海の日は、なんで毎年、梅雨明けしないのだろうか。原因は二つ。ひとつは海軍の記念日だから、その日を外せないらしいし、もうひとつは強引に三連休にした国家の犯罪である。毎年前後にくるくる変わって定まらない。おかけで、いまカレンダーを眺めていても、何日が海の日なのか、すでに分からない。三連休にしなくてもいいし、飛び石でいいじゃん。それなら休みをとって日数を増やして山に行けばいいのである。海の日は、可能な限り梅雨明けになる翌週の七月最終にすべきだ、というのが私の持論である。

 さて、今年も恒例の三連休。ここは毎年「ニンニク」という正体不明な釣り集団との釣りガイドになっている。今年は彼らに加え、いつもの今西夫妻が参加。今西さんの仕事仲間の・・・・っと、思わず名前を出しそうになったが、それはまずいので、Yさんにする。名前がばれてしまうと、彼の立場が危うくなるらしいのである。

 ニンニク二名と今西夫妻、Yさん、そして私の計六名という大所帯。場所は会津駒の袖沢本流の御神楽沢と相成った。

 なぜその沢かというと、昨年から決まっていたからである。知っている人は知っていて、知らない人はもちろん知らないが「山と渓谷のへっぽこ雑技団」というブログがある。団長は越前屋晃一さん。彼は正月の元旦に、槍カ岳で遭難した。ご存知の方もいようが、槍平の小屋の周囲で、雪崩れにやられたのである。

 彼は私の大切な年長の友人であり、私の技術など必要としないにもかかわらず、年に一度、ガイドのお客さんになってくれた人である。

 ニンニクと団長を引き合わせたのは私で、気が合うはずだ、というのが根拠なのだが、見事に嵌まって彼らは仲間になった。その彼らが、来年は是非、御神楽沢に、という計画だったのだ。それが団長の遭難で頓挫し、ならば散骨に行こうではないか、というのが今回の計画の骨子であった。


 初日、六時に発ったのに、のろのろペースが災いして窓明山の下降点が11時過ぎ。ミチギ沢を下り、さああと一息という地点で、ミチギ沢の濁流に出会う。地震があり、山抜けしたのいう説があるが、不明。流れが見えないのでは遡行も不可能と判断。藪を漕いで一本下流の沢まで行き、強引にテント場を作って泊まる。

 翌日、沢の濁りは取れなかったが、なんとか本流に着く。午前八時だから、これは許容範囲。しかしここからが長かった。水は多いし雪渓は残っている。後続の五人グループとともに、のろい遡行を続けるが、ついに1300メートル地点で行動を終える。

 天気も下り坂とあれば、さっさとテント場を定め、酒を呑むのがろうまん流。まして今夜は散骨の儀式が待っている。

 後続はテントらしく、なにがなんでもムジナクボ沢までいくつもりらしい。どうなったのだろうか。

 無事に団長を流れに散らし、地図を睨んで検討する。すると、私たちのテント場のすぐ上に、中門岳の近くから流れる支流が入っているではないか。

 協議の末、この沢を詰めることに衆議一決。日和るのも早い私たちなのである。

 晴れになった三日目。ザイルを多用し、雪渓をやり過ごし、バーコードのような竹やぶを漕ぎ、ようやく中門岳に立って、これで暗くなる前に下れるとひと安心。ニンニクの会長と私は、中門の湿原でイモ焼酎を500ミリ呑んだ。すっかり酔っ払って登山口に着いたのは、日没寸前の午後七時。

 こんなにきついのはもうたくさん、というのが参加者の感想。こんどは半日行動がいいよねという。なんだ、それでいいのかと、私はやっと納得した。半日行動のやさしい沢で仕事をさせてもらえるなら、こちらも望むところなのである。

 かくして来年の沢は決まった。こんどはまったりガイドでいいらしい。楽しみましょうね。