ポポ山に祈りを込めて

ポポ山に祈りを込めて

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被災地より  

津波で残された一本松です

2011年7月6日 天の川が降り注ぎました流れ星

GWに江戸川区の善養寺というお寺に行きました。


この日は千葉県市川にある八幡神社に誘われていたけれど、

そういえば以前に、

群馬(長野との県境)の浅間山の記事で紹介したお寺が、

この近くにあった様な、、と思って調べてみたら、

八幡神社から車ですぐの距離だったので、

こちらを先に立ち寄ることにしました。


なんとびっくり。

このお寺の松が凄かった真顔

影向の松と呼ばれ、樹齢600年以上、

繁茂面積は日本一だそうです。

もう松の木というよりも、

変幻自在な龍の様です。


浅間山噴火の供養碑は奥の方にありました。

天明3年(1783年)の浅間山噴火では鎌原村で多くの死者が出たのですが、

その原因は火砕流ではなく、

8月5日午前10時に突如として発生した土石なだれによって流されたそうです。


地質学者の早川由紀夫先生のお話によると、

>鎌原村を高速で通過した土石なだれは吾妻川に入り熱泥流となり、渋川で利根川に合流して、その日のうちに江戸と銚子に到達した


(↑画像はネットからお借りしました)


江戸川の中洲にも牛や馬、人などの遺体が漂着し、

船の運行が妨げられてしまったので、

当時の下小岩村の人々が、

犠牲者の亡骸を善養寺の無縁墓地に葬りました。

近くの別のお寺にも同じ供養碑があるので、

川に流れ着いた犠牲者は相当な数だったのかもしれません。

上の画像は数年前に撮影した浅間山麓の鬼押出しです。

流れた溶岩を間近で観ることが出来る迫力の観光スポットです。


こちらも早川先生の記事からですが、

鎌原村を襲った土石流の中には黒岩と呼ばれる高温の岩石が点在して発見されていて、

渋川市には宅地開発で見つかった10メートルを超える黒岩の巨岩が今も残されています。

こんな大きな岩が浅間山から渋川まで流れたのです。


(画像は早川先生の記事から)



私は草津が大好きで浅間山周辺はよく訪れます。

浅間山といえば、

浅間の大神コノハナサクヤヒメですが、

この浅間山は地球の自然活動の中心、

司令塔ともいえる御神体です。


浅間山が動けば地球のあちこちが反応して、

自然界の共鳴が起こります。

もちろん悪いことではなく、

地球にとってはごく自然の働きであり、

新しい生命の誕生、地球の営みです。


なので浅間山が動く時は、

何かしら天界でも動きがあると思った方がいい。

それは地震だの噴火だのと小さな事ではなく、

地球を含めたこの太陽系、宇宙の動き、

耳を澄まして体全体で自然の成り行きを感じる事が大切だと思います。


しかし地球の気候変動は止められず、

これからも自然災害と同時に、

年々と山に棲む動物や虫などの様々な生き物が、

人間の住む所まで下りてくるようになるでしょう。


市川の葛飾八幡宮です。

こちらの千本イチョウも素晴らしいです拍手


参考文献

早川由紀夫ドローンを飛ばして鳥になろう

鬼押出し溶岩から発生した鎌原土石なだれ


ありとあらゆる大小さまざまな人種がいます。

ウィリアム・ステッド

 

父と私、それに友人の三人で、さっそく見物に出かけました。その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身につけておりました。一体どうやって地上から持ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。

 

そう言えば父も、地上で私が見慣れていた服装をしておりました。何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然、地上とそっくりなのです。

 

出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと、私にとっては私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たちの、その後の消息のことになりました。互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。

 

もう一つ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味(ブルー)がかっていることでした。英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いて言えば、緑がかった灰色とても表現できましょうか。。が、この土地には歴然として色彩があります。文句なしにブルーなのです。明るい色合いの、濃いブルーです。住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が ″ブルーの国 ″なのです。

 

そのことを父に訊ねてみました。(余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。父子というよりは兄弟のような感じすらしました) すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。

 

″まさか!″と思われる方が多いでしょう。しかし、よく考えてみられるとよろしい。地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。わずかに一歩だけ上の段階、それもごく小幅の差しかありません。

 

そうやって一歩一歩、向上と進化を重ねていくのです。人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。

 

さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ三人は、そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。その人たちが自由闊達に動き回っているのです。

 

そこで見かけた人の中に、私の知っている人は多くはいませんでした。最初に私を出迎えてくれた人たちも、いつの間にか姿を消して、父と友人だけになっておりました。そうと知っても別にさびしくは感じませんでした。むしろそのことが、旧交を温めていないで新しい環境へ関心を向けさせることになりました。(ステッドの話は以上です)

 

近藤千雄氏からのコメント

このブルーアイランドは、″中間境″とてもいうべき界層で、ここを卒業して ″本土″というべき界層へ入っていくと、地上とは比較にならない、活潑な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。ステッドも後半の通信でそのことを言及しているが、そうなると地上との縁が薄れるのかというと決してそうではなく、むしろ上層界の事情にも下層界の事情にも、通じる範囲が広がるという。

そんな次第で、かつて地上で縁故のあった人間が他界する時は、すぐにそれを察知して、その中間境まで出迎えに降りてきてくれる。それは、ただ懐かしいからという情緒的な要素もないわけではないが、死んだことを自覚させる目的も兼ねているので、一見してそれと知れるように、死んだ時の風貌や服装を身につけているのが通例である。が、用事が終わると、それぞれの本来の所属界へと帰っていく。

