パンクフロイドのブログ -4ページ目

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

スペシャルズ 公式サイト

 

チラシより

過去に「ダンス経験がある!?・・・」という理由で集められた、伝説の殺し屋・ダイヤら〈孤高のプロの殺し屋たち〉。裏社会のトップ・本条会のクセ者親分が必ず訪れるダンス大会での暗殺をもくろみ、チームを組んで大会の出場を目指すことになるが、実はまるでド素人で仕方なくダンス教室に通い始めるも、ことごとく問題を起こして破門される。そこにダイヤの勤める児童養護施設のダンス少女・明香が救いの手を差し伸べ、最初は歪みあっていた殺し屋たちも次第にダンスの魅力に目覚め、いつしか〈スペシャルな5人〉のチームへと。ダンスも成長を遂げ、本気でダンス大会への情熱を燃やし、あとは暗殺ミッションに挑むだけであったが・・・。

 

製作:『スペシャルズ』フィルムパートナーズ

監督・原案:内田英治

脚本:内田英治 池亀三太

撮影:YOHEI TATEISHI

美術:佐藤英樹

音楽:小林洋平

出演:佐久間大介 椎名桔平 中本悠太 青柳翔 小沢仁志 羽楽

   前田亜季 平川結月 矢島健一 六平直政 石橋蓮司

2026年3月6日公開

 

内田英治監督の映画は「ミッドナイト・スワン」「ナイトフラワー」とシリアスな内容の作品を観てきており、今回は殺しとダンスの異質の組合せを、コメディタッチでどのように料理するのかに興味が湧きました。

 

椎名桔平の所属する組は、敵対する組の親分が影武者を立てている上に、滅多に外出しないため殺す機会に恵まれません。それでも敵の親分が溺愛する孫娘がダンスコンテストに出場する時だけは、晴れ舞台を見に行くことから、殺し屋同士がチームを組んで出場し、舞台から標的を殺そうとします。この発想自体、バカっぽくて好き(笑)。

 

ただし、衆人環視の前で撃ち合いになれば、暴対法を盾に警察が双方の組を潰そうとしかねず、その程度の踊りで本選に出場できるの?とか、色々とツッコミどころは多いです。まぁ、細かい点を気にしなければ、観客目線に立った娯楽作なのでそこは大目に見てもよろしいかと。

 

個人的にはスペシャルズの面々のダンスのバックに流れるのが、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、泰葉「フライデイ・チャイナタウン」、TOM☆CAT「ふられ気分でRock’n Roll」といった80年代歌謡曲で、リアルタイムで聴いてきた世代にはツボでした。

 

また、ダンス中の動きがぎこちなかった椎名桔平も、そうした楽曲をバックに踊れば、ダンスと言うより歌の振り付けの感覚でノリノリになるのは分かるわぁ~。最後まで80年代の歌謡曲に拘ってくれれば、拍手喝采したいところでしたが、最後に小室哲哉(TRFかな?)に靡いてしまったのは残念。

 

また、予定外の人物が客席に来たことによって、チーム内で暗殺を実行する側と阻止する側に分かれたところまでは良かったものの、その攻防がダンスの中で巧く活かしきれなかったのが惜しまれます。尤も、かなり難易度の高いアクションが要求されるので致し方ないかもしれませんね。

 

映画にうるさいシネフィルからは馬鹿にされそうな映画ですが、殺し屋の面々の中でも強面の小沢仁志が、仲間のために自ら犠牲になろうとする姿は胸を熱くさせますし、内田英治の別の面も観ることができて、少々の疵はあっても十分楽しめました。

分水  隠蔽捜査11 今野敏

 

新潮社サイトより

鎌倉署管内にて、不審火が発生。燃えたのは女性スキャンダルで週刊誌に追われている大物政治家宅だった。竜崎のライバル・八島と所轄による権力者への忖度が通常捜査を妨げる中、殺人事件へと発展し……。社会派ユーチューバーが絡む難事件に、竜崎が挑む!

 

『隠避捜査』シリーズは短編集を含めると、いつの間にか14冊になっており、『水戸黄門』同様に予定調和の世界が心地良くなってきました。黄門様の印籠に当たるのが、『隠蔽捜査』では竜崎の原理原則を貫くブレのない姿勢であり、政治的な思惑が働いても揺らぐことはありません。したがって、最早このシリーズには物語の面白さを求めてはおらず、竜崎とその仲間たちのイチャイチャぶりを楽しむようになりました。毎回事件とは別に竜崎家に纏わるトラブルが発生するのですが、これも回を重ねるごとにユルくなっています。1作目では竜崎の息子がヤクに手を出し、家庭内の問題のみに留まらず、キャリアの破滅に結びつきかねない切実な事態でした。それに比べると、今回は娘が実家を出て一人暮らしをするかどうか程度に萎んでいます。かつて開高健は鼎談集「書斎のポトフ」の中で、作家は捕物帳を書きたがる理由として「江戸時代の温室の中に入ってその中で有識故実をちょっと調べ、ものの言い方をちょっと変え、いくらかのトリックを考えて、風俗小説を書いていれば安定したものが書ける」と述べていました。同じように警察小説も一旦警察組織の仕組みを把握すれば、狭い世界の中でヌクヌクと浸っていられる居心地の良さがあるのかもしれませんね。

