まさや爺さんの贈り物

まさや爺さんの贈り物

このブログは、家庭菜園とフォルクローレを趣味にして、つれづれなるままに、書いたボケ防止の練習ブログです。

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 善光寺絵図

 古いアルバム

 

古本屋に急に行きたくなることがあります。それは、ラジオやテレビを見て、気になった人の本が読みたくなる時や、本を読んでもっと知りたくなった時などもそうですが、ただ何となく行きたくなる時があります。そんな時は、古本屋さんの本棚をぼんやり眺めることもあります。


 するとなぜか目に飛び込んでくる本があります。それは本の方から「面白いで」と言っているように感じるときです。その時は、著者紹介を確認して、帯の寸評を参考に、はじめのページを確認します。それから金額を確認します。そうしても読みたい本の以外は、古書店では250円以下の金額です。


 古書店では、10年未満のものは、定価の半額ですが、10年以上の場合は、100円となります。ネットで1円の本は、送料が250円ぐらいなので、古書店の本が安くなるのは、250円以下の本となります。それに古書店では、全品半額となります。そんな場合は、なぜか100円以上の本を買います。


 値下げ幅が大きいからです。普段セールでないときには、土日のセールに向けて、買いたい本を選んでおきます。先日古書店に行くと、「全品半額」でした。1000円の本が、古書店では半額ですがさらにセールで半額で250円となります。すると本棚での気ままに見て回る逍遥が始まります。


 こんな時は、本を探すのではなく、本が語りかけてくるのに任せます。今回がそんな感じでした。ぼんやり本棚を眺めていると、大きな「善光寺」という文字が飛び込んでいました。子供のころよく親に連れて行かれて善光寺参りしたものです。


 それは、信仰心でなく、境内にインドの白いコブウシと池に鯉や亀がいたので、それを見るのと、駅前のアイスキャンディー屋さんで食べるのが目的でした。また善光寺の「おびんずるさん」のところで、自分の悪いところをなでるとよくなるというので、頭をよくなでたものです。


 さらに拝殿の下に、真っ暗なトンネルがあり、その中のカギを触るといいことがあるというので、そのために善光寺に行くのがとても好きでした。そんな子供のころの思い出があるのですが、善光寺がどんなお寺でどんな由来があるのか知りませんでしたからその「善光寺」という背表紙を見た時手に取りました。


 著者は、なんと上條逸雄さんという長野県出身の放送作家で、「サインはV」「積み木くずし」などテレビ脚本を書かれていました。初め文章は、自分の地元の「裾花川が旭山を背にして、長野市の西側を流れ、犀川と合流して、千曲川に流れ込んでいる。」から始まっていました。


 自分は裾花小学校に入学していたので、へぇーそうなんだと「善光寺案内」のつもりですぐ買いました。そして買ったものは、はじめの文を読んでから、自分の書棚に入れるので、読んでみるとなんと小説のような感じなので、もう一度表紙を見ると、小さな字で、「なぜか信濃葉は」と善光寺前に書かれてありました。


 ところが小説風ですが、善光寺の紹介を余すところなく写真入りで、書かれてありました。善光寺の裏山の記述のところで、往生寺からの善光寺平の眺めは、裾花川も見れ、子供のころ歌ってたうた「夕焼け小焼け」のうたは、草川信という作曲家がこの裾花川の風景を思い浮かべながら作曲した曲だそうです。


 「夕焼け小焼けで、日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る・・・」というお寺の鐘は、この往生寺の鐘だそうで、自分も子供のころ聞いた鐘の音のだそうです。そういえば、子供のころよく鐘の音を聞いたようで、この歌詞が何の抵抗もなく、自分たちの歌のように歌えたのがわかりました。


 そんな感じで読み進めると、善光寺の由来やなぜ善光寺というのか、「牛にひかれて善光寺参り」は、子供のころは、おばあさんになっても牛にひかれて善光寺にお参りすることもできるくらいに思っていましたがちゃんと昔話があり、親鸞さんも良寛さんのいろんな方が訪れていることも知りました。


 また善光寺を紹介しながら進められる脚本につい引き込まれ、どんどん読み進み一気に読みそうな雰囲気です。子供のころの思い出の池を、本の中に差し込まれた古い絵図の中に見つけ、子供のころが目の前に広がり、古いアルバムをめくりました。