そうした霊にとって残念なのは、せっかく出迎えてやっても、本人が地上的なしがらみや間違った信仰、極度の悲しみや憎しみを抱いたりしていると、その存在に気づいてくれないことだという。その種の人間がいわゆる ″地縛霊″となっていき、地上の縁ある人たちに良からぬ影響を及ぼすことになるのである。

 

以上で終わります。

 

 

もしかしてこの続きを出すかもしれませんが、

私も日々コロナの患者さんに追われて忙しくしていますので、

更新するとしたら、また新しい話になるのか、、

それもあちら側が絶対的に必要なサインが来れば、

またこうして書くことになるのかもしれません。

近藤千雄氏は私も尊敬する素晴らしい人であり、

彼の話す言葉はそれこそ海のような深い蒼さと父のような愛情が見えてくるのです。

2023年が皆さんにとって楽しくて明るくて素晴らしい一年になりますように。

ちなみにステッドの話す大小さまざまな人種とは地球人だけではないと思いますよ!

ポポ山。

ちょっとそこらを見物してくるか

ウィリアム・ステッド

 

最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によく分からないということです。時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺がはっきりしません。

 

さて、私には二人の案内役が付き添ってくれました。地上時代の友人と、もう一人は実の父親でした。父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。何だか私には外国へ来て親しい仲間と出会ったという感じがする程度で、死後の再開という感じはしませんでした。それがその時の正直な心境です。

 

つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。つい昨夜のことなのに、まるで50年も前のことのように思えました。お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって半減されるということにならずに済みました。

 

タイタニック号の犠牲者の全員がそうだとは申しません。少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。が、それも、二つの世界の関係(つながり)について何の知識も持たないからにほかなりません。そういう人たちは、二つの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、″ちょっとそこらを見物してくるか ″といった気楽な気分でした。悲しい気分など、まったくありませんでした。

 

さて、これから述べるブルーアイランドにおける私の最初の体験は、少し細かい点まで述べようかと考えております。有り難いことに、私には地上時代のユーモアのセンスが今もあります。ですから、私の話を読まれて、その突拍子のなさに可笑しさを覚える方がいても、私は少しもかまいません。むしろ苦笑を禁じ得ないものを見出してくださるほうが有り難いくらいです。

 

その3の話の続きです。

上空へと物凄いスピードで移動した 

ウィリアム・ステッド

 

自分でも何が何だかさっぱり分からないのですが、私は必死になって手引きして、乗り物とおぼしきものに案内してあげました。やがて、すべてが終了しました。まるで得体の知れない乗り物が出発するのを待っている感じでした。言わば、悲劇が完了するのを待っていたようなものです。ボートで逃れた者はもちろん生きて救われました。が、溺死した者も変わらず生きているのです。

 

そこから妙なことが起こりました。その得体の知れない乗り物、というよりは、われわれが落ち着いた場所全体が、いずことも知れぬ方向へゆっくりと移動を始めたのです。

 

そこに集まっている人たちの情景は、それはそれは痛ましいかぎりでした。死んだことに気づいた者は、あとに残した家族のことと、自分はこれからどうなるかが不安のようでした。このまま神の前へ連れて行かれて裁きを受けるのだろうか、どんな裁きが下されるのだろうかと、おびえた表情をしておりました。

 

精神的ショックで、茫然としている者もいました。何が起きたのかも分からず、無表情でじっとしています。精神がマヒしているのです。こうして、新しい土地での評決を待つ不思議な一団がそこに集まっておりました。

 

事故はほんの数分間の出来事でした。あっという間に大変な数(1500余名)の乗客が海に投げ出されて溺死し、波間に漂っておりました。が、その死体から抜け出た霊が次々と宙空へ引き上げられていったのです。生きているのです。中にはすこぶる元気な者もいました。死んだことに気づきながらも、貴重品が惜しくて手に取ろうとするのに、どうしても掴めなくて、かんしゃくを起こしている者もいました。地上で大切にしていたものを失いたくなくて必死になっているのでした。

 

もちろん、タイタニック号が氷山と激突した時のシーンはあまりいいものではありませんでしたが、否応なしに肉体から救い出されて戸惑う霊たちの気の毒なシーンは、その比ではありませんでした。胸がしめつけられる思いのする、見るにしのびない光景でした。その霊たちが全て救出されて一つの場所に集められ、用意万端が整ったころで、新しい土地(ブルーアイランド)へ向けて、その場全体が動き出したのです。

 

奇妙といえば、こんな奇妙な旅も初めてでした。上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。それが強烈な力とスピードで引き上げられていくのですが、少しも不安な気持ちがしないのです。まったく安定しているのです。

 

その旅がどのくらいかかったか、又、地球からどれくらいの距離まで飛んだのかは分かりません。が、到着した時の気分の素敵だったこと!うっとうしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。全てが明るく、全てが美しいのです。

 

近づきつつある時からその美しさを垣間見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、たぶん急逝した者が連れて行かれる国なのだろうなどと言っておりました。神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。

 

いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。環境のすべてに実体があること、しっくりした現実感があること。今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変わらないことを知ったからです。違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい明るく美しいことでした。

 

しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。そして、そこでタイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。

 

タイタニック号の沈没直後について亡くなった本人が語る。

ウィリアム・ステッド

 

