観た映画(DVD)
ゴジラ
本多猪四郎:監督
宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬:出演
東宝
1954年11月
映倫番号 1450

ひとことコメント
映画ではゴジラが物理的に東京を破壊しているが、
これは放射能汚染のメタファーであり、1954年3月に起こった第五福竜丸事件によって明らかになった水爆実験の影響としての放射能汚染への恐怖が描かれている。今なら私たちは、原発事故に対する恐怖心を肥大化させたものとして読み換えて観てもよいだろう。


モノクロ映画である。海上保安庁が「賛助」している。同年に海上自衛隊が発足しているが、本映画の製作中はまだ海上保安庁だったということであろう。

最初にゴジラに攻撃されるのは貨物船栄光丸である。場所は北緯24度、東経141度2分というから、おおよそで言うと、南硫黄島近辺ということになる。東京からの距離にして約1200キロメートル。遠い。映画では地図が映され、ちょうど横浜からま南にあたるところに印がつけられているが、その地図では数10キロ程度しか離れていないように描かれている。もちろんこの時点では「ゴジラ」の仕業であるということは分からないのだが、このあたりからゴジラは、東京湾に向かうことになる。


SOSが出されたまま連絡が途切れた栄光丸の状況を確認するために海上保安庁は、近くにいた船(備後丸?)をただちに現場に向かわせる。しかし、この船もまた同じように消息を絶ってしまう。

その後、遭難していた3名の船員が小さな漁船に救助されるのだが、彼らが栄光丸に乗っていたのか備後丸に乗っていたのかは作品のなかでは明示されない。巡視船「穂高」が出動し、彼らを帰還させようとするが、その漁船も他の2隻と同じ運命をたどる。

新聞記事の見出しには「浮流機雷か?海底火山脈の噴出か」「原因不明の沈没事件続出」とある(本文はよく読めないが、少なくともダミーなのでそれ以上詳しいことは書いていないようである)。まだここでは「放射能」や「水爆実験」との関連性は疑われていない。

その次のシーンでは、ある島(のちにここが黄土島であることが判明する)が映される。海からいかだが流れてくる。おそらく漁船の乗組員と思われる。遭難した人間が担がれて、砂浜までたどりつく。島民に「まさじ」「あんちゃん」と呼ばれている。「やられただ。×××(メグル?)に」といって息絶える。

ここで、島の老人がぼそっとつぶやく。

「やっぱり、ゴジラかもしんねえ」

ここではじめて「ゴジラ」ということばが登場する。

昔からの言い伝えだそうだが、この島の近くには巨大な生きものがいて、それが襲ったと島民たちの一部は確信する。その生きものを「ゴジラ」と呼んでいる。島民たちは、かつてから行われていたゴジラを鎮めるためのセレモニーを行う。しかしついにゴジラは島に上陸し、家屋を破壊し去ってゆく。新聞記者がこの島にヘリコプターで上陸し取材を行っていたが、ヘリコプターは壊される。

数日後であろうか。国会において島の村長ら陳情団が状況説明するも、ほとんど何もわからないと述べる。そこで調査団が組織され、黄土島に古生物学者である山根恭平博士らが向かう。

調査してみると、島全体ではなく一部だけが放射線量が高い。ここではじめて「放射能」が登場することになる。しかしなぜ真先に放射能を疑ったのだろうか。前述の新聞記事ではその可能性を指摘されていなかったが、米国の核実験の余波を受けたという可能性を探っているのだろうか。ともあれ、そこで足跡のようなものを発見する。また、三葉虫が付着しており、放射能の反応があった。

そして、ついに「ゴジラ」が姿を現す。ゴジラは写真にも残される。

山根博士は、調査の結果をふたたび国会で答弁する。この
「50メートルくらいの動物」が、なぜ近海に現れたのか、大胆な仮説を述べる。

「おそらく海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存をまっとうして今日まで生きながらえておった。それが、度重なる水爆実験によって彼らの生活環境を完全に破壊された。」

ゴジラの足跡にはストロンチウム90が多量に付着していたというのだ。

つまり、ゴジラは、水爆実験の「被害者」なのである。それがなぜ日本を目指し、東京を破壊してゆくのか?

