のうの地元紙に非常に気になる記事が掲載された。

福島第一原発事故で生じた放射能汚染土の最終処分場候補地として大隅半島にある南大隅町(佐多岬などがある地域)が浮上してきたとの一部報道を細野環境大臣が記者会見で否定したという記事だ。

こういう記事が出るということ自体、非常に怪しい。政府がかなり真剣に南大隅を候補地として考えているということの証拠にほかならない。こういう具合に報道でアドバルーンをあげて、世論の動向を見ながら、少しずつ外堀を固めていく気に違いない。

この動きに対して、地元はほとんどが反対しているようだ。

唯一「賛成」意見に近いというか、中立的な意見として掲載されていたのは、「高齢化の町で産業も衰退している。受け入れの是非を議論することも重要では」というものだけだ。

確かに、高齢化の度合いが高い鹿児島県内の自治体の中でも南大隅町は43%と県下ナンバーワン。以前にも書いた通り、佐多の中心街にいくと他の町に比べて空き家が目立つ。このままいけば、自然死を迎えてしまう可能性が高い。

が、だからといって町というより地域全体の宝である自然を金で売ってしまっていいのか。

そのあたりは町民も十分わかっているようだ。記事に載っている反対意見として、以下のようなものが紹介されている。

「人口減を見越して選んでいるのではないか。許せない」

「一次産業はもちろん、観光にも大きな影響が出る。佐多岬観光を中心に、頑張らなければならない時に迷惑だ」

当然の反応だろう。

お金という意味でいけば、受け入れれば、毎年億単位の金が入ってくる可能性がある。でも、それは原発誘致を進めた東北をはじめとする地方(田舎)と同じで、結局そうした「イージー・マネー(簡単に手に入る金=あぶく銭)」が受け入れた町や村を本当に活性化することにつながったとは到底思えない。

確かに、南大隅町を含む大隅半島の将来、特に経済的将来には厳しいものがある。でも、そこに住む人たちが本物の危機感を持ち、知恵や技術をもった外部の人たちとつながり、懸命に働いていけば、必ずや活路は見いだせるはずだ。多少時間はかかっても、それはできるはずなのだ。

せっかくそうした「自立」に向けた動きが各地で始まっている時に、そういう「イージー・マネー」の話が出てくるのは迷惑千万だ。道は険しくても、自分たちの努力で道を切り開いていく――そこにしか本物の地域再生はないはずなのだ。

なにより、この大隅半島には私たちをいろいろな意味で助けてくれる豊かな自然があるではないか。というか、その自然に頼ることでしか、ふるさとの再生はありえないように思う。

であればこそ、その大切な自然を壊そうとする勢力に対しては、断固、闘う必要がある。

要は、すでに破綻をきたしている原子力政策のつけをこれ以上、田舎に押しつけさせてはいけないということだ。

「どうせ、田舎の連中は金が欲しいんだから、そのうち提案を飲むさ」なんて、中央の権力者が考えているとしたら、思い違いも甚だしい。

私たちは大切なふるさとを中央のゴミ捨て場にさせてはならないのだ。



大きな地図で見る