―コロナ戦争の中での俳句を考えるー
文禄元年春以下百字読めずに候 攝津幸彦
この句を詠んだ攝津幸彦は、C型肝炎が原因の肝臓癌にて、一九九六年十月十三日東京の順天堂病院に於いて四十九歳の若さで亡くなった。
攝津幸彦は思いもよらぬ語彙を用いる稀有な俳人である。亡くなる年の一月のインタビューで「僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな、という感じがあります」と自身の俳句へのロマンを語っていた。文学といえば、韻文だけでなく小説も入る。十七音の俳句の世界でそんな壮大な考えなど想定した人は皆無だ。
さてこの句をどう解釈するかであるが、よく講談で「・・・元年春。織田信長が」といって切り出す。「・・・元年春」が話を進める講談流の導入法であると解釈すれば、百字読めぬ目になった。字も書けぬ身体になったとか、読み手は作者の状況を想像することが出来る。
でもこの俳句を「令和二年春」と置き換えれば、いま世界を恐怖の坩堝の中で蠢く人間模様が浮かび上がってくる。
トランプや安倍首相をはじめとする各国のリーダー。そして小池百合子をはじめとする地方の為政者。我こそがコロナ戦争に馳せ散じたと雄叫びを上げている。そんな為政者のもとへ、我々庶民の百字足らずの意見書や歎願書などをお願いしても、塵のような存在で「何を言っているのか・・・」といわれ、ゴミ箱に捨てられるのがオチである。そうした世相を詠んだ句とも読み取れる。十七音の俳句の世界で「僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学だ」という考えなど想定した人は皆無である。
談林風俳句は、小説の世界も想定しているという。江戸時代に於いては、江戸の芭蕉に対抗する浪速の西鶴の談林俳諧が注目されたが、談林風の句の解釈は難しい。叙情句や情景句、台所俳句さらには時事俳句などと違い、解読に能力も労力もいる。
ウイルスは時限爆弾うろたえる春 金子未完
「インフォデミック」という言葉をご存じだろうか。
「インフォデミック」とは「情報の急速な伝染(Information Epidemic)」を短縮した造語で、二〇〇三年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行した際に一部の専門家の間で使われ始めた言葉である。意味は「正しい情報と不確かな情報が混じり合い、人々の不安や恐怖をあおる形で増幅・拡散され、信頼すべき情報が見つけにくくなるある種の混乱状態」を示す。
マスコミは正義である。大衆の味方である、ともっともらしいことを言う。だが我々庶民は厳しい目で見ないといけない。マスコミは多少のガセネタでも時には報道する。自分勝手なところがある。注意しなければ…
人間は、元来自分にメリットがある方に動く動物である。
仏教でも明らかであるが、五欲の中で怖いのは一に名誉欲、二は財欲、三は性欲。
基本的な要求は四の食欲と五の睡眠欲。これは自然の摂理に任せればいい。ともかく、一の名誉欲、二の財欲が曲者だ。
アメリカの心理学者、アブラハム・マズロー(一九〇八年~一九七〇年)は「欲求階層論」を唱えた。人間はある欲求が満たされると更に高次の欲求を満たそうとする欲望があるというのだ。人間の欲求は「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の五つあるというのだ。
低次元の「生理的欲求」が満たされて初めて高次元の欲求へと移行するとした。生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。簡単に言えば、イチローやオリンピックに出る選手は、「自己実現欲求」の強い人だ。あるいはピカソや三島由紀夫、更には岡本太郎のような芸術家、彼らは「自己実現欲求」が強い人である。だが問題なのはトランプ他安倍や小池ほかの政治家、学者、財界のトップを狙う人達は「自己実現欲求」が強い。政治家はいわずと解るが、御用学者は元来「自己実現欲求」が強く悪辣である。代表的なのが、一昔前「原子力発電は夢の理想のエネルギー」と錦の御旗を掲げ、佐藤以下竹下、小泉につながる自民党政権を騙した御用学者、それにマスコミ…いずれも狸といおうか狐といおうか、もっともらしい理論を構築し、大衆を先導した極悪人だ。コロナウイルス感染症の不安をあおり、惑わし、あわよくばウイルスと対峙し、ヒーローになろうと目論んでいる。不安定な状況下で「我こそはすべてを知っている」「わたしのいう通り」にという人をTVで見るだけでうんざりする。「安全への欲求」が高い我々庶民にとっては、一日も早く適切な治療体制がしかれることを希望するしかない。
新型コロナウイルス感染症は季節性インフルエンザよりも広がりやすく、亡くなる方も多い。持病のある方は重症化するリスクが高いことも分かっている。現在までのところ、明らかな治療効果を示す既存の許可薬剤がない。厚生労働省は英断を下し、いち早く現行の薬剤の中で治療できる薬剤を洗いなおし、可能性のある薬剤を許可し処方することが望まれる。副作用を恐れて、許可できない事情があることは一理あるが、放っておけば救れないが救われる可能性もある。副作用のリスクは多少あると思うが、治療優先の舵を取るべきだ。政治家も御用学者もいらない。ワクチンの早期開発者、薬剤の開発者、製造者、治療にあたる医療関係者…
彼らこそが時代のヒーローだ。一日も輩出することを一俳人として希望してやまない。