(この記事では、ミャンマーのクーデター関連のニュースをフォローしています(~2021/6)。関連記事は以下の通り)

 

 

ミャンマー難民を描いた映画「僕が帰る場所」を見てきました(写真は舞台挨拶)。

 

(6/20追記)

 

18日、国連でミャンマーへの武器流入を防ぐよう加盟国に求める決議が採択されました。日本は賛成、中露、インド、タイ等の周辺国は棄権しました。法的拘束力はなく実効性は不明ですが、これまで明確なメッセージを出せていなかった国連がようやく動きを見せることになりました。まずはこれまで欧米をはじめ多くの政府関係者と接触を続け、民主主義的な価値観を伝え続けてきたNUGの外交努力の成果と言っていいでしょう。なお、国軍側は「すべての内容を拒否」する声明を出しています。

国連、G7、中国、ASEAN等の外交上の動きが相次いで見られるようになり、また情報の不足からはっきりしたことは分かりませんが、国内情勢としても直ぐに国軍が少数民族軍を平定したり、市民の抵抗を完全に抑え込んでクーデターの前と同じ水準の経済活動を再開できる状況には見えません(かといって少数民族軍や人民防衛隊が大都市を制圧するようなことも難しそうですが)。普通ならそろそろ、エンド・ゲームを見越して妥協を探るような動きが出てくるものなのではないかと思いますが、国軍がこれまで見せてきた行動様式・統治能力(の弱さ)・情報力(の低さ)を見る限り、状況は予断を許しません。相変わらず民間病院を襲撃したり、村を丸ごと焼き尽くす、というような行状にも及んでいるようですが、今後の対応が注目されます。
 

今回のクーデターではASEANによる問題解決の試みが見られ、中国やG7も支持を明言する等、ASEANによる解決に期待が集まっています。しかし、現時点でASEANのアプローチが実効性のある成果を挙げているわけではありません。上記の国連決議でも、ASEANが武器供給の「即時停止」を求めていた当初案の修正を求める等していたようです。

 

下で取り上げたThant Myint-U氏のForeign Affairsの論考も「重要なのは中国、インド、タイ、日本であり、ASEANの重要度は大きく下がる」としていますね。

 

 

ASEANの特徴として「内政不干渉」が取り上げられることもありますが、調べてみると、それ以前に、同機構が国際関係論的な意味で徹頭徹尾「現実主義(所謂パワー・ポリティクス)」に根差したものであることが一番重要な特徴なのではないかと思います。東南アジアは小国の集まりであり、各国がバラバラに動いていても大国に対し有効な交渉力を持つことはできません。ASEANは、そのような状況を克服するために設立されたものなのでした(それが上手くいっているかどうかは別の話でしょうが)。

 

別の言い方をすれば、ASEANは必ずしも地域における共通の価値観や規範といったものををよりどころとしたものではありません。この点、同じ地域機構として度々取り上げられるEU(欧州内で共有された一定の理念・規範に基づき構築された機構)とは大きく異なっています。

全くの素人考えですが、ASEANがこうした「規範性」に欠けた機構であることが、今回の問題解決に向けたASEANのメッセージを弱め、実効性のある動きを取りにくくさせているように感じます。「規範」というとどうしても欧米的なリベラル・民主主義・人権概念みたいなものをイメージしてしまいますし、東南アジアの歴史を考えたときにASEANがそうした概念に依拠できないのは分かるのですが、個人的には今般の国軍の動きを否定するのに、わざわざそうした欧米的な概念を借用する必要はないと思っています(象徴的な言い方をすれば、ああならないために、例えば古代中国では孔子が人の道を説いたりしたのです、と言ってもいいような状況だと思いますし)。

東南アジアには軍事政権や共産主義国もあり、また宗教・文化的にも多様で、統一的な規範を見出すことは難しいのだろうとは思いますが、今回の機会をとらえ、例えば「21世紀の東南アジアでああいうギャング支配は許されないのだ」というような内容を含んだ規範を明確にした上で、断固たるメッセージを発して欲しいと思っています。

 

また、海外在住のビルマ人(1990年代の民主化運動の亡命者)への以下のインタビュー記事が面白いです。

 

 

