歴史探索①(大分県中津市)の続きです。
中津城に入城しました。
車で城内に入り最初に行った場所が中津神社です。
現在ある中津神社は明治16年に建てられた神社ですが、その前は幕末に参勤交代などから姫君達が帰郷した際に住まわれた松の御殿があり、廃藩置県後に中津支庁舎が置かれましたが、西南の役で中津隊の攻撃により焼失したそうです。
山国川沿いに石垣をグルッと廻ってみると・・・
石垣の並びが違う所がありました。黒田の石垣と呼ばれている所です。案内板を見ると、右側が黒田家の時代に作られた石垣で左側が黒田家の後に入城した細川家の時代に作られた石垣だそうです。石垣の作りがこうもはっきり違うとは面白いですね。
外から見た模擬天守
実際に天守が建てられていたかどうかは不明で、財政難で、あるいは、必要がないので建てられなかったという説が一般的である。江戸時代の絵図には天守は描かれておらず、本丸の山国川沿いにあった鉄門脇の3重に描かれた櫓が天守の代用となっていたと考えられている。
三の丸跡になにやら忠魂碑が目に付いたのでよく見ると・・・
元帥伯爵東郷平八郎書とあるではないか!
日本海海戦の英雄、東洋のネルソン、世界の三大提督の一人と言われている元帥海軍大将東郷平八郎閣下に対して敬礼!
二の丸跡にある公園。その名も二の丸公園。(そのまんまやんけ!と、心の中で公園に対して思わずツッコミが入った。)
まだまだ中津城廻りの探索は続きます。
黒御門跡近くにある二の丸にあった長福寺跡。現在は大分地方裁判所中津支部があります。
大手門跡。
左側の現在は中津市立南部小学校がある所に僅かながら石垣が残されています。
グルッと廻って中津城内に戻って来ました。
そして次に中津城内に立つ独立自尊の碑です。
福沢諭吉の明言です。
増築された石垣
鉄御門跡
西南役中津隊之碑。書は旧中津藩主奥平昌恭
さあ天守に登ってみよう!
天守最上階より豊前海を望む。いやぁ~、絶景ですな。
奥に見える山々は国東半島でしょうか。
中津城で結構時間がかかってしまったので次の目的地に急げ!
本当はこっちがメインだったんだけどな。
八面山平和公園
中津市から国道212号線を南下。旧三光村(現中津市)八面山中腹にある八面山平和公園に到着。
昭和20年5月7日午前10時20分頃 ここに宇佐空襲を行ったB29の編隊に陸軍の村田 勉曹長操縦の双発戦闘機「屠竜」が編隊の先頭機に正面から体当たりを敢行、両機ともに墜落し、B29搭乗員11名中8名はここで戦死、3名は落下傘で降下、その後死亡した。村田曹長は中津市洞の上の山中で戦死しているのが発見された。毎年5月3日には日米の関係者により平和祈願祭が行われているそうである。
B29墜落の地
村田曹長之碑
米軍戦没者慰霊碑
敷地の隣にこんな物が展示されてました。
今回の探索は終わりです。
帰りは地図も無しに知らない山道を通って帰りました。偶然にも宇佐ICのすぐそばに道が繋がっていたので迷わずに自宅までたどり着きました。車にナビは付けていないので、どこに繋がっているのかはまったく分んなかったけど、「ここに繋がってたんだ。」と新たな発見があるのが楽しいので、ナビのいいなりに行動するのが嫌な古い人間です。(笑)