ベートーヴェン「交響曲 第9番」《合唱付き》 作品125 | クラシックばっか 時空間

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今日 12月31日(木)は、第1次世界大戦後に初めて『第九』が演奏された日です。

 1918年の暮れ、やっとのことで第一次世界大戦が終結となりましたが、ヨーロッパの人々は新しい年を迎えるにあたり、戦争のない平和な世界こそが願いでした。今日 12月31日(木)は、第1次世界大戦後に初めて『第九』が演奏された日です。

 1918年の暮れ、やっとのことで第一次世界大戦が終結となりましたが、ヨーロッパの人々は新しい年を迎えるにあたり、戦争のない平和な世界こそが願いでした。

 ライプツィヒ郊外の村(現在はライプツィヒの一部であるゴーリスという土地)で詩人シラー(1759~1805)が『歓喜に寄す』(1803年)を書いたという所縁もあり、1918年12月31日の午後、日が暮れる時間に村の労働者教養協会の主導で、100人の演奏家と300人の歌手によってベートーベンの『第九』が願いをこめて演奏されました。

■ベートーヴェン「交響曲 第9番」《合唱付き》 
ーーー (約86時間) ーーーーーーーーーーーーーー

 

1942年

 https://www.youtube.com/watch?v=FQrW2ViiSyo

 

■2020年12月31日 ーーーーーーーーーーーーーー

 その伝統はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって受け継がれ、毎年暮れ(現在の大晦日コンサート開演時間は午後5時)になるとライプツィヒでは翌年の平和を祈って演奏され続けています(第2次大戦のため1944~81年は中止)。 

東ドイツ崩壊後の統一ドイツでは、1992年に中部ドイツ放送協会 (MDR)が再設立され、それ以来毎年大晦日の午後、「暗くなり始める時間」にシラーやベートーベンが世界・人類に望んだ平和を歌い上げる「第九交響曲」が演奏され、多くの国々に同時放映や同時放送されています。
(ベートーヴェン生誕250年である2020年の大晦日は、午後5時から、アンドリス・ネルソンズ指揮により、行われるようです。)

 

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の「交響曲第9番」ニ短調 作品125 は、ベートーヴェンの最後の交響曲です(第10番は未完)。副題として「合唱付き」が付されることも多いです。

 第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられる。第4楽章の主題は『歓喜の歌(喜びの歌)』としてもよく知られています。古典派のそれ以前のあらゆる音楽の集大成ともいえるような作品であると同時に、来るべきロマン派音楽の時代の道標となった記念碑的な大作であり、多くの作曲家たちが影響を受けました。

 初演は1824年5月7日、ウィーンのケルントネル門劇場において『ミサ・ソレムニス』の一部の曲「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともにミヒャエル・ウムラウフの指揮により行われました。ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが事実上指揮を行い、ベートーヴェンは彼と並んで、各楽章のテンポを指示する役目で時々身振りをしながら立っていました。

 この初演のときの様子ですが、目撃者の話では、「彼が指揮をする段になると、まるで気が狂ったように腕を振り回し、背伸びをして両手をあげたかと思えば、次の瞬間には体を折り曲げて地上に伏せるような姿勢をとる。彼は自分一人で全ての楽器を演奏しまくり、合唱団全員にかわって歌いまくっているかのように手拍子ばかりでなく、足でも床を踏んで歩き回るというふうであった。」と。

これを突然見たならば、滑稽きわまりない光景であったに違いありません。しかし、オーケストラもコーラスも聴衆も、ベートーヴェンの性格をよく知り抜き、またこの人物が現在演奏中のもっとも感動的な音楽を創造した当人であるという意識によって、ただただ感激に包まれ、この情景をだれ一人笑う者はありませんでした。

 演奏者たちは、実際に指揮をしているウムラウフだけを見つめていました。その側らに立ったベートーヴェンは、曲が終わっても興奮のあまり、聴衆の割れるような熱狂や喝采など、まるで無関心であるかのように突っ立ったままでした。
 実際 彼には何も聞こえず、会場の鳴り止まぬ拍手やベートーヴェン・コールが続く中、彼は半ば放心状態で聴衆に背を向けたまま立っていました。
 それを見かねたアルト独唱者のカロリーネ・ウンガーが、彼の両肩をつかんで彼を熱狂おさまらない聴衆の方に向けた時、ベートーヴェンは初めて驚いたような表情で、感謝の印に聴衆に向かって頭を一回だけ下げたのでした。


 
 1824年の初演は大成功でしたが、それ以降の演奏会では失敗続きでした。理由の一つとして、当時の民間のオーケストラ(宮廷楽師や独学のアマチュアなどが混在したもの)の演奏水準が低かったことがあげられます。そして、演奏不可能であり、「駄作」という評価が定着し、演奏されなくなってしまいました。

 しかし、 1846年、当時ザクセン王国の宮廷楽団(現在のドレスデン国立歌劇場管弦楽団)の指揮者に任命されていたリヒャルト・ワーグナー(1813~1883)によって、『第九』の復活演奏が行われ、大成功に終わります。そして、これ以降、『第九』は「傑作」という評価を得るようになったのです。

 1872年、バイロイトに祝祭劇場を建設する際の定礎記念として、選帝侯劇場においてリヒャルト・ワーグナーの指揮で『第九』が演奏されました。その縁もあり、『第九』はバイロイト音楽祭においてワーグナーの歌劇・楽劇以外で演奏される唯一の曲となり、以後、何度か演奏されています。(第1次世界大戦のために1915~23年は中止されました。また第2次世界大戦により1945年から中止となっていましたが、1951年に再開され、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、バイロイト祝祭管弦楽団による記念碑的演奏が行われました。)

■『第九』フルトベングラー(「1952年)
ーーー (約86分) ーーーーーーーーーーーー

 

https://www.youtube.com/watch?v=LrfwZzua7fA

■2020年12月31日  ーーーーーーーーーーー

(フルトヴェングラーの『第九』の演奏で、特にすさまじいエネルギーを感じるのは、1942年の演奏だと思います。フルトヴェングラーのカリスマ性が十二分に発揮されている演奏です。大好きな演奏でフルトヴェングラーの『第』九と言ったら、この1942年盤をお薦めしていました。でも、各楽器のパートの録音バランスはどうかというと、大好きな第4楽章のヴァイオリンで合唱に付き添って刻む大好きな3連符がよく聞こえないのです。

 その点この1952年のウィン・フィルとの演奏では、高揚感は抑えられているものの、気持ちいいほどちゃんと聞こえてくるのです。(ただし、同じ録音でも、CDを出している会社の違いによっても微妙に音質の違いがあります。)


ハオルチア「レインボウ ピグマエア」

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ベートーヴェン