 今、尺八で習っているのが「夕焼け小焼け」なのも不思議な縁です。冥土に向かう死者が必ず善光寺に立ち寄ると言われています。そして別れた人たちと会える場所でもあるので、いまだにたくさんの人たちが訪れるようです。自分もここに納骨しようかなと思うほどでした。

 燃える切り株

 池に中に空

 相談が辻の家

公園内の草刈も終わり、これからは公園の整備作業のお手伝いをすることになりました。今年の夏に草刈した蓮池の横の棚田で、集めてきた剪定された樹木の枝葉を、どんと焼きをした跡地で焼くことになりました。朝から火の番をすることになりました。

 昔、山のお手伝いで、竹林の中でシイタケの原木栽培をしたことがありました。その時竹林を整備するとたくさんの不用な竹が出てきたので、のこぎりやチェンソーで切って一日中焼いたことがあります。もったいないなぁーと思いながら、「バンブー・バンブー」と竹が破裂する音を聞きなら焼いたことがあります。

 今回は、まず消火の準備をしてからでないと火をつけられないそうです。まずポンプで池の水をくみあげてからとなりましたが、ポンプがあまり使ってなかったので、大事な時に動かなくなりました。応援を頼んで、エンジンポンプを手配して、何とか火をつけることができました。

 なかなか着火しないので、苦労しました。自分も畑では、草木の乾燥したのを焼くことがありますが、その場合は、ガスボンベの点火器を使用するので、容易に火が点火します。しかしライターを紙切れでは、なかなか生木は、燃えてくれません。

 そこで軽油を染み込ませた布きれを使うことにしました。すると一気に燃え上がりました。三か所で燃やしましたので、盛んに燃えるところにどんどんくべることになリました。それを運んだりしながら燃えやすいように樹木を放り込みました。

 この燃焼でびっくりしたのは、山のお手伝いで薪つくりをしていたので、木の切り株をそのまま燃やす方法でした。山のお手伝いをしているときは、不要なたとえばあまり薪に適さない針葉樹林のスギなどは、ぱちぱちはぜるし、すぐ燃えてしまうので、割ってから暖を取るために燃やす場合があります。

 今回は、ブロアーで空気を送って、温度を上げて燃焼させる方法でした。会社の焼却炉で燃やす時に、操作盤にブロアーという表示があって、それを強にすると、とても燃焼が早くなったことを思いだしました。また、送風機でたき火に風を送っていると、たたらのフイゴを思い出しました。

 近くには、相談が辻という義経が一の谷の決戦の時に、相談したという辻があり、その横には、相談が辻の家があります。屋根を見るとまるで神社の千木(ちぎ)のようなものが屋根の上にのっており、古民家の特徴のようです。

 シカが入った谷

 谷底の笹

 まだ寒い冬


里山の草刈といっても、森の中の谷間に繁茂している笹を刈っています。3メートルぐらいの高さのある笹の上は、葛の蔓が絡み合い、その上に、落ち葉がたまり、自然の屋根となっています。それが谷全体を覆い尽くしています。その下で獣たち、シカ、イノシシ、アライグマなどが生活しているので、獣道ができていました。


 それは、まるで別世界です。刈っているといのししが様子を見に出てきました。笹といってもいろいろで、メダケなどは、白壁の中の骨組み、天井、キュウリの支柱、釣竿や工芸品(笛など)に使われていたのですがそれは、今の時代プラスチックに変わったしまったようです。


 さらにヤダケ節から一本だけしか枝が出ないので、矢が引っかからないようです。そんないろいろの笹があり、今年初めての笹刈だったので、これが矢竹でこれが女竹とすぐ区別できませんが、笹が何種類かあるのは、刈っていて感じることがありました。


 今回は、急斜面に梯子をかけて、笹を刈りました。昔笹のお世話になていた時は、わざわざ植栽して、育つと今年は、たくさん取れたと言って、屋根裏に保管して、寒い冬は、囲炉裏などのそばで、土間に置いた材料の笹で、いろんな工芸品や建築資材を準備していた光景が目に浮かんできます。


