https://www.ispmyanmar.com/burmese/2021/12/18/wm-67/
ミャンマーのシンクタンクISP-Myanmarによる武力衝突の地理的分布を示した地図。筆者はもちろんビルマ語は分かりませんが、2021年7月1日から12月16日までに発生した武装抵抗力(主にPDF)と国軍との衝突(赤)、少数民族武装勢力と国軍との衝突(緑)、および少数民族武装勢力同士の衝突(青)だそうです


ミャンマーで2021年2月1日にクーデターが起こってから、間もなく1年が過ぎようとしています。クーデター以来、本ブログでは継続してフォローしてきましたが、事態は未だ収束する気配を見せていません。そこで、今後も引き続きウォッチしていくにあたり、これまでの経緯を簡単に整理しておくことにしました。

ミャンマーのクーデターについては、以下の記事も是非ご覧ください。

 

ミャンマーのクーデターニュースフォロー①2022年まとめ中国の進出(2023/6時点)、紛争の行方(2023/12時点)、2024年中間整理(本ブログの他記事です)

ミャンマーは破綻国家になるのか

 

分析枠組み:「分析のレベル」とは?

これまでの状況を整理するにあたり、国際関係論で言う「分析のレベル(Levels of Analysis)」の視点に沿って行うことにしました。私は国際関係論は泥縄ですのでわかっていないところもあると思いますが、この考え方については、例えば以下のサイトにまとめられています。

 

 
簡単に言えば、ある事象を分析するとき、分析の目的に応じ、(ある国を単に一つの主体としてみるだけではなくて)「個人」「集団」「国」「国際(システム)」の各レベルにおける様々な要因や相互作用を考察する考え方と理解しています。

その考え方も参考に、現時点での相関図をまとめてみました。以下、時系列にも沿いながら現状の整理と自分なりの分析を記述していきます。

 


吹き出しには各国の主な利害・関心を記載しています。

現状の整理

そもそもなぜ、国軍はクーデターを起こしたのか?

2020年選挙の大敗を受け、国軍は選挙不正を理由に2021年2月、クーデターを起こしました。このクーデターを予測した専門家はあまりいなかったようです。当初は、仮に選挙で負けたとしても国軍は常に25%の議席が保証され、主要な官庁を掌握しており、実態として権益が侵されることはあまりないと思われていました。また、スーチー政権の政策にはもちろん、いろいろな批判はあったものと思いますが、例えば少数民族との対立が先鋭化して国内の治安が決定的に悪化するとか、あるいは政権が汚職まみれで政策執行能力が失われているとか、いわば「もう5年スーチーに政権を任せておいたら国が崩壊する」といったような状況だったようにはとても見えません。

未だに理由ははっきりしていないように思いますが、一つの仮説としては、引退を控えたミンアウンフライン(MAH)の保身があったのでは、と言われているようです(文末で紹介したタンミンウー氏の著作にも出てきます)。MAHは新政権発足後ほどなくして定年で退職する予定になっていました。権威主義体制における権力の引継ぎというのは困難が伴うもので、場合によっては先代の権力者は、権力の座を退いた後、自らの身の安全が脅かされることも想定しなければなりません(少なからず、権力者は悪いことはしているでしょうからね…、ミャンマーでは「国軍司令官になるとそれまでの罪は免責される」という、「無敵の人」みたいなルールすらあるそうですが…)。

 

参考として、前国軍司令官のタンシュエが引退した10年前には、自らの脅威となりうる諜報機関を設立したキンニュンを失脚させたうえ、大統領には自らの脅威となりそうにないテインセインを据え、後任の国軍司令官には自らに忠実なMAHを任命し、軍・政府の内部にもそれぞれ自らの息がかかった将軍を残し…、といった形で権力を分立させ、自らに危害が及ばないことを確保した上で引退したそうです。


MAHも引退を控え、自らの政府への進出も含めた後任人事を考えていたところ、選挙での大敗によりそれが頓挫したため、クーデターに及んだのではないか、ということです。真偽の程はもちろん分かりませんが、もしそうだとすればいかにも権威主義的な国で起こりそうな動きであり、やはりミャンマーは内面的にはあまり民主的な国ではなかったのだ、という考えにもならざるを得ません。

しかし、いずれにせよ、クーデター自体はMAHとスーチー氏(及び同氏の政党であるNLD)の間の権力争いから起こったもので、政府(先ほどの図では左下のあたりに枠で囲ってあります)の外にいる市民や少数民族といった人たちの関与は限定的だったのではないかと推測します。

