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アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

1アマの試験を受けたときのことですが、試験監督から「電卓付きの腕時計は使用不可」、と事前説明がありました(記憶によれば2アマ試験で受験者を怒鳴りつけたのと同一人物です)。これを受けて会場内では「そんなバカな」のような笑いが広がります。対して監督から「いや、笑い話じゃなくて本当で、変に腕を触っているから何だろうと思ったら・・・」、という発覚談が続いたのです。

当時は計算尺は持ち込み可でしたが、さすがに電卓はアウトです。私は専門誌などでHewlett-Packardが電卓付き腕時計の HP-01を上市したのは知っていましたが、超高価なのに早くも上陸して国試のチーティングに使われたのかと、そちらの方に驚いてしまいました。しかし無線が趣味の人間にはコリンズなど昔から価格度外視でアメリカ製品を買うのもいたわけで、そう考えると不思議でもなかったようです。ともかく当時のLEDは効率が低く、腕時計ではもちろん見る時だけ点灯させるのですが、それでも頻繁な充電が必要だったそうです。


表示素子の変遷は、一番分かり易い電卓を例にとれば最初はニキシー管、それから蛍光表示管を経て液晶が主流でした。国産の電卓にはLED表示の機種は実は少なく、それは蛍光表示管が日本の得意芸だったからです。アマチュア無線機でもフロンティアDigital-500のニキシー管表示の次は、八重洲でもトリオでも蛍光表示管がLEDより先行して採用されました。

今では意外でしょうが、「7セグメント文字は不自然」という意見が当時はあり、初期のデジタル機である八重洲のFT-501とかFR-101DDの蛍光表示管も「4」と「1」を僅かばかり7セグメントとは差をつけた8セグメント文字で、こういう例はよくありました。

他にも光点式とか熱線式とかマイナーな表示素子は色々ありましたが、あるとき大型コンピュータの表示器を入手したところ、スライド映写機そのままの構造のモジュールという贅沢さに驚いた事があります。

今は完全に液晶の時代です。1970年代から1980年代にかけての初期こそ液晶の寿命は5年とか言われていたためか、アマチュア無線メーカーは採用に慎重だったと思います。しかしいざ電卓や時計で普及を始めてみれば意外に信頼性は高い事がすぐに実証され、その後の展開は早いものでした。今の無線機も液晶パネルの寿命以前に、他の部品の枯渇で修理不能となる方が現実でしょうね。

八重洲がFT-101を発売した時、機構的に画期的だったのはプリント基板がプラグイン方式だったことです。これはコンピュータでは遥かに以前から採用されていた構造ですし、無線機類でも業務用にはありました。しかしアマチュア無線用の量産機ではFT-101が最初ではないでしょうか。それ以来、八重洲機ではしばらく標準的な内部構造となって、多くの機器に採用されていました。

 

この方式、色々とメリットはあるのですが、そもそも基板を挿入するカードエッジ・コネクタが元々産業用の部品ですし、機構的にも複雑になってコストは高くつきます。従って八重洲よりもコスト意識に敏感そうなトリオでは、最高級機のTS-900は採用していましたが、それ以外ではどうだったか?ちょっと今すぐには思いつきません。配線の引き回しも長くなりがちなので、カード間の回路の分割箇所にも設計は気を遣います。

 

FT-101の発売から暫く経ってからですが、八重洲が「郵便で修理の依頼ができる」事を取り上げ、一枚のプラグイン・ユニットに直接切手を貼った写真を宣伝に使いました(剥き出しなのはもちろんCM効果のためです)。ただしそれを可能とするにはユーザー側でどのユニットが不良なのかを特定できる事が前提で、それなりの知識が必要です。例外的に同機種の2台使いならば差し替えてみる手が使えますから、それには確かにプラグイン方式は便利だったでしょう(多分メーカー側でも)。

 

コンピュータでは昔の、それこそディスクリートのトランジスタや低集積度のロジックICで製作されていた時代にはプラグイン・ユニットとワイヤ・ラッピング配線が全盛でしたが、配線長がクロック周波数の向上に追従できずにそれらも廃れてしまい、今はカードエッジ・コネクタやラッピング・ツールの入手もかなり難しくなっています。アマチュア無線機の構造もコンピュータの歴史通りで細密ピッチのコネクタに移行しましたが、それもまたユニット間を接続するワイヤ・ハーネスが専用設計のフレキシブル基板に置き換わってきて、素人修理の難度は上がる一方ですね。