地上時代(ステッドが生きていた時代)にスピリチュアリズムとの出会いによって驚くと同時に感動したのと同じように、私は、今度はこちらへ来てみて、地上時代に得た霊的知識が重要な点において100%正確であることを知って、驚き、かつ感動しました。そうと知った時の満足はまた格別でした。学んでいた通りなので、驚きと喜びを同時に感じたものでした。

 

と言うのも、根本的には絶対的な確信があったとはいえ、細かい点で不安に思うことが幾つかあったのです。それだけに、実際にこちらへ来てみて、それが "まさか”と思えるほど、私の予想を裏切って現実であることを知り、満足したわけです。

 

~省略~

 

何よりも私が驚いたのは、あの混乱状態にありながら(ステッドの死亡直後)、 他の溺死者の霊を私が救出する側の一人であったことです。私自身も本当は大変な状態にあったはずなのに、他の霊に救いの手を差しのべることができたという、その絶妙な転換は、率直に言って、まったくの驚きでした。その時の事情が事情でしたから、なぜだろう?なんのために?といったことを考える余裕はありませんでした。そんな疑問が顔をのぞかせたのは、少し後のことです。

 

落ち着く暇もなく、私をさらに驚かせたのは、とっくの昔の他界したはずの知人・友人が私を迎えてくれたことです。自分が死んだことに気づく最初の原因となったのはそのことでした。そうと知って、どきっとしました。

 

次の瞬間、私は自分を自分で点検しておりました。一瞬のうろたえはありました。が、それはホンの一瞬のことです。すぐに落ちつきを取り戻すと、死後の様子が地上で学んていた通りであることを知って、何ともいえない嬉しい気持ちになりました。ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれば!と、どんなに思ったころでしょう。その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした。

 

以上が他界直後の私の意識的反応です。それからその反動ともいうべき変化が生じました。茫然自失の心境になり、やがて地上の我が家が気になりはじめました。その時点では、タイタニック号沈没のニュースはまだ入っていなかったはずです。ニュースを聞いたら家族の者はどう思うだろうか。その時の私の心境は、自分はこうして無事に生き続けているのに、そのことを知らせてやるための電話が故障して使いものにならないという、じれったさでいっぱいの状態に似ていました。

 

そのとき私は沈没の現場に来ていました。他界後のことを長々と述べてきましたが、時間的にはまだ何分も経っていなかったのです。地球のすぐ近くにいましたから、その現場のシーンがありありと見えるのです。沈没していく船体、ボートで逃げる船客、そのシーンが私を自然と行動に移らせたのです。救ってあげなくては!そう思った次の瞬間には、私は茫然自失の状態から覚めて、水没して肉体から離れていく人たちを手引きする役をしておりました。

 

その3へつづく

 

ポポ山より

あの有名なタイタニック号の沈没事故ですが、

突然の事故で多くの人が亡くなった時に、

もしあなたもその中の一人だとしたら、その瞬間どのような行動を取りますか?

沈没事故で亡くなったウィリアム・ステッド氏は、亡くなった直後に、

いわゆる霊となった人たちの手助けをしていたのです。

いつか私たちも必ず肉体の死を迎えます。

それは明日かもしれないし、何十年も先のことかもしれません。

その時にこの話を思い出してほしいのです。

船でなくても自然災害でも同じようなことが起こります。

もしあなたが死後に暗闇にいたり、どこかを彷徨っているとしても、

そこはあなたが本来の行くべき光の場所ではないのです。

そんな時に、そういえばこんな話があった事を思い出してほしいのです。

The Blue Islandからご紹介します。

長くなるので本当に部分的です。誤字は後で直します。

(現在Amazonで中古が数冊程度)

 

『The Blue Island タイタニック沈没から始まった永遠の旅』

コナン・ドイル/序

エステル・ステッド/編

近藤千雄/訳 発行株式会社ハート出版

 

父からの通信が届けられるまでの経緯 

エステル・ステッドより

 

1912年4月15日不沈をうたい文句に建造されたばかりの英国の豪華客船「タイタニック号」が、皮肉にもその処女航海において北大西洋上で氷山と激突、2000余名の乗客のうち1500余名の生命とともに海の藻屑と消えました。そのころ私は、シェークスピア劇団を引き連れて興演旅行に出ている最中で、父・ウィリアム・ステッドもその犠牲者の中に入っておりました。

 

実は、団員の一人にウッドマンという、霊感の鋭い男性がいて、その悲劇的な事故の起きる少し前の日曜日の午後、みんなで紅茶を飲みながら談笑している最中に、彼がその事故とおぼしきことを口にしていたのです。船の名前も父の名前も言いませんでしたが、犠牲者の中に私と非常に親しい年輩の男性がいる、と述べていました。

 

時間的にみて、その事故が起きたのはその後のことでしたから、ウッドマン氏はこれから起きる出来事を予知していたことになるわけです。

 

そのことを殊さら紹介するのは、父の霊とウッドマン氏とのつながりは、すでにその時点から始まっており、本書に収めたメッセージを父が届けることができたのも、ほかならぬウッドマン氏の霊的能力(自動書記)のお蔭であり、そうしたいきさつは読者の皆さんにとっても興味ぶかいことであろうと考えるからです。

 

大惨事が起きてから二週間後のことです。多才な霊媒として有名なE・リート女史による交霊会において、父が顔だけを物質化して出現するのを見ました。そして語る声も聞きました。その声は、タイタニック号に乗船する直前に私に別れを告げた時の声と同じように、はっきりとしておりました。父との話は30分以上にも及びました。

 

これを突拍子もない話と思われる方が多いでしょう。が、紛れもない事実なのです。出席していた何人もの人が証言してくれております。私はそれを記事にして雑誌に掲載していただきましたが、その時の出席者全員が署名入りで証人となってくれました。

