まさや爺さんの贈り物 -2ページ目

まさや爺さんの贈り物

このブログは、家庭菜園とフォルクローレを趣味にして、つれづれなるままに、書いたボケ防止の練習ブログです。


 石垣

 獣道

 竹林

この公園では、深山幽谷なのだろう。谷の上を走る道路から眺めてもどうなっているのか地形がわからなかったぐらいである。前回のブログのように、メダケと葛の蔓の下には、別世界が広がっていました。その別世界では、イノシシやアライグマなどに踏み固められた獣道があり、ところどころに棲家らしいものがある。


 昨日悪戦苦闘したメダケ(苦竹)と葛の蔓の平地は、終わり、さらに法面へと向かうところで、もっといい方法があるのではないかと、相談したところ、鋏の付いた重機が現地に行くので、それで絡まっているつたを取ることになりました。


 さらに斜面を進んでいくと、イノシシが2頭出てきたそうです。きっと大きなエンジン音を聞いて、何事かと観察しに来たのでしょう。やはりこの近くの谷底にイノシシの棲家があるようです。まるで「もののけ姫」に出てくる白いイノシシの「乙事主(おっことぬし)」が出そうな谷です。


 重機の蔦を除去した後を草刈り機で刈り取り細かく裁断します。その谷をさらに下がっていくと、段がついていました。そしてそこには、石垣が現われました。石垣は、土砂で半分くらいうずまっています。意外と小さな石の積み上げたもので、セメントなどで間隙が埋められていないので、古いものかもしれません。


 園芸土木の人も良く地形がわかり、石垣は、知らなかったそうです。いつの時代の石垣かを話していると昔一の谷の合戦で源義経と多田行綱が鵯越えに行くのか白川峠へ行くのか相談した辻「相談が辻」があってその近くを草刈したこともあります。なのでここには、平家の落ち武者がすんでいたのではないか?


 石垣は、小さな両手で抱えるほどの石がちゃんと組まれており、排水溝もあるみたいです。これが平安時代の落ち武者が組んだ石垣だとすると、800年前の石垣となる。ちょっと小ぶりですがこんな石垣を見ると600年前のインカ帝国のインカ・マンコの最後の隠れ家のマチュ・ピチュの遺跡を思い出します。


 さてこれからはこの谷をさらに刈っていくのですが、さらに下には竹林があり、メダケ(苦竹)・クズ・竹などそばに植林していた人が住んでいたことがわかりました。またドングリや栗の木なども植えられており、野生のシカやイノシシがいるのもうなずけますが、今では、増えて害獣となっているそうです。


 


 法面の笹刈った後

 まさにイノシシの棲家

 ササの中の獣道

先日の池法面から今度は谷あいの草刈りをすることにしました。長い間ほったらかしになっていた谷をやることになりました。自分の菜園でも笹やセイタカアワダチソウの手を焼いていますが、この山の中の里山でも同じです。深い谷を2~3メートルの笹が谷を覆い、その上を葛の蔓が絡まりながら這っています。


 そのためこの谷がどのような地形になっているのかわからなくなっていました。その地形を明確にするための作業となります。草刈りの大変なのは、笹に覆われたところか葛の蔓が覆っているところと言われています。またそれぞれの草木の背丈により草刈りの難度がとても違います。


 背の低い笹は、よく切れる刃でやれば、とても気持ちよく刈り取りできますが、背が高くなると3回ぐらいに分けるか1メートルぐらいのところで切ってからまた根元を切るので大変ですし、ただ刃をあてるだけでは、切れないので、押し付けたり打ち込む必要があります。


 でも今回は、3メートル上に葛の蔓が固まって、屋根のようになり、その上に葛の落ち葉がかぶさり、まるで屋根のようになっています。そのため蔓を切りながらの作業で、4から5倍の作業が必要になります。そんな屋根の下には、獣道があって、きれいな舗装道路みたいになっています。


 そしてところどころに穴が掘られています。笹は下草と思ていましたが、条件によると3メートル以上になることを知りませんでした。 調べてみると笹でもいろいろあって、これは、どうも「メダケ」という笹で多年性の常緑樹のようだ。別名は、苦竹というそうで、タケノコがにがいから来ている


