平成30(2018)年3月17日に廃止となってしまいましたが、根室本線には羽帯(はおび)駅という駅がありました。

新駅の設置が活発だった昭和33(1958)年、この年の9月10日に十勝清水〜御影間(上川郡清水町)に新設され、開業当初より無人駅だったようです(北海道鉄道百年史《下》)。

同じ日に開業した駅として網走本線(後の池北線)薫別駅、分線駅があります。


北海道の国鉄駅の駅名由来は「北海道 駅名の起源」という書籍が何度も改訂されながら出版されてきましたので、現在刊行されている北海道の駅名の由来を紹介した書籍では、これらが元にされている場合が多いです。


「北海道 駅名の起源」の歴史は古く、昭和4(1929)年に初版が発行され、昭和17(1942)年までは永田方正氏やジョン・バチェラー氏、磯部精一氏といった明治以前の古い時代の説をベースにしていました。

昭和25(1950)年に改訂された版からは知里真志保氏、高倉新一郎氏、更科源蔵氏といった当時のアイヌ語研究の第一人者を迎え全面的に刷新され、主にこの時の説が現在も継承されてきています。


弊ブログでも国鉄駅の駅名の由来を参考にさせて頂いているのが、富士コンテム刊「北海道の駅 878ものがたり」(本稿冒頭にてご紹介させて頂いています)という本ですが、この書籍も「北海道 駅名の起源」の説を全面的にベースにしつつ、新たな説や知見を加えて著されています。


このように長い年月と多くの専門家の方々の熱意によってブラッシュアップされてきた北海道の駅名の由来に関する書物ですが、稀に謎のアイヌ語説が長らく見直されぬまま残されてしまっているものがあります。


その筆頭というか、昔から個人的に気になっていた代表格が、表題の「羽帯駅」の由来なのです。


羽帯駅は前述の通り、昭和33年の開業なので、「北海道 駅名の起源」に登場するのはそれより後の版、昭和37年版からとなります。

知里真志保氏が鬼籍に入られたのが昭和36年6月9日ですので、昭和37年版から新たに追加された新駅に対しては、知里氏の研究成果があまり反映されていないかもしれません。

知里氏はご自身もアイヌのご出身で、金田一京助氏に師事した言語学者です。

弊ブログでもお世話になっている「地名アイヌ語小辞典」を執筆された方で、「北海道 駅名の起源」の巻末にあるアイヌ語集も「地名アイヌ語小辞典」が元にされているほか、アイヌ語の表記法や文法を体系立てて明快な解説を遺された方でもあり、アイヌ語地名の研究の分野では大きな功績を遺されています。


知里氏の説にも異同はあるかと思いますが、明確に否と断定できるほどの論理的かつ合理的な対案を出すことが現代では難しくなり、現状では知里氏の説が最も説得力があるというケースが多いです。

知里氏と研究を共にしたこともある山田秀三氏も知里氏とは異なる見解を持つ場合もありつつ、ご自身の足で稼いだ研究成果と両論併記で丁寧に解説しておられますが、山田氏も平成4(1992)年に亡くなられています。


さて、話が逸れてしまい申し訳ありませんが、「羽帯駅」の由来に戻りましょう。

「北海道の駅 878ものがたり」から引用します。

”付近に「ホネキップ川」(長い帯状の美しい川の意)が流れ、その近くを羽帯地区と称していたところから、この地区名を駅名とした。”

これは細かい表現の違いこそあれ、昭和37年版の「北海道 駅名の起源」の記述と同一です。

この「ホネキップ」というアイヌ語?が何なのか、私には分かりませんでした。


結論から申し上げますと、「羽帯」の名は「ホネップ」から来ているようです。

元々は「羽帯」と書いて「ポネオプ(ハネオビ)」と読ませていたことが分かっています。

(旧仮名遣いではしばしば濁点・半濁点は欠落します。)

恐らく、どこかの段階で、手書きの「オ」が「キ」に誤写され、「ホネキップ」となって伝わってきたのではないかと私は推測していますが、確証はありません。

また「美しい帯状の川」という対訳ですが、これは本当に謎です。

「ポニオプ」に「羽帯(はねおび)」という字を当てた際にそういう意味を込めて当て字をしたのかもしれません。

「ホネオップ」「ポニオプ」の原義ですが、これはアイヌ語の「ポニオㇷ゚」(pon-i-o-p:小さい「それ」の多い処)です。

「i(それ)」は地名では熊や蛇などを直接言い表すのを忌避する場合によく使われます。

ここでは「小さい蛇」のことを指すと考えられ、「ポニオプ(ポン・イ・オ・ㇷ゚)」全体では「小さい蛇の多い処(川)」という意味になります。


アイヌ語地名を紐解くには土地のアイヌの伝承も大事ですし、現地に実際にそういう場所があることを確かめるのも大事です。

ですが、この「羽帯」のケースでは、古い時代にアイヌからの聞き取りをして文字に残した和人の記録を確認するという作業が抜け落ちてしまったための誤訳のように思います。

現在のアイヌ語地名は明治以降の和人とアイヌの同化を経てかなり訛った形になっている場合が多いのと、漢字を当ててしまったために漢字の読みに引かれて発音が変わってしまったものもあるので、江戸期・明治初期の地図上の表記も確認できたらすべきなのかもしれません。

素人の私が言える立場ではありませんが…。


今回は「ホネキップ川」に長らく悩まされた後に、「ポニオプ」の記録に触れる機会があって、長年の疑問がすぅっと氷解したスッキリ体験をした時の私の個人的な体験談でした。


ここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。