Ecrusized, CC0, via Wikimedia Commons
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2025年12月7日時点の戦況図。「Tatmadaw」と書かれているエリア(薄い赤色)が国軍の支配地域、「People Defense Force(PDF)」となっているエリア(薄緑色)はビルマ民族の民主派武装勢力の支配地域、他は様々な少数民族勢力の支配地域です。ミャンマーは人口の3~4割が少数民族であるとされており、そうした諸民族の各勢力の支配地域が入り乱れていることが分かります。
2025年も終わり。このブログではミャンマーのクーデター後の情勢についてはずっとウォッチしていますが、もうそれも5年近くにもなってしまいました。この5年間、ミャンマーの情勢をずっとウォッチしているという人は多くないのではないかと思いますし、多くの人にとっては、今のミャンマーの情勢がどうなっているか分からなくなっているのではないかと思います。そこで今回はこの5年を節目に、クーデターが発生してからこれまでの情勢の変化を簡単に纏めておくことにしました。
この5年間を振り返ると、加速度的に影響力を増しているのが中国の介入です。2021年にクーデターが起こった当初、中国はミャンマーの紛争に直接的に介入するというよりは、ASEANによる関係者間の仲介を支持していました。しかしその後、ミャンマーに強い地政学的・経済的利害を有する中国は徐々に外交姿勢を変化させ、今では(地域的には限定的ながら)停戦監視団や国軍と共同で設立した民間軍事会社の部隊をミャンマー国内に駐在させる等、紛争により深く、直接的に関与するに至っています。
ミャンマーのクーデターのこれまでの経緯等については本ブログの過去記事も是非ご覧ください。
ミャンマーのクーデターのこれまでの経緯をまとめるにあたり、時系列で4つのフェーズに区切って説明することにします。
フェーズ1:クーデター発生から紛争の基本的構図が定まるまで(2021年2月~2021年末頃)
国軍はなぜ、クーデターを起こしたのか?
2020年選挙の大敗を受け、国軍は選挙不正を理由に2021年2月、クーデターを起こしました。このクーデターを予測した専門家はあまりいなかったようです。ミャンマーは当初から完全な民主主義が根付いていた国とは言い難く、実際、制度上も、国軍が議会の議席の25%が保証され、政府の主要な官庁を掌握しています。そのため、仮に選挙で負けたとしても、実態として国軍の権益が侵されることはあまりないと思われていました。にもかかわらず、国軍はクーデターを起こしました。
京大の中西先生の著書「ミャンマー現代史」では、クーデターの原因として以下の3つの要因が取り上げられています。
- 国軍総司令官ミンアウンフライン(MAH)の政治的野心
- 国軍の権益、特に退役軍人たちが政権に入る道が絶たれること
- 国軍とスーチー氏の勢力の間の国家観の相違
詳細は本を読んでいただければと思いますが、筆者にとって興味深かったのは最初の2つです。それによれば、ミャンマーでは国軍が政府を退役後の「天下り先」のように考えている側面があり、またMAH自身も定年により国軍総司令官を引退することになっていたため、自らの政府への進出も含めた政軍双方の人事を考えていたところ、選挙での大敗によりそれが頓挫したため、クーデターに及んだのではないか、ということです。
しかし、いずれにせよ、クーデター自体はMAHや国軍とスーチー氏やその政党(NLD)との間の権力争いから起こったもので、そうした権力争いの枠組みの外にいる市民や少数民族といった人たちは、クーデターを起こした国軍の視野にはあまり入っていなかったのではないかと推測します。
市民社会・少数民族の反応
クーデターの後、市民のデモに対して国軍による激しい弾圧が行われた2か月ほどの期間を経て、4月にはNLDの党員や少数民族の代表者等からなる国民統一政府(NUG)が設立され、市民の大きな支持を集めました。NLDやスーチー氏の支持者を超えた市民の反発や、ましてや少数民族まで含めた連携は、国軍としても想定外であったようです。一言で市民と言ってもその中身は様々で、少数民族にももちろんいろいろな人たちがいて、さらに市民と少数民族の間は、むしろ対立的と言ってもいい間柄でした。しかし、そうした多様な人たちのかなりの部分がNUGを支持し、中には距離を取っている人たちももちろんいますが、外から見る限り団結して反軍運動を展開している、という姿は、内外で衝撃を持って受け取られました。
また、こうした対立の中で軍が行った弾圧はすさまじく、国軍の支配の足元がかなり不法なギャング支配に基づいていたことが傍目に見ても明らかとなりました。さらに市民のデモ活動は極めて規模が大きく、少しでも民主主義的な制度に基づいていれば、国軍側が政権を握ることは考えにくいことも明白になったと思います。
国際社会への波及
