読んだ本
放射能と生きる
武田邦彦
幻冬舎新書
2011年6月

ひとこと感想
2011年3月12日から5月5日までの彼のブログ記事をもとにし、加筆修正したもの。当時の緊迫した空気や、言い知れぬ不安感を思い出させる。これを読んでいると、原発をはじめとした科学技術にとって今求められているのは、数十年前に脳死をはじめとした医療における生命倫理において問われたような、インフォームドコンセントとクオリティ・オブ・ライフであることが分かる。きちんとした説明責任と、生活者の質の優先が大事なのである。

****

私は昨年2011年8月頃より、ようやく少し冷静に、原発事故に対する自分のスタンスを明らかにしはじめることができたが、その間、3月からの数カ月は、生きた心地はしなかった。移住すべきなのか、飲食物をどうするのか、病気のネコの世話をどうするのか、まったく動こうとしない義母と行動を別にしてもよいのか、など、課題が山積みだった。

そしてなによりも、原発自体が、落ち着いてくれることを、心から願った。

世間では、極端に「大丈夫」という人たちと、極端に「危険だ」という人たちが大声を出していた。私たちには、どちらも信用できなくなっていった。

だから、自分の力で今起こっている事態を理解しようと、ネットのニュースや情報を読み、多種多様な本を読んだ。

放射能の厄介なところは、目に見えないことであり、さらに、その影響がはっきりとしていない部分もあることだ(少なくとも見解が分かれているところだ)。

かつてであれば、とりあえずNHKの報道や解説はある程度信用できると考えていたが、事態がはっきりとわからないなかでは、NHKでさえも、この事故には十分に切り込めていなかった。

だいいち、カメラを向けても、水蒸気や煙、爆発など、そういった現象を映し出すことはできても、放射能を映し出すことはできないので、やはり、今何が起こっているかが映像を通じては、なかなか伝わらないのである。

しまいには、肝心な場所の数値もはかれないので、影響がどのくらいにまで及ぶのかが分からない、という説明がマスコミや政府から、くりかえし言われた。

推定でものを言えないので、結果的には、専門家でさえも、危険性をマキシマムにとらえる場合と、ミニマムにとらえる場合とにおいて、はっきりと述べることがなされたが、私たちの暮らしにどのくらい影響があるのかを、一般化して概算的に示す人がとても少なかった。

武田邦彦は、そういったなかで、もっともこのような努力をした人の一人である。

実際には彼の言うことは、ややリスクを最大限にとる立場と一緒のようにみえるが、大きく異なっていたのは、彼が一貫して「妊娠している妻をもつ夫」の立場でこの事故の対応を考えていたことだ。

科学者たちは、専門家として、基準値と実際の数値とのあいだの分析を冷静に行っていたと思う。そのことが悪いことではない。しかし、得てして専門家が「卑怯」であるのは、その専門性をいいことに、生活者にとって必要な情報を提供しないことだ。
生活者が分かるように話をする意志のない人があまりにも多いのである。

ここには、無意識のテクノクラシーが潜んでいる。

専門知識のない人間たちに理解してもらおうという努力もなければ、そういう人たちの暮らしを心配するような意欲もない。

他人事のように、数字を出し、事象を説明する。

こんな専門家は、正直言って不要である。

みなさんも心当たりがあると思うが、医療の現場はこの数十年のあいだに、大きく変わっていった。もちろん病院や医師によってまだ差があるが、基本的には、医療の現場には、インフォームド・コンセントという考えと、それから、クオリティ・オブ・ライフという考え方が中心に据えられた。

それまでは、医者は専門家として、病気や怪我を対象とし、その治癒が目的であり、さらに言えば延命こそが最終目的であった。そのために患者や家族などに対して医療処置について詳しく説明することもなければ、その処置が苦痛を伴うものであっても延命の可能性があれば積極的に行うのが、当たり前であった。

しかし、高度な医療処置が増え、また、死の定義さえも変更を余儀なくするなかで、生命倫理が問われ、あらためて、医療の役割が議論された。

その結果、医療処置については、患者ならびに家族に対して、
リスクを含めて十分な説明を行い、同意を得たうえで実際に処置を行うという方向に大きく変わっていった。

また、その前提として、患者の「生活の質(QOL)」が尊重し、ただ延命だけのためにむやみに医療処置を行わないということになった。

科学技術の高度化は、専門家に対して、新たな義務を課したわけである。

では、原発はどうか?

基本的に、専門家にまかせておけば安心、というスタンスを貫いてきた。

だから、3月11日以降に、突然いろいろな説明をしても、ほとんど理解できないどころか、混乱を誤解を引き起こす結果になり、専門家同士のコンセンサスもどこにあるのか分かりにくくなるほどだった。

私は哲学を学んでいるなかで、「真理を語る」ということの困難さ、もしくは、「本当のことを言う」ということの厄介さを知った。それは、単に、数値や統計に基づいたデータを開示することではない。数字は嘘をつかないというのは嘘であり、数字は嘘に満ち溢れている。それを嘘でなくすための説明の努力をしなければならない。それが説明義務というものである。

だから、もう一度言うが武田邦彦は、この説明義務を十分に果たしている。彼の説明がややリスクを大きく計算していることも、私たちにはよく理解できる。自分がその説明をもとにどう判断しどう行動するのかを、自ら決定しなければならないことも、はっきりと知れている。その違いなのだ。

多くの専門家もマスコミも政治家も原発関係者も、このことをよく理解していていない。

いま、原発関連の議論において必要なのは、説明責任、インフォームド・コンセントなのである。

おっと、今日はあまり本のなかみにふれずに終わってしまった。内容については、あらためてまたとりあげたい。

放射能と生きる (幻冬舎新書)/武田邦彦
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読んだ論考
惨劇のイマジネーション
スーザン・ソンタグ
川村錠一郎訳

Susan Sontag, “The Imagination of Disaster," Commentary, 1965.

所収
反解釈
高橋康也他訳
ちくま学芸文庫
1996年

ひとくち感想
切れ味は良い。当時まだ多くなかった「映画評論」の先駆の一つになるのであろう。ただし、特に放射能や核エネルギーに造詣があるわけではないので、あくまでも映画「表象」において核戦争などが「惨劇」としてどのように描かれているのかを分析したものと考えてよい。あまりよく知られていない米映画への言及があったのは、大変有難かった。

*なお、表題の「惨劇」は原語がdisasterである。natural disasterであれば自然災害であるが、この場合、映画の大半は核戦争や異星人や突然起こる出来事なので、惨劇とか惨状といったような意味になる。私なら「
災厄」と訳すと思う。

*****

1965年、才女スーザン・ソンタグは「惨劇のイマジネーション」という論考を書いている。

まだ、23歳のときである。

先日読んだ本「ヒバクシャ・シネマ」に訳出・掲載されていなかったので、「反解釈」に掲載されているこの論考を読んでみることにした。


本論は、「SF映画」(一部SF小説、マンガ)を題材にして、どのような構成で「災厄」が描かれるのか、どういったバリエーションがあるのかを概観している。

それによれば、必ず踏襲されるのは、以下のような展開であるという。

1 何かが地球にやってくる。
2 破壊される。
3 総力を挙げて撃退しようとするがうまくいかない。
4 さらに破壊が続く。
5 最終兵器で勝利。

小説とは異なり、映像と音声によって、人間の死、都市の破壊、人類の滅亡を描くことが、
映画の特徴である、とみなす。

つまり、破壊こそがもっとも重要で、題名にあるように「災厄」を描くのである。

主に、以下のような内容を含んでいる、とする。

・破壊願望
・異形への畏怖心
・行き過ぎた科学技術に対する疑念
・物神崇拝(結果的には、科学技術信仰)
・勧善懲悪

まあ、とりたてて驚くほどの分析ではない。

***

さて、本論考においてとりだしておきたいのは、ソンタグが「核エネルギー」に対してどういった理解をしているか、もしくは、どういった洞察をしているか、である。

「日本映画」について、以下のように述べている箇所がある。

「とくに日本映画の場合にそうなのだが、必ずしも日本映画ばかりではなく、一般に、核兵器の使用や未来の核戦争の可能性によって、大量の創傷が現実に存在するという気持ちを観客はもたらされる。空想科学映画のほとんどはこの創傷の証人であり、ある意味で、これを払拭しようとする試みである。」(345-346ページ)

「創傷」という言葉が用いられている。ちょっと原本がないので分からないが、woundのことか? 