交信記録の管理は一生の問題です。昔はもちろん紙に書く以外になく、私も駆け出しから何年もJARLの販売する「業務日誌」を使っていました。そのJARL版はあまり使い勝手の良いものではなかったので(何度か改訂されています)、QSLカードの印刷業者やハムショップも独自のログブックを販売していました。

ところで1970年代も終わりの方にはバソコンが出回るようになり、ハム雑誌でもPC活用の記事が定番になりました。もちろん最初はログの管理から始まり、ソフトウェアは投稿者自らからBASICで書いたものです。

 

しかし結局バソコンの登場から何年間もログ電子化の方針は彷徨を続け、なんとか定型らしく収まって来たのはMS-DOSが普及してからですし、一般化はやはりWindows95の時代からと言えます。付加機能的には最初は検索だけ、続いてQSLカードとの連携でしたがその後の発展は凄まじく、現在はコンテストログやeQSLの発行どころか、無線機とのデータ交換からデジタル通信の実行まで特色ある物が発表されているのでカムパック組には驚きでしょう。もはやログのアブリとは言えず、コントロールまで行う統合ハム運用支援ソフトであって、AIに頼るアマチュア無線という昔の漫画が描いていたような事も既に現実です。

 

記録する情報としては、「いつ・どこの・だれと・バンド・モード」くらいは必要最小限のもので、どこのシステムに乗り換えるにしてもデータ移行は重大事です。多分、パソコン黎明期からのパイオニアだった人達は初期には作者独自のデータ・フォーマットだったに違いありませんし、その後も対応ソフトが変わるたび何回か過去データの変換を強いられて来たはずです。しかし今後のことは、例えば国内ではTurbo HamLog、海外ではLogger32などなど、そのクラスのシェアがあれば互換性は誰かが何とかしてくれるでしょう(他力本願ですが)。

 

私の初期のログは迷走期に移行し切れず紙でしか残っていません。少しは気にしていましたが、紙だろうが電子だろうが私以外には全く価値ゼロ、という終活的発想が近年では勝って来てこのままになりそうです。

以前書いた「間違った自作テク」、の続きのような、電源まわりの自作に関する話です。

 

必要なのが微小電流であろうと、例えば24VからレギュレータIC一発で5Vに落とすような回路は感心しません。ICが壊れたらもちろん、どこか配線一か所外れても(特に可変型は)非常に過大な電圧が出る可能性があるからです。ただし電流が比較的一定ならば抵抗を直列にするのは手で、総発熱量は同じでもICに全量を発散させるよりは信頼性も高くなります。

 

電源整流用のダイオードで、本体が小さい割にはリードが太いものは放熱目的があります。従って、短く切り詰めた上に放熱面積の小さなところ(細いブリントパターンなど)に接続すると定格を果たしません。

 

電源トランスの一次側に、0-100-110Vのようなタップのある場合、その100のところで線を切り離せば0-100とは絶縁された10Vの巻線として使えるというアイデアを昔々の雑誌で見ました。私も何度も利用しましたが、100V側との絶縁が本当に被覆ひと皮だけというリスク覚悟です。

 

ニッケル水素電池はeneloopのような最新型であろうと過放電により簡単に寿命が縮むもので、継ぎ足し充電する方が遥かにマシです。自作なら終止電圧 1ボルトを目安に検出回路を付けると安心です。完全放電にも強いのはニッケルカドミウム電池だけです。

 

旧式のスイッチング電源は、既製品のモジュールにせよモノリシックIC利用にせよ、大きなノイズ源になっている場合があります。用途によってはそのままで構わないのですが、関係ない場所の寄生振動などを疑い出すと泥沼になりかねないので、オシロで変な雑音が見えたら最初に調べるべきです。