クーデター後、ミャンマーの国内の広い範囲に広がった騒乱は、国際社会にも波及しました。2021年2月のクーデターの後、早くも4月にはASEANが「5つのコンセンサス(暴力の即時停止、建設的な対話の開始、ASEAN 議長国特使による仲介、人道支援の実施、特使とすべての関係者の面会の実現)」に基づいた関係者間の仲介を提示し、G7・中国を含め各国が支持を表明しました。しかし、ミャンマーはASEANの提案を拒否し、それに対応してASEANはミャンマー国軍の首脳会議参加を拒否しました(10月)。
また、国連でも6月にはミャンマーへの武器流入を防ぐことを求める決議が採択され、それに続いて国軍が指名した大使の承認保留(9月~11月)へと事態が進展していき、国軍は国際的な枠組みから孤立していきました。その間、西側諸国は援助の停止や個別制裁等を行い、日本も新規ODAの実施を凍結しました。
紛争の激化
民主派側の国民統一政府NUGは当初、外交活動を重視し、外国政府の中にはNUGの駐在事務所を開設する等の動きもありました。しかしそうした活動が実際的な介入に結びつかなかったことから、特に秋以降、NUGは国軍への直接の対抗に戦略をシフトさせていったとされており、2021年の終わりに向けて紛争は激化していきました。
フェーズ2:紛争の基本的構図が定まってから「1027作戦」の発動まで(2022年初~2023年10月)
国軍の基本戦略
こうして紛争の基本的な構図が定まってからの国軍の基本戦略は、以下のようなものでした。
- 外交的には、ロシアとの接近。ASEANの首脳会議等から排除され、西側からも制裁を受ける中、中国に過度に依存することも避けたかったことが背景にあったとされています。
- 内戦に対応した戦略としては、少数民族勢力とは和平交渉を行い、民主派との分断を図るとともに空いた戦力を民主派掃討に振り向けること。
2022年後半の国軍とロシアの接近について分析した記事。プーチン大統領はクーデター以降、国軍司令官MAHと直接対面した初の首脳であり(2022年秋の東方経済フォーラムで実現)、その際の握手写真はその後もいろいろなところで使われました。
外交戦略の一環としてのロシアとの接近の象徴としては、ロシアが主催しウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムにMAHが参加、プーチン大統領と会談したことが挙げられます(2022年9月)。それ以降、中国の習近平が2025年に入ってからMAHと面会するまで、プーチンはMAHと面会した唯一の主要国首脳でした。ロシア-国軍関係は多岐にわたりますが、中でも国軍が望んでいたのはロシアによる兵器提供・軍事支援、特に空爆に用いられる戦闘機・ヘリコプター等の提供でした。
クーデター以後、ロシアから輸入された兵器一覧(2023年5月公表)。輸入金額は兵器とデュアルユース品を合わせると4億米ドルを超えており、これはこの時点では2位中国の約1.5倍にも及び、武器輸入全体(約10億米ドルとされています)の大きな割合を占める。空爆に使用される戦闘機、ヘリコプター等が多くを占めていたようです。
内戦において国軍は、紛争の構図が定まった2021年末以降、民主派と比較的、距離を取っていた少数民族とは和平交渉を行い、民主派との分断を図るとともに空いた戦力を民主派掃討に振り向ける戦略を取っていました。具体的には国軍は北部に位置する7つの少数民族と和平交渉を進めていました。こうした場において少数民族側は自治の拡大等を求めていたとされていますが、2022年の秋ごろには、国軍はそうした少数民族の要求を受け入れる気はなく、民主派と少数民族を引き離す時間稼ぎのために交渉を行っていたに過ぎなかったと見透かされていたようです。また、こうした交渉の場には中国の代表が同席していたこともあり、その影響力の大きさが伺われます。
紛争の展開
こうした外交・軍事戦略の元、国軍は民主派との闘争で勢力をすり減らし続けました。国軍の兵士が軍が村々に入って行き、民家を焼き払ったとしても、国の広い範囲に居残り続ける兵力はないため、撤収した後で抵抗勢力が戻ってきてしまう状況が続いていたものとされています。先ほど述べた通り、国軍はその対応策として特に2022年秋以降、ロシア製の兵器を用いた空爆を増加させましたが、状況を反転させることはできませんでした。
少数民族と民主派の共闘
こうした状況を受け、民主派と少数民族は水面下で連携を開始しました。少数民族側からすれば、消耗した国軍とやる気のない交渉を続けるよりも民主派と共闘して自らが望むもの(自治拡大等)を力で手に入れた方が早いと思っても不思議ではありませんし、民主派側から見ればもちろん味方が増えるのは大歓迎でしょう。具体的には、民主派の諸勢力と少数民族との間の連絡体制の整備、各少数民族や民主派の参加者から構成される戦闘部隊「611旅団」の編成等が行われたとされています。こうした体制の整備を経て各勢力は大規模な反攻作戦「1027作戦」の立案を進め、中国による黙認と相まって紛争の様相を大きく変化させることになります。
