帰国後、北川にのみ報告して河野の役割は終了した。サーバーとソースコードの移行は窪田と久坊のコンビで事務的に終了出来るはずである。
後は全て北川の仕事になる。先ずは事業の継続とクライアントの確保であろうが、河野はどの程度のクライアントが、米国で、日本でアタボックを利用しているかを知らないままであった。
減資を承認した株主からはその額での買い戻しの承認がいるはずである。投資家達は恐らく減損処理をして、この夢の投資が失敗に終わった事で静かに幕を閉じる事ができれば大きな傷とならずに幕引きが出来るはずである。河野のサラリーマン堅気の深読みが難交渉成立のかぎとなったのかもしれない。
必要なら(必要であると思うが…)改めて増資を実行すれば良い…。
北川の腕の見せ所であるし、河野にはアタボックそのものにそれ以上の興味は無かった。「北川君、アタボックの社名は変えたほうがいいね。イーパーシャルって当初の説明で使ってたけど、あれが分かりやすくっていいんじゃ…」
その後もアタボックの現場は大変な苦労が有ったらしい。
ソースコードの到着便が細切れでかつ当然ながら膨大な量である。そしてそれが本物であるか、解析が出来てサーバーが無事稼働するのか?
その前に米国サイドがパンクして仕舞わない保証もない。
その後、約2ヶ月に渡って日本の天才技術者窪田は徹夜の連続で孤軍奮闘するのみで有った。
既に本業に回帰していた河野に窪田から電話が入った。
「お陰様で無事稼働にこぎ着けられました。有難うございました」…と。
窪田はこの難解極まりない米国生まれの驚異的セキュリティーシステムを見事読み解き、かつ日本バージョンとしてのカスタマイズに成功した。一方の東大卒の同窓の久坊は全ての役割を終え、静かにアタボックを去っていった。
アタボックはその後社名を「イーパーシャル」に変更し、北川社長の元で再生に動き出した。河野も一仕事を終え、自らの多忙な本業に戻り、その後の「アタボック」の経過は知らない。風の便りで、無事北川が支配株主権の取得を終え、小たりと雖も着実な業績で安定的な経営に移ったようだ。
北川はそれから5年程後、日本の誇る「イーパーシャル技術」の米国企業による特許侵害の有無を調査し、グーグル、マイクロソフト他8社の特許権侵害の立証を試みて大胆にも海外訴訟に踏み切ったと言う。
それが円満和解に達したと聞くので、それなりの技術力の立証と経済的利益を得たのであろうが、果たしてコバタの豪語した特許資産がどれほどの額で評価され、和解に至ったのかは解らない。1億であったのか又は20億であったのか?
アタボックの保有する技術特許が世界に通用する大資産である事だけはこの和解で証明された事になる。
果たして「Googleに勝った男(達)」は、画期的なセキュリティーソフト事業の立ち上げには成功はしたが、事業展開には間違い無く失敗した。
「ビルゲイツを超える」と豪語した「コバタ」であるのか、グーグル他に訴訟を構えて「アタボック」を「イーパーシャル」に見事再興させた北川なのか、米国の最先端技術を読み解いた「窪田」なのか…
「グーグルに勝った男達」と「天才技術者」の米国と日本を股にかけたペテン師の闘いであったのかもしれない。
物語が「北川イーパーシャル」の次の展開に繋がって行く事を期待して止まない…。
完