きのう、東京にいる旧友と仕事のことで話をしました。
といっても電話で話したのではなく、スカイプを通じてのテレビ電話会議でした。向こう側にいたのは彼を含めて3名、そしてこちら側は自分ひとり。1時間くらいの話し合いでしたが、改めて「便利な世の中になったもんだ」と感じたのでした。
QOLという表現がありますよね。"Quality of Life"の略で「生活の質」と日本語では訳されます。そのQOLという観点からしますと、たとえば東京といま自分が住んでいる田舎を比べると、田舎のほうが数値は高いと思います。
自然との近さ、空間の広さ、混雑のなさ、食との近さ、移動の自由、より親密な隣人との関係などなど、都会と比べていい点がたくさんあります。ただし、欠点としては文化的なものが少ないという点です。都会のように一流の芸術や文化的な楽しみは、うちの田舎に限っていえば、ほとんどありません。
でも、それはあくまでも娯楽という側面に限ったことであって、自分のようにそういうものに必ずしも重きを置かない人間にとってはあまり問題とはなりません。映画やコンサート、展覧会に行けなくても本は読めるし、音楽も聴けるし、映画だって、ちょっと迫力は劣りますが家でビデオを見ることができます。
今の自分にとっては、先に挙げた自然との近さや空間の広さ、移動の自由やより緊密な人間関係というもののほうが、はるかに大事だと思います。
そちらのほうが、人間存在を根源的に支える大事なものだという気がするからです。
唯一というか唯二の問題があるとすれば、それは一つには多様な雇用の機会が田舎にはあまりない点、そして第二が、多様な経験をした話せる友が見つかりにくい、あるいはつくりにくいという点でしょうか。
まぁ、第二の点については、きのうがそうだったようにスカイプや、あるいはフェイスブックなどを使い、ときどきつながりを確認できますのでなんとか対処できます(たまには東京に行って彼らと会って話せればなおいいですけどね)。
深刻なのは第一の雇用機会の少なさです。こればっかりはどうしようもありません。特に、これといったスキルがない、アイデアのない人にとっては厳しいでしょうね。言い換えると、他力本願の人にとっては厳しい環境だといえそうです。
でも、自力でなんとかしようと思っている人にとっては、田舎にいてもある程度食べていける環境はあります。どこにいても通用するスキルがあれば、アイデアがあれば、東京あたりから仕事をとってきて、田舎にいながら仕事をこなすことは可能です。
あるいは、いっそのこと自分で起業することだってできます。その際、田舎を市場としてとらえるのではなく、全国を対象にして展開する事業であれば、そこそこの利益を上げることだって不可能ではありません。それこそ、世界を相手にした仕事だってできないことはありません。
それに田舎の場合、食べ物も含めて物価は都市部より比較的低いわけですから、東京ほど稼ぐ必要はありませんしね。
帰国から6年が経ちましたが、依然として理想とする状態からはかけ離れているといわざるをえません。行政(=税金)というパトロンがいてなりたつ事業ですから、内心じくじたる思いがあります。早く自立して税金に支えてもらわなくてもいい状態にもっていきたいし、数年後にはそうならないといけないと自分にも、そしてまわりの人たちにもいい続けています。
簡単にはいかないでしょうが、不可能ではない――そう確信しています。
今の時代には、こうして世界とつながることのできるツールがあるわけですから、ぜひそれを活用して、この田舎と外部世界を結んだ事業をそう遠くない将来に手がけたいと思っているところです。
諦めなければ、きっと道はひらけていく――その思いを忘れずに一歩ずつ歩みを進めている限り、光が差し込んでくるものと信じたいし、きっとそうなるという気がします。
アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ナニガナンデモヤリトオス、ソンナツヨイイシヲモッタニンゲン二、ボクハナリタイ。
といっても電話で話したのではなく、スカイプを通じてのテレビ電話会議でした。向こう側にいたのは彼を含めて3名、そしてこちら側は自分ひとり。1時間くらいの話し合いでしたが、改めて「便利な世の中になったもんだ」と感じたのでした。
QOLという表現がありますよね。"Quality of Life"の略で「生活の質」と日本語では訳されます。そのQOLという観点からしますと、たとえば東京といま自分が住んでいる田舎を比べると、田舎のほうが数値は高いと思います。
自然との近さ、空間の広さ、混雑のなさ、食との近さ、移動の自由、より親密な隣人との関係などなど、都会と比べていい点がたくさんあります。ただし、欠点としては文化的なものが少ないという点です。都会のように一流の芸術や文化的な楽しみは、うちの田舎に限っていえば、ほとんどありません。
でも、それはあくまでも娯楽という側面に限ったことであって、自分のようにそういうものに必ずしも重きを置かない人間にとってはあまり問題とはなりません。映画やコンサート、展覧会に行けなくても本は読めるし、音楽も聴けるし、映画だって、ちょっと迫力は劣りますが家でビデオを見ることができます。
今の自分にとっては、先に挙げた自然との近さや空間の広さ、移動の自由やより緊密な人間関係というもののほうが、はるかに大事だと思います。
そちらのほうが、人間存在を根源的に支える大事なものだという気がするからです。
唯一というか唯二の問題があるとすれば、それは一つには多様な雇用の機会が田舎にはあまりない点、そして第二が、多様な経験をした話せる友が見つかりにくい、あるいはつくりにくいという点でしょうか。
まぁ、第二の点については、きのうがそうだったようにスカイプや、あるいはフェイスブックなどを使い、ときどきつながりを確認できますのでなんとか対処できます(たまには東京に行って彼らと会って話せればなおいいですけどね)。
深刻なのは第一の雇用機会の少なさです。こればっかりはどうしようもありません。特に、これといったスキルがない、アイデアのない人にとっては厳しいでしょうね。言い換えると、他力本願の人にとっては厳しい環境だといえそうです。
でも、自力でなんとかしようと思っている人にとっては、田舎にいてもある程度食べていける環境はあります。どこにいても通用するスキルがあれば、アイデアがあれば、東京あたりから仕事をとってきて、田舎にいながら仕事をこなすことは可能です。
あるいは、いっそのこと自分で起業することだってできます。その際、田舎を市場としてとらえるのではなく、全国を対象にして展開する事業であれば、そこそこの利益を上げることだって不可能ではありません。それこそ、世界を相手にした仕事だってできないことはありません。
それに田舎の場合、食べ物も含めて物価は都市部より比較的低いわけですから、東京ほど稼ぐ必要はありませんしね。
帰国から6年が経ちましたが、依然として理想とする状態からはかけ離れているといわざるをえません。行政(=税金)というパトロンがいてなりたつ事業ですから、内心じくじたる思いがあります。早く自立して税金に支えてもらわなくてもいい状態にもっていきたいし、数年後にはそうならないといけないと自分にも、そしてまわりの人たちにもいい続けています。
簡単にはいかないでしょうが、不可能ではない――そう確信しています。
今の時代には、こうして世界とつながることのできるツールがあるわけですから、ぜひそれを活用して、この田舎と外部世界を結んだ事業をそう遠くない将来に手がけたいと思っているところです。
諦めなければ、きっと道はひらけていく――その思いを忘れずに一歩ずつ歩みを進めている限り、光が差し込んでくるものと信じたいし、きっとそうなるという気がします。
アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ナニガナンデモヤリトオス、ソンナツヨイイシヲモッタニンゲン二、ボクハナリタイ。