安曇の庭にいたものは〜犀龍と道祖神 | かんながら

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旅の記録です

 
伊勢平氏おじさんとは気分の悪い別れ方をした。
このパターンも続いてる。
なにわの審神者(さにわ)からは3度目の絶交を言い渡された日、
こちらはわたしの方がキレて伊勢平氏おじさんとの関係が終わりに。
 
 
わたしの方は運は良くなったが体調にどっと来たから、
おじさんは大丈夫か探りをいれたらあちらの方はご機嫌で体調もよさそうだった。
どうもわたしの方にきたみたい。具合の悪いのは。
 
運気は格段によくなるんだけどね。というか、元に戻ってよくなる、というか。
 
おじさん、はっきりいってわたしの愛すべき疫病神。
根底に残ってる不純物全部、一気に浮かび上がらせてくれる存在。
 
 
伊勢平氏おじさんの方は今までのお掃除が間に合ってなくて、わたしと縁してどっときたみたい。
話を聞いてて、わたしと出会う前までに運は悪い人だった。
生まれながらに運のよい人も、生き方が違ってると「違うよ」ってお知らせがくる。
「違うよ」ってお知らせの「運の悪いこと」が起きるのも、運がいいってことだとわたしは思う。
 
 
 
伊勢平氏おじさんとは2日連続飲みにいくっていう今までにないパターンがあったけど、
新宿花園神社の酉の市と重なる日で、あれはまちがいなく「徴(しるし)」だったと思われる。
 
(ちなみに酉の市の由来を調べていたら「酉妙見」なる言葉を発見)
 
2日目に嫌な感じに戻って(梅と桜は出会ってはいけない!? 〜過去の約束という鎖は、よい未来のために断ち切ろう)、やっぱりな、って思った次第。
 
 
人って、「一貫している自分」がある、って思ってるけど、瞬時にいろんなものが入る。
霊止(ひと)って書くこともあるけど、「なにかが憑りつく」ってかんじる。
いろんなものが、さっとのって、消えていく。
 
 
あのときのおじさん、多少は回心したかと思ってたのに、たしかに「卑怯なずるいやなやつ」に戻ってたもん。
 
 
そういう意味では、「相手は自己の投影」っていう考えはそうなのかもな、って強く思う。
だって、気持ちというのは目まぐるしく変化する。
それにふさわしいものをみるんだったら、やっぱり「他人」なんて存在しない。
 
全部自分。
 
 
ただ、この世界の面白いのは、どうも霊なのか、自分が知覚していない自分なのかわからないけど、
いわゆる「自分」じゃないものが存在していて、それによって「自己」が影響されてしまうっていうことかな。
 
 
だからといって、
「餓鬼霊が憑依して盗んだのであって、わたしが盗んだのではない」
とかいってもこの世のルールではそこから免れることはできない。
 
 
ニュースをみるのはだからしんどい。
「明日は我が身」って思うから。
 
 
とにかく自分ができることは、自分自身がやっていることを注意深く観察して、
この世の「ルール」を犯すことだけはないように注意することだけである。
 
ちなみに「マナー」で、起きることは感情の問題なので、
自分がその後に起きることを含めて受容できるなら自分軸で判断してよしとしている。
 

 

新嘗祭の明治神宮。

日常よりは晴れやか感あるけど、年々特別感はなくなってきているような感じがするのは、

気のせいなのか、コロナのせいなのか。

 

 

だいたい、

「新嘗祭までは新米食べない」

なんて人も少なくなったろうし。

 

 

当たり前のように、外食で口にするのはこの時期は、すでに新米である。

 

 

天皇陛下も、この日までは新米をたべないでいてくださっているのだろうか。

そんな喜憂は無礼だと思うけど、祭も儀式も形骸化している今、皇室が守ってきた伝統ってすごく大事ってかんじる。

だから、同じものを引き継いでいるはずのひとたちがいたら、それはとてもありがたいことだ。

 

 

「霊止(ひと)」って書いたけど、霊や(人が名付けた)神がいたとしたら、

それは意味があって「ルール」としたのであるから、

約束を守っていることを喜ぶはずである。

 

 

たぶん、祭はたんなる「マナー」ではなく「ルール」なのである(謎)。

 

 

 