 

その日から、十年後の今日まで、私は父と絶えず連絡を取り合っております。何度も語り合っておりますし、通信も受け取っております。その内容は、父が死後もずっと私たちの生活に関わっている確固たる証拠にあふれております。

 

はっきり申し上げて、タイタニック号とともに肉体を失って霊界入りした十年前よりも、むしろ現在の方が心のつながりは強くなっております。もちろん死の直後は、その姿が見えなくなったということだけで大きな悲しみを覚えておりましたが、その後は別離の情はカケラも感じなくなっております。

 

~省略~

 

父は、生前、ウッドマン氏とは一度しか会ったことがありません。それも父がタイタニック号で英国を発つ少し前に私がウッドマン氏を紹介した時で、その時も、二言か三言、言葉を交わしただけでした。したがってウッドマン氏は、父のことを個人的には知りません。ましてや、父の著作や評論活動に関与したことは、まるでありません。にもかかわらず、ウッドマン氏が父から受け取ったメッセージの文体や用語が父のそれにそっくりなのです。

 

さらに面白いのは、文章を綴る時のクセまで父にそっくりだということです。ウッドマン氏は自動書記の最中は目を閉じており、ハンカチで押さえることもよくありました。部屋は薄暗くしてあり、すぐ側で見ている私にもその文章が読めないことがありましたが、用紙から文字がはみ出してしまうことは絶対にありませんでした。

 

明らかに父は、自分で書いたものをもう一度読み返しているようで、i の点や tの横棒をきちんと書き直しておりました。これは生前からのクセで、いったん書き終えた記事をもう一度読み返しながら、i の点や tの横棒を書き直していたものです。そのクセを知っているのは、私を含むごくわずかな人に限られており、ウッドマン氏が知っている可能性はまったくありませんでした。

 

~省略~

 

きっと多くの方が、本書をただならぬものとお感じになるであろうことを、私は確信しております。願わくは、死後はどうなるかについて、従来のただの信仰とは異なる現実味のあるものに目覚められ、みずからの手で確固たる証拠を求める努力をなさるようになっていただけば、本書に関わった3人、すなわち父とウッドマン氏と私にとって、それにまさる満足はございません。

1922年9月

 

その2へ

初めにポポ山より、

記事を6回に渡ってThe Blue Islandという本を紹介します。

霊界通信です。

 

 

1912年4月14日深夜に氷山に衝突し、

船体は引きちぎられるように2つに折れ、

15日未明に沈没したタイタニック号ですが、

多くの人が冷たい海に投げ出され数分~20分で死亡したと記録に残っています。

この事故で約1500人が犠牲となり、

当時では世界最大の海難事故といわれています。

 

 

犠牲者の中に、ジャーナリストであったウィリアム・ステッドという男性がいました。

ステッドは溺死後に霊界と呼ばれる別次元に移り、

「ブルーアイランド」という美しい場所で生活を始めたという体験談を現世に伝えるために、

霊媒師を通して自動書記という形で霊界からメッセージを送ってきたのです。

 

生前のステッドは英国の現代ジャーナリズムの基礎を作ったといわれるほど、

社会的にも貢献した尊敬される人物ですが、

実は彼自身も霊能者として本を出版しています。

その彼が亡くなった後に、実体験として死後の世界とはどういうものなのか、

スピリチュアリズムとはなにか?というメッセージを、

霊能のある男性(ウッドマン)を通して娘(エステル・ステッド)に彼の思いを託したのです。

 

それ以降、ステッドが様々な内容を霊界から伝えてきた中で、

1922年にエステルが発表したThe Blue Islandという本が日本でも発売になりました。

(「タイタニック沈没から始まった永遠の旅」訳:近藤千雄)

 

私がこの本を手にしたのは5年程前ですが、

タイタニック号の事故についてはあまり書かれていません。

どちらかというと霊界についての話が多いです。

(ステッドが言うには、事故については交霊会で何度も話したから、

今回は詳しく話す必要はないと語っているので、

日本では発売されていない別の本に書いてあるのかもしれません)

ということで、翻訳をした近藤千雄氏も話しているように、

この本は霊界の知識、スピリチュアリズムの基礎が学べる本だと思います。

 

当時、彼は帰幽直後にブルーアイランドと呼ばれる場所に着いたわけですが、

ブルーアイランドとは亡くなった直後に案内される幽界という場所で、

そこはこの現世に近い次元に位置しますので、

私たちの暮らしとブルーアイランドでの生活はさほど変わらないのです。

 

次元の差とはこの現世と折り重なるように存在するのです。

そして死後もなお、魂の進化は続きます。

(それにはこの現世での生き方が反映されるので、今をどう生きるのかが大切です)

地球時間でいえば、人によっては千年、万年と、少しずつ自身を向上させながら、

また上の階、また上の界層へと、移動していくのですが、

これに関してはすべて個々の産土神の管轄となりますので、

本人の自由で移動できるものではありません。

なので生前から自身の産土神社への参拝は欠かせないものなのです。

 

しかし果てしなく広大な霊界の階層を思えば、

ステッド氏の霊界の体験談は霊界のほんの僅かな、部分的な話にしか過ぎません。

なのでこの本が霊界の全てではないことを理解した上で読んでいただけたらと思います。

 

興味深かったのは、近藤氏が文の途中で丁寧に説明文を入れていることです。

特に訳者あとがきでは「モーゼスの霊訓」など様々な霊界通信について語っていて、

これがなかなか面白い内容となっております。

おもしろついでといえば、本の中でコナン・ドイル氏が語っていた内容で、

>いずれにしても、キリスト教が説いている、大ざっぱで、面白くなさそうな天国とは大違いです。

と、話しているところなどなど、流石イギリス人のユーモアにはあっぱれです。

 

この時期の心霊本は今の時代の様に批判を恐れたり、

個人の損得勘定なく書かれているものが多く、

研究や調査も至って真面目です。

信じる信じないは自由ですが、

どんな人でも肉体の死を迎える時は必ず来るので、

自分では霊などいるわけがないと否定していても、

本心では自分が死んだら一体どうなるのか??

