飛び石を挟んで二つ目の四連休を、川内で遊んだ。といって、もちろんガイドの仕事。お客さんは仙台の小針さん。いままではk氏といってきたが、名前をだしていいですよ、ということなので、これからは堂々と小針さんと書くことにする。

 このひと、大病院の院長先生でいながら無類の釣り好きで、夢は大イワナを釣ること。ならば今年の総決算にと、川内の五十母川に誘った。だが、この沢は初心者には難しく、それなりの技術が必要になる。まして三泊で、荷物も重くなるのであれば、ちょっとひとりでは辛く、仲間の水野に助っ人を頼んだ。

 この渓は歴史を宿す渓として知られている。下流部に持倉鉱山の精錬所跡があるからである。

 下部は見事なまでに魚影なし。こんなので、果たしてイワナがいるのかと危ぶむが、仲間たちの過去の遡行から、上部にはイワナが犇めいているのは承知のこと。

 美味しい思いがしたければ、苦しい遡行を経なければならない。先生には辛い遡行だったようで、ザイルをなんどか使い、西俣を過ぎたブナの台地で初日の荷を降ろす。

 二日目は雨で停滞。この日も周囲で釣るが、それなりの釣果を得て満足。

 三日目、雨が小止みになったので、遡行再開。ここからが本番。渓は狭く、とてもテンカラを振れる状況にないが、チョウチンならなんとか振れる。

 突然現われた両門滝で、先生が自己最高の35.5センチのイワナをゲット。さすがの五十母川。面目躍如というところ。この日は、さらに上流の狭い台地で幕。翌四日目は下山のみだが、これが辛かった。日倉山からの登山道が荒廃していて、難渋したからてある。

 日本平山を経て谷沢まで、ほぼ9時間以上の行動で、もうヘロヘロ。おまけに、手や足には川内名物のヤマビルが満載。終わってしまうと、いい記憶だけが残るものですね、というのは、下山後の先生のメールでのこと。果たして彼の記憶に残っているのは、怖れ戦いた川内のヤマビルなのか、それとも自己最高のイワナだったのか。

 来年は、ぜひ記録更新する渓にでかけましょう。でも、あまり大きいのは、魚族保護という意味でも、放流という選択肢を覚えたいもの、って、これが難しいんですけどね・・・・・・。イワナだけではない渓の遊び方を、少しでも知ってもらって、とてもうれしいです。

 

 


 天候の不順はそれからもつづき、いくつかの取材を無駄にし、9月に入った。

 最初の連休は、東京の某有名山岳会に所属しているメンバーたちを会津の渓に案内する計画があった。初めて顔を合わせる人たちで、沢の経験は少ないということで、こちらもスタッフをそろえた。

 天気iはおおむね恵まれた。場所は大幽沢の東の沢から丸山岳に登頂するというもので、初日は無理をして奥の二俣まで足を延ばした。そこまで入っておけば、翌日の登頂は射程範囲だったからだ。

 初めてのタープ泊、そして始めての焚火体験と、みなさんには楽しんでもらえたと思う。しかし、二日目の行動に油断があった。ここからなら充分山頂往復ができる、という油断である。ために出発が少し遅れた。三日間中、もっともいい天気だったのにもかかわらず。

 調子が悪く、ベースで帰りを待つという夫婦にスタッフをひとり付け、残るメンバーで山頂をめざした。結果、稜線を間近にして力尽きた。高齢者の方がいて、調子の優れない方もいたのだが、それは言い分けにしかならない。すべては私の至らなさである。あと300m進めば、少なくても稜線には立てたはずだった。しかし、そのわずかな距離を登るかどうかが苦渋の決断だった。帰路、ベース手前で日没になればペースは格段に落ちる。それだけは避けたかった。ならば、どうして早発ちをしなかったのかが悔やまれた。

 朝、遅い出発をしようとしている私に、お客さんのひとりが呟いた。高桑さん、油断をしましたね・・・・と。そうなのだ。体調の優れないひとやペースの遅いひとたちの存在を承知のうえで、なおかつ結果を示すのがガイドの最低の仕事なのである。その少しの判断ミスが、稜線直下の撤退に繋がったのである。