リレーの逆起電圧を1S1588などの小信号ダイオードで処理するよくある例ですが、しばしば壊れたままなのは気付かれにくい場所というだけの事です。汎用の12Vのリレーで逆起電圧を触って体感してみれば、あれは電源用でないと耐えられそうもないと思うはずです。

私の駆け出し時代、「練習用電鍵」として販売されていたのはハイモンド製HK-7(980円だったか?)とサトーパーツ製(880円だったか?)で、昔とはいえ実に安かったものです。練習用とはつまり最下層の製品ですが、確かハイモンド社のパンフレットには「練習用には特に良いものを選ぶべきです」と書かれていたと思います。少なくとも国家試験の受験が前提では自作のキーで練習とは行きませんし、練習用に買った物をそのまま使い続けた入門者も多かったようです。

 

両者は外観は酷似していますがハイモンド製の台座は厚い一枚板のモールドである程度は重量があるのに対し、サトーパーツ製は中空でした。このため粘土や鉛を仕込むのが定番の処置でしたが、その空洞に練習器を組み込んだとか、あるいは端子にループアンテナを付けたワイヤレス電鍵に仕立てた投稿もありました。縦振れの電鍵は安定な設置場所と一定の肘の逃げ場がないと使いにくいので、無線化して自由に動き回れる事の方をメリットと感じたという事は手慣れた打ち手だったのでしょう。

車中から膝の上に置いた縦振れ電鍵でモバイルCW、が自慢の局が誌上で紹介された事がありますが、その符号は実際に耳にすると結構崩れていました。

私が最初に購入した電鍵はハイモンドの練習用のHK-7でした。軸受けが簡素ですが、それは自分で調整ができます。それより問題なのはコンタクトで、上位品は銀接点でしたがHK-7はニッケルメッキだけなので押下圧力の低い私では接触不良を起こしやすく、何となく始終磨いていたらメッキが剥げて地の真鍮が出てしまいました。この電鍵への考えが変わったのは電信級の国家試験が契機です。

 

電気通信術の送信試験では電鍵は持ち込みが許可され、私もその「練習用」を持参しました。ところが、試験卓に備え付けの電鍵が見た目は「練習用」を一回り大きくしただけのような飾り気の無さでしたが、試しにと叩いてみると私物よりもずっと快適ではありませんか。それは後にJRC製と知りましたが、結局その備え付け電鍵で受験を済ませたのです。

要するに練習用はやはり練習用、それを機会に上位機種に買い替えるまで値段なりの品質差があろうという意識はなかったのでした。

私が開局した当時の50MHzの主力モードはAMで、自作以外の10W局の実に多くが日新電子工業のバナスカイ・マーク6(後にスカイエリート6に改名)を使用していました。終段は2E26で、DC-DCコンバータの2SB425以外にはトランジスタのない全管球式にしてはコンパクトで移動兼用です。また変調器の6GW8 採用は量産アマチュア機としては異例で(国産唯一かも)、普通ならば近い内容でより安価な6BM8が妥当な選択でした。

 

これが大ヒット作となった後、マーク10なる28MHz機が追加されますが、あまり売れた形跡がなく、現存機は少ないと思います。当時でも28MHz AM機の需要は大きな疑問符だったので、狙いはアメリカのCBだったのでしょう。国内での違法CB転用も割に少なかったのは、VFOが10kHz以上も初期変動する上にダイヤルの読み取り精度も低いので、待ち受け受信とか「クラブ・チャンネル」には使いにくかったのかも知れません。

 

さて当時、ある新聞の科学欄に南極観測隊の取材記事があったのを読んだところ、探査中の出先との連絡用にトランジスタ式の無線機では極低温で動作せず真空管式を使った、という話が出てきました。後に見た雪上車?だかの写真に写り込んでいたのがまさにバナスカイで、どうやらそれはマーク10だったようです。

当時主力のゲルマニウムトランジスタも旧式とはいえ南極の低温くらいで増幅作用を失いはしないので、動作しなかった理由は周辺部品を含めた温度係数の問題で、バイアスが全面的に狂った結果だろうと思います。その点、全管球式のバナスカイは待ち受け状態でも相当な発熱をしますから、ウォームアップの効果があったのでしょう。

 