どんな人でも知りたいと思うのが本音なのではないでしょうか。

 

霊界の教えというものはいわゆる神の道ですが、

それも霊界の階層の如く学ぶ量は膨大です。

(霊界に仏教やキリスト教などの宗教は存在しません)

ブルーアイランドに書かれているスピリチュアリズムは、

その中のごく一部の知識であります。

 

霊とは怖いものではなく、いつかは誰でもユウレイ(霊体)になるわけですから、

本来なら生前からコツコツと心霊の基礎知識を学び、

霊界の理解を深めた上で、あの世に旅立つのが理想なのです。

スピリチュアルは単なる遊びや趣味ではなく、

死後も永遠に続く私たちの長い人生を、いかに良いものに充実していくか、

これからは、その為の知識を習得する時代へと変わっていくでしょう。

 

真摯に学びを深めていく仲間が一人でも増えることを願っております。

 

ポポ山。

初めにポポ山より

不安になる方はご遠慮ください。

あくまでも都市伝説としてお伝えするので、あまり真剣に受け止めないでください。

ピオ神父がイエスから受け取ったメッセージはいくつかあるようですが、

暗黒の3日間とは、いったいどんな内容なのか聞かれることもあるので、

ある本を参考に書きたいと思います。

もちろんこれがすぐに起こるということはないのですが、

その前兆についても語っていますので、

そういえばそんなことを聞いたな~程度に、

どこか頭の片隅にでも覚えておいていただきたいのです。

文章の中に十字架の前にひざまずきと書いてありますが、

これはキリスト教の国で伝えていることなので、内容に宗教的な要素が強く、

日本人がそのようなことをする必要はまったくありません。

聖水も同じです。キリスト教は関係ありません。

自分が必要だと思うものを備えておけば、防災の見直しにもなります。

これが隕石や細菌兵器なのか、太陽フレアなのか?

それは分からないけれど、

もしかして人口がかなり減った後に起こる、

という説もあるので、

数年内の冬に起こるのか、

又は、数千年後に起こることなのか、

全ては天界の策りごとなので、

神のみぞ知る、ということでしょうか。


窓や玄関をしっかり閉じて3日間過ごすと書いてありますが、

よくあるお花畑スピリチュアルで、

3日間の後にアセンションして世界は良くなるなんて都合のいい話はまずないです。

そんな単純なものなら、

今ごろ皆がアセンションしてこの地球上から消えています。

なぜなら、

これからの時代は生き残る側が大変になるからです。

平和とはなんでしょう?

爆弾が降ってこなくても、心が荒んで不幸な人がどれだけこの日本にいるでしょうか。

逆に紛争地に暮らしていて、日々の生活がどうなるかわからない状況でも、

両親や誰かから溢れる程の愛情を受けている子供の心は、

平安に満たされているのかもしれません。

外の心配よりも、

身近にいる大切な人との時間を優先しましょう。

幸せはすぐ身近にあるものです。

ポポ山より

 

 

雷鳴とともに地上は三日間暗黒に包まれる 

体に聖痕を持ち、バイロケーション(同時に二ヵ所現れること)の能力の持ち主であり、時の教皇ベネディクト十五世から「神の人」といわれたピオ神父(1887~1968年)は、その″暗黒の三日間″について、キリスト(イエス)から次のようなメッセージを受けている。

「天の太陽と、月と、星に気をつけなさい。それらの動きが異常に乱れ、落ちつきを失ったようになる時、その日が遠くないことを悟りなさい。その日は大変に寒い。風がうなって吹きすさぶ。しばらくして、落雷の音が聞こえる。雲の中から火が暴風雨のようになって出てきて、全地にくまなく広がるであろう。嵐と、悪天候と、落雷と、地震が全地で起こり、火の雨が降り続く。

この大艱難は、稲妻の閃光の如く、地上にやってくる。その時、朝の太陽は暗い。暗黒にとって代わられる!この完全な暗黒のために、大きな混乱が起こる。全地は暗闇に覆い包まれ、そしておおぜいの人が恐怖と絶望で死ぬであろう。

その日、完全な暗闇が始まったら、誰も外出したり、窓から外を見てはいけない。暗闇は一日と一晩続き、さらにもう一日。家から一歩でも外に出る者は死ぬ。家の窓を注意深く覆ってしまいなさい。外を見たり、見回してはならない。神の怒りは聖なるものだからである。選ばれた民は、私の怒りを見ることはない。私を信頼しなさい。そうすれば、私はあなたを守る。

多くの霊魂が救われるために、腕を広げるか、床に伏して祈りなさい。自分自身の食料を十分に準備しておきなさい。家の外にいる者に話しかけてはならない。十字架の前にひざまずき、罪を痛悔し、我が母の保護を請い願いなさい」

 