 この笹(メダケ・苦竹)は、篠笛・キセル・筆軸・籠などの竹細工に向いており、見た感じ最近買ったパンフルートにも使えそうな感じである。昔は、農家の近くに植えられていたが、現在では、野生化していると書かれてある。そう考えればここらあたりに農家が昔は、あったのかもしれません。


 しかしいざ作業をしていくととても大変なことになりました。二枚刃で刈っても笹が太いので、勢いをつけないと止まってしまたり、2~3本が一緒になるとカバーと重なって止まってしまうので、嫌になってきます。そして根元を切っても上の蔓に支えられて、ぶら下がっています。


 その上に落ち葉が乗っている状態です。ここで悪戦苦闘していると笹に教えてもらいました。「この野郎」と無理に力を入れると横から顔に上の蔓がぶら下がったり、かえって笹が絡み合ってニッチもサッチもできなくなりました。そこで「この野郎」でなく、「すみません、少しづつ切らして盛ります」と力を抜いて、どこに刃を入れるといいか考えながら、やるとあまり力が要らないことがわかりました。


 何でもそうですが、見方を変えて、穏やかに眺めると意外と前に進めることがあります。それととにかく笹と蔓で作られたアーケードの下に作られた獣道はとても快適に思われました。でも長い間放置されていた耕作放棄地というか荒れ放題の谷には、アライグマやイノシシの洞穴があるような感じです。


 おそらく昼は、人目を忍んで、この屋根の下で遊んでいるのだと思われました。これでは、昼に人前に現われなくても十分生活ができると思われました。道路から眺めた谷は、葛に覆われたものですが、その下にこのような別世界が広がっているとはわかりません。これでどのような地形になっているのかがわかりました。


 池回りの法面

 氷がはった泥場

 深い谷

湿度の高い梅雨のころに始めた里山の草刈の手伝いも6か月以上たちました。草刈りと自然にいろいろ教えてもらいました。イノシシのキャンプは、萩と萱が大好きで夜はそこを寝床とするためにねぐらを作っています。ちゃんと萩や萱をベット替わりにしています。


 なぜ花札は、萩にイノシシなのかも納得しました。またシカが目の前に飛んで出てくると「ドン」と振動することも知りました。コバノミツバツツジが春先に咲くのですが、冬に咲くこともあるのを知りました。今年一番の冷え込みとなりました。


 自分の住んでいるところも里山のようなところで、裏山が六甲縦走路に当たりますが、こちらの里山の方が標高が高いのと、里山というより、山の中なので、水たまりには、薄い氷が張っていました。そんな寒いときでもイノシシの泥遊びの後があちこちに見えます。


 このブログは、お爺さんの認知症予防と目が見えなくなってもタイプできるようにしたいために続けている日記帳なのですが、毎日どうしてもつける日記でなくもっとゆるりとした備忘録のようなものなので、2~3日遅れたり何かあると1週間前のことを思い出しながら書いていますので、この日のことは、大寒の前の日のことです。


 作業場について、点検するのですがナットを締めたりするのに、手袋をしていますが、ちじかんで手先が動きません。でもエンジン音が響いて、夢中になって、刈っていると汗が出てきます。今日の作業場は、大きな池がある谷の法面です。ここも笹が茂っていますのでほとんど笹を刈り取る作業です。


 笹は、よく切れる笹専用の替刃があるくらいで、あまり切れない普通の刃では、笹がなびくだけとなります。そのためここも二枚刃でやることになりました。急斜面を刈るときは、やはりスパイク付の地下足袋を履いていますがそれでも、滑る場合があります。


 もしもの時の滑ったときは、どうするかを考えながら刈り取ります。斜面を見るととても枯れないようなところも、よく斜面の横から見ると段になっていたり、足の置き場が見つかります。毎日ロッククライミングをやっているみたいです。明日の作業は、もっとふかい


 今はやりでオリンピックの競技種目にもなるかもしれないフリークライミングのボルタミングのようです。あのスポーツは、自分の目で登るルートを見つけ出すことに面白味がありますが、この法面の草刈も同じような面白味があります。


 そして草刈りは、2~3メートルある笹やセイタカアワダチソウを切り倒すのは、なにか切り開く面白さがあります。いま富裕層ではやっているのが大きな木を切り倒すことのようですが、それに近い達成感があります。小さなことですが昔子供のころは、草刈が嫌でしたが、世の中思い通りにならないことが多いですが、菜園で草取りをすればまるで時間が解決してくれるように、きれいになります。