市民社会・少数民族の反応

クーデターの後、市民のデモに対して国軍による激しい弾圧が行われた2か月ほどの期間を経て、4月にはNLDの党員や少数民族の代表者等からなる国民統一政府(NUG)が設立され、市民の大きな支持を集めました。NLDやスーチー氏の支持者を超えた市民の反発や、ましてや少数民族まで含めた連携は、国軍としても想定外であったようです。一言で市民と言ってもその中身は様々で(例えば、同国の経済成長に伴う所得格差の拡大はかなりのものであったようです)、少数民族にももちろんいろいろな人たちがいて(さらに言えば「少数民族」と「少数民族軍事組織」も必ずしも一枚岩ではなく)、さらに市民と少数民族の間は、むしろ対立的と言ってもいい間柄でした。しかし、そうした多様な人たちのかなりの部分がNUGを支持し、中には距離を取っている人たちももちろんいますが、外から見る限り団結して反軍運動を展開している、という姿は、内外で衝撃を持って受け取られました(図では「ミャンマー」国内の下・右の枠のあたりです)。

こうした連携はこれまでのミャンマーの歴史(1988年や2007年の反政府デモ等)でもあまり見られなかったことであり、その背景となった、特にこの10年程の社会変化はとても大きなものだったようで、「明治維新と戦後が同時にやってきたようなもの」といったように例える人もいます。こうした変化の詳細については、是非専門的な研究を待ちたいと思います。

 

クーデターが起こって少ししたころのYoutube配信。ミャンマーの社会を知る上で、とても参考になります。

また、こうした対立の中で軍が行った弾圧はすさまじく、国軍の支配の足元がかなり不法なギャング支配に基づいていたことが傍目に見ても明らかとなりました。さらに市民のデモ活動は極めて規模が大きく、少しでも民主主義的な制度に基づいていれば、国軍側が政権を握ることは考えにくいことも明白になったと思います。詳細は当時のブログ記事等を見て頂ければと思います。

 

クーデター初期に出た、ミャンマー軍の実態に関する記事。この記事も衝撃でした。

国際社会による外交努力

ニュース記事を見返していると、2月のクーデターの後、6月ごろまでには各国の外交姿勢は明確になっていたようです。4月にはASEANが「5つのコンセンサス(暴力の即時停止、建設的な対話の開始、ASEAN 議長国特使による仲介、人道支援の実施、特使とすべての関係者の面会の実現)」を提示、G7・中国を含め各国が支持を表明しました。しかし、ミャンマーはASEANの提案を拒否し、それに対応してASEANはミャンマー国軍の首脳会議参加を拒否しました(10月)。

また、国連でも6月にはミャンマーへの武器流入を防ぐことを求める決議が採択され、それに続いて国軍が指名した大使の承認保留(9月~11月)へと事態が進展していき、国軍は国際的な枠組みから孤立していきました。その間、西側諸国は援助の停止や個別制裁等を行い、日本も新規ODAの実施を凍結しました。一方で、ロシアは国軍に対して武器供与等を含む関係を維持しています。

こうした国際的な外交努力の破綻を経て、日本・中国・タイ・米国等の特使が秋以降、ミャンマーを訪問しており、今後の外交努力を継続していくものと見られます。

 

ASEANによる仲介が破綻した後の各国の外交を取材した報道です。

なお、上記のような経緯の背景として、NUGも当初は外交活動を重視し、外国政府の中にはNUGの駐在事務所を開設する等の動きもありました。しかしそうした活動が実際的な介入に結びつかなかったことから、特に秋以降、NUGは国軍への直接の対抗に戦略をシフトさせていったとされており、国境地帯を中心に紛争が激化しています。

分析

国際社会と近隣国の利害

上に述べたような国際的な努力を説明する要因にはどのようなものがあるでしょうか?国際レベルの要因としてまず考えられるのは、所謂地政学的対立(「マラッカ・ジレンマ」「対中封じ込め」、等)や世界的な価値観の対立(「民主主義対権威主義」、等)といった枠組みです。日々の報道の中で例えばマラッカ・ジレンマの話が直接、取り上げられることは必ずしも多くないように思いますが、各国の行動の背景としては勿論、考えられるものと思います。