 

今日未明 辻堂ゆめ

 

徳間書店サイトより

■自宅で血を流した男性死亡 別居の息子を逮捕 ■マンション女児転落死 母親の交際相手を緊急逮捕 ■乳児遺体を公園の花壇に遺棄 23歳の母親を逮捕 ■男子中学生がはねられ死亡 運転の75歳女性を逮捕 ■高齢夫婦が熱中症で死亡か エアコンつけず 新聞の片隅にしか載らない、小さな5つの事件。その裏には、報道されない真相がある――。大藪賞作家が描く慟哭の犯罪ドラマ。

 

本書は5編の短編が収録されており、いずれも無味乾燥な新聞記事では窺い知れぬ事実が内幕として描かれています。新聞記事では加害者としか思えない人物が、実は被害者であったというパターンが5編のうち2編あります。高齢者の夫婦が死亡した件は、過去の出来事と照らし合わせると痛ましさばかりが残ります。一方、中年の引き籠り男には、どんだけ父親に甘やかされているんだよと苦笑しつつ、新たな一歩を踏み出そうとした矢先に、思わぬ事実を突きつけられる点は些か気の毒な気がしないでもありません。5編中一番興味が湧いたのは、意識高い系の事実婚の男女を描いた「ジャングルジムとチューリップ」。結婚制度や憲法の解釈には、個人のそれぞれの価値観の違いに基づくものですから、それは別に構わないとしても、とにかくエリート意識剥き出しの見下し感に鼻白みましたよ。したがって、戸籍制度の破壊に繋がりかねない危うさのある選択的夫婦別姓の法制化を求める女性が、パートナーの除籍謄本を取り寄せたことによって破滅に導かれる流れは、何とも皮肉が利いていて溜飲が下がりました(笑)。意地の悪い人間模様、結末の後味の悪さなど、湊かなえから“イヤミスの女王”の称号を受け継ぐのは真梨幸子ではなく、辻堂ゆめのような気がしてきました。

 

目には目を 新川帆立

 

KADOKAWAサイトより

重大な罪を犯して少年院で出会った六人。彼らは更生して社会に戻り、二度と会うことはないはずだった。だが、少年Bが密告をしたことで、娘を殺された遺族が少年Aの居場所を見つけ、殺害に至る――。人懐っこくて少年院での日々を「楽しかった」と語る元少年、幼馴染に「根は優しい」と言われる大男、高IQゆえに生きづらいと語るシステムエンジニア、猟奇殺人犯として日常をアップする動画配信者、高級車を乗り回す元オオカミ少年、少年院で一度も言葉を発しなかった青年。かつての少年六人のうち、誰が被害者で、誰が密告者なのか?

 

新川帆立の作品は、綾瀬はるか主演のドラマ「元彼の遺言状」がCSで一挙放送された際に、イッキ見したくらいしか縁がありませんでした。今回読もうという気になったのは、少年法で護られた元少年を密告したのは誰か?という設定に興味を覚えたのと、著者が贖罪と更生というテーマをどのように料理するのかに関心を抱いたからでした。殺害された被害者の元少年Aは早い段階で誰であったのかが示され、加害者の女性が元少年Aに殺された娘の母親であることから、動機が復讐であることも判明します。ただし、元少年Aの居場所の情報を提供した人物が分からないため、ルポライターの仮谷苑子が密告した人物を調べるという話の流れになります。仮谷にはある思惑があり、彼女の正体が明らかになると、勘の鋭い読者ならばおそらく密告者もピーンとくると思います。個人的には更生を目的とした少年院の日常生活の描写に目が行きました。何しろ、こちらは東陽一の「サード」で少年院の知識が止まっているので、個室を与えられていることを始め、院内で数々の行事があることや教官の対応等などで、時代の変遷が感じられました。また、元少年たちが重罪を犯しながら、退院後も当事者意識に欠けることに、更生を目指す法制度の限界も垣間見えます。その一方で、密告者と密告の意図が明らかにされると、罪を償うことの痛ましさに胸が締め付けられると同時に、微かな希望も感じられます。気の滅入る物語ですが、元少年のうちの一人が、更生することによって復讐の連鎖を断ち切ろうと示す姿勢に光明が見出せるかもしれません。

 

チラシより

製紙会社で25年間、堅実に仕事をしてきたマンスは、心からそう思い、妻と2人の子供、2匹の犬と郊外の大きな家で“理想的”な人生を送っていた。突然、会社から解雇されるまでは。必死に築いてきた人生が、一瞬のうちに崩壊!?好調の製紙会社への就活も失敗したマンスが閃いたのは、衝撃のアイデアだった。それは・・・「ライバルがいなくなれば、仕事は手に入る」