 やればやるだけ、振り返ればその効果、結果の草が取られたところが確認できて、達成感が味わえるようになってきました。自分もいろいろスポーツをやってきました。野球や剣道なども続けていると昨日できなかったことができる小さな達成感があり、いつも続けていると急に上手になり、ワンランクアップします。


谷の笹刈

 古民家遠景

 朝の冬雲

天気予報では、北海道や東北・北陸の日本海で大荒れの大雪警報あ出ています。ここは瀬戸内気候なので雪は、降らないみたいです。名古屋や広島には、雪が降っても、この神戸・岡山は、雪が降りません。よく会議に出席した同僚が、快晴の日に長靴を履いてきていました。


「なんでこっちは雪が降らへんのや」とこぼしていました。草刈りの、里山に向かうと、やはり雪特有の真っ黒い雲(雪雲)が古民家の上にのしかかってきていました。空気が澄んでいるのか汚れた池にでもきれいに映っていました。


この日は、新しい仲間が、やってくるので「けがをしないように」教えてあげるつもりです。自分も自己流でなく、本格的に草刈りを始めたのは、初めてです。でもやってくる人たちは、農業で一番事故が多いのが草刈りなのをあまりりません。


そのため危ない場面があります。何しろ回転する包丁を持って作業をするのですから何が何でも「安全第一」です。冬の草刈は、手先が冷たいので大変です。早く草刈り機のエンジンをかけて、草を刈りたくなるほどです。いろんな仕事を経験されている人で、土木(内装)も経験があるそうです。


でもお仕事は不動産もやられているとかです。二枚刃を使ったことありますかというと「ありません」と言われたので、デスク型のチップソーをやってもらいました。足元は長靴なので、ちょっと斜面は、危ないかもしれません。しかし心配するに及びませんでした。


スポーツや体を使ったことのある人は、やはり体の裁きとというか使い方が、違います。仲間にはほかに野球やスキーのインストラクターをしていた人が来ていますが、みんなそれぞれ特徴をもっています。円盤のチップソーと二枚刃の危険度は並外れたものではありません。


十分理解していないといけませんし、分かっていても起こす事故が内容に、十分すぎる注意が必要です。今度の刈場は、笹とセイタカアワダチソウが3メートルぐらい伸びたところで、草を集められない谷なので、細かく刻む必要があります。そのため二枚刃の方が作業効率がいいのです。


普通は、あまり慣れていない人は、とても危険なので、作業はさせないようですが、危険を十分注意してやってみました。作業場の池には、氷が張っていました。天気予報では、最低気温が4℃となっていましたので、凍結はないと思われました。


営業をやっていた時に、冬の峠を何べんも通りましたが、外気で、凍結でぃているかわかります。またブレーキをかけて凍結の具合を調べながら進みます。北部にでは、停車中にサイドブレーキを引っ張らないのが常識です。ブレーキが凍結してサイドが解除できなくなってしまいます。


一日で1メートル積雪する場合もあり、車をスコップで掘りながら探したこともあります。二枚刃の場合は、その代り快適ですが、アクセルを目いっぱいあげると回転が強すぎて危険です。また通常より2~3センチ長めに刈るつもりで、地面から5センチぐらいは、離さないと石を拾います。また意思がなくても竹や笹の破片がいきよいよく飛んできて、防護面の網に刺さる場合があります。


 雀の群れ

 兵庫楽農センター

 氷

 層雲と羊雲


西高東低の冬型の気圧配置で、シベリアからの寒気で来週から寒くなると、天気予報が出ています。テレビでは太平洋岸でも雪が降ると言います。菜園が里山なので、こちらで雪が降らなくても菜園では、氷が張り、雪が積もることがあります。


 一昨年の2月は、大雪でハウスが潰されました。これは人災でした。カラスがハウスの屋根に止まり、赤いトマトを上からつついて、ビニールに穴をあけるので、カラスの嫌がる目に見えないと言われる黄色い糸を張りました。