次に国レベルの要因を検討すると、こうした国際的な努力の多くが、どちらかと言えば理念的な考え方に基づいているように見えます(これは上記の「価値観の対立」とも重なるところかと思いますが)。民主主義を採用している西側諸国の多くが民主的な・リベラルな価値観に基づいて制裁措置等を行っており、また国連による対応もそうした国々の方針に後押しされているものと思います。ASEANは自らの求心力を高めることが一つの目標なのではないかと思いますが、参加国の一部(インドネシア等)はかなり民主主義の考え方に基づく主張を行っていたようです。

一方、特に近隣国(中国やタイ)は、目の前のより現実的な利害に基づき行動する可能性が高いでしょう。こうした国にとって最大の関心は地域の安定であり、難民が入ってこないことであり(ミャンマーの難民政策は歴史的にも苛烈で、例えばタイには1980年代からある難民キャンプがいまだに残り、カレン族等の避難民が10万人規模で収容されているそうです。そのため、今回の中国・タイの難民対策は極めて厳しくなっています)、また国境貿易や人的交流を再開すること、ミャンマー国内の資産(鉱山権益、工場、国内に埋設したパイプライン(というと上記の地政学的要因に近づくのかもしれませんが)、等)を保全すること、なども主要な関心としてあげられるでしょう(こうした諸要因は、図では吹き出しで書いてあります)。

 

直近の避難民の報道です。



https://www.jetro.go.jp/ext_images/world/gtir/2021/12.pdf

2020年までの貿易統計。ミャンマーからの輸出の1、2位は中国・タイの近隣国で、輸入も1位、3位を占めています。国境貿易の中には(統計に含まれない)密輸も多くあるでしょうから、実際の貿易額はこれよりも大きくなるものと思われます。

こうした目標を達成するためには、国境地帯(ミャンマーから見れば周縁部)も含めた情勢の安定が必要です。例えばミャンマーに進出した日本の企業の目線から見れば、自らが進出している平野部の治安が安定し、飛行機・船舶によるアクセスが確保されていれば実感として周縁部への利害は感じにくいことが多いものと思いますが(ロヒンギャ問題に対して日本の反応がやや鈍かったのも、もしかしたらそうした側面はあったかもしれません)、こうした近隣国にとっては、難民の発生源となり、国境貿易の通過点となるこうした地域の安定は決定的に重要です。

特に中国の場合、内陸部の経済発展・沿岸部との格差是正のためにミャンマー進出を図っている側面が大きいようで、その観点からもこうした地域の安定・経済活動の再開についての優先順位は高いものと思われます。

国際社会としても、例えばASEANは議長国がブルネイからカンボジアに変わり、次の手を模索していくものと思いますが、近隣国にとって上記のような直接的な利害はより大きく、国際的な枠組みが機能しない中で、今後はこうした国がより実際的な利害に基づいて外交を組み立てていくことになる可能性があるのではないかと思っています。

これらの近隣国は国境地帯にいる少数民族とも様々なつながりを持っているものとされ、そうしたチャネルも使いながらミャンマーから見た周縁部も含めた安定を図る方向を模索するのではないかと思います。

近隣国の持つ交渉力

先に述べた通り、「分析のレベル」の考え方によれば、ある国を単一の主体として描くだけではなく、その国にいる個人や集団に着目し、それらの間の相互作用を描き出すことが重要です。タイについて少し見ると(中国も本当は見ないといけないのでしょうが、難しいですね…)、同国の政府は首相が軍人出身のこともあり、一般的には国軍に同情的であるとみられています。一方で同国はASEAN加盟国ですので、そこでは他国と一致して「5つのコンセンサス」による仲介を提示し、失敗後は国軍の首脳会議出席を拒否しています。

一方、タイ国内を見ると、そこにはミャンマーの少数民族のいくつかが居住しており、そうした人たちはもちろん少数民族の立場に同情的で、避難民に支援を提供するだけでなくミャンマーを脱出した反軍活動家を匿い、活動拠点を提供するなど、反軍活動の後背地を提供している実態もあると見られます。一般のタイ市民にも様々な人がおり、反応はもちろん一様ではありませんが、NGO等で避難民を支援する人などもおり、世論としては市民側に同情的な声も多いものと思います。また、報道等を見ていると、タイ発信のものがかなり多く、その中には反軍的な論調もかなりあります(外資系のメディアが多いですが、実際に取材をしているのは現地で雇ったアシスタントなことが多いでしょう)。

 