新嘗祭は、太陽暦(新暦)を採用されるまでは太陰暦(旧暦)11月の「なか卯=二の卯」にあった。

つまり、冬至の頃。
星祭の時期でもある。
 
だって太陽が一番弱まる時期だから。
 
わたしには、「これからはじまる」って予感があって「暗い」印象はないけどね。

 

 

新嘗祭終えて、久しぶりの安曇野。

 

新宿に行くとここを通る。

映画「天気の子」の街の病院。

主人公のお母さんも、うちのくまさんも、ここに入院した。

この景色をみるたびに、あの一連のこと(そして、またくくりの日 〜虹と歩んだ2年半。)は「普通じゃない」って思い出す。

 

与那原のヒロさんから託されたもの。

そこからシロクマさんのヒロさんから託されたもの。

 

「島の子を生んでほしい」

 

「特攻隊」

 

ここの奥深くに流れるものは、わたし自身が強く願っているなにかと関わってるのだろう。

あと、因縁深すぎる伊勢平氏おじさんとも。

 

 

 

この日は車内から富士山がよく見えた。

富士山は、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)って言うけど、富士吉田の火祭り(吉田の火祭Wiki)で、不思議な祭をみたから、わたしは別の印象をもっている。

 

吉田の火祭

 

 

 

真っ赤にした富士山の形の神輿を地面に叩きつける。

大体、神輿を地面に叩きつけるってどうよ?

そして、「すすき」を持って諏訪神社の境内をぐるぐる回って終わる。

 

当時はなんのことだかさっぱりわからなかった。

「すすき」

 

今は、「すす」=「狼煙(のろし)」って聞いた(珠洲は、狼煙〜 今度こそ、の、くくりの旅へ)から、

あの当時よりはなにか手がかりがあるような気がする。

 

 

穂高神社。

駐車場がある立派な方の鳥居。

本来の参拝路とは違う場所にある。

 

 

なんと穂高神社でも「手筒花火」があるのか。
伊勢平氏おじさんとヨギの治療師ゆかりの豊橋でポスターをみて、
「手筒花火」なにかある!と思ってるけどまだ解けていない。
 
ふたり(のルーツ)は間違いなくかぶるところがある。
馬なのか鹿なのか。
こちらもふたりとも「内藤新宿」の行きつけのビール屋が同じという偶然、というかもはや美志摩の必然。
 
看板を使い回してくれていたことで初めて知った。
 

 

安曇野名物?道祖神。

今まで興味がなかった。

 

でも安曇野といえば、道祖神なんだって。

 

 

「塞(さい)の神」っていうらしい。

それも茨城に行くようになって、白山のサルタヒコからレクチャーしてもらって知った。

チベット密教にもおなじように、里との境界線に、男女一対の神をおいて、守り神というかマレビト(来訪神?)の直接の影響をうけないように守った、みたいなことだった。

 

 

境界線の守護神。男女一対の。

ここにある意味は?

 

マレビトもなにも、海人族の安曇族は、船で、ここ安曇野を最終の場所と定めた、って聞いたよ。

安曇族を迎えた境界の守護神が、道祖神?

道祖神は、逆にいうとつまり、マレビト、海の向こうからの来訪者の存在をあらわすものでもある。

 

そのままじゃん。

 

ってことは、もとからいた人たちがいた、ってことでもある。

 

 

ところで「境界の守護」って聞いたことがあるって思ったら、過去に書いてた(靖国神社の桜にコロナを思う)。

夢でみたんだった、黒い闇。

そしてそこで生まれて初めて「神さま!!」って呼んだときイメージしたのがサイババだった(神さまはいるのか?)。

 

 

砂岩でできた道祖神は珍しいらしく、ここにはそれもある。

 

 

ちなみに、本来の参拝路から歩くと、入り口に弁財天が祀られてて、

道祖神の中を歩いていくようになる。

 

 

ものぐさ太郎。

通うようになってようやくわかってきたけどこれもまたなかなか興味深いお話(安曇野へ 〜神々しい山々を眺めながら)。

皇族との関わりを感じる物語。

 

 

で、今回は、「犀龍(さいりゅう)」がようやく目にとまる。

 

むかしむかし、松本、安曇(あずみ)の平(たいら)は山々のさわから落ちる水をたたえた湖でした。そして、ここに犀龍(さいりゅう)という者が住んでいました。

また、ここから東の高梨(今の須坂市高梨あたり)というところの池には、白竜王という者が住んでおり、やがて鉢伏山(はちぶせやま)というところで、二人の間に男の子が生まれました。