ここでソンタグが、ヒロシマ、ナガサキ(場合によっては第五福竜丸)といった日本が負った「創傷」に注目していることは、明らかである。

しかし、「証人」であると同時に、「払拭しようとする試み」とはどういうことであろうか。

「創傷」に対する「怒り」「憎しみ」といった「感情」ではなく、「証人」でありかつ「払拭しようとする試み」、とは、一体何を意味するのであろうか。

これは、こうした核の「威力」に対して、人為的すなわち加害者による「暴力」とはみなさずに、抗いがたい運命としてとらえている、と言いたいようである。つまり、「災厄」を「自然災害」「天災」と同じように理解をしている、とソンタグは映画から受け止めたというように思われる。

しかしソンタグはそこにはそれ以上踏み込まない。

私たちであれば、おそらく、「被爆」「被曝」などと関連づけて、もう少し内部へ、つまり、倫理性への問いへと向かうが、そうはせずに、形態について論じ続ける。どうやらそれが、彼女の言う「反解釈」的立場なのだろう。

・怪獣その他の出現は、基本的に「爆弾」の隠喩である
・都市、地球、宇宙が核兵器の使用の結果消滅するかもしれないという可能性
・敵対者に対する好戦性と平和への希求の両立

つまりここには、道徳性が単純化されており、世界もまた一つの統一された状態を理想とする意識がある。これをソンタグは、次のように述べている。

「それに寄りそうようにして現代の生存についてのきわめて深い不安が潜んでいる。私が言おうとしているのは〈爆弾〉の傷跡そのもの――それが使用されたこと、地上の全人類を何度も繰り返し殺せるほどの量が現にあること、新型爆弾が使われる可能性が高いこと――だけではない。肉体的な惨劇や地球全体の破壊や絶滅についてのこれらの新しい不安以外に、空想科学小説は個人の精神状況についての抜きさしならなぬ不安を反映している。」(349ページ)

「個人の精神状況」とは、難しい言葉だが、どうやら「非人格性」とつながっていることのようだ。

この「非人格性」とは、まさしく現代科学技術とその体制(=テクノクラシー)がもたらしたもので、一般的には「非人間化」「機械化」と呼ばれているものと近しい。

感情に乏しく、意志がはっきりせず、活発でなく、従順という、人間像である。

年代が全く異なるので本論考ではふれられているわけではないが、1982年に公開された
「ブレードランナー」に登場するレプリカントは、ここで言われている「非人格性」の典型とみなすことができる。

ソンタグは、こうした空想科学映画を数多く観て、以下の結論に至る。

「この種の映画は世界的な不安を反映し、同時にそれを和らげてくれる。さらにこれらの映画は、私には脳裏をいつまでも去らない忌まわしいものに思える放射エネルギーや汚染や破壊の進行に関して、無感覚な反応をとるよう観客を教育する。」(356ページ)

つまり、「世界的な不安を反映」しているという意味では、ある程度には社会風刺、社会批評の意志があるものの、結局はむしろ、鎮痛剤のような効果を私たちに与え、そのい「痛み」がいったいどこからやって来ているのか、どうすればいいのかを考えさせないようにしている、ということになる。

もちろんこれは、ソンタグが観た1950年代から60年初頭にかけての「空想科学映画」にあてはまる解釈であって、その後に登場する作品がどうなっているかは、また、あらためて考えねばならないが、まさしく原水爆実験が次々と行われ、地球全体が汚染された時期であり、「核の平和利用」が叫ばれた時期でもあるこの時代に、こうした映画もまた、最終的には原水爆の宣伝に一役買っていたということになる。

なるほど、その通りかもしれない。

しかし、そうは言っても私が気にしているのは、この「鎮痛剤」の効果の方である。この鎮痛剤が、とくに「効果」がないくせに、あたかも「プラッシーボ」のように私たちに与えられていたのではないかという不安である。

ある研究者(たとえば先日読んだ「特撮映画の社会学」に好井裕明氏)は映画「ゴジラ」に、消えてはならない「ヒロシマ」(ナガサキ)の惨状をみる。

しかし、それが「ゴジラ」であり続け、しかも、「正体不明」のまま、私たちの「不安」を象徴だけして、結局は、科学の力で解決させてしまった以上、さらには、この「ファンタジー」が長らく連作を生み出し、次第にゴジラがただのキャラクター化してゆくのも、この初発のモチーフに内包していた必然性であって、次第に陳腐化したのではないのではないか、という疑念がある。

もちろん、一定程度の「啓蒙」効果はあっただろう。そう観た人もいたことだろう。

しかし、何かそこには、特撮映画を撮りたいという欲求をかなえるための、とってつけたような「言い訳」がにじみ出ているように思われる。そして、観ている側も、当時は、単に「怪獣」や「特撮」や「破壊」「空想科学もの」「怪奇」などが好きで観ていたものを、過去遡及的に、意味化しているのではないだろうか。

もっとその無意識的な領域を探るのであれば、本格的な探究になると思われるが、そうした深層構造をさぐるかのような姿勢だけをみせて、実際にはそこに到達していない、そういった「表象文化」研究が多いように思われる。

ソンタグに教えられたのは、こうした「Against Interpretation」の意志なのかもしれない。

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昨日当ブログに「放射能とスーパーマン」について書きました。

とある方から、ニュークリアマン(Nuclearman)というのがスーパーマンに登場する、とご教示を受けました。

調べてみると、スーパーマンというのは、けっこう放射能とかかわりのある、そういう話だったのですね。知りませんでした。

一度もみたことがないので、いろいろと想像で書いてしまいました。

失礼しました。

そこで今日は、このニュークリアマンとスーパーマンIVについて、ネットで知った情報をまとめておきたいと思います(いずれ映画も観たいと思います)。


ニュークリアマンというのは、映画「スーパーマンIV」(1987年)に登場するようです。

「スーパーマンIV」は、核兵器を廃絶する物語で、核軍縮が政治的になかなかうまくいかないなかで、スーパーマンがえいや、と、地球にある核兵器を太陽に投棄するというもの。

とてもリスキーなことをします。

吉本隆明やその他ときどきこのプランを口に出す人がいますが、本当に安全なのでしょうか。絵空事のようにしかみえません。

逆に、この「えいや」は、単にスーパーマンが核エネルギーを表すだけではなく、USAの(良心的な)象徴でもあることをも意味しているように見えます。

強いUSA、正義のUSA、世界を守るUSA。

そしてスーパーマンは、人間の限界を知るところから人間の可能性を追求する、というよりも、最初から、人間とは異なる「能力」をもった「異人」であり、人間にとって、完全に別ものの存在です。

これでは単なる「超越的存在」であり、「絶対的権力」ではないでしょうか。

少なくとも、ニーチェのいう「超人」とは大きく異なる存在であることは、確かです。


また、スーパーマンのなかで、原発については、これまで何か言及しているのでしょうか。

詳しくは機会があれば、ゆっくりと調べてみたいと思います。

ただ、なんでもこの「スーパーマンIV」では、ニュークリアマンは最後に、スーパーマンによって原子炉に投棄されるようです。

原子炉に投げ込む、というのもまた、ひどく暴力的で、ひどく非現実的です。また、どのように「投棄」するのか、不鮮明です。

だいたい、原子炉があらぬ反応をしてしまったら、どうするのでしょう。

こういう発想を映像にするのは、やめてほしいものです。

クラーク・ケントはもう少し、核エネルギーについて、知るべきではないでしょうか。

こうしてみると、この作品においては、ニュークリアマンは、核兵器のメタファーになっていると考えられるわけですから、やはり、スーパーマンは、ますます「原子力の平和利用」のメタファーであるように思えます。