 

製作:韓国

監督:パク・チャヌク

脚本:イ・ギョンミ ドン・マッケラー イ・ジャヘ パク・チャヌク

原作:ドナルド・E・ウェストレイク

撮影:キム・ウヒョン

美術:リュ・ソンヒ

音楽:チョ・ヨンウク

出演:イ・ビョンホン ソン・イェジン パク・ヒスン イ・ソンミン

              ヨム・ヘラン チャ・スンウォン ユ・ヨンソク

2026年3月6日公開

 

失業した妻子持ちが再就職のために、ライバルを次々と殺していくアイデアは面白かったですが、中味は私の想像していたものとは違っていました。また、設定に特色のある物語は、できるだけシンプルに語ったほうが効果的なのに、この映画では必要以上に家族の描写に重きを置くなど色々詰め込み過ぎたために、ライバルたちを排除する件が薄まったきらいがあります。

 

本来、ブラックユーモアを含む犯罪映画は、2時間内に収めて欲しいのですが・・・。主人公にとって邪魔になるライバルを特定する方法も結構杜撰。ただし、元々荒唐無稽な話なので、そこは目を瞑っても問題ないでしょう。

 

それでも、最初に始末しようとする人物の女房の浮気現場を目撃した後のマンスの行動が解せませんでした。ライバルが自宅に戻って来たのを察知し、自宅に入れないように電話で阻止しようとするからです。女房の浮気相手は背中にモンモンを背負っているやくざ風の男で、亭主と鉢合わせすればトラブルになるのは必至。あわよくば、やくざが殺してくれるかもしれません。仮に何も起きなかったとしても、マンスに不都合はなく、逆にライバルに連絡することで不審を抱かせる危険性も出てきます。ここは様子見が妥当でしょ。

 

また、サスペンスに関しても、妻や長男から疑いの目を向けられることはあっても、警察の追求が甘いので思ったほど観るほうはスリルを感じません。尤も、警察が無能という描写は韓国映画の鉄板でありますし、逆にマンスが次の標的にされると心配される様は皮肉が利いていると言えなくもありません。

 

同じドナルド・E・ウェストレイク原作でも、ロバート・レッドフォード主演の「ホットロック」は、盗みの失敗の連続が物語の面白さに繋がっていたのに対し、こちらはイケメンが無様な醜態を曝すのを楽しむだけに留まっています。原作にあたる「斧」は未読、コスタ・ガヴラスが原作を最初に映画化した作品は未見ですが、ミステリーとしては少々難のある映画でしたね。

ラピュタ阿佐ヶ谷

血湧き肉躍る任侠映画 其の弐 より

 

製作:東映

監督:山下耕作

脚本:鳥居元宏 志村正浩

撮影:鈴木重平

美術:富田治郎

音楽:渡辺岳夫

出演:鶴田浩二 藤純子 待田京介 北林早苗 天津敏 水島道太郎 若山富三郎

1970年4月18日公開

 

明治の中期、九州小倉。舟木栄次郎(鶴田浩二)は渡世の義理から、篠崎一家の親分の顔に傷をつけました。この出入りは本来、熊谷剛平(天津敏)、清水新吉(待田京介)、山形市造(水島道太郎)、石田仁助(北村英三)ら5人の旅人の仕事でした。しかし、新吉は仁助の配慮で仲間から外され、熊谷は途中で臆病風に吹かれ逃亡しました。三人で殴り込みをした結果、市造は深手を負い、仁助は死ぬ間際に昔の女きくに渡すよう500円の金を栄次郎に託しました。

 

栄次郎は、間もなく既にきくが死亡していること、娘のとみ(北林早苗)が東京へ移って行方不明であることを突き止めると、自身も深川の木場政一家へ草鞋を脱いでとみを探し始めます。折しも、深川では辺り一帯を仕切る岩佐一家が賭場の客引きをめぐって事あるごとに、木場政と対立していました。その背後には、金万一家の二代目にのし上った熊谷が弟分の岩佐(須賀不二男)を使って糸を引いていました。

 

熊谷は小倉の殴り込みの際、逃亡した渡世上の恥を、市造を助けたことで汚名を全て彼にかぶせて、自ら箔を売って二代目に収まっていたのです。そして、市造を一家に飼い殺しにした上で、関東博徒会の大御所菊地駒之助(北龍二)から親子の盃を受けようと画策していました。栄次郎はとみの消息を訪ね歩くうち、酒に荒んだ市造の姿を目にして痛ましい想いを抱きます。その一方で市造の妹で深川芸者の小秀(藤純子)に惹かれるものを感じました。

 

やがて、熊谷と菊地との仮盃には木場政が取持人を務めることが決まります。栄次郎は恩人の木場政の顔に泥を塗られるのが忍び難く、熊谷に辞退を迫りますが拒否されます。その後、栄次郎はとみが材木商総州屋に嫁ぎ、亭主が岩佐のイカサマの罠に嵌り、無理矢理、借金の証文を書かされたことを知ります。栄次郎は岩佐と博奕でサシの勝負をつけようとしますが、岩佐は代人を立てます。その代人は栄次郎の弟分にと哀願した新吉でした・・・。