ユーゴスラビアの幻視者ジュリアは、

1960年から1973年にかけてキリストから受けたメッセージ集「イエズスは招く」のなかで、

暗黒の三日間について、次のように幻視している。

「東のほうに血のように赤く染まった太陽が見えます。今、巨大な闇が霧のように、空に向かって昇っています。

しかし、太陽は依然として同じ位置にあります。そして、闇が太陽の一部に達すると、今度は太陽を覆い始めました。それは、まず、太陽の下半分をゆっくりと覆い、次第にその速度を増し、ついには全体を隠してしまいました。次に闇は、地上に降り始め、あたり一面を包み込んでしまったため、まったく何も見ることができませんでした。

その時には、まず初めに南方から生暖かい強風が吹いてきますが、この強風はすべての地上で感じられ、これが激しい嵐の前ぶれとなります。この後、すぐに約十回におよぶ雷鳴が全地に轟き、それによってすべての者がおののき震えるでしょう。

これが大艱難と暗黒の闇が訪れる時の印となります。そして、これらの現象は、三日三晩続きます。

これらのことが始まりだしたら、すぐに家のなかに入り、戸口や窓をしっかりと閉め切り、聖水で自分自身と家を浄め、(司祭によって)祝別されたローソクを灯さなければなりません。外では言葉にいい尽くせない恐怖が支配し、それを見ようとする者は、息絶えてしまいます。すべての悪魔が、(目に見える形で地獄から)地上に解放され、彼らは餌食と思ったものをことごとく破壊します」

 

部分的に要所のみお伝えしました

 

 

 

ホワイトサンズUFO搭乗事件第18最終話

この続きは中古本を購入してお読みください

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ダニエル・フライ著「私は円盤に乗った」久保田八郎訳

 

その後、この歴史は保存され、"偉大なる教訓″として知られ、子孫たちが実生活に入るときに最初に教えるものとなっている。

 
偉大なる教訓
 
きびしい環境で生きぬく戦いに勝ったときに、物質科学の発達が一般的なパターンを取りもどし、技術が急上昇した。しかしながら、人々の前にある過去の教訓によって、物質価値が社会価値と精神価値との相対的な関係を適当に保たれた。
 
その惑星がほとんど放棄されるほどになるまで宇宙旅行と宇宙生活がだんだん普通になっていった。ついには、宇宙に住むことは、惑星の気まぐれの中で生きぬくのにもがいているよりはずっとかんたんで安全で便利になった。
 
すべての宇宙に生活している人類のように我々は本質的に惑星から独立しており、我々の宇宙は君の標準で判断したら非常に大きく、我々の宇宙船の中で肉体生活の必要性と快適さのすべてを生みだす知識と能力をもっている。時々、新しくものを作るための原材料を得たりするために小惑星や人の住まない衛星に接近し、着陸する以外にはそういうことをするための乗組員はいない。我々の肉体的要求を満たすのにはほんの少しの時間と努力しか要求されない。
 
結局我々は発達段階にあって危険な状況を通過していない人類の援助に時間とエネルギーのほとんどをささげることができるんだ。私を運んで来て、私がこうして話をしているこの宇宙船はこの目的のために建造されたものなんだ。数ヶ月以内に、私の用意が整ったときに私は君たちの一員となるだろう。その間に、君は多くのことをやらなけれはならない。私は君がそれをやるのを邪魔したりしない」「ちょっと待ってくれ」と私はさえぎった。「この議論をする前に君はラジオやテレビの番組に出たり、新聞のインタビューを受けたり、本を書いたりしろと言ったね。これをやるためのかなりの手段を与えてくれたが、この演出をやるためのキーワードとか特別なゴールがあるべきだと思うが」
 
まず"理解″がなければならない
 
「もちろん」とアランが答えた。「君たちの言葉の中で最も重要な言葉の一つがしばしば見逃がされたり、同じような意味の言葉を使用することも忘れられたりする。しかし、それは実際に誤りに導くんだ。その言葉は"理解"だ。この言葉は"知識″、"知恵"、 "愛"、"慈悲″としばしば混同されているんだ。これらのすべては望ましい性質だが、どれも"理解″にかわることはできないんだ。
ジェミニ7号から撮影された2機のUFO。
1965年12月にフランク・ボーマン、ジェームズ・ラベル両飛行士が撮影した事で知られる有名な写真。
このUFOは長時間にわたりジェミニ7号を追跡した。
 
君が送ってくれたバイブルに ― それは知恵と宗教の本だが ― 君たちは"神と自分の隣人を愛せ"と忠告され命令されている。それがなされたとしたら、それはすばらしい忠告だったろうが、不幸なことに愛は意志に従わない衝動なんだ。忠告され、命令されたという理由ではだれも他の人を実際に愛することはできないし、なにか報酬をもらってもできないんだ。君が隣人を愛することができたら、お金持ちが君に沢山のお金をあげるという例を想像してみてくれたまえ。金だけを考えて入ったとしたら、君はおそらく叫ぶだろう。「私は金のためだけにあの馬鹿を愛するんだ。もし私を殺すというんなら、よくないぜ!」とね。おそらくそうだろう。君は見せかけの愛を作りだし、外見上は完全になしうるかもしれないが、心の中ではちっとも愛してなどいないだろう。事実、君は前にもましてその隣人を軽蔑するようになる。彼が君の偽善の生きたシンボルだからだ。どんな愛や慈悲や知恵がある前にまず"理解"がなけれはならないんだ。
 
