★メッセージ★
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Pearlma(パルマ)です。
2020年、
「わたしを幸せにする!」
に、
真剣に取り組んでいきます♪
帰省した際は、
いつも父と母が駅まで
車で送ってくれる。
その際は、
外食をするのも通例行事。
当時のわたしに響いたワードは、
心配ではなく信頼
心配を口に出すと
どうしても制限になってしまう。
けれど、
自分の想いを
しっかりと伝える。
それは絶対に相手に伝わるから
信頼につながる。
・・・・・・
もう5年くらい前になると思う。
駅まで送ってもらう途中で
食事をした際、
想いを込めてこう伝えた。
『心配させているの、わかってる。
わたしが色んな事に興味もって
ハマっては、放り出して
結局何にも
身についてないかもしれない。
けど、
心配じゃなくて
信頼してほしい。
わたしは、今、不幸じゃない。
今のわたしを信頼して。』
泣いていた。
時々つまりながら、
ありったけの想いを伝えた。
そして、通じた。
父はポツリとこう言った。
『信頼してるよ』
母は静かに泣いていた。
・・・・・・
学びを実践し、
想いが通じたのに何故?
むしろ今までよりも
激化した心配が
やってくるのは何故か?
現実的には
何も改善されていないから。
・・・・・・
両親にはこう見えただろう。
信頼して、見守っていたのに
現実的には悪化している。
想いを伝えた当時は
正社員だった。
結構、いい年収をもらっていた。
それが、
病気で会社を辞めて無職になり、
太った体型は変わらず、
結婚どころか恋人もいない。
やっぱり、自分達が
しっかりと娘を導かねば。
と。
・・・・・・
心からの想いだった。
やっとの想いで伝えた。
けど、
あの時、わたしは
わたしの幸せを知らなかった。
逃れたかった。
心配という呪縛から。
求めていたのは
何も言ってこない両親
だった。
そもそも
この人生の中で
不幸だったことはあったろうか?
小学校時代のイジメ?
友人の裏切り?
社会人になってからの
パワハラにウツ病?
その時々、本当に辛かった。
けど、
不幸だったと感じたことはない。
と、思う。
だから、
あの時言った『不幸じゃない』
は、
いつものことだった。
いつもわたしは
不幸じゃなかった。
両親にどんなに心配されても
不幸なことはなかった。
逆に
『幸せ』を考えたことはなかった。
求めているものを
わたしは知らなかった。
この人生にもたらしたい
わたしの幸せ
それは何だろう?
当時のわたしには
わからなかったことが
今のわたしにはわかる。
当時、
不幸じゃないその先のヴィジョンが
みえていて(わかっていて)
伝えられたなら
両親の心配という名の愛も
少しは違ったのかもしれない。