本題はロヒンギャですが(そしてそれはもちろん重要な問題なので是非、お読みいただければと思いますが)、私が注目したのは以下のところです。

(前任の国軍最高司令官であった)タン・シュエもまた酷い独裁者で、ジャーナリストを拘束したり、少数民族のシャンやカレンを迫害し続けてきました。ただし、彼は政界を退いてからは表舞台に出てきていません。しかし、ミン・アウン・フラインの場合はもっと自分中心で、ミャンマーの財産を私的に奪っている…次に新しく誕生する最高司令官がもし自分を裏切ったり、民主化側が勝利した場合には、今まで自分が収奪してきた資産や財産を凍結、没収されるかもしれない。もしくは自分が裁判にかけられる可能性がある。…だから最後にはミン・アウン・フラインは自分のためにクーデターを起こすしか選択肢がなかったんです。それは当然、予想できました。

ミン・アウン・フライン氏はロヒンギャ問題では国際的に厳しく糾弾され、逮捕されて国際法廷で裁かれるリスクも負っていたようですが、国内的にも引き下がれなくなっているようだと合理的な判断が取れなくなり、情勢が泥沼化する可能性があります。実際に国軍司令官の定年を撤廃していたそうですし、ここのところがかなり今後を占うキーポイントになっていくのではないかと思います。今後の動きに注目です。

 

 

気鋭の研究者による権威主義の解説書。権威主義を「個人独裁」「軍事独裁」「支配政党独裁」に分類しており、その中で「指導者が軍服を着ていることが必ずしも軍事独裁を意味するわけではなく、実態が個人独裁であることも多い」「個人独裁はそれらの類型の中で、政権が継続する期間の長さ・政権が終わった後の見通し(個人独裁が倒れた後は別の個人独裁が取って代わるケースが多く、民主化が達成されるケースは少ない)等の面で最悪のものである」との示唆が印象に残っています。ミャンマーの国軍はそもそもあまり近代的に整えられたものではないようですが、さらにその内実が「軍事独裁」から「個人独裁」の方向にシフトしていたとすると、同国の将来の見通しはさらに悲観的なものとなりえます。最初の記事にも書きましたが、同国の国民が不幸になるような帰結は免れるよう、願いたいものです。

 

(6/13追記)

 

6月に入ってから外交面では、中国の外相が9日、軍によって任命された外相と会談し、ASEANが合意した5つの項目(「暴力停止」「関係者の建設的対話の開始」「特使による対話プロセス支援」「人道支援」「特使&代表団がミャンマー訪問」)の実現を働きかけました。それに先立つ7日、中国とASEANの外相が重慶で会合を開き、ASEAN側が5つの項目の実現に向けて中国に支援を求めており、また4日にはASEAN議長国であるブルネイの第2外相とASEAN事務局長がミャンマーに訪れていました。効果はまだ不明です。(6/14追記)なお、13日に閉幕したG7サミットの共同宣言でも、「ASEANの中心的役割を想起しつつ、「5つのコンセンサス」を歓迎し、迅速な履行を求める」旨の文言が盛り込まれ、洋の東西を問わず、ASEANの関与を中心に置いた外交的努力が展開されています。

 

日本国内では中国による働きかけから遅れて11日、参議院でミャンマーのクーデターに対する非難決議が可決されました(衆院は8日)。一方で、それに先立つ5月26日、日本ミャンマー協会常務理事・事務総長の渡邉祐介氏による、ほぼ国軍の公式見解をなぞった上で「日本は現在のミャンマー危機で国軍との特別な関係をより強化しリーダーシップを発揮すべき」とするThe Diplomatへの寄稿が公表され、話題となりました。こうした文書等を読んでいても、そもそも日本のミャンマー関係者はスーチー氏等の民主化勢力による同国の民主化などは全く歓迎していなかったようで、今般のクーデターに関しても、そのような背景から日本の外交メッセージの発信がかなり立ち遅れてしまった(対中国でも)感は否めません。

 

それに関連してちょっと気になるのが、日本のミャンマー関係者がどのように情報を入手していたのか、ということです。日本のミャンマー関係者が軍からの情報提供に頼り(少なくとも中国のように「自分が支援する少数民族武装勢力から情報を入手する」とかはできないでしょうし)、結果として軍と同じような見通しで行動していたとすると、当の軍が前回・今回の選挙でここまで大敗を喫するとも、クーデターに対する市民の反発がこれほど大きくなるとも予想できていなかったようですので、かなり的外れな見通しの下に外交政策を立ててしまっていた可能性があります。それはちょっと心配ですね…。