副題も「The Quest for Peace」で、「Atoms for Peace」をもじっているかのようです。


なお、「スーパーマンII」(1981年)の冒頭では、水爆が登場します。スーパーマンは水爆の危機を回避するために、この水爆を宇宙に投げ捨てますが、それがまた新たな危機を呼んでいます。

また、「スーパーマンIII」はハッカーもので、スーパーマンの弱点としてクリプトナイトという鉱石が登場するくらいで、
特に核エネルギーについては多くは語られていないようです。

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Superman and Radioactivity

知らなかった。

スーパーマンとは、いわば、原子力を掌中に収めた人間のメタファーであったとは。

スーザン・ソンタグは論考「惨劇のイマジネーション」のなかで、こう述べている(この論考の内容については明日あらためてとりあげたい)。

「地球の外からやってきた超人的英雄(最も有名なのがスーパーマンで、彼はいまのところ核爆発の爆風で炸裂したとされている惑星クリプトンの孤児である)」(ソンタグ「反解釈」341ページ)

Wikipediaによれば、スーパーマンは、コミック版が1938年に登場している。原作はジェリー・シーゲル、作画はジョー・シャスターで、アクション・コミックス誌に掲載された。

この、最初の設定から、彼は、クリプトン星人である。

クリプトン星は、高度な文明をもちながらも存亡の危機にあった。彼の父親は息子を救うために、カプセルに詰めて宇宙に飛ばした。たどりついたのが米国のカンザス州だった。たまたまそれを見つけたケント夫妻が、クラークと名付けて育てる。

かぐや姫や桃太郎のような、貴種流離譚との類似性を感じる。

以下、スーパーマンにおける、原子力との関連性を列挙しておく。最初だけがソンタグが指摘したもので、のこりは、主にWikipediaによるものである。

- クラークの生まれた星は、どうやら「核爆発の爆風で炸裂したとされている」(ソンタグ「反解釈」341ページ)。

- スーパーマンの透視能力は、X線によるもの

- スーパーマンの透視は、鉛があるとできない

- スーパーマンは、熱線を吐く

-
スーパーマンの弱点は、鉱物クリプトナイトからの放射能

実は、単にこれだけである。しかし、

スーパーマンが描かれはじめた1938年とは、クリスタルナハト事件をはじめ、ヒトラーの勢力がはっきりと危険な状態になりはじめた年である。また、オーソン・ウェルズが火星人来襲のラジオ劇で全米をパニックに陥れた年でもある。

クリプトン元素自体は、1878年に発見されており、もちろん、スーパーマンが描かれたときには、すでに知られてはいた。

しかし一方で不思議なのは、1938年とは、エンリコ・フェルミが放射性物質の発見でノーベル賞を獲得する一方、ハーンとマイトナーが実験結果を前にして、
核分裂なのかどうか手紙をやりとりしていた頃に、「クリプトン」と「核爆発=核分裂反応」とが連接性をもって表現されている点である。

ウランに中性子をあてると、クリプトンとバリウムに核分裂反応が起こることは、まだ知られていなかったはずなのだ。

にもかかわらず、なぜ、クリプトン星という名になったのだろうか。ちょっとしたミステリーである。

また、クリプトナイトという架空の鉱物から発せられる放射能が弱点というのも、不思議である。彼自身が放射能化しているように思えるのだが、この放射線を浴びるとスーパーマンとしての能力がなくなり、普通の人間になってしまうどころか、3時間も浴び続けると死に至るというのだ。

おそらくこうした核エネルギーに関する説明は、戦後の「Atoms for Peace」プロモーションの過程において付与されたものであって、最初からあったものではないと推測されるが、それにしても、無茶苦茶である。

要するに、1950年代にスーパーマンは、原子炉のメタファーとなったのであろう。


…と、書いていたら、スーパーマンに関する速報が入ってきた。

クラーク・ケントは、2012年10月24日付で、勤め先の新聞社
デイリー・プラネットを辞めて、ニュースサイトを立ち上げるのだそうだ。

なんでも、新聞が「娯楽化」したことを憂えて抗議したものの方針を変えることができなかったため、趨勢として、ネットのニュースサイトに可能性を見出したそうだ。

彼の特技の一つに、超人的な(スーパーマン的な)スピードでタイプをニュース記事を書くというのがあるので、おそらくネットのほうが彼の能力がいかんなく発揮できることと思う。

しかし、これまでのこの原子炉のメタファーとしての彼の存在は、どういう方向に向かうのであろうか。

彼の寿命は、もしかすると人間とは異なるのかもしれない。

また、自分の制御できなくなって爆発を起こすかもしれない。

そんななかで、彼は何を「報道」しようとしているのだろう。

クラーク・ケントの悩みは尽きない。
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観たDVD
第五福竜丸
新藤兼人:監督
宇野重吉、乙羽信子:出演
大映:
配給
1959年2月18日:公開

ひとこと感想
同じ実話に基づいた「原爆の子」とは大きく異なり、久保山愛吉の死というクライマックスがあるためか、
ドキュメンタリー性が高く、かつ、全体的にドラマティックな仕上がりとなっている。船上でのシーンの荒々しさと、葬儀に至るなかでの静謐さとのコントラストは見事。

***

第五福竜丸事件は、1954年3月に起こった。それから5年後に本映画作品が公開された。7年後の「ヒロシマ」を描いた「原爆の子」と比べて、圧倒的に本作品には監督の「力」が感じられた。

深い「怒り」と「悲しみ」――「原爆の子」では前面に出ていなかった感情が、本作品では、抑えがたく溢れている。

逆に言えば、なぜ、ヒロシマの惨劇は、映像としては、大きく抑制されていたのか、不思議に思う。


本作に関しては、「原爆の子」と異なり、映像やストーリーについても語りたくなる。

とりわけ船上でのやりとりは圧巻である。

第五福竜丸が海路にでているあいだの、船員たちの暮らしぶりは、かなり生き生きと描かれており、その後の展開とのコントラストが巧みだった。

漁の網にサメが引っ掛かってしまうシーンでは、実際に数尾のサメをひとたまりもなく殺してしまうし、マグロやカジキをとりこむシーンも、大きな槌で頭部を思い切り叩くなど、かなり「痛い」映像が続く。

食事のシーン、男同志がじゃれあうシーン、いずれも、溌剌としたものがある。

これが、海の男たちの「実態」なのであろう。

こうした荒くれの男たちが、後半では、全員入院する。病院では、おとなしく、気の弱い様子を見せられると、とても痛々しい。

宇野重吉ほか、船員たちは見事であった。


ところで、ストーリーであるが、全体的に言うと、第五福竜丸が焼津を出港するところから、南洋を航海し、ビキニ沖に至り「死の灰」をかぶる。帰港後、体調が悪くなり全員入院。次第に回復していくなか、ただ一人久保山愛吉だけは芳しくなく、半年後には帰らぬ人となる。遺族は電車で遺骨を焼津に持ち帰り、そして盛大な葬式がとりおこなわれる。


本筋とは無関係かもしれないが、私がもっとも胸を打たれたのは、久保山の遺骨をもって電車で帰郷するシーンである。

当時、ラジオや新聞を中心に、久保山の病状は全国に伝えられていたので、その死を、同じ電車に乗り合わせていた人たちの誰もが知っていても、何ら驚くことはないのであるが、遺族に対して、乗客一人一人が、静かに席から立ち上がり、遺骨を前に礼をしてゆく姿は、久保山の闘病生活が、本当に、多くの人たちにも共有されていたことを感じさせた。

