今回は、名寄本線の四号線(しごうせん)仮乗降場について調べてみたいと思います。 

 

仮乗降場来歴

昭和30(1955)年12月25日

 名寄本線、中湧別駅〜湧別駅間に四号線仮乗降場として開設

 

昭和62(1987)年4月1日

 国鉄民営化により、JR四号線駅となる


平成元(1987)年5月1日

 名寄本線の廃線により廃止

 


仮乗降場名の由来

かつての地区名より。

4号線は、上湧別駅と湧別駅のほぼ中間にあり、町を東西に走る通りの名です。


現在バス停が置かれていますが、名称は「湧別4号線」と書いて「ゆうべつよんごうせん」と読むようです。

実は仮乗降場名も始めから「しごうせん」だったのか、当初は「よんごうせん」と読まれていたのか、はっきりしない部分があります。

というのは、1970年代の北海道版の時刻表では、「よんごうせん」という振り仮名がしてあるものが多いためです。

昭和47(1972)年3月15日改正の北海道総局発行の時刻表には「しごうせん」の振り仮名がしてあるものの、弘済会版「道内時刻表」1974年2月号、1980年8月号は「よんごうせん」、交通公社版「北海道時刻表」1977年2月号も「よんごうせん」でした。

ちなみに昭和47年3月の北海道総局発行の時刻表は交通公社が編集しているものなのですが、湧網線「堺橋仮乗降場」に「さかいばし」と正しい振り仮名がしてあるなど、本来の交通公社版時刻表とは相違点もあります。

(市販の道内版時刻表は2社とも「さかえばし」と振り仮名をしていましたが「堺橋(さかいばし)」が正しい乗降場名です。)


「よんごうせん」の問題に関しては、堺橋仮乗降場と同様、時刻表の振り仮名が誤りという可能性が考えられ、正駅化後には「しごうせん」となっていたため、これがこの乗降場の元々の読み方なのだろうと個人的には思っています。


さらに、現在のバス停が「よんごうせん」と読んでいるため、仮乗降場名と地名とでねじれがあったと考えることもできます。



ダイヤ

そもそもこの仮乗降場が位置する上湧別駅〜湧別駅間は名寄本線、石北本線の一部の前身である湧別軽便線に由来するのですが、名寄本線の開通によって支線的な路線になってしまった区間で、列車の運転自体が非常に少なかった線区です。


手持ちの北海道時刻表で最も古い昭和37(1962)年5月号によると、当時は中湧別駅〜湧別駅間の区間列車はなく、全て湧網線に直通する列車でした。

当時はまだ5往復がありましたが、四号線仮乗降場に停車するのは3往復でした。


<昭和37年5月>

●下り(中湧別、湧網線方面)

 7:29、16:22、18:36

●上り(湧別方面)

 8:56、16:11、18:26


下り7:29(925レ)と上り8:56(922レ)、18:26(932

レ)は湧網線内も全仮乗降場停車でした。

また下りの931レ(湧別駅14:12発網走行き)は湧網線内全仮乗降場停車ながら四号線のみ通過でした。

この時代は前回の記事で取り上げた東富丘仮乗降場にも下り5本、上り6本の停車があり、まだ活気があったことが窺えます。


ところが、この翌年、昭和38(1963)年7月号の時刻表を見ると、一気に湧別〜中湧別間の運転本数が1日2往復に減少してしまいます。

四号線仮乗降場には2往復とも停車していましたが、本数の減少によって通過列車がない仮乗降場となってしまいました。


<昭和38年7月>

●下り(中湧別、湧網線方面)

 7:25、16:22

●上り(湧別方面)

 7:10、16:11


以後、廃線まで1日2往復体制でした。

途中時刻の変更により(2往復目が17時台に変更したため)中湧別〜湧別間の区間列車が出現し、全便湧網線直通ではなくなりましたが、基本的には大きな変化もなく推移しました。




巨大な「名寄本線」という「本線」の一部として計上されていたため、図らずもJRの駅となった四号線。

他の線区より長生きしたのが、路線名単位での廃止がプラスに働いたという見方もできます。

30年近くも1日2往復体制を貫いた湧別駅と四号線仮乗降場。

そのダイヤが印象的だったこの支線ですが、「四号線」の読み方にブレがあったのは今回初めて知り、記事にしてみました。


今回もここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。