 

6/6 国会議員×研究者「最新情勢を学び、次の一手を考える勉強会」第二回 -ミャンマーの悲劇を食い止め、市民の希望をかなえるための日本の役割(Youtube)

Dr. SasaをはじめとするNUGメンバーと日本の国会議員・研究者との対話。こうした物事の常識はあまり分からないのですが、要人同士の外交対話なのですから、本当は英語でやるのではなくビルマ語通訳をつけても良かったんじゃないかと思いますが難しかったのでしょうか?

 

Myanmar's Coming Revolution (www.foreignaffairs.com)

ニューヨーク生まれのビルマ人で国連等に勤務したThant Myint-U氏(第3代国連事務総長ウ・タントの孫)による論考。今回のクーデターではアメリカの存在感は高くありませんが、こういう人材を抱え込んでいられるのもアメリカの強いところです。

 

経済面では「軍が石鹸、歯磨き粉、洗剤、コンデンスミルク等の輸入禁止を発表(軍企業の競合品排除目的?)」「ティワラ工業団地内の日系企業が生産設備の一部を国外に移そうとしたが、軍政に輸出を止められた」との報道もあります。さらに「国境なき医師団の活動を停止させる」一方、「国内避難民の定住事業で国内外の寄付を見込んで計画を立てる(NGO等は入れずに自分で使おうとしている?)」等の報道が見られ、軍の支配による経済・社会の再稼働を図っているものと見られます。

 

現場の弾圧の状況についてわかることは限られていますが(西部チン州で大規模な紛争、東部・北部でも戦闘が続いており、国内避難民の増加が大きな問題となっています)、一方で軍側が日給を払って民兵を組織し、民主派を装って学校等を襲撃する事件を起こしつつ、他方で軍の報道官が「少数民族のよる訓練によって爆発物の扱いを学んだ者が公共施設を破壊している」と主張、さらには「病院や学校が国軍に占拠され、軍事活動で破壊された」とする国連弁務官に対しても「民主派が学校を襲撃した」と反論する、といったような行動も報告されています。また、スーチー氏を汚職容疑でも訴追した(前々から出ていた案件のようにも見えますが、よくわかりません)との報道も出ていますが、微罪(「輸入した無線機を持っていた」)による逮捕から4か月以上、保釈どころか本人がどこにいるかも明らかでないまま拘束し続け、後出しで罪状をひねり出そうとしているような状況に見えますので、これを正当化するのはもう無理なのではないかと思います。

 

(5/23追記)

 

現地における市民の弾圧は苛烈を極めており、「市民を拉致し、解放に身代金を要求する」「市民が100%合法的に所有するバイク200台を接収」「一定金額の現金を保有していると取り上げられる」「「革命は心臓に宿る」と謳った詩人を殺害し、死体から内臓を取り去る」等が報告されています。相変わらずのギャング支配の傾向と、市民生活への介入が見られます。一方、NUGによる「防衛隊」も徐々に活動を開始していると見られ、一部では軍による武力行使に対する反撃や、軍・警察拠点の襲撃・爆破事件等も起こっています。

 

少数民族地域では、チン州ミンダで戒厳令が発令され、猟銃で武装した市民と激しい戦闘があり、市民が街を追われたとの報道がありました(16日頃)。国軍側は重火器・ヘリコプター等を使用、市民を「人間の盾」に利用したとのことです。他の戦線でも戦闘は継続しています。

日本の関与としては、拘束されていた日本人ジャーナリストの北角氏が、「笹川ミャンマー国民和解担当日本政府代表のリクエストにより」との但し書きつきで解放され、帰国しました(14日)。北角氏により、同国における拘束・訴追の状況が明らかにされていますが、「虚偽のニュースを広めた罪」と言ってもどのニュースが虚偽なのか示されることもなく、現実的に裁判が機能している状況ではなかったようです。また、渡辺日本ミャンマー協会会長の訪緬が報じられました。その後から日本の外交も動きがあり、WFPを通じヤンゴン郊外で4億円の食糧支援を実施するとともに、茂木外相がODA見直しの可能性に言及しています(21日)。

