フランツ・リスト  交響詩「マゼッパ」 S100 R417 | クラシックばっか 時空間

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 1854年の今月、4月は、フランツ・リスト(1811~1886)の交響詩「マゼッパ」が、初演された月である。(1854年の今日、4月16に行われたとする説もある。)

 本「交響詩」が完成されるまでの変遷の道のりは非常に長く、1826年(15歳の時)に書かれた「すべての長短調における48の練習曲」にさかのぼる。翌年の1827年にフランスで作品6として出版されたが、実際には全12曲の作品であった。その後1839年に大きく拡大され、改訂や補筆が行われ、師のカール・ツェルニー(1791~1857)に献呈された「24のピアノ用大練習曲」(これもまた全12曲)が出来上がった。

 その後、「24のピアノ用大練習曲」の第4曲目「マゼッパ」を1840年に単独で改作し、フランスのロマン主義の詩人で小説家のヴィクトル・ユーゴー(1802~1885)に献呈している。そして、1852年に再び全12曲を取り上げ、各曲に標題を付け、より技巧的な要素を盛り込み、今日 リストの作品の中でも有名な「超絶技巧練習曲」として発表する。それと平行して、1851年頃にピアノ曲の第4曲目「マゼッパ」をもとに交響詩を書き始め、年内に仕上げる。さらに改訂して、1854年春にようやく完成した。

 本曲は、ヴィクトル・ユーゴー(1802~1885)の長大な詩『マゼッパ』(1828年4月)と同名の題名を持つ。マゼッパは、ウクライナの国民的な英雄であり、若い頃にポーランド国王ヨハン・カジールの宮廷に召使いとして仕えていたが、ある貴婦人と親しくなったため、この貴族の恨みを受け、裸にされて一頭の馬に縛り付けられそのまま荒野に追放されてしまう。あわやこれでおしまいかと思われた死の直前にウクライナで助けられ、コサック兵の仲間に加わる。そして、その活躍が認められてやがて首長となる。ユーゴーの詩の第二部ではマゼッパを困難に立ち向かう詩人になぞらえ、その勝利が謳(うた)われるという内容であり、まさにリスト好みの題材を持つ。 

 初演は、1854年の4月に、ヴァイマルの宮廷歌劇場管弦楽団の基金募集音楽会で行われた。

 今日ご紹介する交響詩「マゼッパ」は、アレグロ アジタート(興奮して速く)、ニ短調、6/4拍子で始まり、中間部(第2部)はアンダンテ(歩く速さで)。そして第三部 アレグロ(快活に速く)は行進曲風のリズムで、マゼッパの苦悩からの解放と歓喜を謳い挙げている。


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□1□(演奏時間:約15分)
■1■ 交響詩「マゼッパ」S100 R417 □ ▶ Franz Liszt - Mazeppa - YouTube


□2□(動画)(演奏時間:約18分)
■2■(動画)交響詩「マゼッパ」S100 R417 □ ▶ Liszt: Mazeppa - YouTube


□3□(演奏時間:約16分)
■3■ 交響詩「マゼッパ」S100 R417 □ ▶ Franz Liszt - Mazeppa, symphonic poems No. 6 - YouTube