 これくらいの高さの笹を切るのは、専用の二枚刃の草刈機でないととても無理で、これでも数本が固まっていると、回転が止まるほどです。ですからこの野郎と笹に向かうのではなく、ボチボチ刈らしてもらいますよと、おばあさんになったつもりで、ゆっくり作業を進めるのが、コツです。


 また刈り方に注意しないと自分の周りが針の山になってしまいますので、上から優しく、低くなってねと押さえつけておきます。そうしとかないと長靴や地下足袋に刺さってしまうこともあります。そのため丈夫な長靴が必要になってきます。今回長靴につけたアイゼンは、注文生産だけあって、すぐ外れたりしません。


 最後に柵の下が刈られていなかったので、ロープで刈ることにしました。鎌で刈ってもいいのですが、かなり長い距離なので、腰をかがめて刈り取るのが大変です。歩くだけで15分ぐらいかかるところです。他人の仕事は、楽に見えるのか、こんなのだったら谷底の平坦な場所を刈る方がましかもしれません。


 次にやるのが道路の両側の笹を切る作業でしたが、車が通るので、強力な二枚刃が使えません。チップソーの方が石を飛ばさないからです。ところが笹を切るとすぐ切れなくなったり、作業効率がものすごく低下します。よく道路のそばで草刈り機を使い、一人が網を広げて、石が飛んでもいいようにしています。


 あまりに作業効率が落ちるので、走路際の笹を残して、見通しが良くなってから車が通らないのを確認して、最後に道路際を刈り込むことにしました。そのため作業効率はアップしました。道路から笹があまり見えなく視界が開いて何か明るくなった感じです。また周りの地形がよく見えるようになりました。


 深い谷

 ダンプアップ

 枝葉

公園の中で草刈りをやり始め、6月の開園に向けて草刈は、終わりになりました。これからは、芝生などを根付させるためとか公園の整備事業のお手伝いをすることになりそうです。お手伝いといいますか公園の整備作業をすることです。今日は新たに伐採した枝葉をダンプで集めて回り、それをどんと焼きのところでおろしました。


 今日は、昨日の残りの作業、見通しを利かすために、できるだけ笹を刈り取ることです。ちょっとした空き地があると匍匐茎で群落を作る。匍匐枝(ランナー)ともいうそうで、イチゴが代表的に匍匐枝を伸ばして増える。最初のランナーは、元気がよすぎるので、次郎さんがいいという。


 畑で家庭菜園をしていると、笹が畑に侵入してくる。その匍匐茎の先端は、びっくりするくらい尖っている。これでどんな地中でも進んで侵入してくる。そのため波板を里山と畑の間に深さ30センチくらい打ち込んでおく、出ないと畑が笹で占領されてしまう。


 実家では、斑入りの笹などを竹林の下に、植えてなかなかな風情を楽しんでいたが、自分の畑にどんどん浸食してくる笹は、とても不愉快なものである。公園では、その笹がとても不愉快なものとなって、目前を遮るものとして、除去される。林間の下を覗きこむと鏡のような深い池が見える方がいい。


 先月NHKの番組の「奥の細道」で長谷川櫂さんの解説を聞いて、「そうなんだ」と思った。松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む 水の音」という静寂を表した有名な句は、松尾芭蕉が「ぽちゃん」と水の音を聞いて「蛙 飛び込む水の音 」と詠んだそうだ。


 そしてそのあと「古池や」と付け加えたそうだ。それによって、静けさを表現したようである。「ぽちゃんと カエル飛び込む水の音」でなく、「古池が」とてもカエルの水の音まで表現されているような感じである。そして草刈りは、仕上げでブロアーで道路の落ち葉を飛ばしました。


 それからダンプカーに乗って公園の道端の枝葉の選定というかこれも見通しを利かすために切り落とされた枝葉を載せて、今年どんと焼きが行われたところにダンプアップして明日燃やす準備をしました。小さな軽トラックのダンプは、乗ったことがありますが、こんな4トン車のダンプは、初めてでした。


 でも大したもので、とても乗りやすく軽快なものでした。自分はブロイラー、採卵鶏の雛移動で、大きなトラックに乗ったことはありますが、仲間が初めてなので、昼から交代してダンプで枝葉を運びました。明日は、その枝葉を田んぼの中で燃やす作業があります。







