今回は、広尾線の幸福(こうふく)仮乗降場について調べてみたいと思います。 

広尾線は根室本線の帯広駅の根室方から分岐し、十勝平野を南下し広尾駅までの84.0kmを結ぶ長大な盲腸線でした。

昭和40年代後半に全国的なブームとなり、廃止から37年が経過した今なお観光名所として有名な旧国鉄広尾線幸福駅。

いかにも北海道らしい板張りホームに、ローカル列車の代名詞的なキハ22形気動車が保存されている様は画になりますが、その姿から察せられるように、生来の正駅ではなく、仮乗降場に出自を持つ駅であるということはあまり知られていないかもしれません。

その生い立ちについても考察してみます。


 

仮乗降場来歴

昭和27(1952)年以前?(※詳細後述)

 広尾線、大正駅〜中札内駅間に、幸福仮乗降場として開設


昭和31(1956)年11月1日

 正駅化、幸福駅となる


昭和62(1987)年2月2日

 広尾線の廃線により廃止

 

※仮乗降場としての開設日について

「停車場変遷大事典」では典拠が示されていないものの「昭和31年8月26日?」とあります。

ただし、昭和27年交通公社発行の「最新全国鉄道線路図」には既に幸福の文字(仮乗降場を示す旨の記載は他の仮乗降場共々、この路線図にはありません)が記載されているので、この時点では仮乗降場として存在したのは間違いないと思われます。

ちなみに、昭和30年代には新駅を設置する際に、正式な開業を待たずして仮乗降場として先行して営業を開始するケースが多く、もし「停車場変遷大事典」の通りなら、幸福駅もそのケースの可能性が高いですが…。


なお国土地理院が提供している空中写真には、ちょうどこの時代のものがなく、判断できませんでした(正駅化前最後の撮影が昭和23年で、不鮮明ではあるもののこの時点では乗降場のようなものは確認できません)。

昭和31年版の地形図(幸震〈さつない〉)では幸福仮乗降場はまだ描かれていません。

地理院地図で仮乗降場まで網羅するようになったのは、昭和40年代に入ってからという傾向があります。

もちろん例外もあるかとは思いますが。



仮乗降場名の由来

元々は「サツナイ」という地名で、アイヌ語の「サッ・ナィ」(sat-nay:乾いた川)からきています。

乾いた川というのは、降雨などで水量が多い時にだけ水が流れ、普段は川底の小石だけが帯状に続いているような地形を指すようです。

川はアイヌの人々にとっては交通路でもありますから、こうした地名は各地に残っています。

この「サツナイ」にここでは「幸震」という字を当てましたが、読みにくいため早いうちに「こうしん」という読みに変わってしまいました。

この「幸震」の「幸」の字と、福井県からの移住者が多かったことから郷里の「福」の字を合わせて「幸福」としたものです。


「さつない」に一風変わった「幸震」という字を当てたのは、一つには同音の地名が道内に多数あることによるものと思われますが、十勝地方では他の地名でも少々変わった字を当てる例が散見され、字を当てた人がかなり博識だったこともあるのではないかと考えられます。

「幸」は「さち」、「震」は古語で「なゐ」(地震の意)と読ませて「幸震(さつない)」の字を当てたようです。


昭和37年版の「北海道 駅名の起源」によると願望も込めて「幸福」とした旨の記載があります。

なお同著によればこの時点で駅員無配置駅となっており、恐らくは正駅化当初より無人駅であったと思われます。



ダイヤ

数としては多くない、釧路鉄道管理局管内の仮乗降場です。

また広尾線では唯一の存在です。


昭和31(1956)年11月号の交通公社全国版時刻表は復刻版が出ていますのでそちらを参照すると、正駅化前の編集のためか、幸福駅は未掲載でした。

私の手元にある、次に古い時刻表である昭和33(1958)年7月号を参照すると以下のようなダイヤでした。


<昭和33(1958)年4月25日改正>

●上り(帯広方面)

 7:08、9:59、12:02、15:17、17:48、20:01

●下り(中札内、広尾方面)

 6:41、8:56、12:19、14:17、16:55、18:08、19:35

※全列車停車


昭和31年11月号の時刻表の時点では客車列車が残存していましたが、昭和33年の4月改正の時点では、全列車が気動車による運行になっています。

最終の下り列車は中札内止まりです。



<昭和39(1964)年6月>

●上り(帯広方面)…2本通過

 7:16、9:36、12:36、16:41、19:20

●下り(中札内、広尾方面)…1本通過

 9:16、11:45、13:45、16:17、18:22、19:36


正駅化直後は全便停車だったものの、この時代には通過列車が出現します。

これは仮乗降場に出自を持つ幸福駅に限ったことではなく、依田駅、北愛国駅、十勝東和駅、新生駅にも通過列車が設定されています。

なお最終下りは中札内行きから広尾行きに変更されており、全列車が帯広〜広尾間での運転となっています。



<昭和47(1972)年3月15日改正>

●上り(帯広方面)…1本通過

 7:14、9:26、14:46、16:45、19:38

●下り(中札内、広尾方面)

 6:14、8:37、13:42、16:22、18:43、20:50


この頃は、下りは全列車が全駅停車になっており、上りのみ夜に依田、北愛国、幸福、十勝東和、新生の各駅を通過する列車がありました。

(依田駅のみ上り2本が通過のため、上り最終列車は17:10)

また広尾線全体で1往復減少し6往復体制となっています。


幸福駅ブーム後の昭和52(1977)年のダイヤでもパターンは全く同じでしたが、下りの初列車が依田駅を通過するようになっています。

最終列車の時刻がやや遅くなり、上りは19:59、下りは21:18となっていました。



<昭和61(1986)年3月3日改正>

●上り(帯広方面)

 7:15、8:51、12:24、15:35、18:19、21:42

●下り(中札内、広尾方面)

 6:43、8:35、14:46、17:19、19:48、20:51


廃線前最後のダイヤ改正以降の時刻です。

この頃になると通過列車がある駅は依田駅のみとなり、その他全駅が全列車停車となっています。


昭和50年代には夏季など行楽シーズンに臨時列車が運転されており、通過駅も多い中で幸福駅には停車するようなダイヤが組まれ、人気の高かったことが窺えます。

(さすがに臨時急行「大平原」は停車していなかったようです〈昭和50年7月号道内時刻表より〉。)





今なお伝説として語り継がれる幸福駅。

廃止されてもなおスポットライトが当たり続ける観光名所の、スポットライトの当たらない謎めいた歴史の部分を取り上げてみました。


今回もここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。