旧版の路線図を見ていてたまたま見つけたのですが…。


ちょっと気になる記述がありました。

昭和27(1952)年に出版された全国版の路線図で、これは「鉄道友愛会」が発行した「鉄道職員用 模範鉄道線路図」という路線図の一部です。

湧網東線(のちの湧網線)のところにご注目下さい。



これを見ると、二見ケ岡駅、卯原内駅に(臨)という印が付されています。
仮乗降場か臨時乗降場だった時期があったのでしょうか?

「駅名来歴事典」にはそのような記述はなく、そもそも開業は路線図発行の17年も前、昭和10(1935)年ということなので(網走駅〜卯原内駅間の開通と同時)、単なるミスの可能性が高いですが…。
もしも、昭和10年以前の古い記述が直されずに引き継がれていたのだとしたら…。
昭和10年の正式な開業の前に先行して仮乗降場的に営業していたという可能性もゼロではなく、だとしたら、なんだかロマンのある話になりますね。
全ては想像上の話でしかありませんが。
(普通に考えて、常呂駅までの延伸を反映した時点で、昭和10年の情報から更新されていると思いますので、可能性は極めて低いでしょう。)

他にも北浜駅の(臨)の印や、野上仮乗降場(のちの新栄野)、布川仮乗降場(昭和31年より正駅)が無印である点など、気になるところはありますね。
この路線図の正確性自体が信頼できるものではないという可能性もありますが…。

というのも…、
現在の東武野田線にあたる路線に、戦時中(昭和20年5月)に休止になった「加倉」、「渋江」(昭和25年廃止)、「土井」(昭和22年廃止)、「武州川辺」(昭和30年廃止)といった駅が残されていますので、情報の更新が追いついていない路線図であったことは確かです。
武州川辺の隣にあった米島駅(昭和18年に新設、戦時中の休止はなく南桜井駅の移転に伴い昭和31年に廃止)は記載がありません。
米島駅はそもそも新設されたことさえ反映されていないとも考えられます。
(参考文献:「東武鉄道100年史」)

なお上図中、佐貫駅から出ている路線に「人池」という表記が見えますが、これも「入地」の誤植です。


今回は小ネタでしたが、お付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。