 

『博奕打ち』シリーズにはハズレがありません。監督や脚本家が変わっても一定の水準が保たれているシリーズは非常に珍しいと言えます。シリーズは回を重ねるごとにマンネリ化に陥りやすいにも関わらず、常に創意工夫を怠らない点が『博奕打ち』にハズレがない一番の要因と思われます。

 

跡目相続を巡る内紛を描いた「総長賭博」を始め、“いかさま”に特化した「いかさま博奕」、メロドラマと見紛う「いのち札」、男が男に惚れるという比喩でなく同性愛かと思わせる「外伝」等々、一作ごとに趣向を変えた語り口が光ります。

 

今回の「流れ者」は渡世人の矜持が強調されていました。例えば、草鞋を脱いだ先での食事の作法などは、市川雷蔵主演の「ひとり狼」を自然と連想させます。食事が終わった後、残った魚を紙に包み懐に仕舞う一連の所作は、正に客人としての振る舞いを体現していました。

 

また、落ちぶれた市造が事情を知らぬ新吉から臆病者と嘲られても、熊谷への恩義から真実を告げずに胸の内に仕舞う点も、一宿一飯の恩義を重んじる渡世人としての自負が窺えます。

 

一方、栄次郎や市造とは逆の道を行くのが熊谷。出入り寸前になって逃げだしたばかりでなく、市造の手柄を横取りし、果ては卑怯者の烙印まで押し付ける有様。更に、木場政一家に草鞋を脱いだ栄次郎に対し、昔の悪事を暴かれないよう、その筋の大御所からの盃を受ける際の取持人に木場政を指名して、栄次郎が木場政に恥を掻かせぬように動きを封じるなど、なかなかの策士ぶりを発揮します。本来この手の役は内田朝雄が得意とするところですが、内田を敢えて善人役の木場政に起用した点も面白い配役でした。

 

今回の若山富三郎も、終盤になって漸く登場し、しかも美味しいところを攫っていきます。栄次郎とは同じ渡世人として互いを認め合い、二人で殴りこみに行く道行の場面でも、草鞋を脱いだ木場政への一宿一飯の恩義からではなく、栄次郎の人柄に惚れたからと伝えるのが実にニクい。実生活ではソリの合わなかった二人ですが、芝居では微塵も感じさせないのが役者魂と言ったところでしょうか。

 

鶴田浩二は任侠映画において、一貫して筋を通す渡世人を演じてきており、本作でも相手を気遣いつつ、それでも正しいと思ったことは決して曲げようとしない信念のあるキャラクターに痺れました。

 

木挽町のあだ討ち 公式サイト

 

映画.comより

時は江戸時代。ある雪の降る夜、木挽町の芝居小屋「森田座」のすぐ近くで、美しい若衆・菊之助が父の仇討ちを見事に成し遂げた。その事件は多くの人々に目撃され、美談として語られることになる。1年半後、菊之助の縁者だという侍・総一郎が、仇討ちの顛末を知りたいと森田座を訪れる。菊之助に関わった人々から事件の経緯を聞くなかで徐々に事実が明らかになり、やがて仇討ちの裏に隠された「秘密」が浮かび上がる。

 

製作:「木挽町のあだ討ち」委員会

配給:東映

監督・脚本:源孝志

原作:永井紗耶子

撮影:朝倉義人

美術:吉田孝

音楽:阿部海太郎

出演:柄本佑 長尾謙杜 瀬戸康史 滝藤賢一 山口馬木也 愛希れいか イモトアヤコ

             富家ノリマサ 野村周平 高橋和也 正名僕蔵 本田博太郎 石橋蓮司 沢口靖子

             北村一輝 渡辺謙

2026年2月27日公開

 

映画は原作を改変した部分があるようですが、生憎小説は未読なので、どのように変えたのかは分かりません。ただ、予告編から事件の真相に関しては凡その見当がつき、話が進むにつれて私の予測していたものとほぼ同じになっていきました。観客を欺く“トリック”に関しても、ビル・S・バリンジャーのある作品を応用しており、ミステリーとしての驚きは然程ありませんでした。

 

その代わり、映像美やドラマに力を入れており、私なぞは芝居小屋のショットのひとつひとつに、往年の時代劇の伝統の継承が感じられて嬉しくなりました。また、探偵役の柄本佑、あだ討ちをする長尾謙杜、「森田屋」を束ねる渡辺謙より、敵役である筈の北村一輝の存在感が次第に増していく過程も面白かったです。

 

そして、『刑事コロンボ』に代表される、探偵役が重箱の隅を楊枝でほじくるかのような指摘を積み重ねながら当事者を追い詰めていく倒叙物のサスペンスと、「カメラを止めるな!」のような舞台裏で繰り広げられるアクシデントの連続によるスリルも味わえ、なかなか楽しめる娯楽作でした。

