朝日新聞の問題は報道機関の在り方とか言論の自由とかの、そんな難しい話ではなく、嘘をついてまで日本人を貶める記事を掲載したことです。それなのに彼らは自身に対する批判を「言論弾圧」だとか「歴史の見直しは許さない」などと論点をすり替えて反論し、相変わらず「誤報だ」と故意に記事を捏造した事を認めず個人に責任を擦り付けて言い逃れしようとしています。しかし、組織的に故意に事実を捻じ曲げ、関与しなければ、あの様な記事がかけるはずもなく、また32年の長きにわたり放置できる訳がありません。もし、本当に相当人数の人間がチェックしたにもかかわらず事実誤認したままあのように他人の品格を貶める記事を書き、そのことに32年間も気が付かなかったのであれば全員小学校の新聞部からやり直す必要があるでしょう。
朝日新聞サイドの人たちは、何とかこの問題を言論の自由などの問題に埋没させようと必死で、「自分たちは大多数の人が知っているような嘘も見抜けませんでした。」と恥も外聞もなく自分たちが馬鹿であることまで認めながら言い訳をしていますが、そのような言い逃れを許すべきではありません。主義主張があるのであれば、それに沿った記事を書くのも良いでしょう。しかし、ありもしない事実を捏造し他人の名誉を貶めながら、それに対して一言の謝罪もないのは許されることではありません。
彼らがいかに非道な行為を行ったのかは、朝日新聞を警察などの捜査機関に置き換えてみればよく分かります。それを一言で言いあらわすと
ろくな捜査(取材)を行わず、証拠(記事)を捏造し、無実の人間を罪に陥れようとした。
ということです。司法と報道の違いこそあれ、絶大な権力を持っているものが恣意的に犯罪者を作り上げる様な事は決してあってはならないことです。この問題を知らんぷりして何が言論の自由か、片腹痛いとはこのことです。
付け加えるならば、朝日新聞が一部過ちを認めた今なお、河野談話をよりどころに日本を非難する姿勢を崩さないのは、嘘の目撃証言を根拠に逮捕し、直後の自白を拠り所にして頑なに己の間違いを認めず上級審に控訴しようとしている様なものです。あれだけ冤罪事件で捜査機関を厳しい論調で批判してきたのは、一体何だったのでしょうか?
確かなことは、「失われた名誉は簡単に回復しない」「時は二度と戻らない」ということと、誰も責任をとらないということです。時は戻らないのです。朝日新聞は一刻も早く真相を究明し、捏造により失われた日本国と日本人の名誉回復に努めることこそが真の謝罪といえるでしょう。