 普通は、屋根の雪は落ちるのですが、その張られた糸に雪が付着して、ちょうど蔵王の樹氷のように数珠つなぎになって屋根全体に雪がたまり、鉄製のパイプを曲げてしまいました。この時上の方の雪は凍ってしまいとても重くなっていました。この時は「あっ 雪って水の塊なんや」と思いました。


 雪は軽そうですが、氷はとても重いものです。長野のパウダースノーから福井の牡丹雪まで経験しました。雪の上を歩くときは、足が沈まないように「かんじき」を長靴につけたり、スキーをつけて歩きますが、昼の日差しで積もった雪の表面が解けて、その夜寒波で凍ると長靴でも雪の上が歩けるようになります。


 その感覚が好きで、朝早く起きて真っ白い雪原をどこでも歩けるのがとても楽しい思い出です。それと同じ現象がハウスの屋根で起こり、ハウスは倒壊しました。それからは屋根にカラス除けの糸は、張らないようにしました。


 そんな時期は、寒波が来ると冬に強い冬野菜(高菜・水菜・菊菜・白菜)なども一日でふやけてしまいます。そんな経験がああり、来週から寒波が襲来するというので、寒波が来る前に、畑に向かいました。また孫のところが近くなるので、ついでに孫に野菜を持っていくことになりました。

 

 すると途中で、空に層になった雲が続いてとても奥行きのある空を感じました。最近よく見る雲です。青空も気持ちのいいものですが、空の奥行を感じるのは、やはりこのような雲がないとだめです。さて畑につくと、水桶には、氷が張っていました。


 いつも不思議に思うことは、畑のポリタンクの水は凍っているのに、小屋の前の石の手水鉢は、いつも凍っていないのです。そして手水鉢の方が、日陰なのですが凍っていません。これは風のためかまだなぞです。畑では、高菜の外側の葉が、濃い緑色に変化していました。


 きっと凍りついたためと思われます。そのためブロッコリーは、まだ大きくなるようですが、握りこぶし大は、とることにしました。キャベツや白菜も結球はしていますがまだ固くないので取れません。白菜は、中から葉が生まれるので、外の葉に守られて、かなり低温でも大丈夫です。


 真冬対策としては、新聞を巻いて紐で縛るなどもしたことがあります。今回よく見ると虫に食べられています。探しても虫がいません。こんな寒いときは、虫もいないと思っても食べられるのを経験しました。これは、夜盗虫と言って、寒いときは昼に土の中にもぐり、暖かくなれば夜に出てきて葉っぱを食べます。


 ですから白菜は、頭を押さえまだ柔らかい3株を収穫しました。また水菜も大きくなっているので収穫です。あとは、かき菜、高菜、菊菜を収穫して孫の家に走りました。寄り道で途中兵庫楽農生活センターによりました。俗にいう「かんでかんで」です。ここにはレストランや直売所があります。


 確かに自分が作ったより立派な野菜が並んでいますがスーパーで買うのとあまり変わりがありません。やはり今年は、わが菜園は、種まきや植え付け遅れが響いています。孫は体操をしているので、直接加古川総合文化センターの方に向かいましたが孫たちの車がないので、ちょっと迷いました。


 孫たちは、家から自転車でやってきていました。ちょっと見学してから帰りました。孫は、体操の後水泳をやっていました。孫も大変だなぁーと思いました。自分の子供のころは、自分の思うままに、心のままに遊んでいました。


 家に帰るとコーギーのモモちゃんのところに近所のオスの柴犬の来ていました。孫に将棋のアプリをやらせてお茶を飲んで帰りました。玄関先では、まだ井戸端会議が続いていました。自分の家に帰るとラインでミルフィーユ鍋にして、白菜一株を食べたそうです。


ギロ

 修理したサンポーニア

 修理したフルート

尺八の後、今度はケーナ教室です。すでにチャランゴを習う生徒さんが来られています。まず「365日の紙飛行機」の楽譜が配られました。これは発表会の時にやった曲で、「人生 時には 雨も降って 涙も溢れるけど 思い通りにならない日は 明日 頑張ろう。」というくだりがとても好きでした。


 余裕がないと明日頑張ろうとは、なかなか言えないものです。発表会の時は、うまく演奏ができなかった場合の口実として使いました。しかし今回もらった楽譜は、さらに長い歌詞が書かれてありました。これは、CDバージョンだそうです。


