宇佐海軍航空隊跡③(大分県宇佐市) | YOSSYのブログ

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日本の現状を憂いて政治に関して思う事、子供の頃から大好きな日本史(特に幕末から大東亜戦争)、軍事関係で戦跡、史跡巡りをした時の写真などUPしていきます。

宇佐海軍航空隊跡③で最後です。


$YOSSYのブログ-宇佐海軍航空隊

慰霊塔周辺図
YOSSYのブログ-宇佐海軍航空隊

艦爆標的跡周辺図
YOSSYのブログ-宇佐海軍航空隊

航空隊踏切。姿形は見えずとも、その存在があった事を現在に伝えています。
YOSSYのブログ-航空隊踏切


92年に発見された宇佐海軍航空隊正門。隣にあるのは09年1月にもう片方の正門と一緒に発見された副門。
YOSSYのブログ-航空隊門柱

発見された当時の地元紙の記事。
旧宇佐海軍航空隊の門柱 もう片方見つかる

09年1月に発見された正門があった付近に埋められていたもう片方の正門。
いずれも柳ヶ浦小学校敷地内に保存されています。

YOSSYのブログ-航空隊門柱

今回は行ってませんが、セブンイレブンのある信号機のカドは、宇佐海軍航空隊の正門があった場所です。現在の住所は、宇佐市大字江須賀字正門。住所に正門の名前が残っています。


柳ヶ浦小学校にある機銃掃射跡が残る塀の案内表示板がありました。宇佐市が後世にきちんと残そうという姿勢に拍手を送ります。
YOSSYのブログ-機銃掃射の弾痕

柳ヶ浦小学校の東側の壁に残る弾痕です。
YOSSYのブログ-機銃掃射の弾痕
YOSSYのブログ-機銃掃射の弾痕

校門も当時のままです。
YOSSYのブログ-機銃掃射の弾痕


蓮光寺の生き残り門です。蓮光寺周辺は、空襲でひどく爆撃されたが、奇跡的に門だけが残り、生き残り門と呼ばれるようになったそうです。
YOSSYのブログ-生き残り門

山門には爆弾の破片が飛んできた跡があるそうなのですが、予備知識が乏しく見つけられませんでした。
YOSSYのブログ-生き残り門
YOSSYのブログ-生き残り門


海軍桟橋です。宇佐海軍航空隊のカッター(軍艦と行き来する小さな船)を動かす練習に、使われていたものです。
YOSSYのブログ-海軍桟橋
YOSSYのブログ-海軍桟橋


長洲小学校裏にある慰霊塔。
YOSSYのブログ-慰霊塔

慰霊塔の後ろにある戦争に行って亡くなった方を祀っている共同墓碑
YOSSYのブログ-慰霊塔


海軍桟橋に行った時にずいぶん引き潮だったので近くまで行けるかもと思いながら艦爆標的跡に行きました。ここにもきちんと案内板が設置されていました。ただ車で移動だと見落としてしまうかもしれないので注意を。

余談ですがここにくる手前に、昭和の大横綱双葉山の生家跡がある双葉の里の前を通りました。

YOSSYのブログ-艦爆標的跡

近づけるギリギリまで来ました。
YOSSYのブログ-艦爆標的跡
YOSSYのブログ-艦爆標的跡

YOSSYのブログ-艦爆標的跡

今来た道を引き返すのかぁ・・・
しかし、今来た沖合1.2㎞の道のりを引き返さないと潮が満ちてきてとんでもない事に。
体力の衰えを感じつつ汗をぬぐいながら海岸線へと戻って行った。(;´Д`A ```

YOSSYのブログ-艦爆標的跡


爆弾による傷跡が残る塀。
新たな史跡はないか、前日にもう一度ネットでチェックしていて見つけた史跡です。
国道10号線、宇佐産業科学高校のある交差点を豊前善光寺駅方向へ向かい、吉松地区ある道路左側にある民家の塀にそれはあります。僕らは最初地区内に入りウロウロ探し回ったのですがどうしても見つけられなくて諦めようとしていた所、農作業をしている人を見つけたのでダメ元で聞いてみると大当たり!場所を教えてもらいました。

YOSSYのブログ-爆弾傷跡
YOSSYのブログ-爆弾傷跡
YOSSYのブログ-爆弾傷跡


これで大分県内にあった三つの航空隊は制覇しました。
宇佐市は戦争遺跡を後世に残そうという事で博物館建設の構想もあるそうです。
都市化の波で、負の遺産として解体、撤去される戦争遺跡が多いなかで宇佐市の取り組みは大いに評価される所です。
つい最近では撤去が決まっていた約20年前まで火の見やぐらとして再利用されていた夜間用誘導塔が保存される事になり、関係者の尽力に敬意を表します。


宇佐海軍航空隊の遺構 夜間用誘導塔保存へ 宇佐市 撤去方針を転換


まだまだ戦争遺跡は数多く存在します。
これからも大分県内だけに及ばず、時間があれば近県にも足を延ばして行こうかなと思ってます。