タイ国境の町からの報告。居場所までつまびらかにしていいものなのかどうかは分かりませんが…。

こうした主体の国境を越えた支援・支持に対して、タイ政府は必要であれば例えば「国境管理を厳格化する」「不法滞在者の取り締まりを厳格化する」「メディアの報道を統制する」等により影響を及ぼすことができます。こうしたチャネルも活用しながら、ミャンマー国内の対立にも影響を及ぼしつつ、近隣国としての目標(地域の安定!)を達成すべく仲介・交渉に動くのがタイ政府の立場になります。

中国も同様です。同国は一方で特定の少数民族とつながりを保ちつつ、他方でミャンマー国軍にも武器を提供するなど、両者に対して強い影響力を持っています。また、国際的には同国は国連安保理の常任理事国であり、実態として国軍が指名した大使の取り扱いは同国とアメリカが交渉して決めているようでもありますし、さらに同国はASEANに対しても強い影響力を持っています。

 

ASEANの依頼を受け、中国がミャンマーに「5つのコンセンサス」実現を働きかけた際の報道。この働きかけの前にはASEAN外相、ASEAN議長国であるブルネイの第2外相、ASEAN事務局長も続々と中国を訪れており、ASEANに対する中国の影響力の大きさを象徴する出来事でした。

図を見ていると、中国は自らの目標を達成するため、こうしたチャネルを梃子に用いることもできそうに見えます。特にミャンマーは現在、国連からもASEANからも孤立した構図になっており、中国による助力なしに国際社会に復帰することができるものかどうか、素人考えながら少々疑問です。中国はこうした立場も活用しながら、自らの目標を達成すべく、仲介に乗り出すものと見られます。

今後の道筋

現在、国軍による各地域への侵攻は苛烈になっています。しかしミャンマーでは建国以来、一度も少数民族との戦闘が終わったことはなく、国境地帯にいる少数民族武装勢力を一掃することはできないものと想定すると(実際にはこの想定が正しいかどうかも分かりません…、例えば、この10年の同国の経済発展は明らかに国軍側により多くの富をもたらしていたでしょう)、双方が状況の泥沼化を見越して、国外からの仲介等も得ながら、Win-Winになるところで和解するのが通常だろうと思います。しかし、今のところそうした動きは見られません。また実際のところ、仲介する側も和解を担保する施策を提示することは難しく(例えば「停戦監視団として中国軍が入ってくる」といった提案を国軍が受け入れることはないでしょう)、今のような対立は続いて行ってしまうのだろうと思います。いずれにせよ、上記のような整理・分析を念頭に置いて、今後の推移にも引き続き注目していきたいと思います。

そこではリベラルな規範や民主主義を擁護する声は薄れ、近隣国の利害に直結する国境地帯でより実際的な武力を持った少数民族の果たす役割が大きくなる可能性があります。

 

最近のタイ国境地帯の国軍の侵攻の背景に中国の経済的利益の確保があるのではないかとするタイメディアの報道。真偽は定かではありませんが、上述のような枠組みを考えると、今後はこうした報道が増えていく可能性は否定できないものと思います。

 

中国との国境貿易を人民元で行うとの報道。混乱が長引き、国際社会からも孤立する中で国軍の立場はかなり弱くなっているでしょうから、交渉の中で中国の権益が拡張していっても不思議ではありません。

 

新年のMAHの演説に関する報道。「少数民族との和平」が取り上げられていますが、こうした課題が(「民主主義」よりも)利害により直結する近隣国の意図を汲んだ方針である可能性もあるように思います。

最後に日本について一言。日本は他の西側諸国とは一線を画した外交を行っているように見えます。民主主義・リベラルな価値観を持つ国々と必ずしも歩調を合わせるわけでもなく、経済団体の日本ミャンマー協会は国軍を支持する言動すら繰り返しています。一方で、日本がミャンマーに対して有している利害は近隣国のそれとも大きく異なります。日本の政策は中国の存在感が大きくなることに対するカウンターバランスを図っているとも言われますが、実際には日本は中国のように、ミャンマー国内の少数民族や(かつては少数民族間の交渉に尽力した日本人の方もいらっしゃったと聞きますが)、国際的には国連やASEANに対して有力な交渉チャネルや影響力を有しているわけではなく、直接上記のような仲介外交の中で対抗していくことは困難でしょう。現状では情勢の改善にはあまり貢献できていないのではないか、というのが正直な印象です。

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