声をかけることもなく、ただ、粛々と、「礼」をすること。

ここには、義務感も好奇心もない。

自然な態度として、習慣として、それでいながら、思いのこもった接し方であると思った。

「喪」というものに対する、民俗習慣の美しさがにじみ出ていた。

この映画を観てよかったと思うのは、なによりも、この光景との遭遇であった。


そして、もう一つ、現在までなお、見解が定かではないが、久保山の死因ならびに船員たちのその後の死因において不可解なのでは、肝臓障害がどのようにして発症したのかである。

その後の原水爆反対運動が盛り上がるなか、こうした厳密な検証はあまり気にかけられずに、情動的な方向に進むが、実際、今なお不可解である。

確かに久保山を含む船員たちは「被爆」し「死の灰」をかぶったし、帰港後に白血球が低下するなど、放射能の影響による体調不良が見られた。

基本的に、放射線障害によって死に至る場合、主な死因は、白血病もしくは悪性腫瘍である。肝臓障害と放射能は、直接は、結びつかないのである。

実際に、輸血による血清肝炎が死因とした場合、直接的な原因は、輸血による感染ではないかと、米国側や高田純などが考えている立場がある。

また逆に、なかには、「久保山さんはガンに至る前に放射線による免疫機能の破壊が原因ともいえる病で命を落とした」と考える、医師の聞間元のような見解もある。

しかし、2009年4月にそれまでどこに行ったか不明であった久保山のカルテと組織標本が、入院していた国立国際医療センター戸山病院の保管庫から見つかっているが、ここからは、この「死因」を決定づけるものは何もなかったようだ。

また、ネットには、「アスペルギルス・フミガーツスという菌が肝臓に感染し→肝不全→多臓器不全」という説も見つかったが、十分な根拠がない。

いずれにしても、死因として、はっきりと放射能の影響、と言い切れるわけではないように思われる。

しかし同時に、放射能の影響で体力や免疫力が落ちて、少なくとも間接的には放射能の影響で亡くなった、とは最低限言えるのではないか。

放射能は関係ない、と言い放つ人間も、極端に放射能が原因で間違いないと言い張る人間も、いずれも私は信用しない。


なお、映画とはまったく関係ないが、興味深い事実が一つある。映画のなかでも登場するが、第五福竜丸の事件がいちはやく報道した新聞社がある。それは、読売新聞である。そう、あの正力率いるヨミウリである。

読売は、第五福竜丸については積極的に報道したわけである。

他方では、「原子力の平和利用」すなわち「原発」をも推進した。

第五福竜丸は、原水爆禁止運動の発端でもあり、象徴でもあったわけだが、同時に、原発推進のための、隠れ蓑のように機能した部分もある。

当時のヨミウリの、第五福竜丸に関する報道と、原子力の平和利用に関する報道とを、対比させて検証したみたいものである。


また、当時の人びとのメンタリティとして、これほどまでの放射能を恐れたにもかかわらず、なぜ、原子力発電はおそれなかったのか、不思議でならない。

「原子力」というものに対する理解が十分ではなかったと考えられるが、同時に、そうした理解をしようという努力を怠っていた部分もあるように思える。

これはひとえに、新聞、ラジオ、映画、小説、評論をはじめとした全メディアによるイメージ戦略が成功したということなのかもしれない。


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観たDVD
原爆の子
新藤兼人:監督
長田新:原案
音羽信子:出演
民芸
1952年8月

ひとこと感想
静かに広島の「7年目の夏」を思う作品。当時広島で幼稚園の先生だった音羽信子が教え子を訪ねて歩く物語。大半は悲惨な境遇にあるが、同時に、強く生きようとする意志が描かれている。淡々と、静かに、戦後の傷跡を悲しんではいるが、それはあたかも「天災」に巻き込まれたかのようで、被害者としての怒りや憎しみといった感情が見られない

***

1960年代前後に生まれた人間にとって、「ヒロシマ」とは、まず、少年ジャンプで連載をしていた「はだしのゲン」によって、そのイメージが心の底に残されてきたことと思う。

「はだしのゲン」は、1973年から74年にかけて、わずか2年ほどの連載期間であったようだが、
異様にその絵柄は心に響いた。今でもこの作品で描かれた、原爆投下後のまちや人のようすが、視覚的に思い出すことができるほどである。

考えてみれば、それ以来、すでに40年近くたっている。一度も読み返していないので、細かいところまでは思い出せないが、それでも当時読んでいたときの衝撃は今でも残っている。

そのなかで、ゲンたちは、米兵たちに対して、かなり屈折していた態度をとっていたと思う。

他の子どもたちは、確か「MP」と書かれたヘルメットをつけていた米兵たちからチョコレートやキャンディーをもらっていたが、ゲンは媚びを売るのをよしとしなかったのか、もらおうとしなかった。

つまり、はだしのゲンでは、直接的ではないにせよ、米国に対する憎悪に近い感情が、作品を通して表現されていたと思う。

そして、それが「ヒロシマ」を描く作品の基底に、必ずあるのではないか、そう私は勝手に思って、今回、映画「原爆の子」を観た。

そのため、ちょっとした肩すかしをくらった。

もちろん、印象として、直接的、激情的な表現はないとしても、押し殺した感情が静かににじみ出ているのではないかと思っていた。

ところが違ったのである。


この映画「原爆の子」については、内容以前に、「1952年8月」に公開された、という歴史的経緯が、もっとも大事なように思われる。

1945年8月の敗戦(占領)から1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効(主権回復)まで、7年のあいだ、敗戦国として、さまざまな制約があった。

とりわけ、広島と長崎に投下された原爆に関する表現は、GHQによる検閲が行われ、「自由に物が言えない」状況が続いた。

もちろん、その間も、小説や評論、映画などもいくつか世に出たが、どことなく「遠慮」があったと思う。

いわゆる「自主規制」というやつである。

人は、「強制」される前に、実は、自ら制約をほどこすことのほうが、多いのである。

そして、この作品もまた、ある種の「遠慮」を感じさせる。または、それが「遠慮」でなければ、気質なのだろうか。ともかく、静かなのである。

「はだしのゲン」を思い返すと、どうやら、戦後の米国に対する感情は大きく二つに分かれたと思われる。

ゲンのように、米国に対して憎悪を抱いている場合、そして、逆に、国軍の暴挙を許しがたいものとみなし、米国はそれを止めてくれたと考える場合(前者も国軍の暴挙も同時に憎んでいるが)。

この作品がそれを意図したかどうかは分からないが、少なくとも前者のような、直接的な感情が米国には向いていないことは、確かである。

結果としては後者のような感情となってしまうのだろうか。このあたりは作品では明示されないが、気になるところである。

そうした米国に対する感情、というものを抜きにしたとしても、本作品には、現状の悲惨さは嘆くものの、なぜこんなことになったのか、という「原因」を追求する姿勢や意欲は見られないのが、不思議でならない。

この一年半ほどのあいだの、私の感情は、ほぼ「原発」「原爆」「原子力」とともに生きてきたこの暮らしとは一体何だったのかへの問いに向けられたが、そういった感情がこの作品にはまったく感じられない。

なぜなのだろうか。理由を考えてみる。

戦争の被害の問題だとすれば、こういう仮説をたてることもできる。

沖縄のように米兵との直接的な戦闘や攻撃があった場合は、事態は大きく異なるが、空襲による攻撃は「敵」の顔があまりはっきりとは見えない。

だから、戦争という「人為」が、あたかも「天災」であるかのように扱われている、というものである。

しかしこれは、占領期だけではなく、その後も、ずっと続いているように思える。

さらに言えば、もっと以前から、こうした「心性」は、ある種の「日本」という共同体の、独特の「自然」観念や「他者」観念として維持され続けているのではないだろうか。

13世紀に起こった元寇と呼ばれる戦闘を除けば「敵」が攻めてくるという「戦争」の体験に乏しく、戦国時代以降は「内戦」も少ないこの国においては、原爆投下に傷跡も、あたかも自然災害のように扱われるほかない。この作品をみた最初の印象は、そうした、内容を抜きに、「構造」で考え、こうした「他者」観や「自然」観が全面に出ている、というものだった。