レンタル・ファミリー 公式サイト

 

チラシより

東京に暮らす落ちぶれたアメリカ人俳優フィリップ。日本での生活に居心地よさを感じながらも、自分を見失いかけていた。そんな彼が出会ったのは、“レンタル家族”という仕事。他人の人生に入り込み、“仮”家族の一員や友人として役割を演じるうちに、彼は想像もしなかった“人生”を体験し始める。

 

製作:アメリカ

監督:HIKARI

脚本:スティーブン・ブレイハット

撮影:石坂拓郎

美術:磯田典宏 高山雅子

音楽:ヨンシー アレックス・ソマーズ

出演:ブレンダン・フレイザー 平岳大 山本真理 柄本明 ゴーマン シャノン 眞陽

             木村文 安藤玉恵 諸田望智 篠崎しの 板谷由夏 真飛聖

2026年2月27日公開

 

フィリップは歯磨き粉のCM出演で日本でも名が知られるようになりましたが、その後は鳴かず飛ばずの状態で忘れられつつあり、現在はオーディションを受けながら俳優業を続けて日本で細々と暮らしています。そんなフィリップに、「レンタル・ファミリー」を経営している多田が彼に目をつけ、家族を演じることで報酬を得る仕事に誘おうとします。

 

フィリップは多田からの誘いを一旦断りますが、エージェントからの仕事依頼もパッとしないため、白人男性の新郎役を引き受けます。ただし、俳優もレンタル会社の仕事も演じることは同じでも、“嘘”とバレれば会社の信用を失いかねないため、フィリップは式の直前になって怖気づき、トイレに引きこもってしまいます。それでも何とか新郎役を務め終え、依頼人の両親からも祝福を受けたことで、フィイリップは満足感を得られました。

 

ここまでの話の流れは想定内でしたが、式を終えた後、フィリップが新婦と共にある人物を部屋で待って以降の展開に心を持って行かれました。新婦が外国人のフィリップを敢えて指名した理由も、部屋に現れた人物との関係性で、新婦が如何に切実な事情を抱えていたかも腑に落ちて来る見事な演出でした。

 

この後も、フィリップは母子家庭で名門私立校への編入受験を控えている美亜や、記憶を失いかけている認知症の老俳優の喜久雄と深く関わっていきます。ただし、多田も依頼人もフィリップが深い関係を構築していくのを求めておらず、あくまで仕事と割り切ることを望んでいます。彼がその注文に対して、対象者とどのように向き合い、折り合いをつけていくかが、見どころのひとつとなっています。

 

また、依頼人の希望する人物に仕立てるレンタル会社の内情も、綺麗事ばかりではなく、従業員に負担を強いるブラック企業の体質を孕んでいることも明らかになります。このことによって、イマイチ覚悟の見えないフィリップに対し、女性スタッフの愛子が苛立っていた理由も合点が行きます。

 

更に会社を経営する多田も、後に法令遵守に目を瞑っていたことに罪の意識を覚えた末に病んでいたことが判明します。特に家族団欒の真実が明かされた際は、完全に意表を突かれました。ある意味、ゾッとさせられましたね。

 

本作はファンタジー色のある映画なので、好みは分かれるかもしれません。ただ、結構ひねくれた見方をする私でも、この映画には他国とは違う日本の異質な面を映しながら、優しさと愛が感じられ、終始温かい気持ちにさせられましたよ。

 

 

ラピュタ阿佐ヶ谷

血湧き肉躍る任侠映画 其の弐 より

 

製作:東映

監督:小沢茂弘

脚本:大和久守正

撮影:山岸長樹

美術:鈴木孝俊

音楽:渡辺岳夫

出演:高倉健 藤純子 浜木綿子 天津敏 遠藤辰雄 玉川良一 藤山寛美 嵐寛寿郎

1970年7月4日公開

 

テキ屋の川又辰五郎(高倉健)は兄貴分にあたる泉熊太郎(天津敏)の妹おゆき(藤純子)と駆け落ちしました。辰五郎とおゆきは、各地を転々としながら苦楽を共にします。それから二年後、二人は港の見える小さな町に身を落ちつけ、一郎という息子も授かりました。

 

そんな折、おゆきが喀血します。辰五郎は土地の親分万清屋源造(嵐寛寿郎)に金策を願い出て、万清屋も快く引き受けました。しかし、間もなくしておゆきは息を引き取りました。悲しみに暮れる辰五郎を、小料理屋の仲居お島(浜木綿子)が彼と一郎の世話を焼き、徐々に辰五郎も立ち直ります。

 

ところが、辰五郎の行方を追っていた熊太郎が町に現れます。万清屋の娘お絹(武原英子)から急を知らされた辰五郎は、一郎のため逃げようと決心しますが、追手に襲われる熊太郎を見過ごすことができずに助勢します。熊太郎は辰五郎に助けられてもなお対決を迫りますが、万清屋の仲裁でその場は収まり、辰五郎は一郎と旅に出ました。