 朝ドラの場合は、短いものでしたがこんなに歌詞が長いとは、知りませんでした。そして全部歌詞を見てみるとなかなか素晴らしいものでした。ただ老人となった自分には、ちょっと突っ込みたいところもありました。「ただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番大切なんだ。」のところで自分が振り返るとここまで長生きできたのでありがたいし、それが自分の誇りでもありませた。


 どうどこを飛んだかは、思い通りにならないこともある。今は、「さあ 心のままに 365日」を過ごそうと思っています。この「365日の紙飛行機」は、YOUTUBEを録音してそれを聞いていました。ですから短い歌詞しか知りませんでした。


 あわてて検索してみるとCDが出ているので、単品で250円です。さっそく聞いてみるともっらったプリントの歌詞が歌われていました。全部聞くとますます好きな曲になりました。イントロ・間奏・エンディングなどでなかなか繰り返しもあり、何回も聞かないとわからないかもしれません。


 次の曲は「POCO A POCO(ポコ ア ポコ)」という曲で、このグループの先輩たちが昔三木山でやられたようです。この「ポコ ア ポコ」は、スペイン語で日本語の意味は、一歩ずつ、少しずつという意味で音の響きからよく知られている曲で、とてもリズミカルな歌です。


 自分が聞いた曲では、カウベルをポコポコ鳴らしていました。楽譜には歌詞もついていましたので、歌の練習も必要です。翻訳してみると少しずつ愛し合う恋人たちのうたのようです。どちらかというと自分なんかは、水前寺清子の三百一歩のマーチを思い出します。やはり南米のの方が情熱的な感じです。


 次の曲は「Amanecer Andino(アンデスの夜明け)」です。この曲もアマネセール(夜明け)と同じようにサンポーニアが活躍します。この楽譜はGRUPO AYMARAの曲を参考にしているのですが、先日、ウェイノのライブでいろいろ先輩の話を聞いた時には、先輩たちの好きなグループだそうです。


 自分も一度ライブを見たことがあるような気がします。久しぶりに先輩にもらったDVDやCDを聞いてみたくなった。名前の通り、アイマラ族の子孫であり、チチカカ湖の周辺やあちこちに住んでいたがケチュア語を話すインカ帝国に統合されたらしい。


 この曲では「ファ」の音が需要な意味を持っているので、先生にファの指をもう少し押さえて吹いてくださいと注意されました。尺八を習い始めてから半音などで指をかざすなどの運指も習い、特にこの「ファ」の音は、他の音階の音を聞きながら指を調節するようです。


 ケーナでもそうだと思いますが、音を聞きながら練習しないとダメなようです。尺八の先生が曰く「尺八の半音の出し方は、一つの穴で三通り表現するそうです。それから注意されたのは、音を絞るというか押さえて吹く場合もあるようで、吹く強さも強弱をつけることにより、ちゃんとした音階が吹けるようです。


 ケーナの一回目は、低く吹いて、二回目は、オクターブ上で吹くのだそうである。そしてチャランゴの独奏のところでは、ギロという楽器を使いますがこれはひょうたんの凸凹をつけて、その上をシャーシャカシャシャと音を出します。ベトナムではカエルに模したギロがあるので、カエルの鳴き声に似ているようです。


 これは篠笛の袋

里山と棚田の草刈りをするようになり、尺八教室の日にはバタバタです。草刈り作業の後家に帰り、風呂に入り、夕食を食べて薬など飲んで、教室に向かいました。いつもバタバタするので、草刈りのお手伝いの時間を少なくする予定でしたが、仲間が減ったので、また忙しくなりそうです。


 しかし最近は、公園のオープンに向けて工事予定がたくさんあってなかなか大変のようです。いつものようにドタバタでやっと教室に間に合いました。もうすでにチャランゴ教室の仲間は、練習をしていました。昨年から始めた人も見違えるような上達を見せています。


 尺八教室は、一人なのですその点楽です。先生は「どうですか?」と心配されていますがその答えが自分でも情けないのですが「さっぱりダメです。」すると先生はにこにこ笑いながら今日はこれを練習しましょう。と楽譜をくれました。曲名が「月に寄せる日本のうた」野村祐子さん編作曲です。


