東京リビングストーン教会福音セミナー
主題 絶え間ない福音


認識すべき重要なことは、’体の行いを殺すこと’と’キリストと一つになること’は、お互いを二つの分離した’ステップ’とすることではなく、エンジンのピストンのように上下しながら協力して連動するもののように見ることである。体の行いを殺すことは、キリストとの同一化を後ろ盾とすることなしには前進しえないし、キリストとの同一化も体の行いを殺すことなしには前進しえない。なぜだろうか?

人間の良心
人間の良心というものは、私達は受け入れられるためには自ら聖くなり、良い行いをしなければならないという信念において、深く混乱している。それゆえに、あなたの心と良心が、”愛する存在に受け入れられている”という深い確信なしには、あなたは自分の罪の深さに関するどんな情報にもただ反発し、拒絶することになるだろう。

それゆえに、マルティン・ルターが語ったように、あなたはキリストにあって完全に義とされていることにより、神に喜ばれるものであるということを、絶え間なく頭に叩き込まなければならないのである。

もし、あなたが自分の罪を明確に、深く把握するならば、神の赦しの約束はあなたにとって、電撃的で、自由をもたらし、活き活きとしたものになるでしょう。しかし、その一方で、もし、あなたがイエスの償いの犠牲の力と御業を明確に、深く把握するならば、あなたは自分の罪の深さを認めるだけの安心感を持つことになるでしょう。そうやって、これがサイクルになります。体の行いを殺すことは私達にとって恵みをより美しいものにし、恵みを意識することはより私達の罪を容認させ、罪を憎むべきものにするのである。

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