とは言え、少しは、内容についてもふれておこう。

舞台は、戦後の瀬戸内海の小島と広島。主人公は、学校の先生。1945年8月当時は広島で幼稚園の先生をしていた。今は実家の小島で小学校の先生をしている。

夏休みに、当時の幼稚園の教え子を訪ねる、という物語である。

もっとも中心にあるのは、被爆したおじいちゃんと一緒に暮らしている孫の男の子の物語である。孫といるのが唯一の生きがいであるにもかかわらず、この女教師は、その子のためを思えば小島に連れていくことにするのである。

幼稚園の先生が子どもたちを探す、という設定に、今ならかなり無理を感じる(当時はそういう人間関係が厚く存在していたのかもしれない)。

ただ、消息を知りたくて訪ねた、というのは、少々、無責任というか、楽観的すぎるようにも思える。

映像をみていると、現在の幼稚園というイメージで理解するよりは、保母さんというか、子どもをあやす人、といった存在なのだろうか。

確かに、今でも自分の幼稚園時代、すみれ組だったときの水木先生の記憶は微かに残り続けているものの、普通に、学校の先生という以上の存在ではなかったし、是非もう一度会いたい、とか、会いに来てくれたらうれしい、といった強い思いがわいてこない。

つまり、この先生が広島を訪ねる動機が、私には、あまり強く響いてこないし、それほど必然性のあるようには思えない。

それゆえ、この物語には、私はなかなか入り込めないのである。

実際、作品中でも、子どもの家族が亡くなるタイミングに訪問して、「何しに来た?」と、嫌がられたりしている。これが、あたりまえではないだろうか。


また、なぜ、音羽信子が子どもを広島から連れ去らねばならなかったのか、私には理解できない。

子どもと一緒に暮らしていたおじいちゃんの命を奪ったのは、この教師である。子どものために、それが一番よい、というのは、本当なのだろうか、疑問符がつく。

ストーリーとしては、今ひとつ「ぐっ」とこないのである。


当時の光景が残されているという意味で貴重であるし、当時の映画として、最大限に何かを伝えようとしているのかもしれないが、これは「戦争の悲惨さ」の物語は形成しているが、「戦争」そのもの、そしてさらには「原爆」に対する洞察が、十分には含まれていない。

ゴジラと対比させると、圧倒的にゴジラの方が、「原爆」に対する向き合い方の難しさをさまざまなかたちで伝えているように思われる。

これはもしかすると、「ゴジラ」という作品の特異性ではなく、時代として、第五福竜丸事件、が大きく影響しているかもしれない。

明日は、同じ新藤監督の、第五福竜丸を観た感想を書いてみようと思う。

 第五福竜丸(映画)、を観る
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11385755152.html


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読んだ本
夢よりも深い覚醒へ――3.11後の哲学
大澤真幸
岩波新書
2012年3月

ひとこと感想

早く出版することの意義はあると思うが、少し雑な構成の印象が残って残念。いつもの理路整然とした文章の二歩手前くらい。

目次
序 夢よりも深い覚醒へ
I 倫理の不安――9.11と3.11
II 原子力という神
III 未来の他者はどこにいる? ここに!
IV 神の国はあなたたちの中に
V 階級(クラセ)の召命(クレーシス)
結 特異な社会契約

****

大澤は本書10ページめで、「3・11の原発事故を前提にしたとき、日本の原子力発電を、どのようにすべきか」について「結論」を述べている。

「日本は、全面的な脱原発を目標としなくてはならない。」「原子炉ごとに閉鎖の年限を決定し、段階的に安全な脱原発を実現するのがよいだろう。」(10ページ)

本書は、こうした「結論」を述べるために書かれたものではない。「こうした結論へと至る理路を支えている前提」(15ページ)である。

そして、「3・11の出来事には、可能性と不可能性とを弁別する座標軸、われわれの日常の生が当たり前のように受け入れてしまっている土台そのものを揺り動かすものがあったのだ」(17ページ)と位置づける。

本書で扱われているものと、当ブログで論じたもの(★をつけた)
フロイトによる夢分析(ラカン「精神分析の四基本概念」から)
サンデル「これからの「正義」に話をしよう」における暴走列車の事例
ウイリアム・スタイロンの「ソフィーの選択」
テリー・イーグルトンの「Sweet Violence」による「破局」
デイヴィッド・ラウプにおける「絶滅」の進化論
バーナード・ウィリアムズによるゴーギャンの「道徳的な運」
ウルリッヒ・ベックの「リスク社会」
竹内啓の偶然性
カントの定言命法
ジョルジョ・アガンベンによる「ムーゼルマン」
阪神・淡路大震災
オウム真理教による地下鉄サリン事件
カントの地震論と視霊者の夢
レベッカ・ソルニットの災害ユートピア
ナオミ・クラインのショック・ドクトリン
ハイデガーの人間の不気味さ(Unlichkeit)
ウラン爺(東善作)
武田徹(名前は出てくるが参照文献が挙げられていない。実際は「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」を参照している)
第五福竜丸事件
原子力の平和利用(中曾根、正力)
大江健三郎
日々美子(放射能酒)
見田宗介による戦後史理解
手塚治虫の鉄腕アトム
マーク・ゲインの「ニッポン日記」
加藤典洋「3・11」
アイリーン・ウェルサム「プルトニウムファイル」
吉岡斉「新版 原子力の社会史」
リチャード・ローティ
旧約聖書「創世記」の大洪水
ライプニッツの神議論とヴォルテール、ルソー
ロールズの正義論
高木仁三郎
中西準子の環境リスク論
ウェーバーの資本主義の起源とプロテスタントの予定説
ジャン=ピエール・デュピュイ「ツナミの小形而上学」
ギュンター・アンデルスの「ノアの箱舟」の寓話
カントによる未来への倫理(「世界公民的見地における一般史の構想」)
ハイデガー「形而上学の根本諸概念」
フェリーニ「サテリコン」
良知力「向う岸からの世界史」
田川建三による神の国論(ヨハネとイエスの差異)「イエスという男」
ノンアルコールビール
江夏の21球
ハンス・ヨナスのMortality and Morality
ウェーバーの「召命」(「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
マルクスの「階級」
堀江邦夫「原発ジプシー」
ソクラテス
キルケゴール
スラヴォイ・ジジェク「サブクラーク」
スティーブン・ジェイ・グールド「系統的体小化の法則」
ヘーゲルの「実体の主体への転化」
マルクス「資本論」
ジャック・ランシエール「無知な教師」
柄谷行人「哲学の起源」
ハーバーマスの「合理的討議」
レヴィ=ストロース「浮遊するシニフィアン」
ラカンの「通り道」

さまざまな事例とともに描かれる「深い覚醒」は、十分に興味深いが、少々読むのに骨が折れることもある。

というのは、本書で行われていることが、「3.11」そのものとその「源流」への肉薄ではなく、「3.11」という経験の「源流」を探っているからである。

このなかでは、とくに、ノンアルコールビールのたとえと、江夏の21球のたとえが、「喩」としてふさわしくないように思えた。

ほかの事象ならいざ知らず、「3.11」に対しては、こうしたアプローチは、少々違和感を覚える。

かつてプロ野球でくりひろげられた江夏豊の「21球」という話題が語られるが、これにはがっかりさせられた。

「日本シリーズの最終戦の一点も与えれない場面での無死満塁で、マウンドに立たされた投手は、深刻な原発事故に遭遇したようなものである。」(171ページ)

そうだろうか?