君の人類と文明と社会に最も必要なものはかんたんで、人と人との間、国と国との間、すべての人々と自然を制御している偉大なる力と英知の間の基本的な"理解"なんだ。"理解"が君の人類が生き残るための鍵だ。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証などにおける価値は全く少ないことになる。
 
君たちの国家間に核兵器がはびこっているので"1グラムの理解は1メガトンの無煙火薬に相当する″ということを思い出してほしい。
 
君は今、キーワードをもっている。仕事は君のためにととのっている。うらやましいとはいえないが、お互いベストをつくそう。
 
君たちのラジオ放送がいうように"時間が来ました。終了致します。"」
 
●あとがき
 
これは終わりのない伝説である。主役はステージの上にあり演技は続いている。
 
アランが地球に住み始めて以来、数年の間に地球の慣習にも慣れ、その後向きの技術にも慣れた。アランは地球人の自分自身をあざむく努力や自分の友人をあざむくムダな努力を全く理解できなかった。
 
アランがやって釆た理由と地球の生活に適応するために直面した小さな問題点はこの本より厚い本を埋めつくすだろう。そうしても大丈夫なようになったら、いつの日か本に書かれるだろう。アランが必要なときに世界の指導者たちの潜在意識の心の中に達するのに使った電子的に増幅されたテレパシーは知恵と忍耐の数語を言わせるが、これもまたいつの日か書かれる技術報告書にだけ適する主題である。
 
アランはこの長い任務にまだ完全に成功していない。理解は依然としてまれで、むしろ一般の精神能力より劣っている。しかし、我々が依然として生きているということは、また文明や社会がそのままあるということは、アランと彼の仲間が完全に失敗しなかったということをも証明している。
 
もし、地球の大国間の緊張の現在の緩和状態が続く傾向になれば、アランは彼の非公式な、しかもだれにも感謝もされない世界の指導者の良心に関する仕事もやめ、全く信じようとしない世界に対して彼の真の起源を打ち明けるかもしれない。
 
(終わり)
 
(ここからはポポ山が書いていることです)
最後まで読んでいただいたことを感謝します。

光は闇をも利用します。
地球の人口は限りなく減らされるでしょう。
予定では最後に天変地異により僅かに生き残る程度です。
これは宇宙の意図です。
希望ある魂、神を敬う魂のみを地球に残します。
そして残念ながらまた一からリセットです。

私たちにとって大切なことは何でしょう。
100年も満たない短い地球での人生を、
どの様に生きてまた向こうへ戻りたいですか?
どんなに物質面での生活が豊かになっても、
どんなに高度な兵器を持ったとしても、
私たちは地球の大自然の脅威には到底かないません。
ムー大陸やアトランティスがなぜ沈んでいったのか、
なぜ神々は人口を減らしながらその都度地球をリセットするのか、
その理由を真剣に考えなければ、
時代はまた同じ繰り返しを延々と続けるでしょう。

まずは相手を理解することから始まり、
今の自分がどれだけ幸せなのかを思い、
自分の足元から小さな平和を築いていくことです。

あなたの人生が楽しく幸せに満ち溢れた毎日でありますように。
そして皆が心穏やかに暮らせますように。
長い間本当にありがとうございました。

ポポ山。

ホワイトサンズUFO搭乗事件第17話

GAサイトより転載(許可済)

ダニエル・フライ著「私は円盤に乗った」久保田八郎訳

 

文明の全滅は地球には以前にすでに起こっているし、現在の文明は、外部からの刺激がなければふたたび同じことになる段階にすでに入っているんだ。

 

人類は自分たちが創造したものに脅かされている

 
地球の全人口は君たち自身が汗水たらして、膨大な金と時間をかけて創り出したものによって全滅する危険に常にさらされている。人類はなぜ自分たちが創ったものに脅かされなければならないのか?
 
この答はもちろん、人間が自分の創ったものを制御し、創ったものがまた、人間を制御することができるような基礎を十分に発展させなかったという単純なものだ。君たちの思想家のほとんどは、核戦争は危険なものだということを知っている。しかし、それと同じようには理解されていない問題があるんだ。
 
地球の二大国間の緊張の度合いが適当な期間に緩和されなければ、そのような核兵器の存在は文明の滅亡をもたらし、少なくとも、ないようなものだとしても社会が滅亡することになる。
▲1993年3月8日、ドイツのブラウンシュバイクの写真家で野鳥観察家のカールシュテン・ブレットシュナイダー氏が新しいパノラマカメラで撮影中、ドーム付の円形UFOが飛んでいるのを見てすぐにカラー写真で撮影した。撮影された2枚の写真のうちの1枚。
 
未来を考え、未来のために働くという考え方をもつ人々によって文明は建設され、保持されていんだ。全人類が24時間で滅亡するとしたとき、だれが一体、未来に生まれてくる世代の利益のために彼の生命と仕事をささげる意志をもつだろうか?
 
