1970年代も後半、マイコンブームが到来すると「西和彦」氏の名を「I/O」誌上で見るようになりました。それはまだマイナーなマニア向け専門誌で「イチ/ゼロ」と誤って呼ばれたりもしたものです。ちょうど同じ頃でしょうか、「電波と受験」誌だか「電波受験界」誌だかを流し読みしていて、掲載された無線技術士の合格者名簿に「西和彦」の名があるのに偶然ですが目が留まった記憶があります。もっとも、今にして思えば同姓同名の別人の線が濃厚ですが、そちらの西氏も名前のことであちこちで散々イジられたに違いありません。
この記憶のもう少し後には、マイコンの方の西氏は現役の学生の身の上ながら、アスキー出版を興したことでさらに一段と有名になります。
西和彦氏はJH3FTAというハムだった事は自らも語っています。そのHFトランシーバーの自作のことなど、起業家の自伝は誇大に語られる傾向が強いのでどこまで本人の弁の通りかは分かりません。「作ろうとしてみた」、程度かも知れませんし、1967年に開局というのもJH3FTA というコールの発給時期とは話が合いません。しかし少なくとも1966年に10歳で電話級を取ったというのが本当なら、電気に早熟な興味を示した少年だったのは確かですし、マイコンも趣味としてはその黎明期には、CPUやらSRAMやらをDIP ICの形で集めて半田付けするという完全に電子工作の範疇でした。
従って私が目にしたプロの有資格者はもしや?、と多少は考えましたが、既にその当時の西氏はマイコン界で活動を始めていた時期ですし(だから私も名を知っていました)、また自伝によれば早稲田の理工学部、と言っても電気ではなく機械科らしいので、わざわざプロの無線従事者になる理由は一段となさそうです。
それにしても当ブログで色々と言及してきた JA1AN 原氏、JA1AAA 岡村氏、JA1ACB 難波田氏、JA1BLV 関根氏、揃いも揃って早稲田の理工学部出身なんですね。これは以前も書いた「CQ出版社の単行本を買う前には筆者の業績を調べる」という習慣から気付きましたが、 横の繋がりも何かしらはあったのでしょう。あ、文学部ですがJA6CSH タモリ氏も早稲田でしたっけ。