オウム真理教による地下鉄サリン事件や米同時多発テロ事件との対比であれば、事例が拮抗していると思うのだが、江夏の1球はそうなのだろうか。

少なくとも野球の醍醐味を知らない人間には、この江夏のどたん場でふみとどまれた「人間力」、大澤の言うところの「ぎりぎりの覚悟」(72ページ)がどれほどのものかは分からない。

しかしこの話を聞いて、原発事故において「真の想定外の事態を克服」(171ページ)する可能性を考える、というのは、あまりしっくりこない。

深刻な原発事故に遭遇」が「誰」の問題として考えているか、があいまいなのである。

当時首相だった管直人の「政治家」としての判断の問題なのか、当時安全委員会の委員長だった班目春樹の「科学者」としての判断の問題なのか、それとも、原発を動かしている企業体であった東電の勝俣恒久前会長や清水正孝元社長ら幹部たちの「経営者」としての判断の問題なのか、さらには、現場をしきっていた吉田所長の「技術者」としての判断の問題なのか、判然としない。

江夏のようなすごい球を投げることが、あのとき、誰かできていれば、事態は変わったのか、そういう問いであれば、どう考えても、管直人の言動がそれに近いようにも思うが、あまり、たとえとしては、重みに欠けていないだろうか。

プロ野球における一シーズンでの優勝が決まるか決まらないかをたとえとして持ち出して、生死を賭した、しかも国家レベルでの存亡の危機を考えるのは、私には少し難しい。

この両者は、同じ次元の深刻さをもちえない、と私は思うのだ。


また、ノン・アルコールビールのたとえも適切さに欠けているように思える。

私にとって、ビールなら愛着があるので、たとえとしては受け入れやすいものであったが、ノンアルコール・・ビールを飲んで自動車事故を起こしたようなもの、という説明が釈然としない。

もちろん、「ノンアルコール」と言ってもわずかにアルコール分が含まれているものもあるかもしれない、ということなのであろうけれど、0.8%のホッピーはさておき、最近市場に出ている一般的なノンアルコール・ビールは0.00%と表示されているから、つまり、0.004%程度のアルコールを含んでいるということになる。

これが運転時に事故を起こして「酒に酔った」と言えるかどうかは、私にはわからない。単に、アルコール度数が身体にもたらした影響だけではなく、酒宴において気分が高揚したり、酩酊な場の雰囲気に影響を受けるということも多分に要因としてあるのかもしれない。

しかしたとえ、この「0.00%」が飲酒運転にならない、一つの指標もしくはそのぎりぎりの分岐点を表しているとしても、それを「原子力の平和的利用」という「あいまいな言語」のたとえとして用いるのは、今ひとつ分からない。

これは、あえてたとえるとすれば、被曝線量に対してではないだろうか。


なお、私にとって、この見田宗介による「夢よりも深い覚醒」とは、大事な言葉であるように思えるが、少し大澤と理解が異なっていたようだ。

弟子でもないのに、僭越ながら言わせてもらいたい。まず、大澤はこう言う。

「3・11の出来事は、われわれの日常の現実を切り裂く(悪)夢のように体験された。その夢から現実へと覚醒するのではなく、夢により深く内在するようにして覚醒しなくてはならない。」(264ページ)

それに対して、私が考えていたのは、こうである。

通常、夢は眠っているときに見るもので、覚醒すると夢は終わり、現実に立ちもどることになる。つまり、一般的には「覚醒」とは、「夢からの覚醒」を意味する。

しかし、私たちは、今、「夢」を見ることができなくなっている。原発事故は、「夢」を消してしまったのだ。

では、「現実」だけを見れば、それでいいというか? いや、違う。私たちが戦後、ずっと夢を見続けてきた、という現実を、はっきりと直視すべきであり、この夢=現実(それは夢≠現実でもある)の経緯や背景など、さまざまな諸要素をひとつひとつ丹念に洗い直さねばならない。

夢から覚醒すればよいということではもちろんないし、大澤の言うように、夢に深く内在するようにして覚醒するのでもない。

夢に「内在」することも、もうできないのだ。

「内在」せずに、夢=現実を、夢≠現実ではない、というようにして覚醒することである。

夢「よりも」深く覚醒する、のである。




夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学 (岩波新書)/大澤 真幸
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読んだ本
ゴジラ・モスラ・原水爆――特撮映画の社会学
好井裕明
せりか書房
2007年11月

ひとこと感想

特撮映画(ゴジラ)に対する愛情がひしひしと伝わってくる本。作品単体での分析ではなく、ゴジラ映画史の系譜を丹念にたどっている。本来、原水爆とゴジラは不可分であったはずだが、それが2004年すなわちゴジラ映画50年に公開された最終作「ゴジラファイナルウォーズ」では、消え去ったことを指摘する。私はこれは「原水爆」のみならず「放射能」に対する抵抗感の解消であると思う。「ゴジラ」の歴史が終焉したことは、一種の忘却(願望)の歴史であろう。


****



いろいろと原水爆、原子力、原発にかかわる映画も少しずつ見ているが、よほど時間に余裕があり、好きでもなければ、ゴジラシリーズをすべて見ることはないだろう。

この著者の好井のように、ゴジラのみならず、特撮映画全般をほとんど見ているということは、それだけで、語るのを聞く価値がある。

好井も言うように、誰もが、つまみ食いのように核イメージに連なる映画を見て、分かったかのような分析をする(
私もその一人である)

ゴジラは単なる「怪獣映画」ではなく、第五福竜丸事件で国内に戦慄が走ったあとに制作され、原水爆と密接なつながりをもってこの世に登場したことは、よく知られている。

しかし、その後、長きにわたってゴジラ映画はつくられ、そして50年後には最終作がつくられるが、そこでは「原水爆」について語るのを止めた、ということは、あまり知られていないし、私もはじめて知った。

最終作「ゴジラファイナルウォーズ」では、次のような会話があるそうだ。

「ねぇ何でゴジラは街を壊しているの?」

「お前がうまれるずっとずっと昔な、人間が恐ろしいことをしちまってよぉ、ゴジラを怒らしてしまったんだ」

「恐ろしいこと?」

「お前にはまだわからんだろうが、とてつもないでかい火をおこして、あらゆるものを焼き尽くしてしまったんだ。そんときの怒りを決してゴジラは忘れないんだ」

好井はこの会話に対して、すでに「原水爆」ではなく、「恐ろしいこと」「とてつもないでかい火」という説明になってしまったことに「衝撃を受け」(17ページ)ている。

しかし、よく文章をみてみてほしい、「恐ろしいこと」と「とてつもないでかい火」と書かれているが、これは何を意味しているだろうか。

ゴジラは一作目しかきちんと見ていないので、心もとないが、少なくとも一作目では、
「恐ろしいこと」は「原水爆実験」を指す。実験の影響でゴジラが暴れだしたという設定であった。

しかし「とてつもないでかい火」というのがわからない。一作目では、核実験が行われたことが語られているし、ゴジラ自身も放射能を吐いていたので、
大気中に放射性物質を大量に撒き散らしていることは確かであるが、「とてつもないでかい火」が「あらゆるものを焼き尽くし」てはいない。

ということは、ゴジラのなかでは、いつのまにか、「実験」ではなく、ヒロシマ、ナガサキとは異なる新たな「原爆投下」が行われたということなのだろうか。

それとも、すでに歴史が混濁していて、
ヒロシマ、ナガサキの「怒り」がゴジラの出現と結びついている、と語られているのだろうか。しかし、第一作では少なくともゴジラの怒りは「原水爆実験」にあったはずだ。一体どういった変換が行われたのか、謎である。

このあたりについてはとくに分析されていない。


また、いずれにしても解釈が難しいが、なぜゴジラが日本を襲わねばならなかったのかは、はっきりさせねばならない重要なポイントである。

もしもここでいう「怒り」が、原水爆実験やヒロシマ、ナガサキに対する「怒り」であれば、日本ではなく、米国をまずは攻撃せねばならないはずだ。

なぜ、ゴジラは私たちに怒りをぶつけてきているのだろう。

考えられうるのは、二つある。第一に、ゴジラが被爆者の表象であると想定すること、第二に、本来外部に向かうはずの感情が屈折して内部に向かったと考えることである。いずれもありうることではある。

