古本屋逍遥(善光寺の思い出) | まさや爺さんの贈り物

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 善光寺絵図

 古いアルバム

 

古本屋に急に行きたくなることがあります。それは、ラジオやテレビを見て、気になった人の本が読みたくなる時や、本を読んでもっと知りたくなった時などもそうですが、ただ何となく行きたくなる時があります。そんな時は、古本屋さんの本棚をぼんやり眺めることもあります。


 するとなぜか目に飛び込んでくる本があります。それは本の方から「面白いで」と言っているように感じるときです。その時は、著者紹介を確認して、帯の寸評を参考に、はじめのページを確認します。それから金額を確認します。そうしても読みたい本の以外は、古書店では250円以下の金額です。


 古書店では、10年未満のものは、定価の半額ですが、10年以上の場合は、100円となります。ネットで1円の本は、送料が250円ぐらいなので、古書店の本が安くなるのは、250円以下の本となります。それに古書店では、全品半額となります。そんな場合は、なぜか100円以上の本を買います。


 値下げ幅が大きいからです。普段セールでないときには、土日のセールに向けて、買いたい本を選んでおきます。先日古書店に行くと、「全品半額」でした。1000円の本が、古書店では半額ですがさらにセールで半額で250円となります。すると本棚での気ままに見て回る逍遥が始まります。


 こんな時は、本を探すのではなく、本が語りかけてくるのに任せます。今回がそんな感じでした。ぼんやり本棚を眺めていると、大きな「善光寺」という文字が飛び込んでいました。子供のころよく親に連れて行かれて善光寺参りしたものです。


 それは、信仰心でなく、境内にインドの白いコブウシと池に鯉や亀がいたので、それを見るのと、駅前のアイスキャンディー屋さんで食べるのが目的でした。また善光寺の「おびんずるさん」のところで、自分の悪いところをなでるとよくなるというので、頭をよくなでたものです。


 さらに拝殿の下に、真っ暗なトンネルがあり、その中のカギを触るといいことがあるというので、そのために善光寺に行くのがとても好きでした。そんな子供のころの思い出があるのですが、善光寺がどんなお寺でどんな由来があるのか知りませんでしたからその「善光寺」という背表紙を見た時手に取りました。


 著者は、なんと上條逸雄さんという長野県出身の放送作家で、「サインはV」「積み木くずし」などテレビ脚本を書かれていました。初め文章は、自分の地元の「裾花川が旭山を背にして、長野市の西側を流れ、犀川と合流して、千曲川に流れ込んでいる。」から始まっていました。


 自分は裾花小学校に入学していたので、へぇーそうなんだと「善光寺案内」のつもりですぐ買いました。そして買ったものは、はじめの文を読んでから、自分の書棚に入れるので、読んでみるとなんと小説のような感じなので、もう一度表紙を見ると、小さな字で、「なぜか信濃葉は」と善光寺前に書かれてありました。


 ところが小説風ですが、善光寺の紹介を余すところなく写真入りで、書かれてありました。善光寺の裏山の記述のところで、往生寺からの善光寺平の眺めは、裾花川も見れ、子供のころ歌ってたうた「夕焼け小焼け」のうたは、草川信という作曲家がこの裾花川の風景を思い浮かべながら作曲した曲だそうです。


 「夕焼け小焼けで、日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る・・・」というお寺の鐘は、この往生寺の鐘だそうで、自分も子供のころ聞いた鐘の音のだそうです。そういえば、子供のころよく鐘の音を聞いたようで、この歌詞が何の抵抗もなく、自分たちの歌のように歌えたのがわかりました。


 そんな感じで読み進めると、善光寺の由来やなぜ善光寺というのか、「牛にひかれて善光寺参り」は、子供のころは、おばあさんになっても牛にひかれて善光寺にお参りすることもできるくらいに思っていましたがちゃんと昔話があり、親鸞さんも良寛さんのいろんな方が訪れていることも知りました。


 また善光寺を紹介しながら進められる脚本につい引き込まれ、どんどん読み進み一気に読みそうな雰囲気です。子供のころの思い出の池を、本の中に差し込まれた古い絵図の中に見つけ、子供のころが目の前に広がり、古いアルバムをめくりました。


 今、尺八で習っているのが「夕焼け小焼け」なのも不思議な縁です。冥土に向かう死者が必ず善光寺に立ち寄ると言われています。そして別れた人たちと会える場所でもあるので、いまだにたくさんの人たちが訪れるようです。自分もここに納骨しようかなと思うほどでした。