加害者は当然、水爆実験をしている国である。その第一の被害者はゴジラである。しかしゴジラは日本を攻撃する。

なぜ、被害者である日本が標的になるのだろうか。

いや、この場合、ゴジラは、ほぼ「第五福竜丸」が日本にもたらした「放射能」を表象している、と考えた方が合理的であろう。

つまり、被害を受けたという理由で加害者に向かっているのではないのである。

水爆実験の影響が日本にもたらされ、「放射能雨」や「原子マグロ」という形で暮らしに直接影響を及ぼす。その恐怖が、ゴジラとして化体したのであろう。

***

本作品はいろいろ興味深いのであるが、概説はこのへんでやめにする。
本作品についての大まかな解説と詳しい解説はすでに、川村湊「原発と原爆」、武田徹「私たちはこうして「原発大国」を選んだ」が刊行されているので、ここではそれ以上の説明をしないが、この2冊の本の記載内容について、若干のコメントをしておきたい。
  
ただし以下は、あまり本筋とは関係のない煩瑣な異同点の指摘であることをお断りしておく。

まず、川村氏の記述であるが、次の2点について、実際の作品と記述とのあいだに相違があるように思われる。

1 「ゴジラは太平洋の向こうから日本へ襲来した」(16ページ)

「太平洋」であることは間違いないが、やってきたのは前述したように「南硫黄島」あたりであり、「太平洋の向こう」ではないのではないだろうか。もちろん印象としてはビキニ環礁で被曝した第五福竜丸のイメージもあるが、おそらくゴジラが生息していたのは、山根が「海底の洞窟」と言っているので、日本海溝あたりではないかと推測される。正確には「ゴジラは太平洋の向こうの米国の威力が日本へ襲来したかのような存在であった」ということであろう。

2 「ゴジラは、荒れ狂うままに、いとも簡単に戦車を踏み潰し、戦闘機を叩き落とし」(16ページ)

実際の映像では、戦車は踏み潰されておらず、口から吐いた火で発火し、炎に包まれる。また、戦闘機は叩き落とされておらず、ミサイルを手で払いのけているだけである。

次に武田徹氏の方であるが、こちらは3点、気になる箇所がある。

3 「ゴジラはヒロシマ・ナガサキの二度の被曝に次ぐ災厄という位置づけになっている」(52ページ)

「あたし、ナガサキの原爆でも生き延びたのに、こんどはこれだわ!」という台詞を根拠にこう述べているが、これは実際には若干異なり「せっかくナガサキの原爆から命びろしてきた大切な体なんだもの」であるが、これ自体は内容が異なるわけではない。しかし、その前の台詞には「原子マグロと放射能雨、そのうえ今度はゴジラ」と言っているので、第五福竜丸事件もこの物語には織り込まれていると考えられる。そうなると、正確には「ヒロシマ・ナガサキ」そして「第五福竜丸」に次ぐ災厄、という説明になるように思われる。

4 「現恋人でダイバーの緒方大介」(53ページ)

緒方は潜水服をまとって実際にもぐっているのだから「ダイバー」という説明は間違いではないが、彼は南海サルベージの社員であり、ダイバーというよりは、遭難船の救助全般の仕事を行っていると考えられる。

5 「芹沢は命綱を自ら断ち切り、海中に残って悪魔の装置を作動させる。」(54ページ)

作品中の展開としては、順番が逆である。「海中に残って悪魔の装置」が作動したのを確認した後、「命綱を自ら断ち切」ったという順序である。

***

もう一度まとめるが、
映画でゴジラが物理的に東京を破壊しているさまは、確実に、水爆実験の影響による放射能汚染を示唆しており、1954年3月に起こった第五福竜丸事件の衝撃の大きさが伺い知れる。

半世紀以上も前の作品ではあるが、今なお、いや、今こそ、放射能汚染に対する私たちの恐怖心を表していると考えて観るべきものであろう。


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