【備忘録】「停車場変遷大事典」掲載の情報についての補足など
かねてより弊ブログでは仮乗降場などの開設、廃止年月日を、JTB刊「停車場変遷大事典」の「駅名の移りかわり」の項から引用させて頂いてきました。停車場変遷大事典 国鉄・JR編Amazon(アマゾン)5,000〜36,018円同書は1998年の出版とやや古いのですが、2022年に日本の鉄道150周年を機に「駅名来歴事典」として現状に合わせて加筆された書籍が出ていますので、非常に有り難いところです。駅名来歴事典 国鉄・JR・第三セクター編 (単行本[鉄道])Amazon(アマゾン)3,377〜13,670円同書は過去の時刻表、公示・告示、列車運転時刻表など膨大な資料から緻密なデータを掲載しており、非常に資料的価値の高いものとなっていますが、やはり資料に乏しく、明らかでない部分については「?」を付して断言を避けています。私ごとき素人がこの大作に異を唱えるような知識も資料も経験も持ち合わせていませんが、それでも、いろいろ調べているうちに、同書で「不詳」となっている、特に年月日について、別の資料からたまたま判明したり異説が出てきたりするのに遭遇します。この記事では、それをまとめて、私個人の備忘録とさせて頂きます。注意:ここに記載するものは私が調べた範囲で出典が明らかになっている情報ですが、別の調査との乖離がある以上、必ずしも正しい情報とは断定できません。あくまで別説としてこういう情報もあった、くらいの参考資料としてご覧頂ければ幸いです。2024年6月29日 記事公開後追記貴重なコメントを読者様より頂きました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。「停車場変遷大事典」編者の石野哲氏ご自身による補遺もWEB上に公開されておりますのでリンクを貼らせて頂きます。https://www.railforum.jp/ftrain/public/dl/ryozanpaku/hoi12.html梁山泊会所告示(12)www.railforum.jpまた、本ブログ記事のコンセプトがブレていたので方向性を正しつつ補足致しますと、「停車場変遷大事典」本文または上記リンク先の補遺にない情報、補遺と異なる情報を本記事にて取り扱いたいというものです。私の構成力のなさには汗顔の至りです。私自身が後日調べ物をした際に役に立つかもしれないと思い、今回、備忘録という形で記事に致しました。・宗谷本線 旭川四条仮乗降場の開設日「停車場変遷大事典」…開設日不詳(※)判明したデータ…昭和32(1957)年2月1日開設典拠…旭川市史(開設日当日のセレモニーの写真もキャプション付きで掲載)※「駅名来歴事典」や新潮社刊「日本鉄道旅行地図」では昭和31(1956)年2月1日開設となっています。→こちらの記事もご参照下さい。▲「停車場変遷大事典」(1998)の「旭川四条」の項。開設日が空欄(不詳)となっています。▲「駅名来歴事典」(2022)では1956(昭和31)年2月1日開設となっています。▲「旭川市史」より。本文、キャプションとも昭和32(1957)年開設となっています。単行のディーゼルカー(キハ17系)が写っています。・広尾線 幸福仮乗降場の開設時期「停車場変遷大事典」…昭和31(1956)年8月26日?判明したデータ…昭和27年時点で既に存在典拠…日本交通公社刊「最新鉄道線路図」昭和27年10月15日改訂版・函館本線 桂川信号場の旅客扱い開始時期「停車場変遷大事典」…昭和48年以前判明したデータ…昭和27年時点で既に旅客扱い開始典拠…日本交通公社刊「時刻表」昭和27年5月号(日本交通公社刊「最新鉄道線路図」昭和27年10月15日改訂版にも掲載)時刻表復刻版 戦後編5 (単行本)Amazon(アマゾン)14,769〜39,567円▲こちらの復刻版に収録されている各号を比較すると、昭和24年までは函館本線の仮乗降場としては大中山と本石倉のみ掲載、その次の収録号である昭和27年からは姫川、渡島沼尻、鷲ノ巣などとともに桂川も掲載されるようになり、桂川にも旅客列車が停車していたことが分かります。なお、桂川は信号場としては昭和19(1944)年開設、信号場を廃して単なる仮乗降場となったのが昭和54(1979)年とのことです。・函館本線 嵐山仮乗降場の営業時期「停車場変遷大事典」…昭和33年6月開業、同年8月廃止判明したデータ…昭和32年6月開業、昭和33年8月廃止の可能性が高い典拠…旭川市史(昭和32年開設と明記)、日本交通公社刊「時刻表」各号(昭和32年、33年の号の時刻表に掲載あり、同34年には掲載なし)→こちらの記事もご参照下さい。・千歳線 西の里信号場(初代)「停車場変遷大事典」…旅客扱いをしていた旨の記述なし判明したデータ…「北海道時刻表」昭和37年5月号に掲載があり、この時点では旅客扱いを実施典拠…日本交通公社刊「北海道時刻表」昭和37年5月号(なお、同昭和38年7月号では既に削除されており、昭和45年の列車運転時刻表でも旅客扱いはしておらず、運転停車のみでした。)・星置線路班「停車場変遷大事典」…星置線路班の存在に言及なし判明したデータ…函館本線 銭函〜手稲間に星置線路班が存在典拠…昭和31年6月1日改正の「列車運転時刻表」(札幌鉄道管理局発行)、ただしキロ程の記載なし※大部分の線路班で旅客扱いを始めた昭和23年7月改正、および同24年9月改正の時点では線路班は未設置のため、線路班として後発のものか?・番外編 マニアックな(幻の)駅名昭和38年7月1日開業の標津線「上春別駅」ですが、昭和38年7月号の交通公社版「北海道時刻表」では、原稿締め切りの時点ではまだ駅名が仮称の段階だったのか、「大成」という駅名で掲載されています。(大成は駅の所在地の地名)このようなケースは他にもあったかもしれません。▲昭和38年7月号「北海道時刻表」(交通公社刊)より。標津線上り時刻表。計根別〜西春別間に「大成」という乗降場が見えますが、これが実際は上春別駅でした。この当時は交通公社版にも多和仮乗降場が掲載されていましたが、後年なぜか削除され、標津線では開栄仮乗降場のみが掲載される形になりました(光進は駅に昇格)。今後も何か発見したら備忘録という形でブログにまとめたいと思います。今回は(今回も?)自己満足のような記事になってしまいましたが、ここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。