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”5万本のあじさい”と、ブルーインパルス

今日は紫陽花を見に、舞鶴まで行く予定でしたが、

警報級の雨。。。とかの予報で、残念ながらあきらめました。

京都市内はあまり降りませんでしたが、

山を越えて行くのでね。。。

過去記事をリブログします。

記事には5万本(株)の紫陽花と書いていますが、

「海の京都」のサイトでは10万株とあります。

それから増えたのかな。

舞鶴自然文化園は海が見えるのが他ではないところですね。

6月30日までなので、ちょっと日程が合わず

今年は無理かな。

友人と他にどこに行こうかと検討していたら、


宮津市市制70年記念で

7月21日天橋立にブルーインパルスがくるようです。

 

この日も予定が合わなかったんですけど。。。

関西ではめったに見られませんので、興味のある方はぜひ。

駐車場の一次受付が終了し、

明日から二次受付が始まります。

お天気にも寄りますが、

前日の予行演習のほうが人が少なくておすすめです。

ちなみに私は去年山口で見ました。

予行演習では青空でしたが、


当日は雲が多く、イマイチでした。


私の友人でもブルーインパルスの追っかけをしている人がいて、全国回っておられます。


伏見神宝神社

先日の朝ドラ関連の孤児院の話で、
澤田美喜さんのエリザベス・サンダース・ホームを思い出しました。

戦後、戦争孤児とは別に新たな孤児が生まれていました。

三菱財閥の岩崎弥太郎の孫娘として生まれた澤田美喜さんは

米兵と日本人女性の間に生まれ、見捨てられた混血児を養育する

孤児院を設立し、2千人の孤児を養育しました。

若い時にそのドキュメントを見たので覚えていました。当時大きな反響を呼びました。

そこで育った子供たちは国内では里親が見つからず

多くは海を渡ったようです。

検索していて知りましたが、安田祥子さん(由紀さおりのお姉さんで声楽家)は

澤田美喜さんのお嫁さんだったんですね⁈

 

全然話が変わりまして、伏見稲荷に行ったときの

蔵出し記事です。

最近千本鳥居が渋滞するので、本殿にお参りした後は

左手の道を行きます。

 

 

根上り松の前の坂を上ると、竹林が見えてきます。

5年前の台風の倒木がまだあります。

 

伏見神宝かんだから神社です。

伏見稲荷とは別の神社ですが、創始は平安時代で

天照大神を主祭神とする神社です。

一時荒廃し、昭和32年に再建されています。

 

こちらは狛龍さんが有名です。

嵐山の竹林に行かなくても、ここにも美しい竹林があります。

ここから先一の峰に行けるようですが、

ここからはまだ行ったことがありません。

発掘現場

実家に行ってました。

副作用で髪が抜けていた母ですが、

髪の毛(それも黒髪)が生えてきました。

(母の)友達がお菓子を持って

尋ねて来てくれました。

40年続けてきた体操教室が終わるらしい。

もちろん母は休会しているんだけど

申し訳ないと一部会費は払い続けてきたので、

そのお金のやりとりを2人でしていました。

やりとりを見ていたけど、

2人とも頭はしっかりして、ちゃんと計算できてましたwww

この年になって友達がいるっていいですね。

私もこうなりたいです。

 

昨日歩いていたら、マンション建設現場?

って思ったら発掘中でした。

京都あるある。

(後ろに見えているのが同志社大学)

 

このあたりは室町幕府のあったところ。

 

この建物のいずれかが建っていたのでしょうか。

(洛中洛外図上杉本)

息子とタイ料理

今日の朝ドラ「虎と翼」
まさかの石田ゆり子おかあさんのお亡くなりになっての退場!
心の準備ができてないやん。。。
あのころ戦争孤児がいっぱいで
孤児狩りが行われていたって、昔漫画で読みました。
忠津陽子さんの「風の中の聖子」
単行本化されていないから読めません。

子供のころ近所のおじいちゃんが寺子屋のような塾を開いていました。

そこに時々孫が遊びに来ていました。

親の噂話を耳にしたところによると、本当の孫でないと。

戦争孤児を引き取って、その子供なんだと。

おじいさんから写真を見せてもらったことがありました。

個人レベルではない、孤児院の集合写真のようなもの。

たくさん孤児がいたけれど、みんないなくなって、

残ったのが、孫のおかあさんだったとか。

近所の人ってなんでも知ってるね。

 

ところで、日光からの帰りの羽生サービスエリア。

江戸の下町風の建物。

鬼平犯科帳がモデルだそうです。

 

新宿駅で次男と待ち合わせ。

若者はエスニックが好きで、タイ料理。

タイティー

 

生春巻き

 

焼きそば

息子はカオマンガイ頼んでいたけど、画像なし。

私はタピオカココナッツミルクを頼んで、3千円ちょっと。

安!

タイ人がやっているお店ですが、

家賃も高いだろうに、がんばっているなあ。

まじめに働いている人が豊かになれる国であってほしい。

日光東照宮④

日光東照宮いよいよ最終回です。

 

 

神仏習合の極みといった日光東照宮です。

徳川家康のブレーンで黒衣の宰相といわれた天海僧正と

金地院崇伝が家康の神号をめぐって論争を繰り広げます。

神仏習合で「権現」とする天海に対し、

崇伝は唯一神道で「明神」として祀ることを主張します。

権現に執着する天海に秀忠が尋ねると、

「明神は不吉だ。豊国大明神を見たらいい」と

つぶやき、この一言で権現となったそうです。

家康自身は小さい社を建てるように遺言したそうですが、

家康を崇拝する家光により、その死の20年後

大造替が行われました。

唐門は身分の高い人だけが入られた門で

紫檀や黒檀の昇り龍と下がり龍が彫られています。


昨日書いた巣父の彫刻は陽明門でなく、唐門の間違いでした。



唐門の奥に見えているのが、拝殿です。

ここから先が撮影禁止。

格天井には狩野探幽らの百通り百頭の龍が描かれています。

本殿と拝殿は石の間で結ばれ、権現造と呼ばれます。

北野天満宮を参考にしたと言われます。

北野天満宮は特別公開のときに石の間に入りましたが、

東照宮はいつでも入れるんですね。

平和の世にだけ出現するという聖獣の麒麟が襖に描かれていました。

 

 

神輿舎

神輿が三基収められています。

一番重い物が800キロで55人で担ぎます。

 

眠り猫って書いて無ければ、見過ごしそうなところに

あるんですね?

向こうの蟇股の部分です。

この階段を上ると、家康公の眠る奥宮です。

207段の石段で、行ってません。

 



雲行きが怪しくなり、中禅寺湖に向かう途中に雨が降り出しました。

いろは坂を上って、標高1200mです。

こちらには二荒神社の鳥居があります。

男体山の上に奥宮があります。

 

男体山です。

グランピング施設のレストランでランチでした。

 

奥に見えている山が白根山らしいです。

 

名前も知らないかわいい花が咲いていました。

 

 

 

日光は大変美しいところです。

泊まりでゆっくり行きたいところです。

東照宮がどうかと聞かれると、当時の技術の高さは感じるものの

むしろ西本願寺や、大徳寺の唐門のほうに心惹かれます。

好みは分かれるでしょうね。

桂離宮を絶賛したブルーノ・タウトが東照宮を酷評しています。

ところが、桂離宮と東照宮は同時代に建てられ、

小堀遠州や狩野探幽など、同じような人がかかわっていたのは

興味深いですね。

 

お付き合いいただき、ありがとうございました。