今回は、季節営業の仮乗降場の中から、函館本線の謎多き嵐山(あらしやま)仮乗降場について調べてみたいと思います。

 

物の本によると、今から66年前の昭和33(1958)年、この年の6月から8月の間だけ存在したとされる嵐山仮乗降場。

 

今回、この仮乗降場を調べるにあたって、いくつか文献を参照しましたが、どうも全容が掴めませんでした。

 

仮乗降場来歴

昭和32(1957)年6月(日付不詳)

※詳細を後述します

 函館本線、伊納駅〜近文駅間に、嵐山仮乗降場として開設

 

昭和33(1958)年8月(日付不詳)

 廃止


昭和44(1969)年10月1日

 当乗降場を含む納内駅〜近文駅間が前日限りで複線の新線に切り替わったため、当乗降場跡地を含む区間は廃線

 

上記は「停車場変遷大事典」(1998年、石野哲、JTB刊)に掲載の情報です。

補足として、「旭川市史」第三巻 P.148(1981年、国書刊行会刊)ではこのようにあります(青字下線は弊ブログ筆者による加筆)。

 <以下引用>

(上略)…なお(昭和)三十年十二月旭川・稚内間にヂイゼルカー(原文ママ)運転開始され三十二年二月一日には四条十八丁目に国鉄旭川四条駅(無人駅)開設、市内東部住民に多大の便をもたらしている(注:当時は仮乗降場)。またこの年(昭和三十二年)より観光期間中ヂーゼルカーを運転、嵐山臨時停留所を開設、観光客の便を図る

<引用終わり>


また、昭和32(1957)年の時刻表にも「仮駅」の掲載があるようで、「停車場変遷大事典」の昭和33年6〜8月号にのみ掲載という記述はどうやら誤りのようです。

そして「この年より観光期間中(中略)開設」という言い回しからは、やはり複数シーズン開設がされたように読み取れます。

となると、廃止時期についても昭和33年とは断言できなくなりますが、以下の点から昭和33年の廃止の可能性が最も濃厚かと思われます。

というのも、昭和34年7月号の交通公社版時刻表(時刻表 復刻版「戦後編3」1959年7月号、JTB社刊)を参照しますと、「仮駅」発着の臨時列車は見られず、同年には開設がされなかった可能性が高いのです。

定期列車のみの停車という形で開設が継続されていた可能性もわずかにありますが、「観光期間中ヂーゼルカーを運転」という旭川市史の記述から、その可能性はかなり低いように思われます。


嵐山公園の歴史は昭和32(1957)年に旭川営林署所管の国有林地区の無償貸与を受けたことに始まり、昭和40(1965)年11月に風致公園として開園しました。

嵐山公園の整備が開始された同年に嵐山仮乗降場が開設されたということになるでしょうか。

なお旭川市史によると、昭和31年に逝去した旭川ゆかりの歌人、酒井広治の歌碑(嵐山歌碑)が昭和33年6月に「嵐山の頂上、眺望絶佳のところ」に建てられたとあります。

現在は嵐山展望台となっている地点です。

また「神居古潭及び嵐山を含む地域」「近文山上の開拓記念碑を含む地域」で大公園の構想が戦前からあり、昭和30(1955)年10月にこの地に北海道自然博物園の設立が決定しています。

嵐山公園の開園は昭和40年となっていますが、昭和32年の嵐山仮乗降場開設時には既に観光地としての整備が進んでいたことが窺えます。


ではこれだけ嵐山の観光がこれからという時代にもかかわらず、昭和33年を最後に以降開設されなくなったのは何故でしょうか。

旭川市街軌道㈱は昭和31年に電車事業を全廃、旭川バス株式会社に社名変更しバス専業となりますが、昭和33年6月より嵐山線の運行を開始したと旭川市史にあります。

一方で国鉄函館本線は後述の「ダイヤ」の項でお目にかける時刻表を参照して頂くと分かりますが、普通列車も客車列車がほとんどで、「観光期間中ヂーゼルカーを運転」とあるところから、嵐山乗降場が長大な客車列車に対応できるほどのホームを持たなかった可能性は高く、わざわざ「ヂーゼルカーを運転」しなければならない臨場乗降場を開設したところで通年運行のバスに利便性で適わないのも想像でき、昭和34年シーズン以降開設しなかったと推測しています。

ちなみに昭和33(1958)年といえば北海道全域でお馴染みとなる「キハ22」の製造がやっと始まる時期ですので、当時北海道にいた普通列車用の気動車といえばまだキハ12、キハ21やキハ04、そしてレールバスのキハ01やキハ03くらいのもので、臨時列車に使用できる車両数はまだまだ多くはなかったものと思われます。



仮乗降場名の由来

当乗降場が設置された目的地である嵐山公園の名から。

当地の嵐山は、明治期に開拓使が視察した折、京都の嵐山に似ていることから命名しました。

 

 

ダイヤ

確実に仮乗降場が存在した期間中の昭和33年7月号の全国版の時刻表を見てみますと、確かに「嵐山(仮駅)」の文字が函館本線の時刻表に見て取れます。


●下り列車(嵐山始発の臨時列車)時刻



●上り列車(嵐山止まりの臨時列車)時刻


交通公社刊「時刻表」昭和33年7月号より


季節営業だったようですが、停車列車の本数などの実態はよく分かりません。

ただし、上掲の時刻表からは、土休日に限って、旭川から嵐山仮乗降場までの区間列車が1日2ないし4往復設定されていたことだけは読み取れます。

他の通常の営業列車が停車したかどうかは道内版の時刻表を確認すれば分かるのでしょうが、1950年代の道内版時刻表というのは滅多にお目にかかれません。

(仮乗降場という性質上、恐らく客車列車は停車できなかったと思われます。)

全国版の時刻表に姿を見せたのは、昭和32年、33年の2箇年のみということになるようです。


ちなみに鉄道弘済会が発行していた「道内時刻表」は昭和35(1960)年創刊、交通公社が発行していた「北海道時刻表」は昭和19(1944)年からあるようです。

昭和33(1958)年当時には、まだ弘済会版は出版されていなかったことになりますね。

弘済会版は初期のものでは仮乗降場の掲載が少なく、交通公社版の方が情報量は多い傾向にありますが、交通公社版には標津線の多和仮乗降場の掲載がなかったりと、両者には微妙な毛色の違いがあります。

 

 


 

いまだに不明な点も多い「嵐山」仮乗降場。

私ごとき素人の一個人が調べたところで全容を解き明かすことはできませんが、仮乗降場をご紹介していく上で避けては通れず、またご閲覧者さまから情報提供があればと思い、今回記事に致しました。


中途半端なところで結びとしてしまい大変恐縮ですが、ここまでお読み下さいまして、誠にありがとうございました。



参考文献
「停車場変遷大事典」(1998、JTB刊)
「駅名来歴事典」(2022、JTB刊)
「時刻表」昭和33年7月号(交通公社〈現・JTB〉刊)
「復刻版時刻表 戦後編3」昭和34年7月号(JTB刊)
「旭川市史」(1981、国書刊行会刊)
「旭川市公園緑地協会」公式サイト
「レスポンス」2017年3月4日記事(下記;2024年6月12日閲覧)