 

その他の外交関係では、アメリカがロヒンギャ支援に1.5億ドル超を供出したとの報道が出ました。他に、タイでミャンマー人ジャーナリスト・活動家が拘束されたとの報道が出ました。その後の詳細は不明ですが、流石にミャンマーへの引き渡しは行われていないようです。

その他の国内事情としては、24日にアウンサンスーチー氏の公判が行われる予定、本人が直接、出廷する可能性ありとの報道が出ました。さらに、選挙管理委員会でNLD解党に言及されたとの報道が出ました。タイとの比較でみても、国軍側は本来はこちらが本筋と考えていたはずで、NLD解党の理由が「選挙不正」となっていることを見ても、クーデター当初からの既定路線だったものと見られます。さらに、ミャンマー国軍トップの定年が撤廃されたとの報道が出ています。

 

国軍内では5月中が一つの区切りとされているとの観測もあり、引き続き注目です。

 

(5/5追記) 

 

ASEANの議長声明に対し国軍は「国内が安定したら慎重に検討」との回答。直ぐにASEANによる仲介が行われる状況とはなりませんでした。実態としてもここまで特に効力が発揮されたようには見えません。その後、「チャリティバザーをしていた若者30人を拘束」「ATMに並んでいたら銃で追い散らされる」「被拘束者に法律相談をしていた弁護士を拘束」等、「市民社会そのものが弾圧の対象」とでもいうような状況が報じられています。また、拘束されていた日本人ジャーナリストがその後、訴追されました。

 

一方、少数民族支配地域では紛争が激化し、国軍側にもヘリコプターが撃墜される等の被害が出ています。当選議員らからなる市民政府NUGが「防衛部隊」を設置した、との報道も出ました。状況は予断を許しませんが、中国・欧州に続いてASEANやG7外相会合でもNUGとコンタクトを取っていたり、韓国がタイに支援を提供してミャンマー-タイ国境地帯に安全地帯を設ける等の動きも見られ、情勢の改善に向けた努力が続いています。

 

下でも言及した通り、国軍の軍紀の悪さ、統制の弱さは目に余るものがあります。現場の兵士の暴走を見ても、トップダウンで統制を取って動いているようにはとても見えませんし、例えば街中で普通に停めてある自動車を破壊して回る兵士がいても咎められる気配もなく、ギャング集団のような様相を呈しているように見えます(しかもそれが(言い方は悪いですが)誰も見ていないような辺境ではなく、ビルマ民族が住む大都市の真ん中で起こっているというのが凄いところです)。

 

Edinburgh Geographical Institute; J. G. Bartholomew and Sons., Public domain, via Wikimedia Commons

英国インド植民地の地図。インドとミャンマーが一体として描かれています。


その背景・理由は判然としませんが、歴史的な問題はあるのかもしれません。ミャンマーは英国による植民地支配を受けましたが、その支配は他の地域と比べても苛烈だったようです。英国は、ミャンマーを同国のインド植民地と統合するため、伝統的な王朝を滅ぼしてしまい(注)、英国人の下で統治を行う官僚や軍人はインドからインド人を連れてきて、さらにその下で業務を行う下級役人・兵士にはキリスト教に改宗した少数民族を用い…、といった形で、ビルマ人を統治機構から排除してしまいました(経済面でもビルマ人は虐げられ、インド人や中国人が重用されたそうです)。そのため戦後、英国が撤収した後、ビルマ人は伝統的な権威にも植民地時代の統治機構にもほとんど依拠することができず、手探りで自己流の統治を行わざるを得なかったようです。そして、そのパフォーマンスは控えめに言っても極めて低いものでした。

 

(注)例えば同じインドシナ半島のフランス植民地(ベトナム、ラオス、カンボジア)では伝統的な王朝が滅ぼされるまでには至らず、例えばベトナムでは伝統的な王朝は戦後、共産主義政権が成立した時点で終わりを告げたとのことです。