しかし私は、好井の理解とは異なり、いずれにせよ、この最終話でもやはり「原水爆」は語られていると考える。

「語り」の様式は変容したが、「原水爆」は語られている、そう言うべきであると思う。

もしくは、むしろ、最終作で、はっきりと、「ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下に対する怒り」がゴジラだった、と、鮮明に述べているのと、考えてみたい。

ゴジラとは、原水爆を語るための、原水爆の恐怖を忘れさせないようにするための、たとえ理不尽なシチュエーションであってもとにかく襲ってきたら防御がきわめて困難な「核エネルギー」の性質を常に訴え続けるための、一つの「装置」であり続けた。それが私の解釈である。


以下は、本書で論じられている原子力関連特撮映画の一覧と簡単なコメントである。

▼1954年
ゴジラ 11月
 以前かいたブログ記事を参照

▼1956年
宇宙人東京に現わる 島耕二:監督 大映 1月
 かつて原水爆の危機にさらされたパイラ人が地球の様子をみて警告にやって来る。岡本太郎が美術担当で、ヒトデに大きな目が一つのパイラ人の造形が興味深い。

▼1957年
地球防衛軍 本多猪四郎:監督 東宝 12月
 かつて水爆戦争で星が崩壊した宇宙人ミステリアンが地球を侵略しようとする。

▼1958年
美女と液体人間 本多猪四郎:監督 東宝 
6月
 水爆実験の結果、放射性物質を含んだ雨によって、液体人間が生まれる。

▼1961年

モスラ 
本多猪四郎:監督 東宝 7月
 南海で操業していた第二玄洋丸は水爆実験の影響で被爆するが、小島の住民からもらったジュースで回復する。

世界大戦争 松林宗恵:監督 東宝 フランキー堺、音羽信子:出演 10月 
 核戦争が勃発しようという世界情勢と、ささやかな幸福を目指す庶民の姿を描いている。

▼1963年
マタンゴ 星新一、福島正実:原案 本多猪四郎:監督 東宝

 船を楽しんでいた登場人物たちが遭難し上陸した島のキノコを食べるとキノコ人間に変身してしまう。放射能が関係あることが示唆されるが、詳細は語られない。

8マン(エイトマン) 平井和正:原作、桑田次郎:画、少年マガジン連載 5月、TBS系放映 11月
 小型原子炉の強化剤としてシガレットという小道具が登場する。

▼1964年
モスラ対ゴジラ 
本多猪四郎:監督 東宝 4月
 放射能汚染の強い南島に赴いているはずだが、防護服も着ずに日本から来た人びとは島に上陸する。

▼1965年
フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン 
本多猪四郎:監督 東宝 8月
 死なない心臓がドイツから広島に運ばれるが、原爆投下される。その後その心臓が少年となり次第に巨大化し、怪獣と戦う。

▼1966年
育てよ!カメ ウルトラQ 第6話 2月6日放送
 竜宮城に来た少年は、乙姫の前で小瓶の原爆を爆発させ髪を真っ白にさせる。浦島子伝説を現代風に書き換えようとしたもよう。

虹の卵 ウルトラQ 第18話 5月1日放送
 深夜に濃縮ウランを
原発まで運ぶトラックが事故。燃料が谷に放置されるところから物語がはじまえる。

侵略者を撃て ウルトラマン 第2回 7月24日
 バルタン星人を撃退するために核ミサイル「ハゲタカ」を使用される。

ゴジラ・モスラ・エビラ 南海の大決闘 
福田純:監督 東宝 12月
 南海の孤島で核爆弾のもとになる重水を製造する秘密組織が登場する。

▼1967年
怪獣島の決戦 ゴジラの息子 
福田純:監督 東宝 12月
 ミニラが放射能の熱線を吐けるようになる過程がほがらかに描かれている。

▼1984年
ゴジラ 1984 橋本幸治:監督 東宝
 ゴジラは核エネルギーを吸収して生きるという設定で、原発を襲う。

▼1995年
ゴジラVSデストロイア 大河原孝夫:監督 東宝
 ゴジラが原子炉にたとえられ制御できずにメルトダウンさせて葬ろうとする。

▼2001年
ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃 金子修介:監督 東宝 12月
 ゴジラは焼津港から上陸する。漁協の事務室には「第五福竜丸の悲劇を決して忘れてはならない」と書かれたポスターが貼ってある。

▼2004年
ゴジラファイナルウォーズ 北村龍平:監督 東宝 12月
 本日のブログの本文を参照
昭和歌謡全集 村上龍:原作
 対立する2つのグループ。片方が、最後に、相手めがけて小型原爆を投下する。
ゴジラ・モスラ・原水爆―特撮映画の社会学/好井 裕明
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哲学者の今道友信氏が亡くなった。

大腸癌で、享年89歳。

古いタイプに属する学者であるが、見識は広く、独自の言葉で世界に向けて発言をしていた。

とりわけ、「エコエティカ」は、有名な言葉の一つである。

私も最初、勘違いしていたが、この「エコ」は「エコロジー」の「エコ」ではなく、「オイコス」から来ており、生活や生命の圏域にかかわるエチカということ。

奇しくも、今道氏は、このエコエティカのテーマの中心には、エネルギーを考えることがあり、「電気と倫理」にういて、今後考えねばならないと主張されていた。

そして、このテーマと密接につながっている「安全」と「危機管理」こそが、このエコエティカの課題であると、明言されている。

もちろんこうした主張は、「3.11」よりも前のものである。にもかかわらず、まるで、今の私たちに問いかけているかのようだ。

「エコエティカからの切なる要求として「危機管理省」と「エネルギー省」を絶対に作るべきです。エネルギーは今、電気になっていますが、その電気を原子力でつくるのが良いのかどうかや、太陽発電について政府が真面目に考えなければならないのではないでしょうか。」(今道友信「エコエティカと文明」千葉大学 公共研究 第4巻第2号(2007 年9月)18ページ)

今道氏の意思を私たちは、引き継いで、これからの時代を生きる者として、エコエティカの探究を進めてゆかねばなるまい。

――ご冥福をお祈りします。

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読んだ本
ヒバクシャ・シネマ:日本映画における広島と長崎と核イメージ
ミック・ブロデリック:編
柴崎昭則・和波雅子:訳
現代書館
1999年

Hibakusha Cinema: Hiroshima, Nagasaki, and the Nuclear Image in Japanese Film
Mick Broderick(ed.)
Kegan Paul International
1996

ひとこと感想
「外側」からの邦画分析。ゴジラ、生きものの記録、八月の狂詩曲、夢、黒い雨、24時間の情事、AKIRA、夢千代日記などを中心に、核をどのように映画で描かれているのかを探っている。分析内容よりも、ふと漏らされる、「日本の戦争責任」の問題と、共産党関係者による映画制作への指摘が、印象的だった。


****


本書は10人の著者によって書かれた論文集である。

目次
0 まえがき
   ミック・ブロデリック
1 「もののあわれ」――映画の中のヒロシマ
   ドナルド・リチー
2 ゴジラと日本の悪夢――転移が投射に変わる時
   チョン・A・ノリエガ
3 日本のマンガとアニメーション
   ベン・クロフォード
4 「AKIRA」――核戦争以後の崇高
   フリーダ・フライバーグ
5 占領期の日本映画が描いた原爆
   平野共余子
6 中心にあるかたまり――「広島・長崎における原子爆弾の効果」
   安部・マーク・ノーネス
7 極端な無垢の時代――黒澤の夢と狂詩曲(ラプソディー)
   リンダ・C・アーリック
8 黒澤明と核時代
   ジェームズ・グッドィン
9 抑制された表現――小説・映画「黒い雨」における語りの戦略
   ジョン・T・ドーシィ、松岡直美
10 「死と乙女」――文化的ヒロインといしての女性被爆者、そして原爆の記憶の政治学
   ヤマ・モリオカ・トデスキーニ