日光泉小太郎と名づけられた男の子は、放光寺山(今の松本市城山)あたりでりっぱに成長しました。泉小太郎が大きくなるにつれて、母の犀龍は自分のすがたをはずかしく思い、湖のそこにかくれてしまいました。

小太郎は、こいしい母の行方(ゆくえ)をたずね回り、熊倉下田の奥の尾入沢(今の松本市島内平瀬と田沢のさかいのあたり)で、やっとめぐりあうことができたのです。

母の犀龍は、小太郎にしずかに語ってきかせました。「私は、本当は諏訪大明神の化身(けしん)なんですよ。氏子(うじこ)を栄(さか)えさせようとすがたをかえているのです。おまえは、この湖をつきやぶって水を落とし、人の住める平地をつくるのです。さあ、わたしの背中(せなか)に乗りなさい」

言われて小太郎は、母犀龍の背中に乗りました。この地は今も犀乗沢(さいのりざわ)とよばれています。二人は、山清路(今の東筑摩郡生坂村山清路)の巨岩をつきやぶり、さらに下流の水内の橋の下(今の長野市信州新町久米路橋あたり)の岩山をつきやぶり、千曲川の川すじから越後(新潟県)の海まで乗りこんで行きました。

こうして、安曇平の広大なと地ができたのです。そして、小太郎と母犀龍が通った犀乗沢から千曲川と落ち合うところまでを、犀川とよぶようになりました。その後、小太郎は有明の里(今の北安曇郡池田町十日市場)でくらし、子孫(しそん)は大いに栄えたといいます。(長野県HPより引用

 
 

犀(さい)龍か。

塞(さい)の神=道祖神。

狭井(さい)=大神神社の狭井神社=神武天皇の妻。

 

諏訪大明神の化身だって。

犀龍。

 

諏訪の神様。

越後までの水路をつなぎ、安曇野に豊かな耕作地を作った。

 

塞の神。

犀の神。

 

 

 
穂高神社とのご縁は、2018年に嶺宮登拝をご一緒させていただいたとき。
これもしろくまさんとの最後の山登り。
学生時代に体力的に無理とあきらめた奥穂高にこの歳でいけると思わなかった。
とにかくいろんな幸運が重なっての御用。
 
 
内観研修所。
わたしはもう内観しなさい、って言われなくなった。
 
でも、内観って普通の人にはとてもいいと思う。
わたしずっと内観し続けてたの。
 
 
だって、わたし、幸せを数えていないと生きていけないくらいしんどい人生だったから。
 
 
おかげさまで今もしあわせでいられる。
 
 
みんな文句ばっかりいってるけど、それはしあわせだからだって思う。
本当に苦しいときって苦しいこと数える余裕ないんだもん。
 
 
わたし、自分自身もいろんな人の相談を受けてきたけど、苦しい人ほど、
 
「もっと自分に優しくなって!」
 
って叫びたくなるほど、自分に厳しい。
 
 
でも、その人たちに、それを言ったら心が折れて立ち上がれなくなるのも知っている。
見守るのみ。
 
 
同じ思いの仲間がいる、って知ってもらうだけでいい。
わたしも、そんな人たちの存在に支えられている。
言葉にはださなくても。
 
 
 
散歩にいったら、裏山で磐座を見つけた。
 
うっかり森に引き寄せられていったら、あるとき道がなくなってて、
迷子に。
崖を木々につかまりながらおりて日暮れ前に間一髪で下山。
 
 
気をつけてたつもりだったのに。
 
 
帰りは車に乗せてもらって、諏訪湖をドライブ。
 
 
富士山みえた!
 
 
帰ってしばらくのところでなにわの審神者(さにわ)が、一緒にいくはずだった安曇野に行った報告のために電話してきた。
「報告だけしとこうと思って」って。
 
なんか、伊勢平氏おじさんに対するわたしみたいだな。
 
あ、そういえば、この人もヒロさんだった。
向こう10年のガイドだって思ったんだった。
だから、絶交しても様子見にこさされるんだろうな。
わたしの伊勢平氏おじさんのごとくに。
 
彼も、諏訪湖できれいな富士山をみたといっていて、
なるほど、あのときわざわざ諏訪湖に降りたっていうのはそういうことだったのか、とわかった。
 
 
 
東京で、わたしにとって今年最初の霜柱観測日。
星の季節のはじまり。
 
 
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