大分県内戦跡巡り(豊肥地区)①の続きです。
前回は廣瀬武夫関係を紹介しましたが、今度は同じ竹田市にある大東亜戦争の戦跡です。
同じ竹田市とは言っても平成の大合併で面積が広くなったのであります。
場所はこの辺です。
拡大して場所を分かりやすくしてます。
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そして見つけました。
ハッキリ言って山道です。しばらく進んでいくと分かれ道にぶつかりました。これを右に曲がればすぐです。
やっと到着。左の道は今来た道です。小屋の奥に殉空の碑が見えます。
殉空の碑。表面にはB29に体当たりを敢行して死亡した飛行兵の名前とB29搭乗員の米兵の名前が記されています。
裏面の碑文の中に九州帝国大学(現九州大学)で行われた有名な九大生体解剖事件の事に触れられています。生体解剖事件が行われたあの忌まわしい事件はここで墜落し生き残った米兵8名が犠牲になりました。合唱。
九大生体解剖事件とはどういうものだったのか。下にリンクを貼っておきます。
≪九大生体解剖事件≫
九州大学生体解剖事件
次に訪れたのはB29に体当たりして戦死した日本軍飛行兵が墜落した場所です。
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さっきのB29墜落地点もそうでしたが、何分山の中なので今どこを走っているか分からなくなります。私は一緒に行った友人が以前訪れて場所を知っていたので来れましたが、行き当たりばったりで来れる場所ではありません。来る場合は事前に地図で場所を十分確認して訪れるようにして下さい。ここに記してある場所は、車にナビが付いていないので現地で携帯のGPS機能を使って確認した場所なので完全には正確ではないかもしれませんがその辺はご容赦下さい。
本題に戻ります。
竹田市久保地区にある、長崎県大村飛行場から出撃し、福岡県の陸軍大刀洗飛行場を爆撃し帰路途中のB29を迎撃し体当たりして戦死した紫電改搭乗員の故海軍一等飛行兵曹粕谷欣三鎮魂碑です。
国家を将来を思い、この地で散華した若干19歳の若桜は近くの久保集落の人の手によって手厚く扱われ、戦後35年たったのち集落の人達によって鎮魂碑が建立されました。
竹田市はこれで終わりです。
次は豊後大野市千歳村に向かいます。
ここには千歳飛行場が建設されました。
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千歳飛行場建設に使用したとされる鉄製ローラーです。千歳中学校の校庭の片隅にありました。普通の整地用ローラーとは明らかに違うのは分かりますが資料がほとんどなく詳しい事は分かりません。
すぐ近くにあった忠魂碑ですが、よく見ると日露戦争の時の物でした。
千歳飛行場があったとされる付近ですが詳しい事はまったく分かりません。
資料が見つけられません。m( __ __ )m
豊肥地区はこれで終わりです。
大分県には日本軍機の体当たりを受けてB29が墜落した場所がもう一か所あります。
ここも先日訪れましたので近々(ホントに?)UPします。
自分にツッコミを入れてみました。www