 題名は日本のうたですが、楽譜を見ると縦に二列書かれてあり、日本のうたとは思われない音符が書かれてありました。すると先生は、「荒城の月」「朧月夜」「「うさぎ」「十五夜お月さん」「宵待ち草」「月の砂漠」そして最後は、「炭坑節」と7曲の日本の唱歌が含まれているそうです。


 尺八といえば虚無僧を思い出します。虚無僧といえば編み笠で顔が隠れるために、よく時代劇では、幕府の隠密が虚無僧に成りすまして藩の情勢をスパイしていたことを思い出します。また従妹が何か悪いことをすると、「虚無僧が来るぞ」と言われ泣き出したという話を聞きました。


 何かわけのわからない仮面をかぶった人で子供には怖いのかもしれません。この虚無僧は、唐の時代臨済宗の一派で日本の禅宗の普化宗(ふけしゅう)が総本山で、京都の東福寺の近くにある明暗寺(みょうあんじ)が普化正宗総本山であった。


 虚無僧寺と言われており、秋には「尺八本曲献奏大会」が開かれるそうです。それで子供のころよく見た虚無僧の前に「明暗」と書かれた托鉢の箱をまえに下げていました。これは、私は、決して怪しいものではありません。禅僧で明暗寺のものですという意味で下げていたそうです。


 学生時代京都の七条下るで浪人をしていましたので、おそらく近くを通っていると思われます。尺八が宗教的な意味合いを持ってきた時代もあったようです。そういえば楽器や歌が宗教的に使われています。教会のパイプオルガンや賛美歌、ゴスペルソングなどもあるようです。


 でもそれから尺八は三曲合奏(胡弓・箏・三味線)に尺八も加わり、本曲がその楽器だけの独奏曲ですが、それはあまり少なく、ほとんどが今の三曲合奏(箏・三味線・尺八)のアンサンブルだそうです。さて今日のレッスンでは、音符の「四」が出てきました。


 初めて見る音符ですが、第四孔だけを抑えて、裏孔も解放するようです。プリントを見ると音の高さは、ツメの音と同律だそうです。よく先生がこれは、この音と同じですと言われるので、「へぇー」と感心していましたが、プリントにちゃんと書かれていました。


 自分の不注意で楽器を修理することになったので、尺八の袋を注文しましたが、送られてきたのは、篠笛の袋でした。これからは、親せきから引き継いだ尺八や三味線などをちゃんと演奏できるように再生するためにちょっとお金も貯めようと思います。


 朝の古民家

 古民家のシルエット

 尉鶲オス。

棚田と里山の草刈りをやっていますが、仲間はお年寄りが多いので、朝が自然と早くなりました。いつも朝日を見ながらの作業となります。そのため朝日に古民家が浮かび上がり、何とも言えない風情を感じることができます。


 自分はアラスカのフェアバンクスでオーロラを見るのが夢でしたが、ロッキー山脈は超えましたが、夢はかないませんでした。でも山のお仕事で薪を作ったりしていると毎日空を見上げて天気を見ています。そのため雲も見て、こんな羊雲やうろこ雲が出たら2日後は、雨が降るのかと感じるために2日前の空模様を思い出したりしています。


 そんな雲を見ていると「すごいなぁー」と驚かされます。朝焼け、夜明け、刻々と変化する雲と色彩は、まるでフェアバンクスのオーロラみたいです。先日は、まるでオーロラのような朝焼けを見ました。なぜか緑が入ったようなもので、一瞬のうちに消えてしまいました。


 今は、縄文人が世界で話題になっていますが、1万年前の縄文人もきっと同じ景色、あるいは、もっと素晴らしい景色を見たように思いました。今都会では夜空を見上げても天の川が見えません。子供のころに住んでいた長野や福井の空には、満点の星空があって、遊び疲れて帰るときは、みんな夕焼けで真っ赤な顔をしていました。


 福井に住んでいたので、道元の本も読みますが「心身学道」で自分の学び方を述べています。「山河大地日月星辰これ心なり」大自然は、自分の心であるという意味のようです。また「心の所見、これ一斎なるなり」これは宇宙の生命が自分の体の中に同じように生きているという意味です。