そもそも東南アジアの多くの国では伝統的に大きな官僚組織があるわけではなく、軍を含め大規模な官僚組織や統治機構の確立には欧米からのノウハウの習得は必須だったものと思いますが、ミャンマーは上記のような背景があったことに加え、戦後も一貫して孤立主義を貫いており、他の東南アジア諸国と比較してもそうした機会が極端に少なかったように見受けられます。大変大雑把な話(与太話ともいう)ですのでそんなことを言っても仕方がない面もありますが、「民主主義がどうか」とか「少数民族がどうか」といった話以前に、「21世紀の東南アジアで、あの人たちにマシンガンを持たせておいていいのか」というようなレベルの話だと思いますので、そのぐらいは早急に何とかしてほしいものです(それでもう何十年も続いている組織ですから、内部から改革できるかと言うと難しいのではないかと思いますが…)。

 

(4/25追記) 

 

その後、現地は正月期間を経過。市民への弾圧はすさまじく、「古都バゴーを軍が包囲、迫撃砲や重火器を使用し80人以上を殺傷」「芸能人・有名人の逮捕」「当局にとらわれ殴られて顔面崩壊した男女の写真を国営新聞に載せる」「犠牲者の墓を破壊し、遺体を掘り返して放置」「夜の鍋叩きをしていた人を住居から引きずり出し、寝間着姿の女性を2時間、路上で躍らせる」等の示威行為が多く見られます。報道官による「雑草は根絶やし」発言もありました。最大都市ヤンゴンではデモが減少した一方、当局の治安部隊が市民を連行することは増えているようです。一方、治安部隊が爆発物等で狙われる事件も起こっており、引き続き事態は予断を許さないものと見られます。また、日本人ジャーナリストが当局に連行される事件が起こり、日本でも注目されました。

 

 

現地在住の日本人からの報告。ミャンマーのクーデターついては各種イベント等でいろいろな動画が出回っており、大変勉強になります。私が見た範囲では(無料のものの中では)こちらが一番お勧めです。


4月24日にはミャンマー国軍の指導者も参加したASEAN Leaders Meetingが行われ、会議後には議長声明も出されました。「暴力停止」「関係者の建設的対話の開始」「特使による対話プロセス支援」「人道支援」「特使&代表団がミャンマー訪問」が謳われていますが、実効性はまだ分かりません。ただ「政治犯の解放」が含まれておらず、対話の相手の大半が拘束されているのでは対話プロセスは進めようがないのでは、という見方が大方のようです。タイが首相を送らなかったこともニュースとなりましたが、今後も状況は引き続き注視していこうと思います。

 

(4/3追記) 

 

100名を超える死者が報道された3月27日の国軍記念日に引き続き、4月1日には当選議員らからなるCRPHが「統一政府」設置と2008年憲法の廃止を宣言。タイとの比較ではもはやどうにもならない事態に発展しました。当初は国軍側もタイの事例を参考に戦略を考えているとの推測もありましたが、結果はあまりにも異なったものとなりました。

 

国軍の行動を見ていて思うのが、どうしようもないほどの軍紀のなさです。デモ隊を銃撃するだけにとどまらず「通りすがりに発砲」「葬列にも発砲」「遺体から臓器を取り出し粗雑に縫い直して返す」といった素行が報道されていますが、これでは民主主義云々以前に、市民の支持を集めることはできないでしょう。こうした素行の背景としては、以下の記事が参考になります。

 

 

 

少し与太話を。中国にせよタイにせよ、権威主義的な国の多くにおける統治の実態としては「近代的な官僚組織による統治」の側面が大きいと思いますが(軍がその象徴のようになっている場合もある)、いろいろと調べているとミャンマーの場合、そこまでにも至っていないようにすら見えてしまいます。これで国を統治しようとすると、下手をすると徳川家康が言ったという「百姓は生かさぬよう殺さぬよう…」みたいな統治になってしまうような気がしますが、21世紀の東南アジアでは流石にそれは難しいでしょう…。隣国の方が、別に教科書的な民主主義が機能していなくとも、ミャンマーよりははるかに秩序も保たれていて生活水準も高いのですから(少数民族の取扱いのところはかなり問題がありますが)。「民主主義と権威主義の対立」以前に、これでは鎖国でもしない限り国民が不満を持つのは当たり前のような気がします。

 

