今回はちょっとした小ネタです。

まずは画像をご覧下さい。



これは私が所持している、国鉄職員向けの「最新鉄道路線図」です。

昭和36(1961)年に改訂された版になります。


この路線図にしても、昭和30年代の全国版の時刻表にしてもそうですが、北海道の一部の仮乗降場が掲載されているのです。

特に青函鉄道船舶管理局管内は結構網羅しています。

また旭川鉄道管理局管内では留萠本線瀬越、羽幌線の築別以南、石北本線の一部仮乗降場などが掲載されています。


ここで上掲の「最新鉄道路線図」の本文の一部を画像でご覧頂きたいと思います。






読み取りにくくて申し訳ないのですが、仮乗降場の掲載の仕方にいくつかのパターンがあるのがお分かり頂けるでしょうか?

まず1枚目に見える函館本線のうち、砂原線の「渡島沼尻」は△印で表記されています。
国鉄の路線図では、通常△印は「信号場」を表します。
渡島沼尻は信号場扱いとなっているのです。
次に同じく函館本線の「仁山」ですが、現在位置には昭和19年に信号場として開設しており、昭和36年時点でも信号場のはずですが、◯印になっています。
◯印は「一般駅」を表します。
仁山が正式な駅となったのは国鉄民営化時ということになっているので、これは誤植かもしれませんが、貨物の取り扱いも行っていて一般駅と同等の表記にした可能性もあります(仁山で貨物の取り扱いをしていたという記録を見つけたことがないので、何とも言えません)。

さらに分からないのが、タイトルで述べた内容になります。
1枚目の画像で「(臨)東山」「(臨)姫川」「(仮)桂川」「鷲ノ巣(臨)」とあるのが見えると思います。
言うまでもなく、(臨)は「臨時乗降場」、(仮)は「仮乗降場」です。
路線上の印は◉になっていますが、これは「旅客駅」を表し、貨物の扱いがないことを示します。
2枚目の画像でも「(臨)色内」「(仮)瀬越」などといった表記が見られます。
ここで疑問となるのが、(臨)と(仮)の使い分けです。

昭和36年のこの路線図の時点では、どの乗降場も分類上は「仮乗降場」です。
昭和44(1969)年に瀬越は臨時乗降場に変更されていますが、この路線図はそれより前の時代となります。

