 

以上の人間関係を踏まえ、サムはケリーからレイプされたと訴えられます。レイと同僚の女性刑事・グロリア・ペレス(ダフネ・ルービン=ベガ)は、サムがケリーの誘惑に一向に靡かなかったことから、彼女の狂言を疑います。一方、強大な権力を持つサンドラは顧問弁護士のトムを使って、サムに数々の嫌がらせをしながら四面楚歌の状況に追い込んでいきます。

 

更に、ケリーと敵対関係にあるスージーが、自分もサムにレイプされたことがあると証言したことから、益々サムへの疑いが濃くなります。サムは旧知の弁護士・ケン・ボウデン(ビル・マーレー)の力を借りて、無実を証明しようとすると言うのが前半の流れ。一応裁判で判決が下されるのですが、実は判決が決まってからがこの映画の本番です。

 

話が進むにつれて、今まで隠されていた事実が明るみになり、ツイストの連続で話が二転三転します。それと並行するように、主要人物にはそれぞれ裏の顔があったことも判明します。果たして裏で糸を引いている一番のワルは誰なのか?が終盤の焦点になってきます。

 

綻びがありそうな箇所や、ツッコミを入れたくなる箇所がない訳ではありませんが、激変する話で乗り切った感があります。終わってみれば、ケリーを演じた男好きのするデニース・リチャーズのエロ顔と、弁護士のケンを演じたビル・マーレーの胡散臭さだけしか印象に残らないかもしれませんが・・・。

愚か者の身分 公式サイト

 

チラシより

とある犯罪組織の手先として戸籍売買を行うタクヤ(北村匠海)。タクヤに誘われてこの世界に足を踏み入れた弟分のマモル(林裕太)。そしてタクヤをこの道に誘った兄貴的存在であり、裏社会の運び屋の梶谷(綾野剛)。欲望渦巻く“眠らない街”新宿・歌舞伎町から大金が消えた事件をきっかけに、彼らの運命は激しく揺れ動く。目の前のささやかな幸せを必死に掴もうとしてきた3人が行き着く先とは---。

 

製作:「愚か者の身分」製作委員会

監督:永田琴

脚本:向井康介

原作:西尾潤

撮影:江崎朋生

美術:小泉博康

音楽:出羽良彰

出演:北村匠海 林裕太 山下美月 矢本悠馬 木南晴夏

              田邊和也 嶺豪一 加治将樹 松浦祐也 綾野剛

2025年10月24日公開

 

貧困家庭に育ったマモルは、タクヤに誘われ闇ビジネスの世界に入りました。二人はSNSで女性を装いながら金に困っている男を見つけ、パパ活女子の希沙良を使って男を二人に会わせ、戸籍の売買を持ちかける仕事で金を稼いでいます。

 

ある日、マモルはタクヤが車中で見知らぬ男と車中で会っているのを見かけ、それをきっかけに兄貴分のタクヤが足を洗おうとしている気配に気づきます。それから間もなくしてマモルは、半グレ集団の幹部のジョージと、タクヤとマモルの指示役の佐藤に拉致され、タクヤが組織の金を持ち逃げしたことを知ります。

 

以上が前半の話の流れです。本作はマモル、タクヤ、梶谷の3人の主要人物の視点で語られていき、それぞれの視点から描くことによって、全体像が徐々に見えてくる構成になっています。

 

マモルのパートで謎とされたことが、タクヤのパートで明らかになり、同様にタクヤの秘密だった部分が梶谷のパートで露わになると言った具合に、人物の視点が移るごとに、問題の答え合わせが行われる構図になっています。主要人物の不明な点を解明する意味では、ミステリー要素の濃いノワールと言えるかもしれません。

 

また、この映画では伏線の回収も巧み。重要な鍵の隠し場所がマモルとタクヤの想い出にちなんだ点などはウルッとさせられます。他にもタクヤと連絡が取れなくなり、心配した希沙良が彼の部屋を訪れた途端に目にする光景は、半グレ集団の非情さを瞬時に示していました。凄惨な光景はヒッチコックの「鳥」のある場面を連想させました。

 

その一方で、梶谷が組織の命令によって車でタクヤをある場所に運ぶ際の無防備さには茶々を入れたくなります。それでも、多少の疵はあるにせよ、美点のほうが多い映画なのでそこは目を瞑ってあげたい気持ちにもなります。過度な説明がない点は観客を信頼して撮っている証と言え、そのことも好感の持てる演出でした。