一方、CRPHの方もかなりラディカルな打ち手を次々と打っているようです。CRPHが設立を宣言した臨時政府は憲法の廃止を宣言するとともに、少数民族の権利を大幅に認めた「Unites States of Myanmar」を標榜し、ロヒンギャすらも引き込もうとしています。スポークスマンのDr. Sasaは少数民族チン族の出身で、こうした施策にもそのようなバックグラウンドが反映されているものと思いますが、はたしてこれで市民の大多数を支持を集め、引っ張っていくことができるのかどうか?どうしても、かなり急進的な賭けに出ているような印象を持ってしまいます。

 

こうした少数民族はそれそれ武力を保有しており、CRPHもそうした武力を頼みにしているとの推測もあります。しかし、武力と言っても戦車や戦闘機を保有しているわけではなく、自らのテリトリーの中でゲリラ戦を展開することはできても、国軍が支配している領域に侵攻できるほどの能力があるわけではないでしょう。また、以下の記事を見ると、多くの武装勢力が市民の側に立つことを表明しているものの、実態としては反応はかなりまちまちではあるようです。

 

 

一方で、スーチー氏を欠く中でもこれだけのリーダーシップが発揮され、単に「国軍vsスーチー」の構図に留まらず、NLD支持者以外の民主派勢力や少数民族までもが反軍の姿勢を明確にしているというのは、(個人的な)当初の想定を超えたポジティブな状況であろうとは思います。

 

なお、スーチー氏の訴追も進んでいるようですが、罪状が「輸入した無線機を持っていた」「コロナ中に集会をした」に加えて「オーストラリア人の経済アドバイザーに経済データを見せていたのが植民地時代の法律を根拠に国家反逆罪」「汚職について賄賂の証言をしているのが失脚した政治家と麻薬密売の前科者」といった状況だそうですので、国内外の世論を納得させるのは極めて難しいのではないかと思います。

 

(3/21追記) 

 

その後、当局は「戒厳令「全民間紙の発行停止」「モバイルネットワーク・ネット遮断」と弾圧をエスカレート。一方、市民の側も、スーチーが教えたガンジー流の非暴力不服従から徐々に反撃を始め、さらには少数民族の軍事戦力との共闘を呼び掛けるなど、国を割るようなひっ迫した状況になっているようです。国軍に対する市民の怒りが積み重なり、両者とも引っ込みがつかない状況になっているものと見られます。この1週間ほどが一つの山場になるとの観測もあり、引き続き状況は注視していこうと思います。

 

タイとの比較で言えば、最近というよりは、その前の1992年の状況の方が類似性があるかもしれません。タイではその前年にクーデターがあり(1980年代の「半分の民主主義(選挙に基づいて元軍人が組閣)」の時代の後、文民により組閣された小規模政党の連立内閣がうまく機能せず、国政が混乱したことが背景だったとされています)、それにより選挙管理内閣として政権を握った軍人政権が1年間の期限を超えて権力の座に留まろうとしたため、反発する市民のデモが発生。これに軍が発砲し、300名もの死者(今のミャンマーと比べても決して少なくない数です)が出る事態に発展しました。しかし、この時には事態を憂慮した当時のプミポン国王による有名な介入が行われ、デモ隊のリーダーと軍人政権のトップが並んで王に跪く姿が全国に放送されたことにより、混乱は一夜にして収束、軍人政権はその直後に退陣しました。タイの政治がその後、しばらくの間、民主主義の方向に旋回するきっかけとなった事件でした。

 

なお、同国では2010年にも軍がデモ隊に発砲する事件が起こっていますが、この時の非タクシン系の民政政権(タクシン派に対する「司法クーデター」の後、排除されたタクシン派以外の議員の指名により発足)も国内外の信頼を失い退陣に追い込まれています。

 

プミポン国王はその時、両者を以下のように諭したといいます。素朴ではありますが、今のミャンマーの状況を正に予言するような言葉であることに驚かされます。

 

The Nation belongs to everyone, not one or two specific people. The problems exist because we don't talk to each other and resolve them together. The problems arise from 'bloodthirstiness'. People can lose their minds when they resort to violence. Eventually, they don't know why they fight each other and what the problems they need to resolve are. They merely know that they must overcome each other and they must be the only winner. This no way leads to victory, but only danger. There will only be losers, only the losers. Those who confront each other will all be the losers. And the loser of the losers will be the Nation.... For what purpose are you telling yourself that you're the winner when you're standing upon the ruins and debris? (https://en.wikipedia.org/wiki/Black_May_(1992))