 とても楽しかったですよ、と口々に言ってはくれるのだが、やはり素直には頷けなかった。悔恨のガイドだった。あの稜線と、あの湿原の頂に立ってこその渓谷遡行なのである。その結果が得られなければ、ただの辛い沢歩きだったかもしれない。けれど、よく歩いてもらった。渓ってステキだね、と言ってもらえたのが、なによりうれしかった。できるものなら、もういちどチャンスが欲しいと思う。こんどは、とびっきりの渓にご案内しますから・・・・。

 八月末。という名の、実はすでに十二月。

 長いサボり期間を経てブログを再開するたびに、決まって言い分けをするのが習慣のようになってしまっている。情けない話だ。結局、なにをやっても長続きしないグズ野郎なので、これはもう、勘弁してくださいとしかいいようがない。楽しみにしているという読者が少しでもいるらしく、もう簡単にやめるわけにもいくまい。

 八月初めの好天続きが嘘のように遠ざかり、恒例になっている八月18日の大曲の花火大会は雨だった。

 紹介がなくては、とても手に入らない桟敷を確保してもらったというのに、ビニールシートの屋根を張ってしまうと、もうそこから動けなかった。花火はむろん見ごたえのあるもので、いつものように楽しんだのだが、そのあとがいけなかった。

 タープの下でふたたび酒を呑み始め、膨大な観客も消え、仲間たちもようやく去って撃沈した三人だったが、雨脚が激しくなり、深夜の増水と床上浸水に悲鳴を上げ、やむなく撤退。さんざんの大曲花火は、こうして終わったのだった。

 翌朝、後三年の温泉に浸かって弁当やで飯を食い、そのまま秋田の「ラーメン小江戸」に直行(ここは私の姉と甥がやっているラーメン屋)し、食い逃げ同然で岩手の葛根田温泉をめざす。

 このところ、なんどか使っている温泉場で、安くて気持ちのいい宿である。宴会をした翌朝、仲間たちは自宅に帰るために宿を発ち、入れ替わりに今西夫妻が到着した。彼らと三人で葛根田川を遡行ガイドする計画だったのである。

 しかし、雨は無情に降り続いた。その日と翌日を温泉で逗留し、無駄な足掻きは遭難の元と潔く南東北を旅して帰る作戦に変更。今西夫妻も快く賛同してくれた。

 三日目は早池峰山麓の「うすゆき山荘」という避難小屋に泊まって岳川でイワナを釣り、四日目は三陸海岸を経て南下。松島海岸を散策し、美味い海の幸をたらふく食べ、石巻の民宿に飛び込みで泊まる。

 五日目は、ふたたび天候が悪化して、一路高速道路を利用して帰路に着いた。

 天気が悪ければ、予定の渓谷遡行を取りやめて、レスキュー訓練などに充てるガイドの話も聴くけれど、私はそんなやり方でお金を得るのは性に会わないようだ。それなら、戴いたお金で温泉旅行に換えるのが、正しい悪天候の過ごし方だと思っている。それでほんとうにクライアントが満足しているかを聞き漏らしたが、私の性格を知り尽くしてもらっている彼らだからこそ、つまりは遊び心に満ちているお客さんだからこそ、それなりに楽しんでもらったと思うのであるが、・・・・果たしてどうだったのだろうか?

 8月16日から18日にかけて、南アルプスの両俣小屋に行ってきた。初日は小屋までだからと、市営駐車場を九時のバスに乗り、野呂川出合でバスを降りる。

 日ざかりの林道を延々と歩くと、途中の林道の下にブルーシートを発見。どうやら釣りびとのものらしい。渓を目で追うと、数人の釣りびとが目に入る。先頭でサオを振るひとの頭上に菅笠がある。振っているのはテンカラだ。となれば、思い浮かぶのはひとりしかいない。急な側壁の弱点を見出して渓に降りて近づくと、やはり瀬畑雄三そのひとだった。「奇遇ですよねえ」とお互いに口にする。瀬畑さんとは、三ヶ月ほど前、只見の番所で宴会をしたばかりなのだが、渓で会うと懐かしくなるから不思議なものである。

 二泊の旅は私と同じだが、こちらは小屋の訪問で、瀬畑さんは釣り三昧。またね、と挨拶をし、林道に戻る。

 小屋までは二時間半の歩行だった。決して込み合う小屋ではないが、そこそこ泊り客がいた。小屋番の星美知子さんとは初対面。ガハハと笑う豪快な女主人だった。春から秋まで小屋で過ごす彼女は、いわば両俣のお母さんであり、仙人ともいえる存在である。