 

その頃、石田常平(遠藤辰雄)が率いる石田一家は、万清屋一家の縄張りを狙っていました。石田一家に草鞋をぬいだ熊太郎は、一宿一飯の恩義から、万清屋と代貸の定次(南廣)を斬ります。やがて、旅から戻った辰五郎は万清屋への闇討ちを知り・・・。

 

映画が公開された1970年の高倉健は、任侠映画においてすっかりストイックな役柄が定着していました。そのこともあって、久しぶりに健さんのやんちゃな面が見られたという点では嬉しさがありました。

 

とは言え、本作を任侠映画と呼んでいいのかは、意見が割れるかもしれません。一応終盤に恩人の娘を助けるために、単身殴り込みに行く場面は用意されていますが、兄貴分の妹と駆け落ちしたテキ屋が兄貴分の追跡を躱しながら各地を転々とする話と、女房に死なれた後、男手ひとつで息子を育てる話がメインになっているからです。

 

辰五郎に妹を奪われた兄を演じるのが悪役で鳴らした天津敏。従来の敵役とは一味違う役回りになっています。妹に執着する点は近親相姦を思わせる感情がしないでもありませんが、兄としては妹を堅気に嫁がせたい想いがあります。事実、熊太郎は辰五郎に堅気になれば結婚を認めていたとも言っています。

 

一方、辰五郎にしてみれば、学のない自分にはテキ屋の商売しかできないことを自覚しており、今更商売を替えることはできない相談と思っています。

 

実は熊太郎も辰五郎も愛する者の幸せを願うあまり、無理難題を吹っ掛ける傾向があります。熊太郎が妹のおゆきの結婚相手を堅気しか認めないように、辰五郎も息子を帝大に入れようとしています。二人はどちらも心の片隅に自分の職業に劣等感を抱いていて、それが妹の結婚相手への注文や、息子の学歴へのこだわりに表れているように見えます。

 

この両者の内面をもっと深掘りして、和解へと繋げていけば滋味のある物語になったように思われます。それだけに、安易に従来の任侠映画の型に押し込めてしまったのが惜しまれます。

 

因みに辰五郎の息子・一郎を演じているのが子役時代の真田広之(下沢宏之)。また、嵐貫寿郎演じる万清屋源造の娘・お絹の少女時代の役は子役の頃の藤山直美(藤山直子)が演じていたと思われます。彼女の父親の藤山寛美も健さんの同業者役として出演しており、同じ画面に一緒に映ることこそありませんが、親子共演を果たしています。ただし、大人に成長したお絹役が武原英子なので、さすがに藤山直美が武原英子の容姿に変わるのは無理があるだろうと苦笑しました。

 

DVDあらすじより

かつては一線級の不動産セールスマンとして活躍してきたレビーン(ジャック・レモン)だったが、今やツキに見放され、若手のローマ(アル・パチーノ)にトップの座を奪われていた。グレンギャリーの顧客情報さえ手に入れば、すべてが好転するはずだが、会社は“負け組”には情報を与えない。そんなとき、本社の幹部(アレック・ボールドウィン)が戦略会議に乗りこみ、業績3位以下のものをクビにすると言い放つ・・・。追いつめられたレビーンに残された道は!?

 

製作:アメリカ

監督:ジェームズ・フォーリー

脚本・原作:デヴィッド・マメット

撮影:ファン・ルイス・アンシア

美術:ジェーン・ムスキー

音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

出演:アル・パチーノ ジャック・レモン アレック・ボールドウィン エド・ハリス

            アラン・アーキン ケヴィン・スペイシー ジョナサン・プライス

1993年9月4日公開

 

最初に観た時は、俳優陣が豪華なのに意外とショボいという印象でした。今回久しぶりに観ても、その印象は変わりませんでした。元々、舞台劇の映画化なので、セットが場末の営業所みたいなのは容認できても、居酒屋で中年オヤジのグチや自慢話を聞かされるような居心地の悪さを感じて、ノリ切れないのが一番の要因だったように思います。

 

「セールスはたくさんの拒絶から始まる」という格言めいたものがあるように、物を売る苦労を多少知っていれば、顧客の食いつくような話題を始め様々な営業術を用いて、契約に漕ぎつけるまで四苦八苦する営業マンの姿を笑うことはできません。でも、狭い世界でマウントの取り合いをし、法令遵守を無視するかのような詐欺に近いセールストークで、契約をモノにしようとする姿を目にすると感情移入は難しくなります。

 

さすがに名優たちの演技合戦には見応えがあるものの、小規模の営業支社の中での揉め事のせいか、所詮コップの中の嵐を見せられているように感じてしまい、白熱すればするほど滑稽に映ってしまうのが惜しまれます。それでも、サブプライム住宅ローン問題を先取りした点があり、パワハラ体質の会社内の軋轢、登場する営業マンが悉く問題ありの人物等々、見どころは多々あって必ずしも嫌いな映画ではありません。