 福井の雪深い永平寺で約800年前に気づいたことを、今現代の生命学者の柳澤桂子さんや中村桂子さんが同じような結論に達している。両者とも「この生命40億年の歴史の中私たちは、生きていると言っている、だからその重みを受け止めて、生命を大切にしてください。というメセージを出しています。


 そしてみなさんに伝えることが生命科学者の使命であるとまで言われていました。また解剖学者の養老孟司さんは、都会と農村を半分づつ暮らすのがいいと言われ、週末の家庭菜園を推奨しています。昨日から取り掛かったところですが、午前中で草刈りは終了して、昼から草を集めました。


 そして今日はパッカー車で運ぶ準備をしましたが、次の刈場がないので、最終チェックをして樹木の根元の笹などを刈り取り、すっきりして、次の刈場に向かいました。次は、池に向かって谷あいの刈り取りです。このような谷間は、蛇など有害昆虫などのいない、今の時期が草刈りによいようです。


小雨が降ったので、車の中に避難するとなんとジョウビタキ(ジョウビタキ)のオスが枯れ枝に止まっていました。きっとどこかで人間観察をして、みんな避難したのを確認してから、飛んできたのかも知れません。おそらくこれからこの場所では、この尉鶲が縄張りを主張していつも会えることになると思います。


 イタリアンパセリの新芽

 キャベツ・白菜・ブロッコリーなど

 夕焼け

昨年の12月28日に最後の畑の収穫に行きました。収穫は、カリフラワー・ブロッコリーにトマトそれに冬野菜の水菜・高菜・かき菜・サニーレタス・結球レタス・ネギなどです。キャベツと白菜は、巻きかけていますが、まだ固くなっていません。


 結球レタスは、まだ完全には巻き上がっていませんが、寒さに弱いので、早めにとることにしました。また昨年失敗したカリフラワーも寒さに会うと、花目が白から黄色に変化してしまうので、まだ大きくなるところですが早めにとることしました。畑までの道は、クヌギの落ち葉の絨毯になっていました。


 そして畑では、カラスや小鳥は、やってきますが、蝶や蜂やアブが見られないのが残念です。またそれらの虫たちを狙っているカエルやカナヘビなども冬眠しているのが残念です。カラスは、菜園に行くと必ず「アウ・アウ」と鳴いて、縄張りを主張します。そのほか冬の渡り鳥がやってきます。


 公園ではこれから春には、ツグミがやってきます。特徴は、お腹の部分に鹿の子のような斑点があるので、すぐ判別できます。ここの畑には、同じツグミ科のジョウビタキ(尉鶲)が毎年、冬にシベリアのバイカル湖やネパール、中国東北部などから日本にやってきます。


 何でジョウビタキというのでしょう漢字で書くと「尉鶲」で翁(おきな)の鳥と書いてヒタキと読むそうです。ヒタキは、火炊きというようで、火打石をこする音のような鳴き方から来ています。またオスの尉鶲の頭は、銀髪の帽子をかぶっているように見えます。


 そしてメスは、オスのように銀髪の帽子もかぶらず派手でさはありませんが、両方に共通して言えることは、羽根に白い斑点があることです。紋付鳥とも言われ、上等(上品)のお年寄りといえるかもしれません。ツグミは群れて地面の上で虫を探したりしますが、このジョウビタキは、縄張り意識が強く特にメスは、いつも同じところに現われます。


 ここの畑では、餌のない寒い冬は、ハウスの中に入ってきます。そして採り忘れたぶどうのが干しブドウ状態になったものを食べていました。それ以来、ハウスの中のブドウは、わざと残して置くようにしました。縄張り意識が強いので、畑に行くとすぐ飛んできて「ここは俺の縄張りだ」と鳴きます。


 扉がきしむようなような鳴き声も出すので、山椒の木に飛んできていつも人間を観察します。そして草を抜いていると、虫が出てきますが、その時手元に飛来してその虫を取っていきます。まさに自分の縄張りでの獲物は、人間に渡さないという感じです。


 そして何度も農作業を見ていて、「こいつは悪い奴ではない」とわかると、1メートルに近づいても逃げません。そのためデジカメでもいい写真が撮れました。今年も声がしているので、来ているようですが、姿は確認できませんでした。畑では、これからあるに向かい蕗の薹が出てきます。