半年間、棚田と里山の草刈りをやってきて、最後の締めくくりは、森の草刈です。谷間に埋め尽くされた笹と葛の蔓との格闘でした。今回笹について、クマ笹くらいしか知りませんでした。ところが森林の谷間には、3メートルぐらいの笹が生えていました。


3メートルもあったら竹やでと思って、見て見るとタケノコの皮が大きくなっても枯れるまでついているのが、笹だそうで、それをハカマというそうです。昔は、竹の節を「よ」といったようです。その世に竹をつけたのが笹だというそうで、竹は、高い大きいから「タケー」古代人が言ったのかなぁーと思います。


 自分の尊敬している福井県出身の白川静さんによると「世」の字は、分かれた木の枝に芽が出ている形、草の芽の生え出る形が生、木に新しい枝が3本伸びた形が「葉(よう)」(ふだ)その木の枝の上のものが「葉」である。と書かれてある。


 「世」は、竹の節と言われた理由がわかりました。木の枝に芽が出ている感じから来ていたのです。笹は、竹に似ているので、竹かんむりがついているぐらいしか知りませんでした。最近本を読むのが楽しくなってきました。しかし目元がおぼつかなくすぐ疲れて寝てしまいます。


 ササと竹をネットで調べてみると笹は、「竹の葉 サラサラ 軒端に揺れる・・・」という歌のように、その音から来ているようです。古代人は本当に自然から見たり聞いたりしたことを言葉にしており、自然と共生していたのだとわかります。そのためか自然の中に身を置くとなぜか懐かしさを感じるのかもしれません。


 さらに驚いたのは、低いのはクマザサ、高いのは女竹(苦竹)と思っていたのですが、竹にも、真竹、孟宗竹などあるように、背の高い笹にもヤタケ、姫竹、メダケなどいろいろあるようである。ヤタケは、矢や筆軸、釣竿、キセルなどにも適しているので、武家屋敷などには、植えられている。


 急斜面の笹刈は、蔦が絡んだりして大変であるが、うまくいかない時こそ、ゆっくりとおばあさんになったつもりで、ボチボチやると意外に作業が捗る。笹に向かって挑戦するより、一歩引いて、やるとうまくいくことがある。



 ササで覆われた谷


 蝋梅にメジロ

 ボケの花

 沈丁花のつぼみ


里山と棚田の草刈のお手伝いが少なくなったので、運動不足になると思い、裏山と公園を散策しました。というのもここ最近にないうららかな春の足跡が聞こえてくるような感じです。いつも今頃咲き始めるのは、ボケの花です。ボケは、漢字で書くと「木瓜」と書きます。


 それは、木にできた瓜のようだからです。学名が「chiaenomelon」裂けるリンゴということだそうです。裏山への階段横には、赤い花と白い花とその斑点の花が咲いている。花言葉が先駆者というように、梅や桜よりも早く咲いている。そこから、オオルリなどと会える奥須磨公園に向かった。


 近くの公園に向かうところで、ふと庭木を見ていると昼の日差しを浴びて、黄金色に輝いている黄梅を見ました。見事です。まだ梅は早いこの季節ですが黄色い梅に見えました。それにしても早いと思いました。でも黄梅ならば、黄色い花ですが、ロート状になったレンギョウのような感じですがこれは丸です。


 オウバイでなくロウバイという晩冬(小寒(1月6日)から立春の前日(2月3日)までの季語なので、おそらくこの季節に咲くもののようだ。金色に輝くので見とれていると突然そこにメジロが5羽飛んできた。依然メジロが枝の上で、おしくらまんじゅうして、一番枝先のメジロから飛び立って行ったのを見た。


 ははぁーんこれが「目白押し」かと納得した。そしてこのロウバイ(蝋梅)にメジロが集まるのは、花の蜜を吸うからで、鳥は、虫を食べているという先入観がある。一番は、ツバメの鳴き声は、「土食って、虫食って渋い、渋い」であるというのもあり、花の蜜を吸うのは、ハチドリぐらいと思うが、違うみたいだ。