それにしても南極探査という国家プロジェクトだというのに、命綱の連絡手段がアマチュア仕様のトランシーバー。「アマチュア用品のプロ流用」の投稿で書いたような事例はこの頃からもたびたび見られ、ハムとしては誇らしい面もある一方で、日本の懐の寒さも感じたものです。

私がハードオフとかのリサイクル店に足を運ぶ目的はほぼケーブル類、またはバソコン用の消耗品探しです。ジャンク扱い品でさえ種類は豊富で必ず目的の物はあるもので、USB micro Aという今では検索しても販売どころか規格さえ中々出て来ない珍しいケーブルも見つけ出しました。稀に掘り出し物を目にすることもありますが、現在では終活を意識し始めたので部品以上に嵩張る機器類は一切購入しません。とりあえず買って転売というのも、利幅と手間と時間のバランスを考えたらせいぜい学生時代までの発想でしょう。

 

昨今、YouTubeではJE1AEJ「宮甚商店」さんが人気のようです。オーディオ主体ですがハムの話題も時々あり、私の方が年少ですが逆にハムと工作歴は少し長いので、その昔話の舞台は全て私にも共通します。ただし私と違うのは第一に想定の健康寿命かと推理しますし(それと関係してでしょうが)今もリサイクル店で積極的に収集中?という点です。

今の私は物がこれ以上増えないという清々しさ感じていますが、一方では昔は手の出なかった物を今ならば、という少し方向性の違う誘惑だけは皆無ではないので、これに代わる楽しみ方は必要です。

 

私の場合は思い出のある手持ち品、例えばダイオード一本でも小学生の小遣いから、どこの店で幾らで買ったなどと記憶するものが沢山あり、それらの活用を工夫しています。昔風の真空管 AMなど私にとって学びの少ない事はやりませんが、部品から用途を考える事もあれば、作りかけで放置した基板類からの完遂もやります。通測用などの過剰スペック品とか稀少な部品でも「もったいない」とは今さら全く感じませんし、とにかく何十年も捨てなかった事実に理由付けが出来たのだという達成感があります。それに単なる消費優先でもなく自作歴中の傑作という成果もあります。

 

ただし今は余暇とお金の使途では「物が残らない趣味」、例えば登山や旅行が優先で(当blogもしばしば海外から投稿しています)、それらは健康に体が動く間に少しでも多くの体験を優先して後悔のないものです。結局、記憶の深い部品類も使い切れそうもありません。

前回の続きです。

 

まずアメリカ事情なのですが、DIY精神が強い国柄ですからサービス・マニュアルが広く出回るのは一般的です。また、日本から輸出するメーカーにしても自前の修理拠点を方々には持てませんから、どうしても代理店や街の修理業を頼らなくては販売は続きません。

 

取扱説明書とは違いサービス・マニュアルは関係先以外には非公開かつ有償、つまり配布が限定的なのは普通ですが、ともあれマニュアル類は日本語版より英語版の方が圧倒的に多く市中に流れています。古い国産製品のマニュアル類を探しても英語版しかヒットしない、という経験はハムの世界に限らず割に工業製品で一般的です。仮にこれが自動車でしたら系列外の工場でも修理される事が大前提ですから、整備仕様書も1万円くらい出せば大概どれでも日本語版が手に入るのですが、それは例外的なのです。

 

英語版なら海外にはpdfを無償で落とせるサイトもありますが、やはり充実しているのは専門業者の有償品です。私も W7FG のサイト(2025年廃業・残念)から無線機やら測定器やらと何冊も購入しましたが、電子配信時代になっても紙コピーのスパイラル製本だったのは、pdf生データでは簡単に横流しできてしまうからだったのでしょう。

では、販売サイトが日本に乏しいのはなぜか? まず日本語のサービス・マニュアル自体世の中に出回っている量が少ないのですが、何より日本人は無形の物やコピーにお金を払いたがらず、「どうせパクリだろ」、「原価ナンボのボッタクリ(ネットスラングで言う原価厨)」、そういう感性が強いからだと思います。しかし「他人の褌」なのも否定しませんが、少なくともスキャンの手間に対価を払う精神は持つべきです。

 

