(追記あり)感情はどこからくるのか2 〜12月1日「逃げ恥」の考察 | かんながら

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旅の記録です

 

 

12月。

仕事の繁忙期を前に、「逃げるは恥だが役に立つ」ってドラマをみた。

 

仕事に復帰したときも、「テラスハウス」っていう番組をNetflixでぶっ通しでみたけど、わたし本当に人の気持ちわからないんだもの。

たぶん早送りしながらスマホとPC両方でみてたけど、それでも3日くらいはみ続けたかな。1日20時間近く。

その集中力にしろくまさん呆れてた。

 

普段テレビみないわたしがひたすらドラマをみてるのをみて。

「仕事熱心だね」

って。

わたし、仕事でなかったらドラマとかたぶんみてない。

共感できないんだもん。

 

 

 

気持ちがわからない、っていうと誤解されるけど、気持ちって「定まって」いないものだと思う。

 

 

みんな感情はずっと同じ形であり続けるって信じてるけど、わたしは違うと思う。

人のことをずっと観察してきてそう思うもん。

感情ってむっちゃ理不尽。

 

もっともらしい理由をつけて怒ったり、悲しんだり、好きになったり嫌いになったりしているけど、

本当はちっともそうじゃない。

人は「今」怒りたいから怒り、悲しいから悲しみ、好きだから好きで、嫌いだから嫌いになる。

 

 

それが証拠に、同じことに必ずしも同じ感情で反応しない。

 

感情を決める一番重要な要素は「気分」である。

「理由になる事象」はトリガーにすぎない。

 

 

 

「逃げるは恥だが役に立つ」は、放送されていた当時すごくはやってて、

テレビみないわたしでも主題歌聞いたことがあったし、招かれた結婚式で新郎新婦が踊っていたのを記憶している。

でも、当時は仕事してなかったからみてなかった。

 

 

で、AmazonプライムVideoでみつけた「逃げ恥」。

 

各登場人物に、わたしものすごく共感できる。

めずらしく、嫌なやつでてこない、不思議なドラマ。

 

だいたい、過去のドラマって一人ぐらい悪役いるのに、

このドラマ、嫌なところみせても、結局いいところみせて、なんとなくまるっとみな登場人物魅力的に描かれている。

 

 

でも、わたし、今のところあんまり社会から共感されてないんだけど。

 

でも、もう世の中は、すこしずつわたしの世界になってきたってことなんだろうか?

だってこのドラマすごく流行ってたよ。

 

 

だったら福音。

 

 

 

わたしたちは、電波により洗脳されている。

わたしが、カウンセリングや占いの仕事のために流行りのドラマをみるのは、

「流行りの感情」なるものがあるからである。

 

多くの人は、「感情は自分のもの」と思っているが、意外と外界の情報に影響されている。

韓流ドラマがブームのときは、恋愛問題もドロドロしたものが多かったし、

「アナ雪」が流行ったときは「ありのまま」が流行った。

 

みんな「言葉だけ」と思ってるけど、よく観察してると思考パターンもそれに影響をうけている。

 

 

本当にわたしたちは、電波によってコントロールされている。

それは決してネガティブなことではないとわたしは思う。

以前の記事(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか)で書いたけど、

 

 

「放送は、人類英知の所産であり、社会と個人の生活へ 空からしあわせを降り注ぐ文化の慈雨である」

 

 

って代々木公園にある石碑に書いてある。

そして、降り注いでいるのがしあわせや文化かどうかは知らないが、

間違いなく多くの人たちの意識はそれに影響を受けている。

 

 

でもね、わたし、「陰謀論」を展開するつもりもないし、

テレビ反対キャンペーンをするつもりもない。

 

ただ、気づいてもらえたらなって思う。

 

 

「ワクチン打つ前から、私たちすでにそうだったよ」って。

 

 

「ワクチンにマイクロチップをいれて闇の勢力が電磁波で思考をコントロールされて支配される」

っていって、そしてたぶん技術的に可能だとも思うけど、

 

そんなことしなくたって、「わたしたちはすでにそうである」し、

それによって、国家はなんとなく同じ価値観を共有して今までそこそこうまくやってきた。

 

 

結婚して子ども産んで、学校に行って、学校を出たら生活のために働く。

同じ価値観を共有して「社会のしくみ」を作ってきた。

 

 

今までの日本はとくに、その恩恵を受けた、と思う。

なんといっても戦後、戦争に駆り出されることもなく、世界のどこにいっても羨ましがられるくらいには豊かで。

 

 

今わたしは事実「生活困窮者」だから、そうじゃなくなったことはもちろん知っている。

 

 

この世界は、インターネットの登場ですでに国境がなくなって、「国家」っていう単位が

「地球」単位になっただけ。

だから、「地球全体」の新しい秩序を必要としている。

 

 

わたしはいらないの。「常識」とか「秩序」。

 

