● どうして勉強しなくちゃいけないんですか?
こんにちは、小野尾です。
心が変われば、世界が変わる。
心を変えるには学びが必要です。
という訳で、学びについてですが、こんな疑問を持ったり、あるいは子供から質問されたりした経験があるのではないでしょうか?
「どうして勉強しなくてはいけないのか?」
「人はどうして学ぶのか?」
あなたならどう答えますか?
どう答えていいか、難しいですよね?
私なら、こう答えます。
学ぶ目的は、徳を身に付け、才能を発揮して、人の役に立つこと
どうしてそう言い切れるのか?
そういうものだからです!(笑)
というのは、ご存知「論語」と共に四書(中国の古典)の一つである「大学」に書いてあるからです。
要は昔からそういわれているからってことです。
どういうことが書かれているかというと、こんなことが書かれています。
大学の道は、明徳を明らかにするに在り。
民に親しむるに在り。
至善に止するに在り。
どういうことかというと、まず「大学の道」というのは「人はどうして学ぶのか?」という問いかけですね。
それに対する答えがその後に3つ続いています。
一つ目の答えが「明徳を明らかにするに在り」です。
これには「徳を身につけ、それを発揮し、さらに徳を高める」あるいは「才能に気付き、さらにそれに磨きをかける」という意味があります。
二つ目の答えとして「民に親しむるに在り」と続きます。 これには「人と信頼関係を築く」あるいは、「人の役に立つ」という意味があります。
この二つを続けると、人はどうして学ぶのかというと「徳を身につけ、才能に気付き、それらに磨きをかけ、人に役に立つ」ということになります。
さらに「至善に止するに在り」と続きます。
これには「究極の善の状態に到達する」という意味があります。
「究極の善の状態」が何を指すかというと、明徳を明らかにすることと民に親しむることです。
なので、これら三つを続けてみると、「大学の道」つまり「人はどうして学ぶのか?」という答えが見えてきます。
つまり、「人はどうして学ぶのか?」という問いかけに対する答えは、「徳を身に付け、才能に気付き、それらに磨きをかけ、人の役に立つという究極の善の状態に到達するため」だということになります。
人は一人では生きていけません。多くの人との人間関係の上に生きています。
そうした中でよりよい人生を送るには、自分のことだけを考えるのではなく、人の役に立つことを考えることが必要です。
そのために徳を身に付けたり、才能に気付いたりすることが必要んですね。
大学に合格する、いい会社に入る、稼げるようになる、という目的で勉強するのもいいのでしょうが、それでは自分のことが中心にありすぎます。
そうではなく、誰かのためになる、人の役に立つ、そのために学んでいきましょうということなんです。
どうして勉強するのか、お分かりいただけましたか?
ぜひこのブログで勉強していってくださいね^^
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