 同宿者に釣りびとが3人いて、いずれもフライフィッシングである。釣った魚はどうするのかと問うと、「もちろん放流です」と胸を張る。キャッチアンドリリースに誇りを持っているらしく、当然だといわんばかりに、地元漁協の年券を腕に巻いている。釣り券など買ったこともなく、いつもこそこそとサオを出している私などが思うに、釣り上げた魚を流れに戻すのなら、なにも年券など買わなくてもいいのではないか、と首を傾げるのだが、食べるにせよ戻すにせよ、その魚を放流管理する漁協への、当然の見返りとして釣り券の購入があるのであれば、それもそうか、と思ってはしまう。

 しかし、そのフライ氏の、「釣ってしまうと魚がいなくなるでしょう? みんな釣り券を買って、魚を戻してやれば、いつまでも楽しめるというものです」というセリフには、顔で肯きながら、内心で笑ってしまった。イワナの生命力と回復力を侮ってはいけない。去りし日の台風の惨禍で、飛行場の滑走路のようになってしまった両俣に、何時のまにか戻ってきたイワナが、なによりそれを証明しているでしないか。

 小屋には二泊したのだが、翌日は親子連れの釣りびとがきた。父親は77歳だといい、息子は四十台後半というところか。彼らもまた、キャッチアンドリリース派だという。息子はフライ、父親はテンカラである。髭の父親の風貌と居ずまいが気に入って、しばらく釣りを眺めさせてもらった。夕闇が近く、なんどかヒットしかけたが、釣れなかった。しかし、父と息子の旅の心地よさがみてとれた。私の倅たちも、何時の日か、釣りを覚えてくれるだろうか。して私に、一緒に行こうよ、と誘ってくれるだろうか。

 その日の夕飯で釣りの話になったとき、髭の父親がポツリと言った。「イワナの刺身を食べてみたい」と。これには絶句した。ならば逃がしてやるばかりではなく、釣ったイワナを捌いて食べればいいではないか。しかし、それは信条の違いというものだろう。どうやっても、私や瀬畑さんなどのような、食べる分だけ釣る、という手法は認めてもらえないに違いあるまい。

 三日目は快晴になった。五時間をかけて北岳に立ち、4時間をかけて広河原に降りた。星美知子さんの営む両俣小屋訪問記は、しかるべく形で文章にする予定である。


 大鳥池から葛根田にまわりこんだ。仙台のK氏を案内するための、三泊四日の沢旅である。栗駒の渓が、地震の影響を受けて壊滅状態なのに比べ、どうにか生き残った感のある葛根田や東北北部の渓に感謝せねばなるまい。

 8月8日から11日におよぶ、今回の沢旅が充実したのは、ひとえに天候の安定と、停滞をしなかったからであろう。初日は難なく二俣に着き、最高のテント場に腰を落ち着けるが、なにせイワナが釣れない。魚影は豊富なのてある。が、平瀬の続く葛根田では、イワナに先に姿を見られてしまい、なかなかこちらの思うようにならないのであった。もちろん、腕の悪いことは否定しませんがね。

 イワナの犇めく渓にいながら、ほとんどボウズという不思議な結果に苦笑いする。でも、焚き火を囲んで酒を呑み始めれば、こっちのもの。穏やかだった葛根田の清流に感謝をし、明日からの無事を祈る。

 翌日は山越えの日。イワナの棲まない右俣左沢を詰め上げる。上部で現われる四つの滝を、いずれも左からかわし、湧水が流れ出す始原の一滴を、いつものように探し当て、そこからほんのひと登りで稜線に飛び出して握手を交わす。

 八瀬の湿原まで歩き、そこから大深沢に降りる。ちょうど標高1000メートルで関東沢が出会い、さらに1時間ほどで本流に降りた。夏本番だというのに、私たち以外は誰もいない。テント場で薪を集め、荷物を放り出して釣りに出向く。この沢は葛根田と違い、イワナのポイントが連続している。当然、葛根田よりは釣れることになる。

