古民家の周辺草刈り | まさや爺さんの贈り物

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このブログは、家庭菜園とフォルクローレを趣味にして、つれづれなるままに、書いたボケ防止の練習ブログです。


 朝の古民家

 古民家のシルエット

 尉鶲オス。

棚田と里山の草刈りをやっていますが、仲間はお年寄りが多いので、朝が自然と早くなりました。いつも朝日を見ながらの作業となります。そのため朝日に古民家が浮かび上がり、何とも言えない風情を感じることができます。


 自分はアラスカのフェアバンクスでオーロラを見るのが夢でしたが、ロッキー山脈は超えましたが、夢はかないませんでした。でも山のお仕事で薪を作ったりしていると毎日空を見上げて天気を見ています。そのため雲も見て、こんな羊雲やうろこ雲が出たら2日後は、雨が降るのかと感じるために2日前の空模様を思い出したりしています。


 そんな雲を見ていると「すごいなぁー」と驚かされます。朝焼け、夜明け、刻々と変化する雲と色彩は、まるでフェアバンクスのオーロラみたいです。先日は、まるでオーロラのような朝焼けを見ました。なぜか緑が入ったようなもので、一瞬のうちに消えてしまいました。


 今は、縄文人が世界で話題になっていますが、1万年前の縄文人もきっと同じ景色、あるいは、もっと素晴らしい景色を見たように思いました。今都会では夜空を見上げても天の川が見えません。子供のころに住んでいた長野や福井の空には、満点の星空があって、遊び疲れて帰るときは、みんな夕焼けで真っ赤な顔をしていました。


 福井に住んでいたので、道元の本も読みますが「心身学道」で自分の学び方を述べています。「山河大地日月星辰これ心なり」大自然は、自分の心であるという意味のようです。また「心の所見、これ一斎なるなり」これは宇宙の生命が自分の体の中に同じように生きているという意味です。


 福井の雪深い永平寺で約800年前に気づいたことを、今現代の生命学者の柳澤桂子さんや中村桂子さんが同じような結論に達している。両者とも「この生命40億年の歴史の中私たちは、生きていると言っている、だからその重みを受け止めて、生命を大切にしてください。というメセージを出しています。


 そしてみなさんに伝えることが生命科学者の使命であるとまで言われていました。また解剖学者の養老孟司さんは、都会と農村を半分づつ暮らすのがいいと言われ、週末の家庭菜園を推奨しています。昨日から取り掛かったところですが、午前中で草刈りは終了して、昼から草を集めました。


 そして今日はパッカー車で運ぶ準備をしましたが、次の刈場がないので、最終チェックをして樹木の根元の笹などを刈り取り、すっきりして、次の刈場に向かいました。次は、池に向かって谷あいの刈り取りです。このような谷間は、蛇など有害昆虫などのいない、今の時期が草刈りによいようです。


小雨が降ったので、車の中に避難するとなんとジョウビタキ(ジョウビタキ)のオスが枯れ枝に止まっていました。きっとどこかで人間観察をして、みんな避難したのを確認してから、飛んできたのかも知れません。おそらくこれからこの場所では、この尉鶲が縄張りを主張していつも会えることになると思います。