細見先生

 

お世話になります。

ご送付頂いた「補論」の解釈に手こずっております。自らの読解力(国語力)の不足を痛感しつつ、学術(専門)用語の難解さにもその原因が有るのではないか…といいわけも頭を過ぎりますが??

何にしろ、貴職の研究成果は改めてその結論をベースに持論としてまとめ直す事を是非ともお考えいただきたく強く希望します。

一方で宇沢先生の論考にハマっており、目から鱗の感が有ります。制度資本と言う分類と言うよりも、資本主義の崩壊後に来るべき人類の経済学として何故これらが体系化されないのかが分かりません。生意気にも漠然と考えていた経済学が既に大先生によってほぼ完結していることを認識さえ出来なかったのは、マル経に多少ハマった誤謬があるようにも思います。

 

小生は日本国憲法が、その歴史をも踏まえた理想の憲法と信じるものですが、宇沢経済学を実践する為に変えるところがあれば、そこは改憲論もありとは思い直してみたく思うのです。(様々な矛盾が現行憲法にあることも承知していますが、日本の歴史、文化を踏まえた上で容認するべきものとの考えでしたが…)

 

宇沢経済学を引き継ぐ先生又はそれを継承発展させる学者はいないのでしょうか?

小生は、アダムスミス以降マルクス、エンゲルス、ケインズなどの経済史に経済学(者)が、四苦八苦して、その後の有名学者(学説)が出てこない事が不思議でなりませんでした。ITの進展で金融(資本)は一気に変遷し、その発展の中で勝ち組としての生き残りを達成しようとしていますし、コロナ後も勝ち残っていくでしょう。

 

しかし、新しい経済体制へのチャンスでもあります。想像を遥かに超える経済危機は間違いなく、100年単位の不況でまた弱者や老人は切り捨てられるでしょう。

 

と言う事で言い訳に過ぎませんが、是非ともこれまでの貴職の研究成果を一冊の経済論として改めて(平易に(笑))まとめて、残しておくべきと考え提言させて頂きました。

(古典的経済学は、既に現在を読み込めなくなっている事を確信し、それらを踏まえつつも、しっかりとした主語でもって今後の政治経済を言い切る「現実的経済学」を期待してやみません

 

河田

 

金子さま

 

📧拝領しました

有難うございます

それにしても「蝸牛」好きですね

私であれば、

コロナさんみたいな「とげとげ」スパイク付きで

しかも大好きな酒の肴に抜群の?「海鼠」にする?

 突然に集中治療寒海鼠

集中治療はもともと重症者用なので重症は割愛

季節感に問題? 仕方がない。梅雨/夏海鼠って新作する?

梅雨鯰っていうもんね。鯰は冬も旬?

蟻の列も面白いね。更又私なら、

 由らしむる間隔五尺蟻の列

田植えと最後の三句は以前見たことがある?

取敢えず返信まで

細見拝

 

 

山口誓子については、昨年1月細見さんと山中さんに関学OG神戸大の米田さんに会って

それから山口誓子について調べたけど、正直言って

この四月再トライしてみたが、スケール多すぎて手をこまねいていました。

 

摂津幸彦は、関学の同級生で私も東京にいたし、摂津と同じ職場

の上司も私の句会、結社「麦」にもいた。句集も七冊で丁度いいくらいの量でした。

細見さんもバリケードの中での逸話。

それから甲子園であった「歯車」の児島さん

 

宇多喜代子とも摂津の母が宇多と面識があり、何とか書けました。

 

その前は、浅井慎平にトライしました。浅井慎平とは、五〇年来の仕事仲間であり

実際に二度会いインタービューし、千葉にある彼の美術館に取材に行きました。

句集は、五冊、エッセイや写真集小説など読んでも20冊くらいです。

 

その点

『山口誓子全集』全10巻 明治書院 1977。句集20冊。

山口誓子俳句十二か月 松井利彦編 桜楓社 1987.9松井俊彦 

誓子自選句集』新潮文庫 1961

『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』現代俳句協会青年部編2018年版

これは、出たばかりで、新興俳句時代の誓子を愛媛大の青木教授が書いている。

誓子の宇宙』朝日新聞社 2008品川鈴子著作

大阪の俳人たち 2 和泉書院山口誓子(松井利彦)

『大阪の俳人たち 7』大阪の俳人たち浅井啼魚 

を読んだくらいで  全体の流れわずか把握しただけです。

大変な俳人です。

 

 

誓子については 大学のあった西宮、誓子記念館。

15年間保養した三重県四日市の資料

くらいしかありません。

句集も20冊と多い。

 