 一時間も経たないうちに、その日食べるイワナを確保して、意気揚々とテントに戻る。葛根田の敵を大深沢で討った形のK氏は、至極ご満悦だった。

 三日目は、ふたたび稜線に立って大深山荘にいたる日。朝日に染まるナイアガラの滝に感嘆し、滝下で数尾を釣り上げ、蒲焼用のタレに漬ける。これは今宵のイワナ丼になる予定。あとはサオを仕舞い、ひたすら遡行をつづける。稜線に立ったのは午後一時。まずまずの経過。あとは秋田駒と岩手山を眺めながら、のんびりと歩き、三時前には山荘に着く。俺たちだけだといいけどね、といいながら外宴会をするが、すでに先着が二名いて、それから数人がやってきて、小屋のスペースはほぼ埋まる。まあ、夏だしね。外は夕暮れの風で寒くなってきたが、小屋のなかは暖かで、安眠できた。

 最終日もよく晴れた。小畚から三石山を経て、滝ノ上温泉に下るばかり。遅い出発をし、早い午後に下山した。

 半月後も、同じルートをたどる予定だが、天気に恵まれて欲しいものである。それほど、東北の谷を堪能した旅であった。

 三峰川を終えた二日後、懸案の大鳥池からの以東岳に向かった。天気はいまだ不安定。私の只見の拠点である雪月花に立ち寄ってから、長躯朝日連峰をめざす。

 大鳥集落に向かう国道のコンビニで仮眠をし、青嵐舎を素通りして泡滝ダムの駐車場に着く。

 渓沿いの道が心地よく、のんびりと歩んで大鳥小屋に到着する。その日の泊り客は五人。夜はみごとな星空。快晴で明ける。五時におきて朝飯を、と思ったら、すでに小屋はもぬけの空で、中高年のタフと執念を思い知る。

 直登ルートで以東岳に立つが、こんどはモデルがいないのである。これには参った。近年の出版不況で、モデルの同行も抑えられているから、現地調達が基本なのに、山頂に登山者がいないのである。

 遠く、大朝日岳が見えた。八久和川も眼下に大きい。まあいいか。

下山途中でモデルをゲット。若い夫婦だった。山頂で二アニスした二人だ。ああん、少し頑張れば、いい写真が撮れたものを・・・・。

 聴けばダンナは東京電力の幹部とのこと。下山をともにし、楽しいひとときを過ごしたのがせめてもの幸いであった。

 8月1日~3日にかけて、南アルプスの三峰川源流にでかけた。土建屋の佐藤社長一統を案内してのことである。茹だるような暑さのさなかだった。

 渓流釣りをかじったことのあるひとなら、鈴木竿山を知っているだろうが、佐藤社長は、その一番弟子ともいうべき存在なのである。私は竿山とは同郷で、親しく付き合っていたから、竿山亡き後も佐藤氏とは親しく付き合ってもらっている。もちろん、私は釣りに関しては素人同然ではあるのだが・・・・。

 毎年一度、どこかの渓に案内して、すでに三年が経っている。さて、ことしはどこに、という段になって、たまには南あアルプスに、ということになった。そこで問題になったのが、一統のメンバーであるS氏である。ええい、めんどうだから実名を明かすが、巣山くんという。釣りは好きだが登りは嫌いという、およそ山釣りには適合しない性格で、ために今回もネックになった。

 岳川越えという登山のクラシックルートを越え、三峰川源流に遊び、仙丈岳に立つという計画を完遂できるかは、ひちすら須山くんの頑張りにおうしかなかった。

 きびしくも涸れつつも苛烈なルンゼ登りに悲鳴を上げ、当然のごとく脱力、酩酊、彷徨、錯乱のあげく、ようやく乗越に立ちはしたものの、私のガイド計画の根幹にある、美しい遡行ラインの継続はすでに跡形もなく、ほうほうの体で本流に降り立ち、初日はここまで。大量の焚き火に酔う一夜を過ごす。


 翌日、きのうのことなど知らぬ気に、欣喜雀躍。日帰りで釣りに興じる。いやあ、釣れた釣れた。朱点も鮮やかなヤマトイワナが、イワナ寿司を30貫も作れるほど釣れたのだから満足至極。

 食べ終わったころ、上流からひとりの沢屋が登場。なんと、かのサバイバル登山家の服部文祥だ。これには素直に驚く。もっと早く来ていれば、寿司が食わしてあげられたのに・・・・・。いやあ、有名人だ、といいながらサインをもらいました、って嘘だけど・・・・。 