巌窟の王  友井羊

 

光文社 書籍情報サイトより

1913年、硝子職人の岩田は、身に覚えのない強盗殺人の罪で突然逮捕された。待っていたのは21年以上に亘る獄中生活。出所後も殺人犯の汚名がつきまとうが、岩田は最後まで希望を捨てなかった――。 警察の拷問、不正な裁判。国家によって人生を破壊された男が、たった一人で反旗を翻す。日本司法史上、前代未聞の再審無罪を勝ち取った不屈の魂、その闘いのすべて。

 

「巌窟の王」という題名から、てっきりアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」のような無実の人間が罪に陥れた人々に復讐を果たす物語と思っていました。実際に読んでみると、私怨を晴らそうとするのではなく、合法的な裁判で正義を回復するために闘った人物の物語でした。主人公の岩田松之助は、おそらく吉田巌窟王事件の吉田石松をモデルにしたと思われます。無罪の罪を着せられた岩田は、官憲の暴力に屈せず無実を訴え続けます。その闘志と執念には頭の下がる想いがします。その事も然ることながら、愚直なほどの誠実さが、周囲の人々を動かす原動力になっています。岩田は新聞記者、弁護士等などに、力になってあげたいと思わせる雰囲気を身に纏っていて好感を抱かせます。一方、こうした人物に対して理不尽な対応をする司法には怒りが込み上げてきます。特に再審請求を棄却するばかりでなく、晩年の岩田に世間の支持が集まったことで、形勢不利と見た高裁が世間体を気にして、再審取り消しの決定を遅らせることで、暗に高齢の岩田の死を望むよう画策するに至っては、人としてどうかと思えてきます。これも過ちを決して認めようとしない役人の気質に問題があり、冤罪を生む要因の一つになっています。それでも、検事や裁判官の中には良心的な人物もいて、公正な目で岩田の力になろうとするのがせめてもの救いではあります。ただし、そうした人物たちが後年、左遷されたり、辞職に追い込まれたり、冷遇されるところに日本の司法の病巣の一端が垣間見えます。大正時代に発生した事件は、戦争を経た後、高度経済成長期に到って漸く正当な判決が示されます。著者はその間に起きた事件や世相を織り込みながら、長きに亘って無実の罪を訴え続けた男の苦難の道を描いていきます。冤罪を扱った小説ながら、時代の変遷を実感できる点でも実に読み応えがありました。

 

白魔の檻 山口未桜

 

東京創元社サイトより

研修医の春田は実習のため北海道へ行くことになり、過疎地医療協力で派遣される城崎と、温泉湖の近くにある山奥の病院へと向かう。ところが二人が辿り着いた直後、病院一帯は濃霧に覆われて誰も出入りができない状況になってしまう。そんな中、院内で病院スタッフが変死体となって発見される。さらに翌朝に発生した大地震の影響で、病院の周囲には硫化水素ガスが流れ込んでしまう。そして、霧とガスにより孤立した病院で不可能犯罪が発生して──。

 

本書は霧によって外部から遮断された病院内で起きる連続殺人に対し、前作「禁忌の子」にも登場した城崎響介が探偵役となり、研修医の春田芽衣が助手として彼を補佐しながら、事件の真相を紐解いていくクローズドサークル系の本格ミステリーとなっています。霧で麓に降りられないばかりか、付近の湖からは大量の硫化水素が排出され、中腹にある病院にまで迫っており、更に地震の影響で器材庫の扉が開かなくなり、医療器具を持ち出せない危機的状況に陥ります。入院患者を含め病院には87人が閉じ込められた状態にあり、その中には殺人犯が紛れているという、なかなかスリリングな設定が施されています。終わり近くにならないと犯人が特定できない謎の設計も見事ですが、読後は過疎地医療の現状に色々考えさせられました。題名の「白魔の檻」は霧に閉じ込められた病院を指している一方で、善意に縋り過疎地に縛りつけられる医療従事者の心情をも表しています。著者は医療機関に勤めているだけに、専門分野を活かしたミステリーを書いているのは、身の丈に合った作家活動をしているように思います。

 

殺し屋の営業術 野宮有

 

講談社サイトより

営業成績第1位、契約成立のためには手段を選ばない、凄腕営業マン・鳥井。アポイント先で刺殺体を発見し、自身も背後から襲われ意識を失ってしまう。鳥井を襲ったのは、「ビジネス」として家主の殺害を請け負っていた「殺し屋」だった。目撃者となってしまった鳥井は、口封じとして消されそうになる。絶体絶命の状況の中で、鳥井は殺し屋相手に「ここで私を殺したら、あなたは必ず後悔します」と語り出す。

 