サービス・マニュアルはデータ・シートと違い、創作的な内容ですから著作権が発生します。メーカーが問題視していないとしても、個々の追及は手間に引き合わないと判断しているだけの事です。我々が販売業者の権利関係を知らずに第三者の立場で購入するのは構いませんが、横流しには手を染めない方が良いと思います。

 

まずは私の実体験から。

家内の実家から故障したダイレクト・ドライブの古いレコードブレーヤーを譲り受けました。超高速で回転してしまうのはサーボ系の故障に違いありません。幸いにしてよく似た輸出機の回路図が海外サイトから拾えたので、それによりOPアンプICの不良と特定できて修理は完了しています。故障したICの足は黒変の上に周囲には変な光沢が拡がっており、原因は以前「2SC710と2SC460」で書いたのと同じく銀メッキのマイグレーションによる絶縁不良でしたが、DIP ICでは初めての経験でした。

 

その回路図を検索で探している最中のこと、やはり日本製のレコードプレーヤーの修理で、海外のマニュアル専門サイトからサービス・マニュアルを購入して対処したという体験記が目に入りました。これはサービス・マニュアルの事情をよく表しており、そもそも取扱説明書よりもずっと入手しにくく手に入れば幸運な方なのです。

ところでそのサイトのコメント欄に、同じ故障品を抱える一読者から当該マニュアルの提供を求めるお願いが投稿されていました。これを受けて元記事の筆者が、どこそこのサイトで買えますよ、と答えたものの、「それがうまく行かないのです」、「お礼はしますから」と返されてしまっていました。これには筆者もピンと来たらしく、英語マニュアルですが大丈夫ですか? と尋ねると即刻、英文では無理です諦めますとなったのです。うまく行かない、というのはどうやら「海外サイトから物を買う方法を知らないので横流しをお願いします」という意味だったようですが、ともかく話はそこまでです。

 

以上、古い機器の修理をめぐる結構ありがちな話だと思いましたが、この中には疑問を持つべき重要な事が幾つも垣間見えています。どれだけお気づきになりましたか?

 

まず、日本製なのにサービス・マニュアルはなぜか日本語版が入手しにくいという現実。次に海外ではマニュアル類を販売する専門サイトが豊富であること。続いて、メーカーや代理店でもない者が勝手にコピーして販売していいのか?、また、それを購入した者が横流ししてもいいのか?という著作権的な問題です。 (次回に続く)

 

アメリカ輸出用のCB機が国内に流出し、27MHz帯で不法局として運用された件については何度か書いてきました。それはチャネルごとの多くの水晶振動子の入っていた23ch仕様の時代から行われていましたが、一気に増えたのはPLLシンセサイザー式40ch機が出回った頃からです。

 

40ch機の周波数範囲は26.965から27.405MHzで、途中何か所か間隔が不規則なところがありますが、チャネル間は大体10kHzセパレーションとAMモードにとっては充分な幅ですし、全盛期でも40ch全部が一杯となるほどではなかったと思います。しかし「クラブ・チャネル」だの、ナイショの会話だのという需要が発生したのか?次々と周波数拡張機が出るようになりました。26.955MHz以下の「地下」、27.415MHz以上の「二階」と呼ばれて40ch分を丸々足した形の80chや120chになっており、元のFCC準拠規格が最大23chから40chへと拡張された際の経緯そのままに、23ch-24ch間で周波数が逆転するところまで一緒です。

国内に流出した40ch機のオリジナルは正規輸出用の量産品ですから安価なものでしたが、80chや120ch拡張機はマトモな出自ではないものなので、それなりの値が付けられていたとか聞きました。

 

さて、不法CB局のハイパワー機としては八重洲FT-101が人気があり、これは当然28.000MHz以上にオンエアできますが、当時は不法局がハムバンドまで出没する事は稀だったのです。多分、「面倒なことになる」とは認識されていたのでしょう。上記した「地下・二階付き」の120ch改造機でも上限は27.855MHzまででした。

しかし後には28MHz以上にまで拡張された機器が出て、ついには10m AM局が使う28.305MHzにまで妨害の及ぶ事態も出てきました。ハムバンドもガラガラになってきて、不法なりに存在した自粛や秩序が壊れるのも時間の問題だったのかも知れません。