 もうすぐ椿が咲きだすが、するとそこに鵯がやってきて、メジロと取り合いをするそうだ。あんなに大きなヒヨドリがよく、梅や桜の蜜も吸うようだ。これから花が咲いていたら近くに鳥たちがやってきている可能性が大である。それから公園に行ったが、キビタキやジョウビタキには、会えなかった。


 これからは、中国では迎春化といわれる黄色い花の黄梅や春を告げるレンギョウが咲いてくる。オウバイとレンギョウもよく似ているが、レンギョウは、4弁花であるのでよくわかる。家の前には、沈丁花が今にも咲きそうな感じでつぼみをつけている。


 黄梅がモクレン科なので、黄梅が咲けば、モクレンやコブシなどが咲きだし、早く畑に種を蒔きなさいと教えてくれる。そして桜が満開となり、同じように蜜を吸う鳥たちが集まってくるのだろう。毎年同じようにきちんと順番を間違えないで、咲いてくる不思議さと、さらにそれに集まるアブ・ハチ・蝶がやってくる。大したもんだ。


 

 ムックリ


 同じ著者

 写真集

久しぶりの再会である。自分にとっては、刺激を受ける友人である。先輩との出会いは、ケーナ教室でした。60歳の役職定年の時に、何かしようと、やり始めてあきらめたケーナを習うことにした。継続雇用なので、探したケーナ教室で一つだけヒットして始めたのがこのケーナ教室であった。


 当時ここでリーダー的先輩がこの友人で、とても紳士的な感じがした。帰る方向が一緒なので、いろいろ話しをすると、自分の家庭菜園の途中に住んでおられた。できた野菜をおすそ分けしたりしていると、部屋で、白川静の本を紹介された。


 そして藤堂さんと白川さんのプリントをもらい読むと興味がわいてきた。調べると自分が育った福井の出身で、自分が受験した大学の東洋史学科と関係が深く、就職しところにある博物館で近くに住んでいたので、よく奥さんとよく行ったところでもある博物館と関係が深い。


 出身の小学校では、よく野球をしたことがある。自分の選択によっては、白川静の教え子となっている可能性が高い。そして先輩に教えてもらった古本屋逍遥をしていると安い価格で白川静の本が売られていた。その後テレビなどで、白川静がどれだけすごいかを中国人に教えてもらいました。


 中国人に「日本人だったら絶対に白川先生の本を読むべきだ」と言わしめたこの先生がなぜ自分は、学校で習ったことがないのか不思議に思ったものである。それからというものは、白川静の書物を古本屋で見つけると無条件で買うことにしている。


 特に最初の一般書である「漢字」が100円で売られていると、なぜ100円なんだと言って購入したものです。ケーナのほかにそんなことも教えてくれた先輩と会うことになりました。依然自分が貸してあげた「幻の漂流民・サンカ」と「河原者ノススメ」を返してもらとともに、5冊の本を貸してもらいました。


 普通本の貸し借りは、その人の好き嫌いがあるので、あまり好きではありませんでしたがこの先輩とは、民俗学的な歴史で共通しているので、とても楽しみにしています。そして友人の奥さんと自分の奥さんが済んでいる地区が同じところであり、自分が古民家に興味を持って整理をしているときに、あの大阪の阿倍野の昭和町のことを知りました。


 そしてそこで行われた二胡の演奏会など、甥と学校が同じとかとても縁があるように思えます。今回も三宮であって、昼食後、古本屋めぐりをしても、先輩が「今何に興味を持っている?」といわれるので、縄文時代・三内丸山・アイヌ・北海道というと、すぐ古本屋で萱野茂の「アイヌの碑」を見つけてくれました。


 「あれどこかで見た著者」と思いすぐ購入して帰ると家には、同じ萱野茂の「アイヌの昔話」がまだ読まれていない本棚に置かれてあった。そしていつもお世話になる昭和町のが書かれている「あのころの阿倍野」という写真集をもらったのですが、この阿倍野区は、自分の奥さんの実家のあるところです。


 とにかくこの先輩は、会社の友人のお父さんも同じ学校の先輩だったり、とにかくとても縁のある方です。とにかく今回返していただいた書物、自分の仲人に紹介していただいた書物です。とにかく縁のある先輩には、また尺八も一緒にやろうと誘いました。


