今回は、渚滑線の雄鎮内(ゆうちんない)仮乗降場について調べてみたいと思います。 

開設は昭和30(1955)年12月25日、渚滑線のほか名寄本線、湧網線に、同時に誕生した仮乗降場が多数存在します。

渚滑線は名寄本線の渚滑駅(紋別市)から南西方向に渚滑川に沿って内陸へと入っていく、北見滝ノ上駅までの34.3kmの路線でした。

 

仮乗降場来歴

昭和30(1955)年12月25日

 渚滑線、滝ノ下駅〜濁川駅間に雄鎮内仮乗降場として開設

 渚滑線では同時に十六号線、上東、奥東仮乗降場が設置


昭和60(1985)年4月1日

 渚滑線の廃線により廃止

 


仮乗降場名の由来

本多貢氏「北海道漢字地名解」の「御鎮内(おちんない、網走・滝上町)」を参照したところ、アイヌ語の「オ・チン・ウン・ナィ」(o-chin-un-nay:川尻に張り枠のある川)からきているようです。

地名は「雄鎮内」とも表記されるようですが、その読みは「おちんない」である一方、仮乗降場名だけが「ゆうちんない」という読みでした。

アイヌ語の「chin」は「獣皮を乾かすための張り枠」を意味し、地名にしばしば出てくる語です。

「北海道の駅 878ものがたり」では「渚滑川左岸の支流の名からと思われる。意味不明。」とあり、多少の謎を含んだ地名です。

なお、「角川日本地名大辞典」や山田秀三氏「北海道の地名」では言及されていない地名です。



ダイヤ

渚滑線では末端の濁川駅〜北見滝ノ上駅間を除いて、全ての正駅間に一つずつ仮乗降場が設置されていました。

その中でも雄鎮内は最も終点に近い仮乗降場ということもあり、利用者は少なかったようで、停車列車は少なめでした。


<昭和39年6月>

●下り(北見滝ノ上方面)…通過3本

 9:12、14:43、16:53、18:07、20:19

●上り(上渚滑、渚滑、紋別方面)…通過3本

 5:52、7:05、17:28、19:40、21:58


この当時は下りについては渚滑線内で最も停車列車が少ない仮乗降場でした。

上りについても停車本数自体は元西、奥東と同数でしたが、やはり線内では最も少ない停車本数でした。

特に上りで日中10時間以上間隔が開くのは元西と雄鎮内だけでしたが、この間に3本の列車が立て続けに通過するというのはなかなか厳しいダイヤだったと言えるでしょう。



<昭和47年3月>

●下り(北見滝ノ上方面)…通過1本

 6:23、14:33、17:01、18:08、20:09、23:34

●上り(上渚滑、渚滑、紋別方面)…通過3本

 6:56、17:28、21:34


この時代は朝一の上りが通過に変更された他、運転本数自体も削減されたため、停車本数は減少していますが、他の乗降場と比べ相対的に停車本数は多くなり、

上りは奥東の停車本数2本(朝のみ)が最少となりました。

一方、下りは朝の通過列車が停車に改められたことで初列車が大幅に繰り下げられたほか、最終列車が停車に改められました。

運転本数も削減されていますが、削減された列車が当乗降場通過の便だったため停車列車の比率が高まり、こちらも線内最少を脱却して十六号線や奥東より停車本数が多くなっています。

これらの結果、上下で停車本数が大きく異なる不思議なダイヤとなりました。

以後、昭和60年の廃止まで、停車本数も変化なく、概ねこのダイヤで推移していくことになります。


仮乗降場周囲は農村が広がっており人家も点在していたことが国土地理院の空中写真から読み取れます。

また現在の道道932号と渚滑線とが交わるところに「おちんない」という乗降場が地理院地図(昭和48年版)には描かれています。

隣の濁川の集落は大きなものですが、雄鎮内仮乗降場周辺も人家は疎らであるものの需要が全く無かったわけではなさそうで、「正駅を設置するほどではないが、ある程度の需要が見込まれる」という、仮乗降場の設置にはうってつけの地勢であったと推測されます。

なお、雄鎮内仮乗降場は濁川駅から実キロで2.3kmとのことです。

(この距離なら日中10時間列車が来なくても降雪期でなければなんとか濁川まで歩けそうではありますが…。)


余談になりますが、地図を見ると雄鎮内の地内では渚滑川の右岸に「オシラネップ川」という支流があり、「おちんない」という地名との関連性が気になるところです。

「北海道の駅 878ものがたり」で言及されている左岸側の支流については現在それらしい一次支流は見られず、五十二左川(「北海道の地名」ではアブカナイ川となっている支流で、渚滑川の左岸側の一次支流)の支流(渚滑川から見て二次支流に相当)にそのような川があるのかもしれませんが、よく分かりませんでした。




今回はその名前が印象的だった「雄鎮内」を取り上げてみました。

名寄本線とその沿線の路線に多数あった仮乗降場の一つで、特に目立つ存在ではなかったかもしれませんが、アイヌ語地名を採用した仮乗降場名として貴重な存在でした。


今回もここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。