常識外れな人ともそこそこうまくやっていけるし(いきなりカツアゲに遭うとかは嫌だけど)、

大神島のニーニーも呆れてたように、お金が一円もなくても、海で貝拾って食べたり、

人にご馳走してもらったりでネコみたくそこそこ楽しくやっていけるから。

 

 

 

 

でも、わたし、コロナでみたもん。

みんなはそうじゃないんだなって(コロナのおかげで目がさめた)。

 

だから、わたし、「常識」や「秩序」ってあった方がいいと思う。

だって、みんな「お金」は必要って思ってるでしょ。

 

お金って、信用だと思う。

共通の常識や秩序って「お金」の仕組みの維持に絶対に必要だよ。

 

 

でも、今みたいにそこからはずれた私みたいな存在に、不寛容であって欲しくないと思うだけ。

学校に行かない子や、働けない人が増えたのは、「行きすぎ」を教えてくれてるんだと思うから。

 

 

わたし、「闇の勢力」を恐れている人たちに言いたい。

実は、「世界統一政府」って、わたしたちの意識が求めているものなんだよ、って。

 

 

それが天国になるか、地獄になるか、「どうなるか」は、

わたしたちが、そこで「どうあるか」にかかっているだけ。

 

 

今の社会の不寛容は、国家の問題だけじゃない。

その多くは、わたしたちの不寛容からきている。

 

 

コロナでみたけど、買い占めとか、マスク警察とか、ワクチン強要とかえげつなかった。

それも、わたしが「極にふれてる」からそう見えただけと知っている。

 

 

 

 

前回の記事(安曇の庭にいたものは〜犀龍と道祖神)でも「明日は我が身」って書いたけど、

「自分の意思だ」って思っていることのほとんどは、

実は周りの影響によって無自覚に受動的に受け取っているものだよ、ってことに。

 

 

それを自覚していなければ、どんなにテレビを遠ざけても、宗教を遠ざけても、

自分自身がそれに気づかなければ、他の媒体や団体が意識をのっとるだけだから。

 

 

今ワクチンやコロナ問題で対立があるけど、

対立軸にあるのは、どちらであろうが「偏って」いるからだと思う。

本当に自分の内側の声を聞いて選択したことであれば、対立することはないと思う。

 

なぜなら、それは、自分にとっての最適解(もしくは正解)であって

他人とは必ずしも一致しないとわかるはずだから。

そして、それは余計なお世話だとも。

 

「他人の気持ち」っていうのは、「その人の立場」に立たないと絶対にわからないし、

当てたところで意味がない。

 

自分の立ち位置からあれこれおせっかいや批判をしても、

それは、自分に言っているだけのことだと思う。

 

 

伊勢平氏おじさんとわたしのことでは本当に

さまざまな意見をもらった。

 

人って本当に100人いたら100通りの考えあるんだなってことだけがよくわかった。

 

伊勢平氏おじさんとつきあう意味を多少わかってくれていたのは、

わたしの(個人的な)しあわせを重要視していないなにわの審神者(さにわ)と、

同じにおいのする仲間だけだったな。

 

まあ、普通に考えて、伊勢平氏おじさんとつきあって幸せかって言われたら多くの人は違うっていうだろうな。

あの中でもしあわせを数えることはできる。

わたし、嫌いな人や除け者をつくりたくないわけ。私の中に。

 

そうやって自分の世界にあるものを否定することは、自分を否定することになるから。

人は「理由」をつけて排除したがる。

排除することを受け入れたら、わたしは、私が排除されることを受け入れざるを得なくなる。

 

わたしはいつだって居場所が欲しかった。

 

そこに存在している、ってことは、そこに必要があるから、だと思いたかったんだもの。

 

 

 

今日の東京は早朝に土砂降りだった。

しかも春の嵐みたいに、気温が上がってびっくりした。

 

空から誰か見てるよ。ね、ムムちゃん

 

 

 

 

 

 

今日のピカピカ度は半端なかった。

これは自然な雨じゃないって感じた。

誰かが降らせた雨。

 

もちろん、雨は自然なんだけど、

自然に降る雨と、なんらかの意図(神と呼ぶ人も)が働くものがある、って感じる。

今朝のは変。

普通明け方に雷がなるような豪雨降らないもん。

 

一番大気が安定する時間なのに。

でもなんか、これだけの祈りがあるなら地震にもいいんじゃないかな。

 

地震の前って空気が乾燥して静電気的ななにかが阪神淡路大震災のときも、東日本大震災のときもあったから。

雨が適度に降る方が、いいような気がする。

 

 

 

 

今日はおついたちなので、津島神社へ。

「てんのうばし」。

 

 

代々木公園も落ち葉がすごかった。
東京の紅葉の季節は今は12月。

 

 

ゆりの花。

12月は仕事がんばろう、って思う。

 

 

 

表参道もクリスマスイルミネーション。

世界は、変わってきてる、と感じる。

 

たまにチラリと見せられる現実のかけらをみて。

 

 

 

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