本書は第71回江戸川乱歩賞の受賞作です。何しろ設定がユニーク。訪問販売で常にトップの成績をあげてきた男が、顧客の家を訪れた際に仕事中の殺し屋二人組と遭遇し、危うく山中に埋められそうになるものの、殺し屋たちの抱える二億円の負債を二週間で返済するノルマを達成することで生き延びようとします。このあらすじだけで、面白くなりそうな予感がします。機知の富んだユーモアミステリーのつもりで読むと、裏社会に相応しい凄惨な描写があり、ダークな部分も魅力のひとつとなっています。また、暴力の世界と無縁だった主人公が、その筋の人間たちとの付き合いを学んでいくうちに、今まで経験した営業術を活用しながら適応していく辺りも、お仕事ミステリーとして楽しめます。中盤からは商売敵である殺人請負人のアラサー女性も登場し、互いに騙し合うコンゲームの様相も呈してきます。主人公の鳥井は卓越した営業術で、類まれな実績を積み重ねてきています。その反面、どんなに優秀な成績を収めても充実感を得られず、虚無的になっています。ところが、任務を失敗すれば死が待ち受ける状況下に置かれ、初めて生きる意味を見出します。こうした主人公の心境の変化も読みどころのひとつになっています。如何に荒唐無稽でも、物語に面白さを求める読者にはうってつけのミステリーでしょう。

 

DVDあらすじより

ジョアンナ(キャサリン・ロス)は嫌々ながら、夫と子供たちと共にニューヨークからコネチカット州にある郊外の町ステップフォードへと引っ越す。ステップフォードでの生活は何もかも完璧と思われた。しかしジョアンナは、この町で友達になったボビー(ポーラ・プレンティス)と共に、ある謎めいた陰謀を調査し始める。その陰謀には、どうやらステップフォードに住む夫たちが関わっているようなのだ。ステップフォードの妻たちは、ただひたすら家事をこなす主婦であることに幸せを感じているのか。それとも、その良妻ぶりの背後には驚くべき秘密が隠されているのか。

 

製作年:1975年

製作:アメリカ

監督:ブライアン・フォーブス

脚本:ウィリアム・ゴールドマン

原作:アイラ・レヴィン

撮影:オーウェン・ロイズマン

音楽:マイケル・スモール

出演:キャサリン・ロス ポーラ・プレンティス

             ピーター・マスターソン ナネット・ニューマン

 

本作は「死の接吻」「ローズマリーの赤ちゃん」で知られるアイラ・レヴィンの原作「ステップフォードの妻たち」を映像化しています。2000年代にはニコール・キッドマン主演でリメイクされていますが、そちらは生憎未見です。

 

映画の冒頭に、マネキンを担いだ男が道路の横断する描写があり、ジョアンナの夫はこういう輩が居るからニューヨークを離れると言い放つ一方で、妻の了解を十分に得ずにコネチカット州に引っ越してきた経緯があり、後にステップフォードの“秘密”を知ると、最初から夫は秘密を知っていた前提で引っ越してきたのかが気になってきます。

 

この町の住人は観客から観ても奇妙に映り、女人禁制の男性クラブはともかく、主婦たちはいずれも夫に従順で、社会にあまり興味を持たず、家事に執着することに違和感を覚えます。映画が公開された70年代半ばは、女性の社会進出が著しく、フェミニズムも盛り上がっていた時期だけに、当時の観客は一層薄気味悪さを感じたのでは?

 

出演者やスタッフが語る特典映像を見ると、当初監督には同じブライアンでも、デ・パルマのほうが候補に挙がっていて、本人も乗り気だったようです。しかし、脚本のウィリアム・ゴールドマンが難色を示したことで、結局、製作者が外国人からはアメリカ人がどのように映るのか?という意図もあって、イギリス人のブライアン・フォーブスが選ばれました。この辺りはイギリス人のジョン・シュレンジンジャーが監督した「真夜中のカーボーイ」を参考にしたのかもしれません。

 

しかし、ブライアン・フォーブスが脚本に手を入れようとしたことで、ウィリアム・ゴールドマンの怒りを買い、その後も両者は揉めたようです。また、主演女優の選考も難航し、ダイアン・キートンやジーン・セバーグの名が挙がったにも関わらず、最終的にキャサリン・ロスが選ばれました。

 

こうしたゴタゴタがありつつも、セットは一切建てず、出演者全員がロケ地に住み、仕事を終えた夜や週末に一緒に過ごしたおかげで連帯感が生まれました。その家族的な雰囲気は映画にも反映されていました。他にもヒロインの相棒となるボビー役のポーラ・プレンティスが素晴らしく、終盤で彼女の身に起きたことを考えると切なくなります。

 

この映画ではステップフォードに潜む“秘密”に焦点が絞られてきますが、その秘密自体には先例があり然程驚きはしませんでした。その代わり、陽光の下でのスリラーという点では、アリ・アスターの「ミッドサマー」を先取りしていて、その先見性には素直に感心しました。当時は反女性映画として批判が集まったようですが、映画をしっかり把握していれば、寧ろ女性を家に閉じ込めようとする男たちを批難する内容だったと判るでしょう。