 日本の中でまだ行ったことのない都道府県は、北海道だけです。一度事務局になり、北海道へ行く計画を立てたところ、入院してしまい、引率者をほかの人にお願いしたことがあります。でも北海道への気持ちは、父のクマの土産をはじめ、ムックリなどもう何回も行ったような感じです。

 パンフルート

 サンポーニア

このたびは、先生の奥様の代講です。でもよくご一緒に来られるので、実際は、いつも教えてもらっている感じです。 そしてこのご夫婦は、多芸多才で奥様は東南アジアの旅行記を出版され、ベトナムに学校も作ったりしていて、フォルクローレでは、チャランゴ・ケーナとパーカッションと教えてくれます。


 それにお筝では、先生と尺八の共演をされ、最近は、神式のお葬式で先生が篳篥、奥様が横笛を吹かれたそうです。それが本職でなく、本職は、イラストレーターだそうです。自分は、どちらかというと体育会系で子供のころは、野山を駆け回っていました。知らないうちに古希を迎えていました。


 古書店を知って、100円で、10年前の本が買えるので、読んでみるといかに自分が知らないことを知りました。この本も読んでみたい、このことも知りたいと買った本が死ぬまでに読めるかというくらいたまってしまいました。日本人男子の平均年齢が約80歳ですからあと10年ぐらいです。


 振り返れば70年自分も好きなことをやってきたような気がします。さらに退職してからは、好きなことしかやらないようになっています。今までは組織の中で団塊の世代の競争の中でやってきましたが、今は、そんな箍も外れた感じです。


 でも長生きをするには、好きなことを興味のあることをするのが一番だそうです。でもどうしてもテレビを見てゴロゴロして、またこれではいけないと、何かをやって壁にあたり、またテレビを見てゴロゴロとしてしまいます。それでも家庭菜園で学んだことは、多様性が必要だということです。


 さて本題のケーナ教室ですが最初の課題曲は「アンデスの夜明け」です。この曲は、ケーナ・サンポーニア・チャランゴがそれぞれ演奏する曲です。ここではメリハリをつけるように言われました。そしてゆったりしたところは、ビ装飾音のブラートというかコブシを入れて吹く練習をしました。


 「ミ」の音を強く吹いたり弱く吹いたりしても音程が変わらないような練習とまた複符の時は、タンギングでなく、指で一つ高い音、どの場合は、レの音を指で切る運指を習いました。この奏法は、尺八では、複符は、タンギングしないので、よく理解できました。


 その次はAKB48の「365日 紙飛行機」のCDバージョンの前奏があって歌詞が長いものです。最後は「ポコ ア ポコ」、これは裏の拍子があるもので、なかなか音符ではわからないので、何回も聞いてみようと思います。最後は、スペイン語の歌詞を先生が歌ってくれました。

 もったいない

 アイゼン

 谷の草刈

1月21日が大寒で二十四節気で寒の中日で小寒と立春の中間で、一年でこの大寒から立春まで、1月21日(大寒)から2月4日(立春)までを一番寒い期間という大寒の意味もあるそうだ。昔の人は大したもので、地球から見た空を天球と考えると太陽の通る道を黄道と言って、それを24節気に分けたそうです。


 その一節気が15日となる。だから15×24=360日となる。中国では、旧暦なので、今年は、2月6日が旧正月となる。確かに今年一番の寒さは、この大寒の時期となりそうである。草刈りは、手足が冷たく特に手先がしびれるため、子供の置き土産であるスキーの手袋を使っている。


 今回は、谷の法面を刈って行くことになり、とっても笹や蔦が多いので、強力二枚刃を使うことにしました。草を集めることもないので、細かく細断するため二枚刃で上から軽く抑えると、細かくなリます。やはり二枚刃がいいようです。約1時間草を刈ると体が暖かくなり、昼には、汗をかいてしまいます。


 そのためにこまめに服で調節して、あまり汗をかかないようにします。ここの公園が開園すると園内をトレーラーバスが走るので、そこから見える景色が重要となるようです。斜面の底に道や池があるのを見通せるように草刈りをしています。そのため林間に生えている笹や小さな竹は、出来るだけ除去しました。