次の10年間に緊張を緩和し、未来の安全が達成されないとしたら、次の世代の格言は次のようなものになろう。
 
"明日の死のために、食べさせ、飲ませ、地獄にしろ″だ。すでに、このようなことは新聞・雑誌に"少年犯罪者"に関する記事で現れている。何人かの記者は、これを両親や学校の責任と言い、他のものは教会や国の責任だと書いている。実際にはこれらの人々には特に欠陥はないんだ。若者はこのような不安に特別に敏感だ(君たちの精神分析医がこれを明らかにするだろう)が、しかし君たちの人類の歴史は未来が安全でなくなるなんて決して言ってはいない。
 
このときまで、二世代以上の人たちが切迫した絶滅の恐怖の下で生まれ育ってきたし、理解の状態は、この危険に対して責任がある社会の奥深くに存在する憤りの中に現れてきている。その憤りはいくつかの方法で姿を現してくるだろうが原理的には、受け身で激しい種々の形態が、信仰や道徳や制度とそれによって作られた権威の全ての形態に対して反感を感ずることなのだ。
 
「私はその問題を理解できる」と私はいった。「しかし、解決策は何だい? 現在の災いを感じている人は多いが彼らの助言はマチマチだ。何人かは我々の物質科学の進歩を止めるべきだといい、別の人たちは物質科学を完全に廃して動物が生きているように"自然に帰れ″というんだ」
 
「新しく大きな建物を建てるときに」とアランが答えて「計算違いによって、基礎ができ上がった建物を支えるのに十分強くないということを君が発見したとしたら、すでに建っている建物の一部を切りとって問題を解決するかい? そんなことはしない。基礎を大きくし、強くする方法を探すのが論理的な進め方だろう。
 
物質科学の進歩を止めることなどできやしない。それは進んだりもどったりはするにしてもだ。もどるとすると、それを支えている要素は退化のプログラムによってまず弱くなってきてそして崩壊することになる。
 
基礎的には地球の物質科学に悪い所はないんだ。もし、人々がそれを支えることができるような基礎を用意しないとそれほ夢想だにしなかったほどに水平に広がって進歩してしまう」
 
「もし、基礎がなかったら!」と私は言った。「君たちの文明は終わるさ」とアランがゆっくり答えた。「ほんの少しの生き残りを残して全滅するんだ。生き残ったものは彼らの科学と技術を再建する能力はないだろう。数世代の間に、彼らの子孫はほとんど動物のレベルにまでもどるだろう。進化の過程はふたたび始まるだろう。一万から一万五千年で他の文明と技術が起こってくるだろう。そして彼らも同じ問題に直面し、それを解決する同じような機会をもつだろう。もしそれに失敗したら、ふたたび同じ運命におちる宇宙の不変の法則なんだ。君にはわかると思うが、人類の自由選択によってなされるものなんだ。
 
地球の人類と文明は絶滅を宣告されてはいないんだ。人類はこの危険を永久に自分たちの後に追いやるまで進歩の道を進み続けるだろう。この選択は君たちのものさ」
 
「少しばかり疑問があるんだが」と私は言った。
「もし、選択するのにかわりのものがあったらどっちを選べばいいんだい?」
「まさに私がいて、君がいるのがその理由だ」とアランが答えた。
 
古代地球人のたどった道
 
「前にも言ったとおり、私の直接の祖先は地球の以前に破壊された文明の生き残りの一部なんだ。これは千世代も前の話だが、そのときでさえ現在の文明以上に進んでいた。
 
彼らは君たちが習慣的にそうするように、他のものとは対抗せず、自然法則の局面に従い、これを使用した。結局、彼らの科学は君たちのものに比べて単純なもので、君たちがやってみようと思わないことすら達成できたんだ。
 
しかしながら、彼らもまた、その進歩にしたがって、社会的精神的価値の同様の発達をとげる絶対的な必要性を理解できなかったんだ。この時代の二つの主要な国家の間に政治的社会的な裂け目が生じた。最初の話のときに言ったが、二国間の摩擦は年々増大し戦争へと発展してしまった。勝敗は問題ではなく、単純にお互いを破壊したんだ。生き残りは少なく、地上の放射能レベルは人間の許容値を超えて上がった。
 
生き残りの人々が放射能ですぐに死んで全滅したということではない。精神的肉体的な機能の低下を促進したということだ。続く世代には望ましくない変化も沢山あり、彼らをそう長くはないにしても石器時代のレベルにまで落としただろう。
 
今のチベットの高原の上に、残った宇宙船が6台、彼らの乗組員によって着陸したんだ。人類の生き残りを保存するために何をすればよいかを決定するための会議のためだった。結論は他の惑星に行こうというものだった。そのときの宇宙船は宇宙飛行に使用できるもので、時々は数百キロメートルの高さまで上がるのに使用されていたが、惑星間の広い空間を渡る試みはなされておらず、乗組員には成功できるなどということは考えられなかった。
 
火星として知られている惑星が地球に近く、横切って行くことができそうに思われた。
 
その頃は火星の温度、大気、水等の表面状態は現在の天文学者が報告しているものよりも人間が生きるのに都合のよいものだった。
 
採決がなされ、4台の宇宙船の乗組員は少なくとも人類の文化の一部を保存する希望をもってこの大きなギャンブルにかけたのだった。残りの2台の乗組員は地球に残ることを決定した。彼らは集まった高地の高さでは放射能レベルが比較的低いので彼ら自身や彼らの子孫に肉体的、精神的な退化を起こすことなく生き続けることができると判断したんだ。
 
私は君の心の中に生じている疑問が理解できる。だから、この人たちは男女を均等配分し、両方ともこの代表としてこの船に同数乗り組んでいたと説明しておこう。
 
この火星への飛躍をした4台の内3台は彼らの目的地に到着した。4台目の運命は我々の歴史に記鐘されていない。
 
数世代にわたって、生き残るための不屈の闘争のために時間とエネルギーが全部つぎこまれた。この時代は新しい人類にとっては暗い時代であった。このあたりの知識は比較的少ないんだ。最初の乗組員たちは新しい惑星に着くとすぐに地球人頬の歴史を書き、全滅した理由を書いた。
 
第18最終話へ続く