新嘗祭の明治神宮。
日常よりは晴れやか感あるけど、年々特別感はなくなってきているような感じがするのは、
気のせいなのか、コロナのせいなのか。
だいたい、
「新嘗祭までは新米食べない」
なんて人も少なくなったろうし。
当たり前のように、外食で口にするのはこの時期は、すでに新米である。
天皇陛下も、この日までは新米をたべないでいてくださっているのだろうか。
そんな喜憂は無礼だと思うけど、祭も儀式も形骸化している今、皇室が守ってきた伝統ってすごく大事ってかんじる。
だから、同じものを引き継いでいるはずのひとたちがいたら、それはとてもありがたいことだ。
「霊止(ひと)」って書いたけど、霊や(人が名付けた)神がいたとしたら、
それは意味があって「ルール」としたのであるから、
約束を守っていることを喜ぶはずである。
たぶん、祭はたんなる「マナー」ではなく「ルール」なのである(謎)。
新嘗祭は、太陽暦(新暦)を採用されるまでは太陰暦(旧暦)11月の「なか卯=二の卯」にあった。
新嘗祭終えて、久しぶりの安曇野。
新宿に行くとここを通る。
映画「天気の子」の街の病院。
主人公のお母さんも、うちのくまさんも、ここに入院した。
この景色をみるたびに、あの一連のこと(そして、またくくりの日 〜虹と歩んだ2年半。)は「普通じゃない」って思い出す。
与那原のヒロさんから託されたもの。
そこからシロクマさんのヒロさんから託されたもの。
「島の子を生んでほしい」
「特攻隊」
ここの奥深くに流れるものは、わたし自身が強く願っているなにかと関わってるのだろう。
あと、因縁深すぎる伊勢平氏おじさんとも。
この日は車内から富士山がよく見えた。
富士山は、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)って言うけど、富士吉田の火祭り(吉田の火祭Wiki)で、不思議な祭をみたから、わたしは別の印象をもっている。
吉田の火祭
真っ赤にした富士山の形の神輿を地面に叩きつける。
大体、神輿を地面に叩きつけるってどうよ?
そして、「すすき」を持って諏訪神社の境内をぐるぐる回って終わる。
当時はなんのことだかさっぱりわからなかった。
「すすき」
今は、「すす」=「狼煙(のろし)」って聞いた(珠洲は、狼煙〜 今度こそ、の、くくりの旅へ)から、
あの当時よりはなにか手がかりがあるような気がする。
穂高神社。
駐車場がある立派な方の鳥居。
本来の参拝路とは違う場所にある。
安曇野名物?道祖神。
今まで興味がなかった。
でも安曇野といえば、道祖神なんだって。
「塞(さい)の神」っていうらしい。
それも茨城に行くようになって、白山のサルタヒコからレクチャーしてもらって知った。
チベット密教にもおなじように、里との境界線に、男女一対の神をおいて、守り神というかマレビト(来訪神?)の直接の影響をうけないように守った、みたいなことだった。
境界線の守護神。男女一対の。
ここにある意味は?
マレビトもなにも、海人族の安曇族は、船で、ここ安曇野を最終の場所と定めた、って聞いたよ。
安曇族を迎えた境界の守護神が、道祖神?
道祖神は、逆にいうとつまり、マレビト、海の向こうからの来訪者の存在をあらわすものでもある。
そのままじゃん。
ってことは、もとからいた人たちがいた、ってことでもある。
ところで「境界の守護」って聞いたことがあるって思ったら、過去に書いてた(靖国神社の桜にコロナを思う)。
夢でみたんだった、黒い闇。
そしてそこで生まれて初めて「神さま!!」って呼んだときイメージしたのがサイババだった(神さまはいるのか?)。
砂岩でできた道祖神は珍しいらしく、ここにはそれもある。
ちなみに、本来の参拝路から歩くと、入り口に弁財天が祀られてて、
道祖神の中を歩いていくようになる。
ものぐさ太郎。
通うようになってようやくわかってきたけどこれもまたなかなか興味深いお話(安曇野へ 〜神々しい山々を眺めながら)。
皇族との関わりを感じる物語。
で、今回は、「犀龍(さいりゅう)」がようやく目にとまる。
むかしむかし、松本、安曇(あずみ)の平(たいら)は山々のさわから落ちる水をたたえた湖でした。そして、ここに犀龍(さいりゅう)という者が住んでいました。
また、ここから東の高梨(今の須坂市高梨あたり)というところの池には、白竜王という者が住んでおり、やがて鉢伏山(はちぶせやま)というところで、二人の間に男の子が生まれました。
日光泉小太郎と名づけられた男の子は、放光寺山(今の松本市城山)あたりでりっぱに成長しました。泉小太郎が大きくなるにつれて、母の犀龍は自分のすがたをはずかしく思い、湖のそこにかくれてしまいました。
小太郎は、こいしい母の行方(ゆくえ)をたずね回り、熊倉下田の奥の尾入沢(今の松本市島内平瀬と田沢のさかいのあたり)で、やっとめぐりあうことができたのです。
母の犀龍は、小太郎にしずかに語ってきかせました。「私は、本当は諏訪大明神の化身(けしん)なんですよ。氏子(うじこ)を栄(さか)えさせようとすがたをかえているのです。おまえは、この湖をつきやぶって水を落とし、人の住める平地をつくるのです。さあ、わたしの背中(せなか)に乗りなさい」
言われて小太郎は、母犀龍の背中に乗りました。この地は今も犀乗沢(さいのりざわ)とよばれています。二人は、山清路(今の東筑摩郡生坂村山清路)の巨岩をつきやぶり、さらに下流の水内の橋の下(今の長野市信州新町久米路橋あたり)の岩山をつきやぶり、千曲川の川すじから越後(新潟県)の海まで乗りこんで行きました。
こうして、安曇平の広大なと地ができたのです。そして、小太郎と母犀龍が通った犀乗沢から千曲川と落ち合うところまでを、犀川とよぶようになりました。その後、小太郎は有明の里(今の北安曇郡池田町十日市場)でくらし、子孫(しそん)は大いに栄えたといいます。(長野県HPより引用)
犀(さい)龍か。
塞(さい)の神=道祖神。
狭井(さい)=大神神社の狭井神社=神武天皇の妻。
諏訪大明神の化身だって。
犀龍。
諏訪の神様。
越後までの水路をつなぎ、安曇野に豊かな耕作地を作った。
塞の神。
犀の神。