結論としては、(臨)と(仮)の使い分けは「不明」なのですが、もう少しだけ掘り下げてみましょう。

一般的には仮乗降場は「鉄道管理局が設定」します。

つまり多くの正式な駅のように「国鉄本社が設定」しているものではありません。

臨時乗降場は「国鉄本社が設定」している場合があり、このため臨時乗降場の一部は全国版の時刻表にも掲載されます。


とすれば、(臨)の表記のあるものは「鉄道管理局が設定」したものではないのかもしれない、と仮定し、開設時期を調べてみました。

まず前提として、鉄道省→運輸省から国有鉄道が独立し、公共事業体である日本国有鉄道が発足したのが昭和24(1949)年6月1日です。

日本国有鉄道発足前からある仮乗降場も局設定のものが多いですが、日本国有鉄道発足の前と後とで(臨)と(仮)とに分かれてしまったのではないかという仮定です。


仁山は昭和11(1936)年に信号場として開設、昭和18年に旅客扱いを開始、昭和19年に現在地に移転したとあります。

東山は昭和18年に信号場として開設、昭和24年に信号場の役目は終えるものの仮乗降場として存続。

姫川は大正2(1913)年に信号所(大正11年より信号場)として開設、旅客扱いの開始ははっきりしないものの昭和26(1951)年といわれています。

桂川は信号場としては昭和19(1944)年開設ですが旅客扱いの開始は不詳、「停車場変遷大事典」では昭和48年以前とあります。

昭和36年の路線図に既に掲載があるのでこの頃には旅客扱いしていたと考えてよいかと思われますが、旅客扱いの開始はさほど古い時代ではないようです。

鷲ノ巣は昭和19(1944)年信号場としての開設当初から旅客扱いを開始、昭和24年に信号場の機能を廃止し仮乗降場に移行しています。

この中で(仮)表記は桂川のみ、他は(臨)表記です。


まだ情報が足りませんね。

そこで全道で路線図掲載のものを取り上げていきます。

( )内に信号場の開設時期/旅客扱い開始時期を記します。

信号場の開設時期が「−」になっているものは純然たる仮乗降場、日付が入っているものは信号場兼仮乗降場となります。


(臨)表記は下記の乗降場です。

・東山(S18.2.26/S24.8.1)

・姫川(T2.8.1/S26.5.19?)

・本石倉(S19.9.16/S23.7.1)

・鷲ノ巣(S19.9.1/S19.9.1)

・色内(−/S24.9.1)

・北入江(S20.8.1/S20.8.1)

・崎守町(S19.10.1/S19.10.1)

・旧白滝(−/S22.2.11)

・野上(後の新栄野)(−/S21.12.1)

・常紋(T3.10.5/S26.4.1?)


一方(仮)表記なのは下記の乗降場です。

・桂川(S19.9.1/S48以前)

・瀬越(−/T15.7.1)

・花岡(−/S31.8.20 )

・富岡(−/S31.5.13)

・番屋ノ沢(−/S30.3.26)

・興津(−/S31.9.1)

・下ノ滝(−/S31.11.1)


また、△印で信号場表記になっているのは下記の乗降場です。

・渡島沼尻(S20.6.1/S20.6.1)

・狩勝(M40.9.8/S26.4.1?)

・古瀬(S29.7.1/S29.7.1)


最後に、昭和36年当時、仮乗降場であったにも関わらず、正式な駅と同等に表記されているものは下記の乗降場です。

・北豊津(S19.7.1/S19.7.1)

・旭浜(S18.9.25/S18.9.25)


なお、1950年代の全国版時刻表には掲載されていたものの「最新鉄道路線図」には掲載がない仮乗降場もあり、北海道では室蘭本線の小幌が該当します。

小幌は昭和42(1967)年まで信号場であったはずなので、信号場や貨物駅まで網羅している昭和36年の「最新鉄道線路図」に掲載がないのも謎です。


ということで、昭和20年代開設の仮乗降場は(臨)、昭和30年代開設の仮乗降場は(仮)となるような傾向はあるかと思いますが、例外も多く、やはりはっきりしません。

鉄道管理局の違いによっても左右されてくるかと思いますので、何とも言えないところです。

(ちなみに先ほどの2枚の画像で茶色の箇所が青函局、赤が札鉄局、緑が旭鉄局、写っていませんが釧鉄局は紫で表記されています。)

特に函館本線では時刻表で(仮)となっているものが路線図では(臨)となっているものと(仮)となっているものとに分かれ、不可解な状況です。

ここまで挙げてきましたが、結局のところよく分からないのです。


補足として、羽幌線の築別以北の仮乗降場の掲載がないのは、羽幌線全通前の名残と考えられます。

幌延側(遠別以北)は現在の宗谷本線から分岐する形で天塩線として開業、留萠側(築別以南)は現在の留萌本線と一体で開通し、のちに羽幌線という路線名が与えられたもので、昭和33年10月に初山別〜遠別が開通して羽幌線が全通となるより前から花岡、富岡、番屋ノ沢、…と一連の仮乗降場が全国版時刻表にも掲載されていました(昭和33年7月号の時刻表より)。

ただし昭和31年11月号の復刻版時刻表ではこれらの仮乗降場は非掲載です。

宗谷本線に一切仮乗降場の掲載がないのと同様、天塩線として開業した区間(遠別〜幌延)にあった仮乗降場も一切掲載がないということなのだと思います。

なお開業の新しい築別〜遠別間には仮乗降場は設置されていません。



ということで、今回は路線図における仮乗降場の不可解な表記の違いについてまとめてみました。

ここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。