 フキノトウは、漢字の通り、路の横にまるでアブラナ科に薹が立って、花が咲くように黄色い花を咲かせます。春の山菜でちょっと苦みが何とも言えません。若芽をスライスしてお汁に入れると春を感じることができます。さて畑では、イタリアンパセリの新芽が出ていました。


 冬に強い野菜でも、零度ぐらいでは凍りませんが、氷点下になると細胞も凍ってしまうので、色が濃い緑に変色して枯れてしまいます。今年は、種まき植え付けが、棚田や里山のお手伝いで、遅れましたが、暖冬のおかげか収穫ができるかもしれません。


 尉鶲(ジョウビタキ)







初出の日は、榛の木の周辺の集草とパッカー車の詰め込みを行いました。そして芝生の法面の刈り込みを行いました。芝生を3センチに刈り込むことになりましたが不思議に思うことは、芝生が刈れて横になっているのになぜ芝を今頃刈らないといけないのかと思いました。

  

 普段は、野球場に生えている芝生など変わらない状態しか見たことがないので、不思議に思うことも当然です。これは前回のブログに書いたように、ほったらかしにしていると病気になって現状維持ができないのだそうです。


 里山の景観は、人間と動植物の共生から生まれることで、人間が生活を営むことで生まれるものです。先日は、芝の広場の法面を草刈り機で3センチに刈ったのですが、努力してもなかなかうまくなりません。そこで刃に何を使うかいろいろやってみました。


 チップソー、二枚刃、ロープカッターなどですが、自分たちが刈りやすいのは、ロープカッターですが、後で専門家に聞くとロープカッターを使うとあれは刃で切るものでなくなぎ倒す感じなので、芝生には、悪いようです。切り口がギザギザになるので、病気になる可能性が高いようです。


 継続的な草刈をしているとすぐ機械器具が摩耗して故障したりします。そのため予備の草刈りを用意しています。作業の内容も変わってきました。釣りバンドの調整、刃の交換やグリスの補給などメンテナンスによって、非常に作業性が違います。


 そのためそれらの交換や修理の知識が必要です。感心したのは、園芸店の人たちは、自分たちの道具を完全に理解していることです。これは農機具屋さんより上を行っているかもしれません。修理に出しても戻ってくるとまた動かない場合があります。今回の駆動式芝刈り機もそうなりました。


 本日は、昼から芝刈り機の使い方と場所の確認をしました。ところが芝刈り機のエンジンスタートのロープが壊れていました。園芸の専門家が来て、部品を分解して確認してくれましたが、昼からの作業に間に合わないので、ケースを外して、手動でエンジンスタートができるようにしてくれ、休憩時間に修理してくれていました。


 また作業で使う道具によって、かなり作業性が違うので、針金の熊手、それにアメリカンレーキで芝の集草をやってみましたが、引っかかってうまくいきません。竹の熊手があればと思いました。これも園芸の専門家に聞くと、やはり芝生を集めるのは、竹の熊手が良いようです。これも園芸土木の人に借りました。


 ちょっと見た感じ同じようにかき集める道具のように見えますが、何を集めるかによって、道具が違いました。さらにそのレーキの使い方もいろいろあるものです。草刈を半年やればいつも同じ事ばかりでつまんないと思う人もおられますが、家庭菜園を18年やっていますが、毎年天気は違うは、虫の発生なども違いが感じられます。


 今年は、ミツバチが少ないとかハナアブが、多いとか今まで見たこともない虫たちに会うと大発見となります。ですから自然を相手にしていると同じ繰り返しは、ありません。自分も同じルーティンをするのが嫌でした。しかし最近になってというより、草刈りを半年続けて感じたことは、コツコツとやることが理解できるようになりました。


 有名大学を通った人の話を聞いていると、本を何回も読んでボロボロになったと言われます。それと同じで、あのイチロウーも王選手もバットをただひたすらに降り続け栄光をつかんだようです。同じことを続けていると何か一段ギアチェンジが入るときがあると言います。


 やはり縁側で細かい選別などの野良仕事をしているおばあさんの境地に少しでも近づきたいものです。そう考えれば、どんな作業もばあさん仕事かもしれません。草刈りもそうかもしれません。自走式の草刈機ですが、なかなか広い面積なので、時間がかかりそうです。