本来はスーザン・ソンタグの「惨劇のイマジネーション」も収録されていたのだが、すでに邦訳(「反解釈」所収)が出されているということで外されている。残念である。

論文(章)タイトルからも分かるように、主に扱っているのは、ゴジラ、生きものの記録、八月の狂詩曲、夢、黒い雨、24時間の情事、AKIRA、夢千代日記など、ほとんどがメジャーな作品ばかりである。

唯一の例外は、記録映画「広島・長崎における原子爆弾の効果」である。これについてはよく知らなかったので、とても参考になった。

他にもいくつかフォローしていなかった映画もあり、資料整理の側面から言えば、本書にはいろいろと助けられた。

しかし、「彼ら」がどのように原爆について考えているのか、については、興味深く読めたものの、それ以外には、内容的に、それほど何かが得られるものではなかった。

たとえば、「生きものの記録」「八月の狂詩曲」「黒い雨」に対して、「日本の戦争責任を避けた」(21ページ)というような批判をしている(アーリック)。

この批判の意味が、私にはよく分からない。

また、「ヒロシマ」の監督である関川秀雄や「原爆の図」の監督の一人である今井正、そして「生きていてよかった」や「世界は恐怖する」の監督である亀井文夫が共産党員であることを強調する(リチー)。

そして、それらが、「原爆」や「被爆」に対する正面切ったアプローチをせずに、党派イデオロギーを表現するものとして利用していると説明する。これは、すっきりとしたもの言いで、好感がもてなくもないが、それだけで本当にいいのか、という疑念も生じる。

さらに、そのなかでは、「生きものの記録」と「24時間の情事」は傑出した作品であると評価されている。この両作品がもっとも「もののあはれ」を表しているはずだが、逆に日本では成功しなかったという指摘がなされている。

「ヒロシマと折り合いをつけられないでいるのは、日本ばかりではない。これは、今日、世界中の人々が等しく分かち合っていることだ。・・・日本がこれまで作って来た映画は、「ヒロシマ」という言葉をめぐる連想の複雑性を、そして被爆都市と原爆そのものが日本人にとってどの程度まで象徴となったのかを、指し示しているのである。」(リチー、47ページ)

黒澤に対しては、アーリックが「八月の狂詩曲」と「黒い雨」を中心とした論考を書いているが、これは「無垢さ」をテーマとしており、その無垢さがこの歴史的出来事をしっかりと後世に伝えようとする意志をもたないと批判している。

グッドウィンはもまた黒澤をテーマにし、ここでは「生きものの記録」「夢」「八月の狂詩曲」などがとりあげられているが、概説以上のものはない。

また「黒い雨」を中心に論じたドーシィ&松岡も、あまり引っかからない。

ゴジラに対しては、ノリエガがフレドリック・ジェイムソンの批評概念を用いつつ、こう語っている。

「ゴジラ映画は、核戦争や占領、核実験など問題の多い日米関係を象徴的に再現するために、ゴジラにアメリカの役割を転移する。しかしそれらの映画は、解決を求める過程において、転移されたものを非難して破棄することで「問題」を「解決」するにとどまらない。「対象への自己同化」は、転移の過程に暗に含まれる自己と他者との鋭い分離を和らげるため、ゴジラはアメリカ(他者)だけでなく日本(自己)をも象徴するようになるのだ。」(56ページ)

何かを言っているようないないような、難しいところである。

クロフォードの論考は、日本のアニメ概説なので、ここでは特にとりあげない。省略。

フライバーグのAKIRA論。ゴジラが戦後日本の一つの象徴であるとすれば、AKIRAとは何か? クロフォードは次のように述べている。

「1950年代のSF映画やパニック映画とは異なり、「AKIRA」は広島と長崎について個人的な記憶を持たない世代によって作られ、またそうした世代に向けて作られている。しかし私は、核の災厄という民族的な体験がこの映画に活力を与え、恐れと希望を刺激的に交錯させた、と論じてみたい。」(90ページ)

なんとなくいずれの論考も、表層的なというか、印象批評的というか、いまひとつ掘り下げが足りないように思われる。


ただしおもしろかった論考もある。

この本のなかでもっとも興味深いのは、以上のような商業映画ではなく、記録映画論のほうであった。

平野と阿部は、原爆投下直後からなされた映像化「広島・長崎における原子爆弾の効果」の経緯を細かに追いかけている。以下概要を記しておく。


1945年8月7日に、日本映画社(東京)は、広島に新型の爆弾が落とされたという知らせを聞き、日映は二人のカメラマンを広島に派遣する。

柏田敏雄 (日映大阪支社)
柾木四平 (日映本社)

柾木のフィルムは、東京に送られる途中で紛失したという。そして、
柏田のフィルムもまた、陸軍に没収される。また、占領後は、米軍が没収した。

また、この二人以外にもう一人、撮影をした人物がいる。

河崎源次郎 (広島在、アマチュアカメラマン)

8ミリで撮られた映像は、米軍により一度没収になったあと一部編集されたと推測され、その後、広島平和記念資料館に寄贈された。

また日映は、1945年9月下旬には、ニュース映画を製作している。元のタイトルは「原子爆弾 広島市の惨害」(
257号)だったようだが、検閲を受け、10月3日には上映禁止されそうになるが、最終的には公開される。このなかには、先述の柏田のものと思われる映像も含まれていたようである。

これが、最初に登場する、3つの「ヒロシマ」の記録フィルムである。


続いて登場するのは、もう少し大掛かりなプロジェクトである。

文部省と日映が組んで、
広島と長崎の状況をフィルムに収めようと、9月16日より撮影を開始する。

10月24日に撮影助手が米軍の憲兵に高速され撮影中止の命令が一度は下されるが、最終的には撮影継続が許された。

最初に広島、そして長崎を視察し、先に広島が撮影され、その後に長崎に戻ることとなった。

12月に撮影は終了する。

そして1946年4月にこのフィルムの英語版が完成する。米軍はこのフィルムのタイトルを以下のようにした。

The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki
(邦題:広島・長崎における原子爆弾の効果)
 全19巻、2時間45分

作品が完成した後、米軍当局は、この作品で使われたフィルムすべての没収を命じる。このとき、日映のプロデューサーである岩崎昶は、音声のないラッシュプリントを1本、隠し持つ。

占領終結後1952年になり、日本映画新社にこの
ラッシュプリントが返還される。しかしこれはニュース映画などに一部使用はされるが、一般公開はされなかった。

そして月日は流れ、1967年11月になり、米軍からこの作品の16ミリ縮小版プリントが日本政府に返還される。しかし政府もまた、このフィルムの一般公開を行わなかった。しかもタイトルをあえて「効果」から「影響」に変えた。

1970年にコロンビア大学のエリック・バーナウが、
米国立文書館(NARA)から
広島・長崎における原子爆弾の効果」を編集し、次の映画を制作、米国で公開される。

Hiroshima - Nagasaki: August 1945 16分

市民団体である「子どもたちに世界に! 被爆の記録を贈る会」による「原爆記録映画10フィート運動」は寄付金(1億8千万円)でNARAより「広島・長崎における原子爆弾の効果」のみならず、米軍が撮影したカラーフィルムも含めて購入する。

1982年には、この購入されたフィルムをもとに、2本の映画がつくられる。

にんげんをかえせ 橘祐典:監督
予言 羽仁進:監督

このあとも、断片は、映画や書籍などにも流用され、さらにそのあと、マンガや写真などに多数二次利用されるが、しばらくのあいだはオリジナルは公開されなかった。

そしてようやく陽の目をみたのが、2010年8月。ただしタイトルは、「広島・長崎における原子爆弾の影響」となっている。

広島・長崎における原子爆弾の影響 [DVD]/ドキュメンタリー映画
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また、一部を編集したバージョンについては、いくつか、YouTubeでも見ることができる。

空軍の訓練のための映像として編集された作品
The General Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki