片脚づつ、ゆっくりと(ちょい追記)(動画追加)
(2か所追記しました)(動画追加しました。OCT 18, 2019)歩きの基本事項。慌ててはいけない。最近、ふと町で歩いてる人を見て思ってしまった。片脚づつ丁寧に重心を移動し、片方の脚に重心が移って、もう片方が浮く感じがしたら前へ出す。歩きはこの繰り返し。この練習にもっていこいなのが、何度も紹介している。「認知症バイバイ体操1」(Kiyotoshi Hamasaki)以下は重心力トレーニングによる方法です。★参考動画(2019OCT18)→【正しい重心移動の訓練法】 (映像提供:本のセンセさん)これをゆっくりと繰り返して、重心が乗った足と、乗っていない足をしっかりと区別する。(追記①)「この動作で、「踏みしめる」という感覚を失くします。重心が移動し、体重が股関節を徹って地面に流れた結果、「あたかも地面を踏みめている」ような感じになるだけです。実際は単に体重という重さで足が地面につきささっているだけ。」そして普段の歩きでゆっくりとその感覚を実践していく。足裏は踵ー母指球のラインを絶対に守ること。徐々に分かりだしてくると、なんとなく接地している足の「接地時間」が長く感じてくる。なんか身体は前へ進んでいるのに後ろに足が置いて行かれている感じがする。なんか前へ進んでいるのに後ろ歩きをしているみたいになる。これ良い傾向。しっかりと一回一回、片足づつ重心が移動している証拠。続けて成長していくと、今度は足裏がペターと地面に張り付いた感じなる。そう、「地に足がつく」。これは「居着く」ではないので心配ご無用。歩いた後、足がペラペラに感じるようになる。(追記②)「もう一つ。足首が締まります。キュッと細くなります。そして上手く歩けた後は、細くなった感じがします。」「捉え歩き」ができている何よりの証拠である。「歩き」の際、「意識しない方が良い」ことを列挙しておく。・踵重心・内踝重心・脛骨に乗る・ももの裏の筋肉を使う・内転筋を使う・腸腰筋を使う・尻の筋肉を使う・ハムストリングを使う・鳩尾から脚・足指を使う上記のことは一切無視!それは何故か?「捉え歩き」が出来てくれば自然とこうなるから。足指にブログで触れるは初めてだと思うが、まっすぐキレイになる。こんなに足指長かったかな?と思えるほど。足指の間に手の指を入れて伸ばす動作があると思う。「ひろのば体操」って名前だっけかな。意外とこれは検証に使える。1. 自分の今の足指の柔らかさを確かめる。2. 「捉え歩き」をする。3. 上手くできていると柔らかくなっているはず。お風呂で一日の「捉え」具合を測るにはけっこう使える。硬くなったりしている場合は「歩き方が悪い」。「捉え」ていれば足指はリラックすして文字通り伸び伸びとしている。ちなみに爪の生え方まで変わります。自分は変わった。こうやって「歩き」についてまとめてみると、意外に単純だということが分かる。「意識しない方が良いリスト」は結果である。ただ何故か巷ではこれを半ばごり押しするように思う。理由を考えた時に、たまたま以下の記事に出くわした。リンク記事なぜ、流行しているトレーニングでは効果がでないのか?あ~、なるほど、トレーナーがその感覚や認識をできていないからかぁ。・引用①「身体の体幹と四肢がつながった状態で結果的に自由に身体は動いていることが認識できていないので効果的な動作トレーニングになりません。」・引用②「この「感覚」と「認識」がない動作トレーニングでは単に身体を動かすだけとなるので日常動作の質は全く変わらないのです。でも動かなかった「肩甲骨」「骨盤」「背骨」が動くようになるのでわかりやすくはあります。でもそれだけです。」この2つの引用は非常に大きな意味を持つと思う。「意識しないほうが良いリスト」は引用①の「結果」であって、これをトレーナーが認識できていないし、感覚も無い。言葉だけを使って、実際にトレーナーが感じ取れていない。感じ取れていない状態でいくら開発・指導したところで、胴体深部が動く感覚が分からないから、そこまで到達できる方法論は生み出せない。また指導、つまり導くこともできない。結局、「わかりやすい」可動域があがったという「見せかけ」のものに注目し、可動域が上がったことや体操が出来た、ポーズが取れたのみで胴体が動くようになったと思ってしまっている。引用②にあるように可動域が上がったり体操が出来ても、「ただそれだけ」なのである。これはトレーナーの胴体深部が動いていないことに起因する。困ったことに、我々素人は胴体深部が動かない住人なので、もちろんそのトレーナーが胴体深部が動かない住人とは分からないので、彼らを信じて一生懸命取り組む。でもすぐに限界にぶち当たる。当たり前である。トレーナーがその限界を超えた先を知らないのだから。そして実はその先こそに胴体深部を動かす・活用するための本質があることも分からないのだから。もっと残酷な現実は、提唱者が自分が提唱した体操を出来ないことだ。トッププレーヤーの胴体深部の感覚が、トッププレーやでも無いのになぜ分かるようになるのか。その競技もやったこともないのに、さらにはそもそもそのプレーヤーのようにその競技出来ないのに、説得力が無さすぎやしないか、というような反論がすぐに思いつく。胴体深部がうごくようになってもトッププレーヤーのようにプレーすることはできない。しかし、そのプレーが胴体深部から作られているということは、胴体深部が動くようになれば自然と分かるようになる。トッププレーヤーはその動く胴体深部を自分の競技に昇華し、実践でできるように練習しているわけである。ここがただ単に胴体深部が動く人間と、胴体深部が動くトップアスリートの違いである。だから、トップアスリートの競技ができる出来ないかは特に関係がないのである。ただこのことはある程度胴体深部が動き出さないと分からないことは確かであるので、その点は説得力に欠ける。おっと、長く書いてしまいました。