 その後も、長期単独行で知られている深谷明くんと交錯し、山は狭いと実感した次第。こちらは、三峰川を詰めて仙丈岳に立ち、隙あらば周遊ラインを歩こうとしていたのに、足を引っ張る巣山のおかげで意気消沈。「あんな重荷を背負って二週間も渓を歩くんですね」って、お前が言うなよな。

 

 


 女川の帰途、そのまま埼玉に帰るのはもったいないと、かねて懸案の、朝日連峰の大鳥池の取材ができないものかと天気を睨み、右往左往しながら結局、新潟から北上して鶴岡に向かい、大鳥集落に着いた。28日の午後である。

 雨は降ったり止んだり。私のもっとも苦手とする状況で、あっさりと予約してあった「青嵐舎」という宿にもぐりこむ。値段は高いが、料理は絶品。おまけに女将がステキときてはお薦めしないわけがない。1泊二食料金、8700円は安いと思わねばならない。宿は古材を使った古民家造り。この手の通なら、言葉少ない亭主に目を留めるところだが、彼は沢登りに精通したれっきとした山屋の出身。女将の親父は、朝日連峰を股にかけたマタギそのもの。聞き出そうと思えば、いくらでも山の秘伝を知ることができるだろう。

 朝起きても、天気は一喜一憂。山の端が陰ったかと思うと雨が降り、日差しが射したと思うと再び雨。取材者を泣かすのに刃物はいらないのである。雨が一滴降ればいい。どうにか大鳥小屋にまでは行こうとするも、雨が私の足を鈍くする。

 女将から無農薬の野菜をふんだんに戴き、未練を残して大鳥集落を後にしたのだった。

 七月25~27日にかけて、朝日連峰前衛の女川に行ってきた。いつものK氏と一緒の山行だが、集合したのは25日の朝。米坂線の小国駅前。前日の深夜に東北で地震があり、どうしたものかと思案したが、まあ出かけてみようということになった。

 東北地方は連日の雨。その余波が置賜地方にもやってきて、弱い雨が降り続いている。K氏も私も晴れ男を自認しているので、この悪天は自分ではなく相手にあるのであろうと疑惑のまなざしで見つめあう。こちらは埼玉、相手は仙台から、それぞれ高い燃料費を払ってやってきているのだから、まさか手ぶらでは帰れない。

 まずは船渡の林道終点の蕨峠越えのルートまで入ってみようと車を進めたが、林道に近づくに釣れて雨が本格化。無理はしたくないのがK氏の信条とかで、この雨ではたまらんと、とりあえず駅まで戻る。空を見上げ、観光のための看板を眺め、還暦間近の中年男ふたりが、手持ち無沙汰に時間をつぶす。やはり解散か、と決まりかけた寸前、「とりあえず、もうひとつの尻無沢からの山越えルートまで走ってみて、それでダメなら潔く諦めませんか?」と切り出すと、それもそうですね、という返事。

 幸い雨も小降りになり、林道終点までなくなく入る。雨が本格化しないうちにと準備を急ぐ。歩き始めてしまえば覚悟が定まってしまうものだからだ。ところがこのルートは私も初めて。聞き及んだルートを探せど、どこにも道はなく、呆然としながら来た道を戻り、国道で携帯電話のアンテナが立つのを確認してから、くだんの情報源氏に連絡を取る。なに、知ってしまえばわけはなく、林道終点は行きすぎだとのこと。ふたたび車を返し、入渓点を確認してから歩き出す。

 稜線まで、つらい登りを1時間ちょっと。そこからは五郎三郎沢への尾根を下るのだが、これは楽だった。

 雨が降ったり止んだりの尾根末端のテント場に二泊の宿を定めてしまえばこっちのもの。

 しかし、どうしたものかイワナの食いが渋く、天国にきているというのに、ほとんどボウズ状態で終わることになる。腕か? イワナか? それとも数が少ないのかといぶかるが、魚影はそこそこ走るのである。