フェーズ3:「1027作戦」の発動と国軍の後退(2023年10月~2024年末頃まで)
「1027作戦」の衝撃
2023年10月27日、少数民族と民主派による大規模な反攻作戦「1027作戦」の発動が宣言されました。北部と西部の3つの少数民族により宣言されたこの作戦は他の少数民族や民主派にも広がり、この作戦により国軍は多くの兵員・拠点を失いました。この紛争においては早くから中国の関与が報道され、特に国軍が中国国内でも問題視されていた国境付近での国際犯罪を十分に取り締まることができなかったことから、少数民族による開戦を黙認したものとされています。実際、少数民族側も犯罪撲滅を目標の一つとして掲げ、紛争開始後、3万人を超える犯罪者(後には6万人とも、多くが中国等から連れ去られた被害者でもある)が中国に移送されたとしています。
「1027作戦」の発動の経緯を纏めてみました。当初はミャンマー国内における国際犯罪を問題視した中国の関与が広く報道されましたが、図によればその背景には国際的な「力の空白の発生」やミャンマー国内における「パワーバランスのシフト」、そしてもちろん中国のより広い「影響力強化の企図」があったことが指摘されます。ご興味がおありの方は是非元記事もご覧ください。
少数民族・民主派側の成果は目覚ましく、諸勢力は全国に14か所ある国軍の軍管区司令部のうちの2か所を制圧、他にも複数の都市を制圧し、一時はミャンマー中部にあるミャンマー第2の都市マンダレーに迫る勢いを見せました。さらに、ミャンマー西部はそのほとんどが国軍の支配下を離れることとなりました。
As Resistance Enters Mandalay, is Myanmar’s Second City on Brink of Falling? (irrawaddy.com)
2024年9月頃のミャンマー中部に位置する同国第2の都市・マンダレー周辺の戦況図。北東方向から主力となる少数民族勢力が侵攻。同時に北部、西部からもPDFの諸勢力が侵攻し、大都市マンダレーの周辺では緊張が高まっていました。
こうした少数民族・民主派の大攻勢の背景にあったのは上記「フェーズ2」における国軍側の戦略の失敗です。「少数民族との交渉を引き延ばして民主派との分断を図る」「ASEANの調停を無視しておきながら、ロシアに接近することで中国への依存を避けようとする」といった根本的な戦略の失敗が、かえって少数民族と民主派との結合、中国による作戦開始の黙認へと結びつき、巡り巡って国軍の後退を招いたのでした。
紛争の鎮静化に向けた中国の動き
こうした少数民族・民主派の進撃は、概ね2024年末までは続いていたようです。この少数民族・民主派の進撃を止めたのは、作戦の開始を黙認した中国自身でした。
フェーズ4:「1027作戦」の鎮静化と国軍の反撃・外交の活発化(2024年末~現在まで)
中国の影響力の拡大
上述のような中国の介入により「1027作戦」が鎮静化して以降、紛争仲介、外交双方でミャンマー情勢は中国の独壇場と言ってもいい状態になっています。特に、中国は国軍、少数民族・民主派側双方と関係を持っており、国軍に対しては少数民族との関係を梃子として、中国側の利害を得ることができる強い交渉力を得るに至っています。 現在、中国はミャンマー国内における紛争において、国軍が優位に展開できるよう様々な支援を提供するとともに、国軍主導の選挙を支持しています。外交的にも中国は習近平が自らMAHと面会するとともに、上海協力機構の場等で国軍と国際社会の仲介を行っています。その影響力たるや傍目には、そうした中国の支援なしでは、もはや国軍は内戦も外交も展開できなくなっているようにすら見えるほどです。
2025年4月に出版された、中国の対ミャンマー戦略について解説した論文。国軍、少数民族双方と関係を保ちながらミャンマーを中国の影響下に置こうとする中国の戦略が語られています。
まとめ
本記事では、ミャンマーにおけるクーデターの発生以降、この5年近くの展開をざっと追ってみました(ほんとうにざっとですので、抜けている点(国際犯罪拠点の掃討、徴兵の実施、2025年3月のミャンマー大地震やコロナ禍の影響など)は多くありますがご容赦ください)。ミャンマー情勢は国内外の多数の主体が複雑に絡み合い、実際にはその様相は極めて複雑です。しかしその期間を通じ、中国は一貫してその影響力を強め続けており、現在ではミャンマー情勢を見る上で最重要と言っていいファクターとなっています。
国軍はその中国の支持も得て、今年の年末から来年年始にかけて選挙を行う予定でいます。しかし、多くの国民はその選挙を支持しておらず、またスーチー氏のNLDは勿論のこと、他の全国政党も複数解党を指示する等、公正な選挙が行われるとは思われない状況でもあり、国内情勢の安定と西側世界やASEANも含めた国際社会への完全な復帰への道筋は依然として見えていません。今後の見通しは依然として不透明ですが、本記事がミャンマーの動向にキャッチアップする際の参考になれば幸いです。