そのプミポン国王も2014年のクーデターの際は健康が優れず(その後、2016年に逝去)、権威主義陣営がタクシン陣営を「王室への反逆者である」とするレッテル張りに利用されてしまったような形跡もあります(「黄シャツ」の「黄」は、タイの王室のシンボルカラーからきているそうです)。また、タイの王室も「不敬罪」の存在などから西欧のジャーナリスト等にからかわれることもあるようです。しかし、もしそれでも現地の人たちが「皆が王を敬っていればこんなことは起こらないんだ」と言ったとしたら…。正直のところ、外の人間が気安くああだこうだとは言えなくなってしまうような気がします(ミャンマーの最後の王朝(コンバウン朝)は英国に滅ぼされ、今のミャンマーに国王はいませんから、実際にはあり得ない話なのですが)。


(3/12追記) 

 

その後(前回の記事以降)、デモへの弾圧は急激に激しさを増しました(正直のところ、救急隊員の頭を銃で激しく殴打したり、夜間に普通に止めてある車を破壊して回ったり、はてはデモの最中に銃撃されて亡くなった方の墓を集団で掘り返して遺体を解剖したりと、タイ陸軍とはちょっとレベルが違う過激さには大変戸惑っています)。また、国軍がアウンサンスーチー氏を金銭授受で非難した、という報道が出ました。汚職や利益誘導での訴追はタイでも見られたパターンで、ミャンマーも同じバターンをなぞっているようではあります。タイでは、疑惑をかけられたタクシンや妹のインラックは「国内では公正な裁判を受けることもできない」として海外に逃れたのでした(そのこと自体もあながち嘘ではなかったのだと思いますが)。また、選挙前にもスーチー政権の閣僚が汚職で辞任したケースもあったようではあります。

 

しかし、ミャンマーでタイの場合と同じような帰結になるとは、やはり思い難いものがあります。タイの場合、政権に就いたタクシンは、タイの経済発展の波に乗って成功を収めた国内有数の起業家であり、傍目に見ても汚職や利益誘導は起こりやすい環境にありました。タクシン支持者の多くも汚職が全くなかったとは思っておらず、ある程度「政治とはそういうもの」という割り切りの元に支持をしていたようです。そういった言わばアジア的な、法的にはグレーなところ(あるいは法的にはアウトだが世間的には許されていたようなところ)を司法に突かれ、タクシン政権は崩壊したのでした(一方、司法の方も、例えば首相が料理番組に出ていたことを違憲として内閣を総辞職させる、といったような、傍目にはかなり理不尽な判決も出していたようです)。

 

スーチー氏が企業活動をしていた、というような話は聞きませんし、「国軍にさらわれたNLD幹部が死体になって帰ってきた(ないしは死体すら返してもらえなかった)」というような報道を見るに、恐らく訴追による弾圧を目指してかなり無茶な捜査を行っているものと推測せざるを得ません。こうした中で、ましてや(タクシンなら逃げ出すであろう)15年間の断続的な軟禁生活を逃げもせずに戦い抜いたスーチー氏に対して、国内外でクーデターの正当性を説得できるような立件ができるのだろうか?少なくとも、タイの場合と比べればそれはかなり難しいのではないかと思いますが、引き続き、状況は注視していこうと思います。

 

また、ミャンマーの外交官がCDMに参加するケースも報道されています。大使が働かなくなれば海外の情報も入らなくなってしまうでしょうから、そんな中ではたして今後ミャンマーの外交が立ち行くのか、素人考えながら心配になってしまいます。(3/13注記) 中国と国軍との間の非公開会議の内容が流出した、とのニュースも出ました。詳細は分かりませんが、こうした会議の内容が流出してしまうような状況(外務省職員が拘束されたそうです)だとしたら、対中国に限らず対外関係を維持・構築していくこと自体が難しいでしょう。「そもそも国軍はミャンマーをちゃんと統治できるのか?」というような基本的な問題が議論に上る状況にすらなってきかねないと感じます。