 三日目だけが晴天に恵まれた。東股沢の滝上まで遊びに行き、釣れなければ眺めるまでさ、と半日行動のイワナウォッチングを楽しんだのである。

 そうそう、小国駅前のラーメン屋は絶品だった。こんな田舎のラーメン屋なんて、とても味の保障はあるまいと思ったが、なにやら虫が知らせたのである。いったんは国道を走りかけたが、思い直して戻り、食べてみたらこれがびっくり。店の名前は忘れたが、なにせ駅のまん前にある一軒の店だ。ぜひ食べてみていただきたい。特にギョウザが美味い。糖尿のわが身が恨めしくなるほどの味だった。

 

 海の日は、なんで毎年、梅雨明けしないのだろうか。原因は二つ。ひとつは海軍の記念日だから、その日を外せないらしいし、もうひとつは強引に三連休にした国家の犯罪である。毎年前後にくるくる変わって定まらない。おかけで、いまカレンダーを眺めていても、何日が海の日なのか、すでに分からない。三連休にしなくてもいいし、飛び石でいいじゃん。それなら休みをとって日数を増やして山に行けばいいのである。海の日は、可能な限り梅雨明けになる翌週の七月最終にすべきだ、というのが私の持論である。

 さて、今年も恒例の三連休。ここは毎年「ニンニク」という正体不明な釣り集団との釣りガイドになっている。今年は彼らに加え、いつもの今西夫妻が参加。今西さんの仕事仲間の・・・・っと、思わず名前を出しそうになったが、それはまずいので、Yさんにする。名前がばれてしまうと、彼の立場が危うくなるらしいのである。

 ニンニク二名と今西夫妻、Yさん、そして私の計六名という大所帯。場所は会津駒の袖沢本流の御神楽沢と相成った。

 なぜその沢かというと、昨年から決まっていたからである。知っている人は知っていて、知らない人はもちろん知らないが「山と渓谷のへっぽこ雑技団」というブログがある。団長は越前屋晃一さん。彼は正月の元旦に、槍カ岳で遭難した。ご存知の方もいようが、槍平の小屋の周囲で、雪崩れにやられたのである。

 彼は私の大切な年長の友人であり、私の技術など必要としないにもかかわらず、年に一度、ガイドのお客さんになってくれた人である。

 ニンニクと団長を引き合わせたのは私で、気が合うはずだ、というのが根拠なのだが、見事に嵌まって彼らは仲間になった。その彼らが、来年は是非、御神楽沢に、という計画だったのだ。それが団長の遭難で頓挫し、ならば散骨に行こうではないか、というのが今回の計画の骨子であった。


 初日、六時に発ったのに、のろのろペースが災いして窓明山の下降点が11時過ぎ。ミチギ沢を下り、さああと一息という地点で、ミチギ沢の濁流に出会う。地震があり、山抜けしたのいう説があるが、不明。流れが見えないのでは遡行も不可能と判断。藪を漕いで一本下流の沢まで行き、強引にテント場を作って泊まる。

 翌日、沢の濁りは取れなかったが、なんとか本流に着く。午前八時だから、これは許容範囲。しかしここからが長かった。水は多いし雪渓は残っている。後続の五人グループとともに、のろい遡行を続けるが、ついに1300メートル地点で行動を終える。

 天気も下り坂とあれば、さっさとテント場を定め、酒を呑むのがろうまん流。まして今夜は散骨の儀式が待っている。

 後続はテントらしく、なにがなんでもムジナクボ沢までいくつもりらしい。どうなったのだろうか。

 無事に団長を流れに散らし、地図を睨んで検討する。すると、私たちのテント場のすぐ上に、中門岳の近くから流れる支流が入っているではないか。

 協議の末、この沢を詰めることに衆議一決。日和るのも早い私たちなのである。

 晴れになった三日目。ザイルを多用し、雪渓をやり過ごし、バーコードのような竹やぶを漕ぎ、ようやく中門岳に立って、これで暗くなる前に下れるとひと安心。ニンニクの会長と私は、中門の湿原でイモ焼酎を500ミリ呑んだ。すっかり酔っ払って登山口に着いたのは、日没寸前の午後七時。

 こんなにきついのはもうたくさん、というのが参加者の感想。こんどは半日行動がいいよねという。なんだ、それでいいのかと、私はやっと納得した。半日行動のやさしい沢で仕事をさせてもらえるなら、こちらも望むところなのである。

 かくして来年の沢は決まった。こんどはまったりガイドでいいらしい。楽しみましょうね。