京都。東京。樺太それから、住友、

俳句結社は「ホトトギス」、「馬酔木」新興俳句、「天狼」

誓子が生きた時代は、20世紀1901年から1995年。94年間。

私は、1946年生まれだから

1946年以降の時代しかわからにので、1995年をとらえるしか時代はとらえきれません。

 

 

半分ギブアップです。しばらくほっておいて何かあれば、再度トライと思っているけどしばらく休養

です。

参考ながら、誓子の句として、今の季節にぴったりの句を見つけました。しばらくは季節ごと12カ月

何句か取り上げて感想文を書いて楽しむより術はないようです。面倒ですがお付き合いください。方法論を模索しています。

 

新樹の夜星はしづかに飛びはじむ 星戀  

この句は、山口誓子(以下苗字略)の俳句と天文民俗学者であり英文学者である野尻抱影のエッセイを組み合わせ―コラボした『星戀』 (一九五四年発行中公文庫)―に収められている。新緑の五月夜空に浮かぶ「満天の星」を見上げれば、誰しも澄んだ気持ちになれる。ましてやこの句を詠んだのが、六甲山の麓、兵庫県西宮市の苦楽園で詠んだ句とあれば尚一層であである。ちなみに、当時誓子が住んでいた苦楽園は、西宮市にある高級住宅地である西宮七園の一つであり、その西宮七園の中でも最も山手(六甲山麓の南東麓斜面の海抜二百五十m前後の部分)に位置ししている高台であり、満天の星は勿論、瀬戸内海の島々の灯や京阪神の百万ドルの夜景が見える絶景の地である。この絶景の苦楽園五丁目に誓子が住んだのは一九五三年であり「電化元年」といわれた年である。電化元年とは、三洋電機が一九五三年に発売した洗濯機から日本国内の洗濯機の売り上げが伸びて普及し、このことから大宅壮一が命名した。電化元年とされた時期から冷蔵庫やテレビ、トースターなど様々な家電が庶民の手の届くものとななった。して一九五五年には東京タワーをはじめ大都市にテレビ塔が建設され、近代的なビルが建ち並ぶ時代を迎えた。三年後の一九五六年の経済白書で《もはや「戦後」ではない》といわれた時代である。一九四六年生まれの私は、誓子がこの句を読んだ時は、十歳前後であり、南アルプスの麓(静岡県浜松市三ケ日町)に住んでいた。この誓子の「満天の星」の句をゴールデンウイーク開ける五月七日に読んで、思春期であった当時のことをを思い出しノスタルジーに浸ることが出来た。

  金子未完

 

 河田さま

 

📧拝領しました。有難うございます

漱石ね、大学1年の時徹底して読みました

只、ぢ頭が遅れていましたので、遅かったですね、

飛んでる人は、高校の時に読んでいましたね

「自我」について、自分では理解できた積りでしたので、

今回のメールを拝見して、驚いています

私、ちゃんと理解できている?

摂津さんの件、こんな素敵な方が同窓で同期とは、未だ感激しています

掛かる意味で、金子さんに感謝しています

亡くなられましたが、私の当時の指導教官が俳句を嗜んでおり、

たまたま20年ほど前にある機会で、摂津さんのことを話していたかもしれません

私はその時点では今一でしたので、今から思えば残念に思っています

先生の奥さんがご健在ですので、遊びに行ったときにでもとは考えているのですが

処で、彼の立ち位置については、貴方と同じ考え方です

只、今回のコロナさんのこともありバタバタしていて、金子さんから頂いている資料

すべてに未だ目を通せていないので、はっきりとは言いにくいのですが

少なくとも皇国前衛句が、私大好きさくらんぼに至る経緯は、そうでなくては理解

しづらいと思っています

又鉛の蝸牛や文禄の解釈も金子さんとは異なります

尤も、私の草案ではなく彼の論稿ですので、特段先方から問われた場合以外は、

婉曲的な表現に終始してきました

取敢えずは、じっくりと行きますか

拝領しています先のメールと併せて、ご指摘の資本主義については、私は以下のように考えています

資本主義的な事業は有史以前より、少なくとも資料として確認できる前18世紀のハンムラビ法典

にもその活動が記されています。しかるに、人間の社会生活の基礎となる経済にその痕跡を記してはいますが、

それなりに一定の比重を占めてくるのは16世紀以降で、現在の資本主義的システムとして社会経済に君臨するのは

僅か19世紀以降のことです。資本主義をどのように当時の人が見ていたのか、この点を理解しなければ、今後の

展望を切り開くことは難しいというのが、私の基本的な考え方です

拙論の3章の「補論」で検討していますので、為御参考迄、送付させて頂きます

ご査収の程宜しくお願いします

取敢えず返信まで

細見拝