 先日、購入したアイゼンを長靴につけて、試してみました。このすべり止めは三代目で、斜面では体重が片足にかかる場合が多く、靴にちゃんと取り付けないとすぐ外れてしまいます。一代目は、取り付けても金具が外れてしまいます。二代目は、滑り止めの鋲が外れてしまいました。それで今回の外れそうにない三代目を買った。


 いい勉強であリました。やはり、ある程度お金を払わないと、安いものは使用に耐えないことがわか理ました。生前福井で父と靴を買いに行った時、父が高い靴を買うので、びっくりしたことがあります。「何でそんな高いものを買うの?」と聞くと、1000円の靴を10足買うより、1万円の靴を10年使う方がいいと言われ、それがとても印象的でした。

 

 でも父がそれを言うだけあって、とても靴を大切にして、毎日のように靴磨きをして、大事に使っており、靴底を張り替えたりしていました。先日登山靴を見ていたら、靴底を張り替えできるものと、できないものがあリました。安物買いの銭失いの自分にとって、やはりなかなか難しく思います。


 やはり、ものを大切にするこころが必要だと思います。それは心に余裕がないといけないのかもしれません。先日100円で買った「もったいない」という本に、日本に来たケニアの副環境大臣のワンガリ・マータイさんが日本の「もったいない」という心に感動して、世界中に広める運動をしたいと書かれてありました。


 日本人は、いつから風呂敷を使わなくなったのでしょう。買い物袋でなく風呂敷を使えばいいのにと思います。その本の最初のページには、ご飯の最後の一粒までありがたくいただくのが「もったいない」の精神と書かれてありました。一粒を作られた人に感謝することが大事なようです。


 

 収穫

 ハウス

 冬空

家庭菜園では、種まきや植え付けが遅れたので、まだ十分に育っていませんが寒波が襲来するので、できるだけ凍結を防ぎ、ハウスがつぶれないようにしようと菜園に行くことにしました。行く前にちょうど頼んでおいたアイゼンが送られてきたので、それも試用するつもりです。


 途中は、USBで尺八やパンフルートの曲を聞きながら向かいました。空は冬雲で下が薄黄色で上は灰色のよく北陸で見た雪雲でした。クヌギやコナラの落ち葉の上をサラサラ音をさせながら、歩いて行きました。時間があれば草刈りもする予定です。


 畑では、案の定冬のためほとんど大きくなってない状況で、凍結に弱いブロッコリーやまだ早い白菜の大きい奴と水菜を収穫しました。すると空から小さなアラレ状の雨が降ってきました。あわてて帰ろうとするとハウスのビニールを止めているテレビのケーブル線が3か所外れていました。


 1昨年、ハウスがつぶれたので、このシーズンも何かと作業が遅れたので、直すことにしました。ケーブル線が外れているので、それを固定して直しましたが、天井を見ると組み立ての時に間違って取り付けているのがわかりました。こんな間違いもするのや情けなくなりながら帰りました。


 ちょっと昨年は、里山の草刈で自分の菜園の面倒を見れなくなったので、荒れた畑になってしまいましたが、これからちょっと時間が取れると思うので、何とか納得のいく家庭菜園をやりたいものです。これから2月は、畑の耕す準備をしないとすぐ種まき。植え付けの時期が来ます。


 それには、昨年の未整理の支柱やトマト・メロンなどの後始末などしないといけません。なかなか天気の良い日がないとやる気も起こりません。特に今日みたいに寒波が襲来すると、外に出るのもおっくうになり、よくスキーなんかに行けたもんだと感心します。


 そろそろ菜園もやめる方向で考えていますが、孫もいるし、失敗したままやめるのも、嫌なので、何とか満足する菜園を作りたいと思います。帰りは、また古本屋で、尺八・童謡やパンフルートのCDを探しましたが小さなBookoffなので見つかりません。


 本棚を眺めていると善光寺文字が飛び込んできました。子供のころ家族でよく善光寺参りをしたので、開いてみると、よく兄と魚取りをした裾花川のことが書かれてありました。「裾花川は、旭山を背にして長野市の西側を流れ、犀川と合流して、千曲川に流れ込んでいる。と書かれてあったので、つい買ってしまった。自分が裾花小学校1年生まで過ごした忘れられない生まれ故郷である。